35年の実績で、皆様と共に歩んでゆきます。
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11月16日 | ||
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■ いいいろ塗装の日 「いい(11)いろ(16)」の語呂合せから、この日は「いいいろ塗装の日」として制定されています。 日本塗装工業会が、その創立50周年をむかえた1998(平成10)年に制定しました。 同工業会のサイトでは、下記のように説明されています。 社団法人日本塗装工業会は、建設塗装工事業者約2,500社で構成された唯一の全国団体です。 溯ること昭和23年4月に設立され、その後60有余年にわたり技術・技能の研鑽と向上に努め、社会の信頼に応えています。 我々は、建設産業の一翼を担う専門工事業者として、今後も団体の諸事業に真摯に取り組むとともに、各会員が仕事を通じて社会への貢献に邁進する所存です。 「色」というと、余りにも我々の日常に溶け込んでいて改めに考えることが多くの人にはないのではないでしょうか。 【Wikipedia】 色(いろ)は、可視光線の組成の差によって質の差が認められる視覚である色覚、および、色覚を起こす刺激である色刺激を指す。 色は視覚を通して得られる感覚のひとつであるが、質量や体積のような物理量ではなく、音の大きさのように心理物理量である。例えば、物理的な対応物が擬似的に存在しないのに色を知覚する例として、ベンハムの独楽という錯視現象がある。ベンハムの独楽とは独楽の上面を白と黒で塗り分けただけであるのに、回転させると色知覚が生まれるという実験を指す。 印刷の世界では、「色」でいろいろと苦労しています。色の三原色には加算混合と減算混合があることはよく知られています。前者は光の三原色とも言われるように三色を混合すると「白色」になります。 後者の減算混合は、絵の具に代表されるように反射光で色を認識します。三原色を混ぜると黒に限りなく近い色となります。 印刷業界では、プリプレスと言って印刷の前工程はDTP(Desk Top Publishing)という、パソコンのプリンターでおなじみのRGBに色分解して印刷機にかけるデータに変換して、それをもとに刷版という印刷用の大きなハンコを作ります。 ところが、印刷機では、上記の三色であるシアン、マゼンタ、イエローという版に、スミという黒色インクを重ねて印刷をします。 当然、色の決め方が異なるので、刷り上がりが、DTPの画面で見たときと微妙に異なり、「色校正」という作業を通じても、お客様とトラブルになることがあります。 因みにRGBと印刷三色とでは、カバーできる色相や色彩などが異なるために上記のようなトラブルになってしまうのです。 色というのは、男女の問題もそうですが、難しいですね。 ■ 録音文化の日 日本記録メディア工業会が制定しました。 1878(明治11)年11月16日に、東京大学にお雇い外国人教師として招聘されたイギリスのジェームズ・ユーイングが、持参した蓄音機を使って日本初の録音・再生の実験を行ったことを記念しています。 記録メディアの代表は、紙ですが、古くは木簡や竹簡が使われていたことは周知のことです。 近年は、「記録媒体」といいますと、電子媒体(でんしばいたい)を刺すことが多くなっています。 ウィキペディアによる記録媒体についてご紹介します。 記録媒体には、非電子的および電子的な媒体があります。映像機器や音響機器での映像や音楽の記録再生や、電子計算機(コンピュータ)での情報処理に使用する記録媒体の総称をいいます。 電子媒体としては、構造的にはテープ、ディスク、メモリータイプに大別されます。 コンピュータで扱う情報については、記録内容は全てデジタルデータですが、映像機器や音響機器においては、アナログ方式が多いかったのですが、近年は劣化の少ないデジタルデータとして記憶されることが多くなっています。 私が、初めてパソコン(当時は「マイコン」と呼んでいました)を購入したときは、内部メモリーがわずか8KBしかありませんでした。 外部記憶装置としては、さすがに紙テープではなく、カセット式の磁気テームでした。 その後、フロッピー・ディスクが出現してきて、大きな8インチをはじめは利用していましたが、5.25インチ、3.5インチと小さくなり、便利さが格段と上がりました。 なんと言いましてもハードディスクが内蔵されたときには、夢のようにさえ思えました。ディスクも光ディスクで容量が拡大したときには、顧問先とのデータのやりとりには大助かりでした。 今日では、考えられないような感動がありました。 【経営コンサルタントのひとり言】 イロの世界を究めるには? 江戸っ子は、「し」と「ひ」の発音の区別ができず、「飛行機」を発音しようとしますと「シこうき」になってしまいます。 それとは、少々異なりますが、私の知っている新潟の人ですが、「い」と「え」が逆になってしまうようです。 例えば「石」は、「エし」とエに近い発音に聞こえます。 「絵師」は、「イし」とイに近いエとなってしまうようです。 従って「色」は「エロ」に近くなってしまいます。 11月16日は、「いい(11)いろ(16)」の語呂合せから、「いいいろ塗装の日」として制定されています。 塗料というのは、ご存知のように、溶剤による分類には、油性と水溶性があります。 用途別の分類の中には「防錆」塗料があります。 金属がさびないような性質を持ったもので、これを塗ったり、メッキをしたりすることにより、腐食から金属を保護します。 数年前に、高速道路のトンネルの天井版が、固定しているボルトがさびて落ちてしまうという大事故がありました。 もし、ボルトがキチンとした防錆処理をしてあれば、この事故は防げたでしょう。 あるベンチャー企業が、防錆性の高い塗料やメッキの材料を開発しました。 それを自動車メーカーや橋梁メーカーに売り込みに行きましたが相手にされません。 前者は、会社の決まりで、後者や入札要件で決まっているので、新たな材料を使うわけにはいかないと言うのです。 とるにたりないような小さなベンチャー企業を、はなから相手にせず、貸す耳を持たないのです。 大企業病、お役所仕事という、日本の経済にマイナス効果を与えていることを軽視している判断が厳然としているのは、寂しい次第です。 (ドアノブ) |
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■ 藤堂高次 没 とうどうたかつぐ 慶長6年閏11月11日(1602年1月4日)−延宝4年11月16日(1676年12月20日) 藤堂高虎を父に持ち、幼名「大助」で、徳川家光や家綱までの時代の武将です。 父、高虎には、なかなか実子ができなかったため、丹羽長秀の子を養嗣子・高吉として迎えていました。 幸い、高虎が46歳のとき、ようやく実子である高次が生まれ、寛永7年(1630年)、高虎が病死すると、高次がその跡を継ぎました。 寛永9年(1632年)の江戸城二の丸、寛永16年(1639年)の江戸城本丸消失後の復興、慶安5年(1652年)の日光の大猷院霊廟(だいゆういん、徳川家光の霊廟)などの数多くの石垣普請を行いました。 ところが津藩はこれらの石垣普請の負担により財政が極度に悪化し、高次は年貢増収による財政再建を図って新田開発を積極的に奨励するなどの改革に努めました。 しかしなおも江戸幕府の普請費用を積極的に負担したため、財政はさらに悪化の一途をたどっていきました。 寛文9年(1669年)、隠居して家督を長男の高久に譲り、延宝4年11月16日(1676年12月20日)に死去しました。 |
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