本文へスキップ

Googleで「経営コンサルタント」をキーワードで検索すると、「経営コンサルタントへの道」がトップ表示

経営者・管理職とコンサルタント

35年の実績と誠意

今日は何の日 話材からヒントと気づきを

1970年代からの永年の実績で、
皆様と共に歩んでゆきます。

 当サイトと連動し、平日毎日複数本のブログ発信をし、経営コンサルタント歴35年の独断と偏見から何かを感じ取っていただけると幸いです。
 経営者・管理職向けの記事、それを裏返すと経営コンサルタントなど士業の先生方にも参考となります。 
 Yahooブログ  アメブロ  ブログ人  ドリームゲート

■【今日の写真】 伝通院 山門

 東京文京区にある伝通院の山門ができあがりました。法然上人八百年御忌を記念し山門落慶奉告法要会が2011年3月4日に開催。

  写真 
伝通院・山門 ←クリック

   
今日は何の日      1月6日
■ 小寒(しょうかん) (年により異なる)

 二十四節気の一つの小寒は「寒の入り」とも言います。二十四節気の冬至と大寒の中間にあり、寒気が厳しさを増す頃という時期です。今日から節分までを「寒の内」と呼ばれるのはよく知られています。

 ちなみに喪中などで年賀を欠礼した人に寒中見舞いを出すのも寒の内にするのが礼儀だそうです。

 今日は、コンクラーヴェ、といいましても、「根比べ」でもなければローマ教皇の選挙でもありません。私のコンクラーヴェは、教皇選挙が外部を遮断して、おこもりをすることから、私の「おこもり日」です。

 予定していたスケジュールがキャンセルとなり、自室に閉じこもって、コンサルティングに関する研究に没頭できる贅沢な一日です。コンクラーヴェの間は、メールも送受信せず、もちろん電話も出ません。

 そうはいっても今日、メールを無視することはできませんので、おこもりに入る前やティータイム、食事の時間に処理することにしています。ところが、このような日に限って面倒なメールが複数来るのですね。神様は、私のコンクラーヴェという贅沢をお許しにならないのでしょうか。


■ 色の日、ケーキの日

 「い(1)ろ(6)」の語呂合せから、1月6日は「色の日」として制定されました。色に関係する職業の人のための記念日です。

 11月16日も語呂合わせから「いい色の日」「いい色塗装の日」として紹介しました。色の三原色の話を記述していますので、そちらも是非ご参照ください。<11月16日> ←クリック

 色に関わる仕事にも「いろいろ」あります。(笑い)

 その一つがスイーツでしょう。1879(明治12)年1月6日に、上野にある老舗菓子店の風月堂が、日本において初めてケーキの宣伝をしたことを記念して「ケーキの日」を制定しました。

 上野風月堂の歴史は、同社のサイトでは、下記のように説明されています。

風月堂の歴史は、初代大住喜右衛門が江戸に下った1747年(延享4年)がその始まりとされています。喜右衛門は、縁続きの呉服商で修行をしながらも「江戸には上方にあるような美味しいお菓子が少ない。商売をするなら人に喜ばれるものを作って売ることだ」と決心し、1751年に現在の「風月堂」の祖ともいうべき「大坂屋」を開業したのです。 「大坂屋」はのちに松平定信公から「風月堂」の名を拝命し、そのときに喜右衛門自身の名前も、それまでの小倉姓から大住姓へと改名しています。

 

■ 東京消防庁出初め式

 毎年恒例となっている1月6日の出初め式は、江戸っ子には「正月も、もうすぐ末の開けだな」と思わせる年中行事です。

 この日は、東京消防庁の消防署員らが消防動作の型等を演習・披露します。昔の火消し姿をして、竹ばしごの上で軽業を披露してくれます。これは1659(万治2)年正月4日に、東京上野にある東照宮を、定火消が新年一年の無事な働きを誓う行事が発展したと言われています。

■ その他
 公現祭  
◇ 高崎だるま市

【経営コンサルタントのひとり言】

「いろ」にもいろいろあるのですね

 色に関係する職業の人のための記念日です。

 色に関わる仕事にも「いろいろ」あります。(笑い)

 その代表が、印刷業界です。

 印刷業界も電子技術の普及で大きく変化してきました。

 文字は、写植機の文字組版から、製版はフィルムを使う方法から、DTP(Desk Top Pubulishing)により、パソコン一台で処理できてしまう時代へと様変わりです。

 色味も電子的に調整できますので、基の写真やデザイン以上の見栄えに仕上げられます。

 ディスプレイ上の色と印刷機にかけて刷り上がった色とに微妙な差が出てしまうことが一般的です。

 それも色調整をすることにより、素晴らしい印刷物になってしまうのですから、昔の印刷関係者は驚きでしょう。

 技術革新は、製版技術とか校正刷り機械メーカーとか、いろいろな人の職種変更を余儀なくさせてきました。

 それが世の常と言えばそれまでですが、それらの陰で、寂しさや、あるいは生活苦やらと大変な思いをされて来た人も多いでしょう。

 生きることというのは難しいですね。

 

