35年の実績で、皆様と共に歩んでゆきます。
当サイトと連動し、平日毎日複数本のブログ発信をし、経営コンサルタント歴35年の独断と偏見から何かを感じ取っていただけると幸いです。 経営者・管理職向けの記事、それを裏返すと経営コンサルタントなど士業の先生方にも参考となります。 |
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11月13日 | ||
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■ 13日の金曜日
13日の金曜日を忌み嫌う人もいます。キリストの受難の日が「13日の金曜日」とされている俗説からといわれています。 しかし、キリスト教の信者の話によると受難日は金曜日とされているが日付は定められていないとのことで、この俗説は誤りといえそうです。 |
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■ うるしの日 |
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■ 全日空松山沖墜落事故も航空機大事故のひとつ 航空機大惨事といいますと、JALの御巣鷹山事故を連想する人が多いでしょう。しかし、大惨事は繰り返されているのです。 1966年11月13日、大阪空港を離陸した全日空533便、YS−11(日本製旅客機)が、松山空港へ着陸しようとして失敗し、伊予灘に墜落してしまいました。50名もの尊い命が失われました。 その年は、航空機事故が多く、この事故は5回目の事故でした。 当時の旅客機にはボイスレコーダーやフライトデータレコーダーの搭載が義務づけられていませんでした。その結果、墜落原因は不明のままです。 ただ、機体のやりくりか付かず、最終的に選ばれたYS−11の機長は過労気味であったことから、操作ミスが原因ではないかと非公式な原因として発表されたようです。 事故の背景には、人的ミスが潜んでいますが、さらに遠因として、機材のやりくりなど、無理なフライトスケジュールも考えられます。 命を預かる業務ですので、顧客サービスと不便さというバランスの問題がありますが、慎重の上にも慎重が求められます。 |
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■【今日の人】 天海(慈眼大師) てんかい/じげんだいし 天文5年(1536年)?− 寛永20年10月2日(1643年11月13日) 天海(てんかい)としられる慈眼大師ですが、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての天台宗の僧で、南光坊天海、智楽院とも呼ばれています。大僧正と位も高く、諡号が慈眼大師で、徳川家康の側近として、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与しました。(Wikipediaを基に作成) 生年は、定かでありませんが、龍興寺にて随風と称して出家しました。14歳で、下野国宇都宮の粉河寺の皇舜に師事して天台宗を学びました。後に比叡山延暦寺や園城寺、興福寺などで学を深めました。 天海としての足跡が明瞭となるのは、埼玉県川越市にあります、関東天台の本山・喜多院(当時、無量寿寺北院)に来てからのことです。慶長18年(1613年)には家康より日光山貫主を拝命し、本坊・光明院を再興するなどして、次第に家康の信頼を高めてゆきました。日光の神橋の袂には天海像が立っています。 徳川三代将軍・徳川家光にも仕え、寛永元年(1624年)には忍岡に、幸田露伴の小説・五重塔でも有名な寛永寺を創建しています。”江戸の都市計画”ともいえる業務にも関わり、陰陽道や風水に基づいた江戸鎮護も構想しています。 喜多院 http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/saitama/kawagoe-kitain.htm 天海像 http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/tochigi/nikko2016-5.htm |
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【経営コンサルタントの独り言】 ◆ 経営コンサルタントがお薦めする書籍「経営コンサルタントの本棚」 ちょっとした情報が、私達の智慧となることは多々あります。 その情報が知恵の源泉であることに気づかないで機会損失を起こしていることは、それ以上に多いのかもしれません。 毎週火曜日は、日本を代表する経営コンサルタントの先生方のご協力で、経営・時事・コンサルティングなど、ジャンルを問わず、読者の皆様に感謝を込めてメッセージを発信しています。 第4火曜日は、酒井闊先生他の「経営コンサルタントの本棚」をお届けしています。 その契機は、「経営コンサルタントがどのような本を、どのように読んでいるのかを教えてください」「経営コンサルタントのお勧めの本は?」という声をしばしばお聞きしたことによります。 日本経営士協会の経営士・コンサルタントの先生方が読んでいる書籍を、毎月ご紹介します。 経営コンサルタントの本棚 (ドアノブ) |
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■ 空也 没 くうや 延喜3年 − 天禄3年9月11日 (新暦):903年 − 972年10月20日) 平安時代中期に京都で生まれた浄土宗の僧で、阿弥陀聖(あみだひじり)、市聖(いちのひじり)、市上人とも称されます。 口称念仏の祖で、民間における浄土教の先駆者と評価されます。空也流の念仏勧進聖は、鎌倉仏教の浄土信仰を醸成したとされています。 俗に天台宗空也派と称する一派においても祖と仰がれていますが、空也自身は、複数宗派と関わりを持つ超宗派的立場を保ちました。 没後も空也の法統を直接伝える宗派は組織されませんでした。よって、空也を開山とする寺院は天台宗に限らず、在世中の活動拠点であった六波羅蜜寺は、現在真言宗智山派に属します。(空也の没後中興した中信以降、桃山時代までは天台宗でした)。 踊念仏、六斎念仏の開祖とも仰がれますが、空也自身が、いわゆる踊念仏を修したという確証はありません。 門弟は、高野聖など中世以降に広まった民間浄土教行者「念仏聖」の先駆となり、鎌倉時代の一遍に多大な影響を与えました。 遺命により11月13日をもってその忌日とし、踊り念仏を修して空也忌法要が行われます。 |
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昨日 明日 | ||
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