35年の実績で、皆様と共に歩んでゆきます。
当サイトと連動し、平日毎日複数本のブログ発信をし、経営コンサルタント歴35年の独断と偏見から何かを感じ取っていただけると幸いです。 経営者・管理職向けの記事、それを裏返すと経営コンサルタントなど士業の先生方にも参考となります。 |
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11月19日 | ||
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■ 鉄道電化の日 1956(昭和31)年11月19日に、東海道線で電化が為されていなかった米原と京都間がようやく電化され、東海道本線全線が電気で結ばれました。 これを記念して、鉄道電化協会が1964(昭和39)年に、11月19日を「鉄道電化の日」として制定しました。 新幹線が数分おきに走っている今日では、想像がつかないことです。 最近は鉄道ファンが多くなってきているようで、それも男性だけではなく「テツ女」などと女性愛好家も増えているようです。 鉄道ファンと一口に言ってもいろいろと専門分野があり、その中身も深いようです。 【Wikipedia】 1.1 車両研究 1.2 鉄道写真 1.3 録音・音響研究 1.4 鉄道模型 1.5 コレクション 1.6 旅行・乗車 1.7 時刻表・駅研究 1.8 施設・運転・設備研究 1.9 歴史・業務研究・その他 1.10 鉄道趣味サークル 1.10.1 日本の学校鉄道研究部・研究会 1.10.2 一般鉄道サークル 1.10.3 鉄道高校(鉄道学校) 推理小説が好きな人は時刻表を使ったトリックを題材とした小説が思い浮かぶのではないでしょうか。その第一人者の一人が西村京太郎氏でしょう。 時刻表も、最近は電子化され、無料で利用できることから売上が下がっているということも聞いています。しかし、あれをめくりながら旅程を組むことに固執している人もまだまだ多いようです。 私は、ヨーロッパの出張をユーレイルパスで何度も行いましたが、便利ですし、第一安いですね。当時は99日の有効期間で3万円強だったように記憶しています。 パスを買うと、ポケット版の時刻表をいただけ、それを使いながら国から国へと1ヵ月ほど、旅をしました。旅と言っても、仕事ですが、色々な人と会うことができました。 ちょうど、チェルノブイリ原発事故の時、デンマークからストックホルムへ向かう寝台車の中で、スエーデンの大学の教授と同じコンパートメントに乗り合わせました。 原発問題や酸性雨など、一晩中語り明かしたことを思い出します。 |
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■ハイビジョン・ウィーク |
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【経営コンサルタントの独り言】 ◆ 中小企業の強化は営業から 「中小企業だから大企業には太刀打ちできない」とか「景気が悪いからしかたがない」とかいうマイナス思考の発想をしていては、企業は成長しないと思います。 月並みな表現ですが、「大企業ももとは中小零細企業」でした。 景気が悪いのは、自分の会社だけではなく、他社にとっても同じ条件です。 他社と同じことをやっていては、変化は生まれません。 しばしば「逆境や厳しい経営環境は成長のチャンス」と言われます。 どん底が「不況」なら、どん底の経営環境を普通と考え、それを「普況」とできるように起業を強くすれば良いのです。 「普況」と「不況」の含蓄が解る経営者・管理職は、その会社には「富況」が訪れるでしょう。 昨日のブログの「中小企業を強くする第一歩は?」をよく読み、「中小企業の強みを活かせ」を励行し、3つめのキーワード(ブログをご覧下さい)を実践できるようにすれば、あなたの会社に富況が訪れるでしょう。 http://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/d8e488b2a5df0d64ae933185ca5486db (ドアノブ) |
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■ 覚心(法灯国師・心地覚心) 覚心の項参照 しんち かくしん 承元元年(1207年)− 永仁6年10月13日(1298年11月18日) 鎌倉時代の臨済宗の僧で、姓は恒氏、諱は覚心、無本と号しました。 臨済宗法燈派の本山であった由良興国寺(昔は西方寺という)を開山しています。京都宇多野に位置する臨済宗建仁寺派の妙光寺の開山でもあります。 1221年(承久3年)信州戸隠の当時まだ神社と寺院が一体であった神宮寺の忠学律師につてい読み書きを習い、1225年(嘉禄元年)に出家し、得度しています。 高野山で伝法院主覚仏や正智院道範らから真言密教を学び、この時、法燈国師は源実朝の霊を弔う為に高野山を訪れました葛山景倫(後の願性)に出会います。 しかしその年の9月に栄朝が遷化しましたので、無本覚心は、翌年の1248年(宝治2年)には甲斐の心行寺に赴きました。 兄弟弟子にあたる円爾の勧めにより入宋を志し、1249年(建長元年)に、覚儀、観明らを伴ないまして紀伊由良から九州に渡り、博多を出て入宋しました。 その後、1253年(建長5年)杭州の霊洞山護国仁王寺の無門慧開(1183−1260)に参じて、遂に臨済宗楊岐派の法を嗣ぐことができました。 1258年(正嘉2年)には、金剛三昧院の住職(第6世)となりましたが、しばらくして禅定院住持を退き、由良に戻り、ときに紀伊由良荘地頭、葛山景倫(願性)の要請によって、西方寺(後の興国寺)の開山となりました。 1281年(弘安4年)亀山上皇(1248年 − 1305年)は、円爾の示寂後、京都洛東勝林寺に招かれました。亀山上皇や後醍醐天皇より法燈禅師、法燈円明国師と諡されました。 中国からもたらしたといわれる金山寺味噌は、径山寺(きんざんじ)の味噌の製法を模したものといわれています。 時宗の開祖である一遍上人とも同時代を過ごしています。 |
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昨日 明日 | ||
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