40余年の実績で、皆様と共に歩んでゆきます。
当サイトと連動し、平日毎日複数本のブログ発信をし、経営コンサルタント歴40余年の独断と偏見から何かを感じ取っていただけると幸いです。 経営者・管理職向けの記事、それを裏返すと経営コンサルタントなど士業の先生方にも参考となります。 |
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12月07日 | |
■ 大雪 (年により異なる) 今日の「大雪」は「おおゆき」ではなく「たいせつ」と読みます。二十四節気の一つで、小雪から数えて十五日目の日です。大雪とは、陰気で雪が生じ、天候不順になり、大雪が降る季節到来を示します。 先日「小雪」について書いたところ、女優の“小雪さん”と間違えて私のブログを見に来てくださった方がいたようです。大変失礼をしました。「しょうせつ」と読みをつけるべきでした。 私が子供の頃には、東京でも雪が結構積もりました。朝起きたら銀世界などと言うときには、犬にも負けず走り回ったものです。おばあちゃん子であった私を喜ばせるために雪兎を作ってもらいました。 まだ、4〜5歳の頃だったと思います。南天の赤い実を目に見立てて葉っぱの耳をつけたかわいいウサギでした。昔は暖房も不充分だったにもかかわらず溶けてしまうとまたおねだりをした記憶があります。 小雪が入り口なら、大雪は冬本番といった記憶です。 |
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■ 国際民間航空デー(International Civil Aviation Day) |
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■ 神戸開港記念日 1867(慶応3)年12月7日に神戸港が外国船の停泊地として開港しました。これを記念して、この日が「神戸開港記念日」として制定されました。 12月7日は、新暦1868年1月1日に相当することから1月1日も「神戸港記念日」となっています。 神戸は、阪神淡路大震災で大きな被害を受けましたが、立派に立ち直っています。近年は、ルミナリエという光の芸術の街としても知られています。 図: 神戸市サイト |
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【経営コンサルタントの独り言】 ■ ICAOとIATAはどう違う? 12月7日は、ICAOが定めた「国際民間航空デー」です。 ICAOとは、国際民間航空機関(International Civil Aviation Organization)、IATAは、国際航空運送協会(International Air Transport Association )で、一般にはあまりその存在は知られていません。 ICAOは、第二次世界大戦における民間機の発展に伴って1944年に締結された国際民間航空条約(通称シカゴ条約)に基づき、1947年4月4日に発足しました。国際民間航空に関する原則と技術を開発・制定し、その健全な発達を目的としています。【Wikipedia】 IATAは、世界の航空会社で構成される業界団体です。 前者ICAOは、われわれ利用者が快適に、安全に移動できるようにする国際機関です。 それに対して、後者のIATAは航空会社の国際的な組合のようなところです。 かつて、私は一年の内に半分から三分の二を海外出張していましたので、空港での待ち時間が結構ありました。 今なら航空会社のラウンジが充実していますが、当時はファーストクラス客用にはラウンジがありましたが、われわれには手の届かないところでした。 そこで、IAPAという、航空利用者のための団体の会員となり、そこが所有するラウンジを利用していました。 ホテルも割引になりました。 あるホテルのチェックイン・カウンターで、IAPAの会員だけど、割引があるかと尋ねたところ、IATAと聞き違えたようです。 IAPAとは比較にならない大きな割引金額が提示されました。 もちろん、それでチェックインしては、詐称となってしまいますので、IATAではなく、IAPAの会員だとカード提示をして、会員としてのノーマル料金で宿泊しました。 結構高額なホテルでしたの、豪華な夕食分くらいは浮いたはずです。<笑い> (ドアノブ) |
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■ 与謝野 晶子 正字: 與謝野 晶子 戸籍名与謝野 志やう(よさの しょう) よさの あきこ 1878年(明治11年)12月7日 - 1942年(昭和17年)5月29日) 日本の歌人、作家であり、思想家ともいえます。 旧姓鳳(ほう)、ペンネームの「晶子」の「晶」は、本名の「しょう」から取ったといわれています。 夫は、歌人の与謝野鉄幹(与謝野寛)であることはよく知られています。夫妻で、雑誌『明星』に短歌を発表しロマン主義文学の中心的人物といえます。 浪華青年文学会に参加の後、1900年(明治33年)、浜寺公園の旅館で行なわれました歌会で歌人・与謝野鉄幹と不倫の関係になりました。 鉄幹が創立した新詩社の機関誌『明星』に短歌を発表し、女性の官能をおおらかに謳う処女歌集『みだれ髪』(鳳晶子)を刊行しました。これにより浪漫派の歌人としてのスタイルを確立したといえます。 その際に詠んだ 「いざ、天の日は我がために金の車をきしらせよ、 颶風の羽は東より いざ、こころよく我を追へ。黄泉の底まで、なきながら、 頼む男を尋ねたる、その昔にもえや劣る。 女の恋のせつなさよ。晶子や物に狂ふらん、 燃ゆる我が火を抱きながら、 天がけりゆく、西へ行く、 巴里の君へ逢ひに行く。与謝野晶子」と書かれた石碑が、ウラジオストクの極東連邦大学東洋学院の敷地にあります。 |
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【 注 】 【きょうの人】は、特に注を入れていませんが、【Wikipedia】を参照して記述していることが多いです。 | |
昨日 明日 | |
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