■ 藤堂高虎

 とうどう たかとら
 弘治2年1月6日(1556年2月16日)−寛永7年10月5日(1630年11月9日)

 藤堂高虎は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名で、伊予今治藩主、後に伊勢津藩の初代藩主となる、藤堂家宗家初代です。

 浅井長政→阿閉貞征→磯野員昌→織田信澄→豊臣秀長→秀保→秀吉→秀頼→徳川家康→秀忠→家光と、何度も主君を変えた戦国武将として知られています。

 築城技術に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城・二条城などを築城し、黒田孝高、加藤清正とともに築城の名人として知られています。

 高虎の築城の特徴は、石垣を高く積み上げることと堀の設計です。石垣の反りを重視する加藤清正と対比されることが多いです。

 関ヶ原の戦いでは、秀吉の死後、徳川家康に接近していたこともあり、徳川家康側として闘いました。

 その後、高虎は徳川家の重臣として仕え、江戸城改築などにも功を上げたため、慶長13年(1608年)に伊賀上野藩主・筒井定次の改易と伊勢津藩主・富田信高の伊予宇和島藩への転封、22万石の津藩主となりました。

 家康は、高虎の才と忠義を高く評価し、外様大名でありながら譜代大名格(別格譜代)として重用したそうです。


■ 武田豊 

 「武 豊」ではありません。

 女性の職場進出やアシアナが育英で活躍した武田豊は、
1914年1月6日(〜2004215日)に誕生しました。

Wikipedia】 武田豊(たけだゆたか)

 日本の実業家。宮城県高清水町出身。新日本製鐵(新日鉄)代表取締役会長、経済団体連合会(経団連)副会長、日本鉄鋼連盟会長などを歴任した。東京帝国大学法学部政治学科卒業。

 1939年に大学を卒業して日本製鐵(日鉄)入社。新日鉄が発足するとともに専務となり、1977年には副社長、1981年社長に昇格。社長時代には、急激な円高と鉄鋼不況に対応するため、19000人の人員削減と設備集約を柱とする合理化を断行。新日鉄建て直しのレールを敷いた。

 国際鉄鋼協会会長、日本鉄鋼連盟会長(1984年〜1989年)、経団連副会長(1986年〜1989年)、日本経営者団体連盟(日経連)副会長(1986年〜1989年)、全国交通安全協会会長、日本野球連盟(社会人野球)会長、女性職業財団理事など要職を兼任した。1993年にはあしなが育英会会長にも就任している。

 大脳生理学研究でも有名で、著書に「自己開発法」がある。

 

■ 仮名垣 魯文

 かながき ろぶん
 1829年2月9日(文政12年1月6日)− 1894年(明治27年)11月8日

 江戸末期から明治初頭にかけての戯作者で、新聞記者もしていました。

 江戸の京橋生まれ、本名は野崎文蔵、字は能連、幼名兼吉、また庫七、後に文蔵と改めました。別号に鈍亭、猫々道人(みょうみょうどうじん)などがあり、俳号は香雨亭応一、狂名は斜月窗諸兄です。これらからも、魯文の多才さがうかがえます。

魚屋を営む父野崎佐吉は、俳句や狂歌を好み、文蔵も戯文や小説を好んで育ちました。大きな商家の丁稚となった時に、人相見に、「小説家になれば出世する」と言われ、18才で花笠魯介文京の弟子となりました。

 自作の執筆の他に、先輩の仕事の手伝い様々などをこなし、生活のために古道具屋や売薬業も営みました。

 筆名は、初め「英(はなぶさ)」または「鈍亭」としていましたが、1873年(明治6年)に、師の魯と文の字を取って仮名垣魯文としました。

 代表作に西洋道中膝栗毛(1870-1876年)があり、多数の書を書いています。

 【 注 】
「今日は何の日」「今日の人」は、Wikipedia、富山いづみ氏のサイト、他を参照し、独自に記載したものです。従いまして、当サイト及びブログ等々に関しては、無断複製転載及び模倣を固くお断り申し上げます。
  ↑ Page Top
昨日   明日
 
 ↑ Page Top



経営コンサルタント グロマコン

〒112-0004
東京都文京区後楽2−3−10
         白王ビル4F
    (特)日本経営士協会内

TEL 03-6801-6630

関連団体 
 JMCAロゴ 内閣府認証特定非営利活動法人
日本経営士協会 
 JCAロゴ 日本コンサルタントアカデミー 


今井信行 顔1
経営コンサルタントとして
今井信行 顔2
 社会貢献として
今井信行 顔3
 公的な業務として
 横 顔
経営コンサルタント歴40年 
コンサルタントのためのコンサルタント
若手経営コンサルタント育成に東奔西走
内閣府認証特定非営利活動法人・日本経営士協会会長
わかりやすい語り口で講演・セミナーや社員研修に引っ張りだこ