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当サイトと連動し、平日毎日複数本のブログ発信をし、経営コンサルタント歴35年の独断と偏見から何かを感じ取っていただけると幸いです。 経営者・管理職向けの記事、それを裏返すと経営コンサルタントなど士業の先生方にも参考となります。 |
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■■目と眼鏡の日 【今日は何の日】 10月1日 今日から10月、「神無月」です。もともとは旧暦の異称でしたが、現在では新暦(太陽暦、グレゴリオ暦)にあせて使うようになってきました。 「神無月」は、全国の神が出雲大社に集まって、一年の事を話し合うため、出雲以外には神がいなってしまう月です。しかしこれは、出雲大社のマーケティング戦略で、出雲詣でをさせる策略のようです。 日本国語大辞典によりますと、「神無」の「無」が「の」にあたる連体助詞「な」ですので、「神の月」と説明されています。 ■ 中秋の名月(年により日が異なる) 太陰暦(旧暦)8月15日の夜の月を「中秋の名月」といいます。 「八月十五夜」とも呼ばれますが、旧暦9月13日の夜は「十三夜」です。 旧暦の秋は7月から9月で、その真ん中の8月、8月の真ん中が15日ですので、8月15日が中秋の名月になります。 年により、日付は大きく変動します。 2019年 9月13日 2020年 10月 1日 2021年 9月21日 かならずしも、この夜の月は満月ではありませんが、満月に近い月です。 秋の夜に澄んだ月を愛でるというのは、いかにも日本人らしいですね。 月を愛でる慣習は、縄文時代からあると言われています。 すすきとお団子が定番ですが、収穫の秋、その年の収穫物を月に供える風習が各地に残っています。 一方、月見は必ずしも私達が想像している「美しい」ということだけではないそうです。 竹取物語も月に関係します。 かぐや姫が月を眺めている場面で、嫗(おうな:老女)が、月を見てはいけないと注意します。 これは、月見を忌み嫌う思想が当時あったのではないかと推測されます。 必ずしも、これが事実であるという証拠はありません。 物事には二面性があるということを教えられるますね。 https://www.nao.ac.jp/astro/sky/2017/10-topics02.html ■ 都民の日、メガネの日 10月1日は、東京都民には「都民の日」ですが、日本眼鏡関連団体協議会が1997(平成9)年に制定した「メガネの日」でもあります。
「10月01日」は「1001」でもあり、両端の1の部分をメガネのつるとみなします。一方「0」を「○」、すなわちレンズとみなすとメガネの形になることからこの日が選ばれたのです。 因みに「10月10日」は「1010」を寝かせてみると「1」が眉、「0」が目となり、「目の愛護デー」となります。 この2つを併せて10月1日~10月10日を「眼とメガネの旬間」と言います。 私が初めて眼鏡をかけたのは小学四年生の時でした。本が好きで、本があるとどこでも読んでいました。母から、「暗いところで読んではいけません」「直射日光が当たるところではダメ」などと煩く言われていたのにもかかわらず、眼鏡をかける羽目になってしまいました。 当時は、まだ眼鏡をかけている子供が少ない時代でしたので「だて眼鏡」と陰で言われていたようです。私がいじめられっこタイプであれば、きっといじめに遭っていたのではないでしょうか。 いじめには遭いませんでしたが、眼鏡をかけるまでは頭痛に悩まされました。目の疲れから来る頭痛だったのでしょう。頭痛の原因がわからず、しばしば「頭が痛い」というので、「仮病」扱いされたりもしました。 結局、眼鏡をかけるようになって、頭痛は治まりましたが、爾来眼鏡をひとときも放せない生活です。今から思うと、その当時の私は、名探偵コナン君の様だったのかも知れません。(胸を張る、「そんなことないか・・・」) ■ 郵貯民営化の日
1875年5月2日に東京都横浜の郵便局で郵便貯金業務が開始されました。これを祈念して、郵政省(現在の日本郵政)が1950年にこの日を制定しました。 2007年10月1日に郵政民営化となり、ゆうちょ銀行がスタートしました。 民営化後は「郵便貯金」ではなく「貯金」になりましたが、メガバンクに並ぶ預金量を誇っています。 因みに、ゆうちょ銀行の金融商品は、下記のようになっています。 図 ゆうちょ銀行 ←クリック ■ 衣替え
