35年の実績で、皆様と共に歩んでゆきます。
当サイトと連動し、平日毎日複数本のブログ発信をし、経営コンサルタント歴35年の独断と偏見から何かを感じ取っていただけると幸いです。 経営者・管理職向けの記事、それを裏返すと経営コンサルタントなど士業の先生方にも参考となります。 |
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11月14日 | ||
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■ ウーマン・リブの日 |
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■ 東京浅草・酉の市 11月2日、14日、26日は、東京・浅草では酉の市で賑わいます。江戸っ子にとっては、年の瀬が近づくことを知る行事です。その年によつて開催される日が異なります。月初めの最初の酉の日を一の酉、次を二の酉、その次を三の酉といいます。 酉の市と言えば福を取り込む熊手、大判小判、稲穂などいう縁起物が飾り付けらレ、それを買ういなせな客と手拍子というのがおきまりです。 |
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浅草酉の市 | ||
【経営コンサルタントの独り言】 ■ 江戸の旅人の「振り分け荷物」には何が入っているのでしょうか? いつの時代でも、「旅行」は楽しみのひとつです。コロナ蔓延などの影響を一時的に受けることはありますが、京都を始め、観光地には、修学旅行生、海外からのお客様などを含め、人が多いですね。いかに旅行が庶民の楽しみとして定着しているかということでしょうか。 江戸時代には、「入鉄砲に、出女」などと制限が多く、庶民が旅をすることは禁じられていました。ところが、「弥次さんと喜多さん」で知られる、十返舎一九の書いた「東海道中膝栗毛」にもみられますし、旅の浮世絵を見る限りでは、庶民が旅をしていることがわかります。 各藩の法律には、抜け道があったようです。 天皇家が祀つられる伊勢神宮には、皇族だけではなく多くのお偉方がお詣りをします。庶民だけを閉め出すのは、江戸時代でも憚られていたのでしょう。表向きは、「お伊勢参り」など、寺社参拝の名目で、本当のところは観光目的の旅だったようです。湯治は病や怪我を癒すための治療行為の移動も認められていました。 ガイドブックすらもあったといいますから、庶民がいかに旅を楽しんでいたのかがわかります。 江戸時代の旅といいますと「振り分け荷物(ふりわけにもつ)」姿を思い浮かべる人が多いでしょう。江戸時代の旅人は、荷物をあまり持ちませんでしたので、今日のようにガラガラと旅行ケースを引っ張ることはありませんでした。 振り分け荷物というのは、いわば、江戸時代の旅行用の小型鞄といったところでしょうか。竹篭とか蔓や菅、柳で編んだ小さな行李(入れ物)を2つ、真田紐や手ぬぐいで結んだことから「振り分け」といったのでしょう。 肩に前後に分けて用いましたので、バランスもとれて、歩きやすかったのかも知れません。しかし、中に何を入れたのか、気になりませんか? 文政3年(1820)に刊行された「諸国行程大日本道中指南車」によりますと、旅先に所持品として持って行くべき者のリストをみられます。 衣類、股引、脚絆(きゃはん、足の保護目的に、すねにまとった紺木綿の布)、足袋、手甲、下帯(ふんどし)、矢立、手拭、糸と針、扇子、常備薬、鼻紙、道中記、財布、巾着(小銭入れ)、指刀、提灯、蝋燭、合羽、火打石、笠、麻綱(洗濯物をかけるため)など(https://traveltabi.com/edo-travel/ ) ◆ ウーマンリブは死語となりつつある 11月14日は、「ウーマン・リブの日」です。 1970(昭和45)年11月14日に、東京・渋谷で日本初のウーマン・リブの大会が開催され、日本のおける女性解放運動の契機となりました。 ウーマン・リブ(Women's Liberation)とは、1960年代後半にアメリカで起こり、その後世界的に広がった女性解放運動のことをいいます。 しかし、今日では、女性の社会進出が日本でもあたり前になっています。 一方で、まだまだ女性管理職の比率が先進国の中で日本は最下位にあります。 まだまだ女性の能力が十二分に発揮されていないのですね。 (ドアノブ) |
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■ 道慈律師 どうじ 生年不詳 − 天平16年10月2日(744年11月14日) 奈良時代の三論宗の僧で、俗姓は額田氏、大和国添下郡の出身です。 702年(大宝2年)に唐へ渡り、西明寺に住し、三論に通じることになりました。その結果、仁王般若経を講ずる高僧100人のうちの一人に選ばれています。 718年(養老2年)に帰朝し、日本三論宗の第三伝とされました。 729年(天平元年)に律師に任じられ、大安寺を平城京へ移設することに尽力しました。736年(天平9年)には、大安寺大般若経転読会を始め、739年(天平12年)には大極殿最勝王経講説の講師をつとめました。 大宝の遣唐使として43年ぶりに入唐を果たした道慈は、帰国後に『愚志』という書物を著して、唐と異なり教典に従っていないことが多い日本の仏教界を批判しています。 僧尼の質を向上させるために、戒師を唐から招請、鑑真の来日によって実現することになりました。 『日本書紀』の編纂にも関与したという説もあります。 奈良大安寺 (カシャリ!一人旅)←クリック (【Wikipedia】を基に作成) |
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■ 力道山 力道山(1924年11月14日 - 1963年12月15日)は、大相撲の力士を経て、プロレスラー界に移りました。韓国出身者で、日本億石を持ち、その名を「百田光浩(ももた みつひろ)」といいます。 1954(昭和29)年2月19日に、日本初のプロレスの本格的な国際試合として、力道山・木村組対シャープ兄弟の試合が開催されました。この日が「プロレスの日」として制定されています。 プロレスの正式名称は「プロフェッショナル・レスリング」といい、リング上で観客へ見せることを目的とした攻防を展開する格闘技を基本としたスポーツのことであることはよく知られています。 空手チョップで、アメリカなど海外からのレスラーを倒すのを見て、多くの日本人が快感を覚えたのではないでしょうか。 まだ、テレビの普及が全家庭に至っていない時期から、街頭でプロレスを見る人がいました。第一回目の東京オリンピックを機に、テレビの普及率が高まりますと、一層プロレス熱も高まったように記憶しています。 |
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昨日 明日 | ||
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