40余年の実績で、皆様と共に歩んでゆきます。
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12月08日 | |
■ 針供養 針供養(はりくよう)は、二月と十二月の年二回行われます。この日には裁縫の仕事を休み、折れたり、曲がったり、さびたりしている針を集めて、豆腐に刺して供養します。昔の人は、道具を大切にしました。 ところが、今日のわれわれはどうでしょうか? たとえば、われわれ経営コンサルタントにとってもパソコンは不可欠です。そのパソコンの起動に時間がかかると「なんでこんなに遅いんだ」などとパソコンを怒鳴りつけたりします。 パソコンがハングアップしたりすると、もう半狂乱です。 そのような人に限って、平素パソコンの手入れをあまりしていないのです。「ディフラグ作業を定期的にしていますか?」「ディスクチェックをしていますか?」などという質問がなされても、意味が皆目わからないでいるのです。わかっても、その重要性を理解できていないのです。 最低限、パソコン利用者がすべき作業というのは、スケジュール設定をしておくと自動的に作業をしてくれます。エージェント機能と言いますが、これを利用すれば常に最適な状態でパソコンを利用できます。 とはいえ、忙しいとなかなかできないものです。 そこで、私が提案するのは、「プロのチューニングサービス」を定期的に受けることをお勧めします。 ピアノを時々チューニングするように、パソコンをチューニングしてくれるプロがいます。その人にお願いすると半日から数日はかかりますが、快適なパソコンにしてくれます。 私は、正月とかゴールデンウィークには、パソコンの手入れをするようにしています。買ってきたときの、さくさくと動くパソコンとまではいかないまでも、起動時間が短くなったり、操作がスムーズに行ったりとメリットは大きいです。 |
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■ 成道会(じょうどうえ) |
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【経営コンサルタントの独り言】 ◆ 年二回行われる年中行事があるのですね 12月8日は、「針供養」でした。 この日には裁縫の仕事を休み、折れたり、曲がったり、さびたりしている針を集めて、豆腐に刺して供養します。 このような昔の儀式的な慣習は年に一回行われることが多いです。 ところが針供養は、2月と12月の年二回行われます。 年に二回行われる行事の一つが「大祓(おおはらえ)」です。 私たちが身近に感ずるのは大晦日ですが、6月30日にも行われます。 正月に初詣をしますと大きな輪が神殿前にあるのをご存知でしょう。 その回りを八文字に回りますと3回輪をくぐることになりますが、これが正式なやり方です。 大祓は年2回行われる年中行事ですが、皇室では新嘗祭(にいなめさい)の時、また歴史的には、疫病が流行るなど災害時などにも行われてきました。 (ドアノブ) |
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■ 柳沢 吉保 生誕 綱吉に重用され、忠臣蔵にも関与 やなぎさわ よしやす、正字体:柳澤吉保、正仮名遣:やなぎさはよしやす 万治元年12月18日(1659年1月10日)−正徳4年11月2日(1714年12月8日) 江戸時代前期の幕府側用人・譜代大名で、第5代将軍徳川綱吉も重用され、元禄時代には大老格として幕政を主導しました。 柳沢氏は、清和源氏の流れを引く、甲斐源氏武田氏一門の末裔を称する、甲斐国北西部の在郷武士団である武川衆に属しました。 武田氏の滅亡後、武田遺臣の多くが徳川家康の家臣団に組み込まれ、柳沢氏は吉保の祖父にあたる信俊が、家康に仕官しました。 寛文4年(1664年)12月18日、館林藩主・徳川綱吉に初めて謁見し、これが契機で後に大役を担うことに繋がります。 世の中で注目される人は、良きにつけ、悪しきにつけ、チャンスをものにするのが上手と言えます。 コナン度役などを経験した後、川越城を拝領するなど頭角を現し、常盤橋内の隣地に屋敷を拝領しました。 翌元禄8年4月21日に駒込染井村の前田綱紀旧邸を拝領し、後にこれが六義園となります。柳澤が、なぜ、遠いかが後に名を残すのか、お恥ずかしながら知りませんでしたが、これで納得できました。 綱吉から徳川将軍家の菩提寺である寛永寺(東京都台東区上野桜木)の根本中堂造営の姪を受け、成功させます。 それらの功績が認められ、元禄14年(1701年)将軍綱吉から松平姓および「吉」の偏諱を与えられ、松平吉保と名乗るようになりました。 犬公方の手伝いをしたり、忠臣蔵の判断に大きく関与したり、桂昌院の官位などでは裏工作をしたりと、綱吉寄りの政策を続けました。 綱吉死後は、次第にその陰が薄れ、隠居後は、江戸本駒込(東京都文京区本駒込6丁目)で過ごし、綱吉がたびたび訪れた六義園の造営などを行いました。 |
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■ ベーリング,ヴィトゥス・ヨナセン 探検家 Vitus Jonassen Bering 1681年8月 − 1741年12月19日(ユリウス暦12月8日) デンマークのホーセンス生まれのロシア帝国の航海士で、探検家として知られています。 アムステルダムの学校を卒業し、東インドへの旅の後、ロシア海軍に入隊、大北方戦争ではバルチック艦隊(バルト艦隊)の一員として戦いました。また、オスマン帝国との戦争でも闘っています。 2回のカムチャツカ探検を率いて、ユーラシア大陸とアメリカ大陸が陸続きではないことを確認しました。また、アラスカに到達し、アリューシャン列島(アレウト諸島)の一部を発見しました。 ベーリングの名にちなんだものに、ベーリング海、ベーリング海峡、ベーリング島、ベーリング地峡などがあります。 |
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