10月1日といえば「衣替え」、夏服から冬服への着替えの時期です。今年は猛暑の年で衣替えどころではない日がこれからもありそうですね。 聞くところによると、平安時代は年に五回ほど衣替えがあったが、江戸時代以降に今日の6月と10月の二度になったそうです。 ■ 共同募金運動
10月1日は赤い羽根共同募金運動が始まる日でもあります。 【Wikipedia】 共同募金
毎年10月1日-12月31日の間(都道府県により期間は前後する[1]。)、主に各市町村の共同募金支分会を経由して自治会や学校、企業で募金を募る。共同募金は都道府県ごとに行われ、都道府県を単位に社会福祉法人である共同募金会が組織されている。これら募金をとりまとめ、連絡調整をするのが社会福祉法人中央共同募金会である。この運動は1947年度にスタートした。
募金をすると赤く着色した羽根(材料は鶏の羽)がもらえることから、「赤い羽根」「赤い羽根共同募金」とも呼ばれている。
■ 日本道路公団分割民営化 2005年(平成17年)10月1日に日本道路公団分割民営化で、東日本高速道路(NEXCO東日本)、中日本高速道路(NEXCO中日本)、西日本高速道路(NEXCO西日本)に分割されました。 その際、債務は独立行政法人日本高速道路保有・債務返済機構に行き、国民の税金が使われるようになりました。 因みに、1969年5月26日に、大井松田IC~御殿場ICが開通し、関東・中京・関西を結ぶ東名高速道路が全線開通しました。1965年に完成していた名神自動車道とドッキングし、太平洋ベルト地帯の大動脈が完成しました。 意外と知られていないのは法定路線名が「第一東海自動車道」であることと、これが「アジアハイウェイ1号線AH1」の一部で、アジアの大動脈構想の一部であることです。 【Wikipedia】 東名高速道路 全区間を中日本高速道路(NEXCO中日本)が管理・運営している。隣接している中央自動車道・名神高速道路・新名神高速道路・東名阪自動車道・西名阪自動車道とともに、東京・名古屋・大阪の日本三大都市を結ぶ日本の大動脈となっている。名神と一体とした呼称で東名神と呼ぶこともある。 ■ 法の日 1961(昭和36)年、東京で開催された「法による世界平和に関するアジア会議」で「世界法の日」の制定が提唱され、1965(昭和40)年にワシントンで開催された「法による世界平和第2回世界会議」の際に、9月13日が「世界法の日」として宣言されました。 しかし、日本では1960(昭和35)年から10月1日を「法の日」としています。 ■ 1008 寒露 晩秋から初冬の間の露の候 (年により日付が異なる) 「寒露(かんろ)」は、二十四節気の一つです。太陽の黄経が195度の時で、二十四節気の第17番で「九月節」で、晩秋から初冬の間の露の候です。 食欲の秋で「甘露」と間違えそうですが、晩秋に始まる草木の葉に、ころころと揺れ、きらきらと光る露のことだそうです。和菓子になりそうな題材ですね。 寒露は、紅葉の始まりであるとも言われていますが、季節も良くなり、これから秋祭りが各処で始まりますね。 Wikipediaでは、下記のように記されています。 現在広まっている定気法では太陽黄経が195度のときで10月8日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。恒気法では冬至から19/24年(約289.15日)後で10月7日ごろ。 期間としての意味もあり、この日から、次の節気の 前日までである。 二十四節気の一つ。秋分と霜降(そうこう)の間。太陽暦で十月八日ころ。太陽が黄経百九十五度の時。寒露は晩秋から初冬にかけて草木の葉に宿る露のこと。寒気にあたって物象が凍る午前の時節を意味する。寒い地方では、木々の葉が寒露にあたつて紅葉し始める。 寒露 初候 鴻雁来(こうがんきたる) 雁が飛来し始める 次候 菊花開(きくのはなひらく) 菊の花が咲く 末候 蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり) 蟋蟀が戸の辺りで鳴く ■ 【今日は何の日】その他
◇ 労働衛生週間
◇ 都民の日
◇ 里親月間
◇ 北海道一般鳥獣狩猟解禁
【経営コンサルタントの独り言】 ■ たわわに実るカリンと子供と若いママ 散歩道に、カリンがたわわになっていました。 通りかかった子供が、 「ママ、リンゴがいっぱいなっているよ。 採っていこうよ」と、 お嬢さんといっても良いような若いママでした。 「あのリンゴは、青くて、おいしくないよ」と子供を諭していました。 バラ科の落葉樹で、果実はカリン酒として利用されます。 春にはピンクの花が咲きますので、リンゴの花とは区別できます。 かつてはバラ科ボケ属と言われました。 ところが、分子系統の研究から、ボケ属に近いがボケ属とは異なり、リンゴやなし属とも異なることが解りました。 現在では、バラ科カリン属と独立した種として認められています。(【Wikipedia】を参照) (ドアノブ) 【きょうの人】 ■ 天武天皇 壬申の乱に勝利、日本書紀・古事記の編纂を始める てんむてんのう ? - 686年10月1日〈朱鳥元年9月9日〉 日本の第40代天皇(在位:673年3月20日〈天武天皇2年2月27日〉- 686年10月1日〈朱鳥元年9月9日〉)で、天智天皇の死後、672年に壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)を倒し、即位しました。 舒明天皇と皇極天皇(斉明天皇)の子として生まれ、中大兄皇子の弟にあたります。皇后は、後に持統天皇となりました。諱は「大海人(おおあま)」で、和風諡号は「天渟中原瀛真人天皇」です。 治世14年間の最初に、飛鳥浄御原宮を造営し、続く女帝持統天皇の時代とあわせて天武・持統朝などの言葉で一括されるほど、その功績があります。 日本の統治機構、宗教、歴史、文化の原型が作られた重要な時代といえ、白鳳文化の時代の礎を築きました。 天武天皇は、人事では皇族を要職につけて他氏族を下位におく皇親政治をとり、専制君主的に君臨したといえます。律令制の導入に向けて制度改革を進め、飛鳥浄御原令の制定や、藤原京を造営しました。『日本書紀』と『古事記』の編纂は、天武天皇が始め、死後に完成した事業といわれています。 道教に関心を寄せ、神道を整備し、仏教を保護して国家仏教を推進し、その他日本土着の伝統文化の形成にも力を入れました。 「天皇」という称号や、「日本」という国号を最初に用いた天皇ともいわれています。 ■■ ■ 望遠鏡の日
10月2日は「望遠鏡の日」です。 1608年、オランダ人のリッペルスハイは、眼鏡技師でしたが、レンズをあわせることにより遠くの物が近くに見えることに気がつき、望遠鏡を発明しました。早速特許申請するのですが、その原理があまりにも単純すぎて誰にでも作れるということで受理されなかったという逸話があります。 望遠鏡というとガリレオを連想する人も多いと思います。「ガリレオ式望遠鏡」を考案し、天体観測を促進する契機となったのですから、連想されて当然の人です。 Wikipediaによると、発明者はリッペルスハイ以外にも諸説があるようです。 歴史上最初に作られた望遠鏡は屈折式で、凸レンズを対物レンズに、凹レンズを接眼レンズとして使用したものだった。 この望遠鏡の発明者は諸説があって明確ではないが、1608年にオランダのメガネ職人ハンス・リッペルスハイが特許申請した記録が残っている。このため、この方式の望遠鏡はオランダ式望遠鏡と呼ばれる。
ただ日本などではこの方式の望遠鏡で多くの発見をしたガリレオ・ガリレイの話と共に伝来した歴史からなのかガリレオ式望遠鏡と呼ばれることが多い。現代の屈折望遠鏡は後述するケプラー式望遠鏡が主流だが、ガリレオ式は高倍率を出しにくい反面、低コストで正立像を得られることからオペラグラスなどに用いられている。
私が子供の頃、叔父がボール紙を使って望遠鏡を作ってくれました。口径が10センチ近い対物レンズでしたので、鏡筒を作るのも大変だったと思います。全体が1メートル以上にもなりましたので、当時の私にとっては素晴らしい贈り物でした。月のクレーターを間近に見たときの感動は今でも忘れられません。 ■ 豆腐の日 豆腐の日は、「とう(10)ふ(2)」の語呂合せで、日本豆腐協会が1993(平成5)年に制定しました。 同協会のサイトから「豆腐とは何か」についてご紹介します。 豆腐は日本人が当たり前に子供の頃から食べているのであまり「豆腐とは何か」を意識したことはないと思います。 端的いいますと、大豆を柔らかくしてそのタンパク質を食べやすくした食品のいことです。 日本を代表する歴史のある健康食品ですが、近年では世界中でそれを認めているともいえます。 なによりも、豆腐は「・消化吸収が良い」食品といえます。しかも、タンパク質がいっぱい含まれています。 もちろん、原材料は大豆であることは周知の通りです。大豆は、日本でかなり作られています。しかし、日本の豆腐メーカーが使っている大豆は、国産のものは2割程度しかありません。 最も多いのはアメリカ産で、6割から7割ぐらいを占めています。遺伝子組み換えの大豆が懸念されますが、現状では、その心配はないそうです。 【きょうの人】 ■ 道慈律師 どうじ 生年不詳 - 天平16年10月2日(744年11月14日) 奈良時代の三論宗の僧で、俗姓は額田氏、大和国添下郡の出身です。 702年(大宝2年)に唐へ渡り、西明寺に住し、三論に通じることになりました。その結果、仁王般若経を講ずる高僧100人のうちの一人に選ばれています。 718年(養老2年)に帰朝し、日本三論宗の第三伝とされました。 729年(天平元年)に律師に任じられ、大安寺を平城京へ移設することに尽力しました。736年(天平9年)には、大安寺大般若経転読会を始め、739年(天平12年)には大極殿最勝王経講説の講師をつとめました。 大宝の遣唐使として43年ぶりに入唐を果たした道慈は、帰国後に『愚志』という書物を著して、唐と異なり教典に従っていないことが多い日本の仏教界を批判しています。 僧尼の質を向上させるために、戒師を唐から招請、鑑真の来日によって実現することになりました。 『日本書紀』の編纂にも関与したという説もあります。 奈良大安寺 (カシャリ!一人旅)←クリック (【Wikipedia】を基に作成) ■ マハトマ・ガンジー インド独立の父 マハートマー・ガーンディー、モーハンダース・カラムチャンド・ガーンディー 1869年10月2日-1948年1月30日 インドのグジャラート出身で、ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンで学んだのち弁護士となった宗教家、政治指導者で、「インド独立の父」と呼ばれています。 「マハートマー」とは「偉大なる魂」という意味で、ガンディーの尊称として付けられています。インド人は、親しみをこめて「バープー」(「父親」の意味)と呼ぶということを知人から教えてもらいました。 インドで毎年10月2日は「ガンディー記念日」という国民の休日となっています。 インドのイギリスからの独立運動を指揮し、「非暴力、不服従」を提唱し、民衆暴動やゲリラ戦の形をとらずに独立を勝ち取りました。 5回もノーベル平和賞の候補に挙がったのですが受賞を固辞したのか受賞には至っていません。2007年6月の国連総会で、ガンディーの誕生日を国際非暴力デーという国際デーとすることが決議されました。 ガンディーの名言のひとつに、「目的を見つけよ。手段は後から着いてくる。」という言葉があります。めざすものが明確になりますと、その実現のために一所懸命に取り組みます。何を、どの様にやるかは、その過程で自ずとついてくると言うことでしょう。 もし、手段を間違えているとしたら、「至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり(吉田松陰)」ということではないでしょうか。 ■ 【今日は何の日】その他
◇ 寛永寺開山(慈眼大師)忌
【経営コンサルタントの独り言】
■ 日本のノーベル賞受賞はいつまで続けられるのでしょう 2016年、大隅良典(おおすみ よしのり)先生が、ノーベル生理学・医学賞を受賞されました。 2018年は、本庶佑(ほんじょ・たすく)先生が受賞と、物理学分野と共に、この分野では強味を発揮しています。 山中伸弥先生が、ノーベル賞を受賞されたときに、大隅先生が本来は先に採るべきだと、ご自身の受賞について山中先生が謙遜されておっしゃっていたことを思い出します。 山中先生の言葉を信じ、大隅先生の受賞は確実だと思っていましたので、それが実現した時は、関係ない私までもが大変うれしくなりました。 ノーベル賞の選考は、スウェーデンで行われると思われている方が多いのですが、賞によって異なるのです。 「物理学賞」、「化学賞」、「経済学賞」の3部門はスウェーデン王立科学アカデミー、大隅先生が今回受賞されました「生理学・医学賞」はカロリンスカ研究所(スウェーデン)、「文学賞」はスウェーデン・アカデミーで選考されます。 ダイナマイトの発明ということで、「死の商人」と批判を受けたこともあります「平和賞」は、ノルウェー・ノーベル委員会が選考しています。 因みに、経済学賞は、ノーベルの遺言ではなく、1968年にノーベルの死後70年後に設立されたことも知っておくと良いかもしれません。 また、ノーベルは、ノルウェー生誕と私は学びましたが、近年はスウェーデンで生まれたと言われているようです。スカンジナビア半島に両国が位置し、歴史的な変遷があってのことかもしれませんね。 一方で、多くの日本人受賞者が、ノーベル賞受賞者が減っていうのではないのかと将来を憂う発言があります。 その理由のひとつに、近年の論文投稿数の減少が挙げられています。 若い研究者に対する抜本的な支援対策が必要ななのではないのでしょうか。 ■ ビットコインが世界を制する? 最近「フィンテック」という言葉を見たり聞いたりすると思います。ブログでもご紹介をしました。これに関連して「ブロックチェーン」という言葉を視たり、聞いたりしていると思います。NHK経済部新井俊毅氏がわかりやすく解説していましたので、その要約をご紹介します。 人工知能やビッグデータといった最先端のIT技術を活用した新たな金融サービスとして「フィンテック」が注目されています。 FinTech、Financial technologyの合成語で、「情報技術(ICT)を駆使して金融サービスを生み出したり、見直したりする動き、外部に公開した形で開発されることもあるため、オープンイノベーションの一環である(Wikipedia)」のことです。 スマートフォンで買い物の支払いができたり、指紋で預金を引き出せたりといったサービスも、フィンテックの1つです。 このフィンテックを支える基盤として、いま、注目されているのが「ブロックチェーン」と呼ばれる技術です。 去年の秋頃より「ブロックチェーンの実証実験を開始します」という金融機関のサービスに関する報道資料をご覧になったことがおありではないでしょうか。 「ブロックチェーン」は、インターネット上でやり取りされる仮想通貨「ビットコイン」の根幹をなす技術です。ビットコインを考案した「サトシ ナカモト」を名乗る人物が発明したとされています。 お金の取引記録を改ざんされにくい形でしかも低コストで処理・保管できる技術と新井氏は説明しています。 これまでお金の取引に関わるデータは、金融機関などが巨大なコンピューターシステムで管理してきました。いわゆる「中央集権型システム」と呼ばれる方法です。それに対して「ブロックチェーン」では取引データの管理者が存在しません。データは、特定のサーバーではなく、ネット上に保管されます。中央集権型に対して「分散型台帳」とも呼ばれます。大勢の利用者がデータを共有するため改ざんされにくいといわれています。 中核的なサーバーがないため大規模な障害につながりくく、巨額なシステム投資が不要です。 では、なぜ「ブロックチェーン」と名付けられたのでしょうか。 取引データが、「ブロック」と呼ばれる塊としてネット上に存在する「台帳」に保管され、この「ブロック」が鎖のように連続して記録されることに由来しています。 国内だけではなく、海外取引も少ない手数料で送金を行うことができます。 経済産業省の報告書によりますと、例えば、商品の在庫情報を川上から川下まで共有する効率的なサプライチェーンや、土地登記や特許など国が管理するシステムへの活用など、産業構造に大きな変化を与える可能性があると予測されています。 今後、目が離せない技術のひとつでしょう。 (ドアノブ) 【きょうの人】 ■ 天海(慈眼大師) てんかい/じげんだいし 天文5年(1536年)?- 寛永20年10月2日(1643年11月13日) 天海(てんかい)としられる慈眼大師ですが、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての天台宗の僧で、南光坊天海、智楽院とも呼ばれています。大僧正と位も高く、諡号が慈眼大師で、徳川家康の側近として、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関与しました。(Wikipediaを基に作成) 生年は、定かでありませんが、龍興寺にて随風と称して出家しました。14歳で、下野国宇都宮の粉河寺の皇舜に師事して天台宗を学びました。後に比叡山延暦寺や園城寺、興福寺などで学を深めました。 天海としての足跡が明瞭となるのは、埼玉県川越市にあります、関東天台の本山・喜多院(当時、無量寿寺北院)に来てからのことです。慶長18年(1613年)には家康より日光山貫主を拝命し、本坊・光明院を再興するなどして、次第に家康の信頼を高めてゆきました。日光の神橋の袂には天海像が立っています。 徳川三代将軍・徳川家光にも仕え、寛永元年(1624年)には忍岡に、幸田露伴の小説・五重塔でも有名な寛永寺を創建しています。”江戸の都市計画”ともいえる業務にも関わり、陰陽道や風水に基づいた江戸鎮護も構想しています。 喜多院 http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/saitama/kawagoe-kitain.htm 天海像 http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/tochigi/nikko2016-5.htm ■ 東西ドイツの統一、外から見ると完全に統合できているようです
1990年10月3日、東西ドイツが統一されました。分裂以来45年ぶりのことで、ドイツ連邦共和国が誕生しました。歴史のその時にいた自分の感動を思い出します。 ベルリンの壁を壊すシーンはテレビでもよく放映されますが、それから1年にも充たない時期に、スピーディに事が運ばれました。 何か、ことが成就するときと言うのは、スピーディに運ぶのですね。逆に、時間がかかりすぎるとうまくいかないことが結構あるように思えます。 新日鉄と住金の合併などは、準備は水面下で慎重に進んでいたのでしょうが、表に出てからはトントンというか、粛々と言うのか、進められています。 一方、キリンとサントリーのように、我を張りすぎると頓挫してしまいます。 ビジネスの世界だけではないですが、タイミングをはずすとうまくいかないことが多いのも色々と経験しています。 株の売買をしている人は、それを痛感することが多いのではないでしょうか。私の知人のA氏は若い頃から株をやっていました。私はまだ学生でしたから、当時の大学卒の初任給が2万数千円の時代です。時価総額で億を超えると彼が言っていました。彼はミリオネアだったのです。 株をする人の中には、彼を師と仰いでいる人も多かったようです。 私は株売買を基本的に流行りませんが、顧問契約をする前に顧問先の株を購入するようにしています。自分が顧問として入ることによってどれだけ株価に反映できるか、自分の貢献度を見る指標の一つとなるからです。 顧問契約が終わると、その時点で株を売ります。損をすれば自業自得、幸い、これまでに損をしたことは一度もありません。とは言っても、株投資の為ではないので、最小単位しか買いません。 あるときにインサイダー取引ではないかと調査をされましたが、顧問契約時にそのことを相手の経営者に話しています。顧問先の経営者が事情を説明をしてくれたので問題にはなりませんでした。金額もわずかだったこともあるのでしょう。 その後は、株を買うことはやめることにしましたが、株価で判定することは続けて来ました。 ■ 登山の日,山の日 日本アルパイン・ガイド協会の重野太肚二氏が発案し、「と(10)ざん(3)」の語呂合せから、この日を同協会が1992(平成4)年に制定しまし。 登山は、山に登ること、登山そのものを目的とし、そこに最大の喜びを見出すスポーツです。 登山をしない人は、何で苦労して、しかもリスクを冒すようなケースもありますのに、山に登るのかとおっしゃいます。 イギリスの登山家、ジョージ・マロリーは、「なぜ、あなたはエベレストに登りたいのか?」と問われたときに、「そこにエベレストがあるから(Because it's there. )」と答えたという逸話は有名です。日本語では、しばしば「そこに山があるから」と意訳されていますが、これもまた素晴らしい訳だと思います。 私は、山男とは言えませんが、奥多摩の山は、何度も登っています。アルプスも白馬岳など、初心者でも、ベテランがついていれば登れるような山にも登っています。 頂上に達したときの達成感は、自分の人生においても、仕事の達成感に通じ、登山が自分の人生にプラスの作用をしていることを実感することが多々あります。 登山は、山菜や動物を採集したり、地質調査であったり、狩猟や信仰のためであったりする山登りは除外される僧です。 近年の私は、写真を撮ることが主目的ですので、山に登っても登山とは言えないのですね。 ■ 【今日は何の日】その他
◇ 京都北野天満宮瑞饋祭
◇ 佛光国師(円覚寺開山)忌(~4日)
【経営コンサルタントのひとり言】 経営コンサルタントの上手な使い方 以前にも書きましたが、経営コンサルタントという職業を「うさんくさい」とお考えの人がいらっしゃいます。 どの様な職業に就いていても、道を外してしまう人はいます。 残念ながら経営コンサルタントの中にも、道を外す人がいます。 では、なぜ、経営コンサルタントという職業が胡散臭いと言われるのでしょうか。 例えば税理士という資格を持っている人は、税理士法に基づく業務については、資格を持っていないと法律に違反します。 ですから、確定申告書を無資格の人が作成しますと税理士法に違反することになります。 ご存知のようにコンサルティングという仕事への職業独占は、ありません。コンサルティング法という法律がないからです。 皆さんがしばしば「経営コンサルタントの国家資格は中小企業診断士」ということをお聞きになると思います。 しかし、中小企業診断士は。コンサルティング法があるわけではないので、コンサルティングの職業独占ではないのです。 では、なぜ中小企業診断士という資格があるのでしょうか。 それは、中小企業振興法という法律に関する業務に対しては職業独占があるのです。 ただし、それはコンサルティングについての法律ではないので職業独占とはならないのです。 ですからコンサルティングというのは、経営士や中小企業という資格を持っていなくてもコンサルタントを名乗ることができるのです。 そのために、コンサルタントをなのる胡散臭い人が「発生」してしまうのです。 コンサルタントを名乗る人がいましたら、何のコンサルタントなのかを確かめてください。 経営コンサルタントであれば、経営士や中小企業診断士の資格を持たなければ、一旦立ち止まって、その人が信頼できるかどうかを確認してから契約をすることをお薦めします。 経営士や中小企業の資格を持つ人が、法律に反するような行為をすれば、すぐに資格を剥奪されますので、悪いことはなかなかできないのです。 一方で、コンサルタントの費用は高すぎるという声もあります。 有能なコンサルタントであれば、結果に結びつけることができ、投資対効果を考えたときにはメリットがあります。 例えば単純に、年間120万円の顧問料が発せして、利益が今までより150万円出たとします。 そうしますと経営コンサルタントのおかげで30万円利益が増えたことになります。 要は、実力あるコンサルタントを選ぶことがポイントなのです。 コンサルタントとの契約のしかたについて、ブログに書いています。 お時間のあるときに目をお通しくださると幸いです。 http://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/c7332a400e1ee0619399c948b196eff7 (ドアノブ)
■■古書の日に思うブログネタ 【今日は何の日】 10月4日 【きょうの人】 ■ 盛田 昭夫 ソニー創業者の一人 もりた あきお 1921年1月26日 - 1999年10月3日 日本の技術者、実業家で、井深大と共に、電気機器メーカーソニー創業者の一人であることは、周知の通りです。 意外と忘れられているのが、1992年(平成4年)に、名誉大英帝国勲章を受勲していることです。 愛知県名古屋市白壁(盛田家の出自は常滑)にm盛田久左衛門・収子の長男として生まれました。生家は、代々続いた造り酒屋で、父・久左衛門は盛田家第14代当主です。母・収子は、元大垣共立銀行頭取戸田鋭之助の娘です。 お母さんは、姪に、元仙台市長・早川智寛、いとこに会社再建の神様といわれた早川種三がいるといいますので、盛田は、その血筋も強く引いていたのかもしれません。 第八高等学校(現・名古屋大学)と、大阪帝国大学理学部物理学科を卒業しています。 太平洋戦争中、海軍技術中尉時代に、ケ号爆弾開発研究会で井深大と知り合います。 終戦後、1946年(昭和21年)に、井深大らとソニーの前身である東京通信工業株式会社を設立し、盛田は常務取締役に就任しました。 製品開発に独創性とスピードを求め、他社に先駆けた革新的製品を作り出すことで、ソニーブランドの人気を高め、企業イメージを確立したのです。 しかし、経営コンサルタントの視点からみますと、ウォークマンのような斬新な商品開発力は、当然高く評価できますが、それよりも、他者と同じような商品を、ソニーのコンセプトを付加して商品化しているところを、さらに評価したいです。 ■ 二本松提灯祭 10月4日は、福島県二本松市で二本松提灯祭が開催されます。中心になるのが一本松神社というのもおもしろいですね。 お祭り好きの人なら誰でも知っているこの祭は、秋田の竿燈祭や愛知の一色提灯祭とともに三大提灯祭りの一つといわれています。 若かりし頃、山車に何百もの提灯が吊された様を写真に撮ったのですが、整理が悪くて見つかりません。また、行ってみたいと思いつも、時間と懐の関係で諦めています。ご関心のある方は行ってみる価値があると思います。 ■ 古書の日
10月4日は「古書の日」です。全国古書籍商組合連合会が2003(平成15)年に制定しました。 なぜ10月4日なのかを聞いて、納得しました. 古書の「古」の字は、分解すると「十」「口」となります。それを重ね合わせると「田」となります。これを4冊の本に見てのことといいますから、こじつけと言えばこじつけですが、その発想には頭が下がります。 日本古書組合 http://www.kosho.or.jp
■ 【今日は何の日】その他
◇ 里親デー
◇ 北の天満ずいき祭
◇ 玄侑僧正忌
【経営コンサルタントの独り言】 ■ 書籍は情報源としては古いと言いますが? 古書ではありませんが、古本も全国展開をするようなチェーン店もあるこの頃で、神田界隈にあるような昔ながらの古本屋は地方では次第に見られなくなってきているように思えます。 以前は自宅のすぐ近くに古本屋があったので、時々行きましたが、最近は古本屋を見かけませんね。 図書館へは隔週に行きます。隔週というのは、図書館は通常2週間単位で期限が来るからであることは言うまでもありません。仕事関連の本は本屋あさりをしますが、趣味やそのほかの本はもっぱら図書館で探します。 図書館で探した本の中で欲しいという本を買うようにしていましたが、対象となる本が変わってきたこともあり、アマゾンで取り寄せようとしても出版社が潰れたり、絶版になってしまったりした本が多くて、なかなか手に入りません。 はじめはコピーを取っていたのですが、最近はもっぱらスキャナーで取り込み、パソコンで見たり、iPadで見たりということが多くなりました。紙の山が増えるペースが落ちるメリットもあります。書類を全部なくしたいと思っています。 最近は、ブログに書くネタを図書館で見つけることがあります。「経営の視点」「経営コンサルタントの視点」ですので、何かをそのまま左から右へ紹介するのではなく、純粋に「ネタ」探しで、自分の考えなどをエッセイ風にしてブログ日記にしたり、その他の記事にしたりと、連日書き上げる文字数は以前にも増しているほどです。 経営コンサルタントなど士業の方々、あるいは経営管理の方々に少しでもお役に立ちたいと考えて、連日6本以上のブログを書くようにしていますが、なかなかページビューは上がりません。 最近では、自己満足でもよいから、自分の足跡として残せればよいと思うようになり、マイペースで書くつもりでいます。一人でも読者がいれば有り難いですね。 ところで「古書(こしょ)」と「古本(ふるほん)」の違いをご存知でしょうか。 厳密な定義づけはないようです。私も正確なところを知っているわけではありませんが、出版社とのお付き合いが長いこともあり、私なりの解釈です。 「古書」とは、資料として価値ある書籍で、絶版になってから時間経過が大きい本をいいます。 それに対して「古本」とは、読み終わった本が、再び市場に出回って、最初の購入者とは異なる人の手元に届く本のことです。 すなわち、古書店では、古書だけではなく、古本も販売していることになります。 ちなみに「新古本」というのもあります。 出版されてから一定期間経っても書店に埋もれてしまって、誰の目にも留まらなかった本のとこです。 われわれ、物書きの端くれとしては、非常に寂しいことですが、それがネット通販や古書店で販売されてでも、誰かの手元に届くことは慰めです。 (ドアノブ)
【きょうの人】 ■ 玄宥 げんゆう 享禄2年(1529年)- 慶長10年10月4日(1605年11月14日) 戦国時代から江戸時代前期にかけての真言宗の僧です。 下野国の吹上城主膝付又太郎の子で、18歳の頃より根来山で修学し、南都・園城寺・比叡山で諸宗の教学を学びました。 その頃の根来山は6千人ほどの学僧を擁する巨大な教育機関となって栄えていました。天正5年(1577年)、その塔頭の一つ智積院に住し、推挙され小池坊専誉とともに根来山の能化職に就いています。 天正13年(1585年)豊臣秀吉による紀州征伐が起こり、玄宥は高野山に逃れました。以後、玄宥は、真言宗系の京都の高雄山神護寺や醍醐寺三宝院などを転々としています。 慶長5年(1600年)秀吉亡き後、再興の訴願を続けていた玄宥に徳川家康から智積院再興の許可が出され、翌年慶長6年(1601年)に京都東山の豊国神社境内の坊舎と土地を寄進され、智積院は再興されました。 智積院再興第一世となり、再興から4年後の慶長10年(1605年)11月14日、77歳で没しました。 ■■時刻表記念日 【今日は何の日】 10月5日
■ 時刻表記念日
1894(明治27)年10月5日に、庚寅新誌社から日本で最初の時刻表が出版されたの記念して「時刻表記念日」が制定されました。 海外に詳しい福沢諭吉翁の勧めで手塚猛昌が発行しました。 当時鉄道の先進国で会ったイギリスの鉄道システムを導入した日本政府ですが、トーマス・クックの時刻表を参考にして発行されました。 発車時刻や運賃だけではなく、紀行文等も掲載されていたようです。 ■ 達磨忌 ダルマさんは誰もが知っているが実態は? 「達磨」という漢字は、疑うことなく使っていますが、唐代以前のものは「達摩」と表記されていたそうです。(【Wikipedia】) 正式には「菩提達磨(ぼだいだるま)」というそうです。諡は「円覚大師」、中国禅宗の開祖とされています。ただし、中国人ではなく、インド人だったそうです。そういわれますと、達磨絵でしか知りませんが、眼光鋭く髭を生やし耳輪を付けた、その凝相は、中国人離れしていますね。 「ダルマ」というのは、サンスクリット語で「法」を表す言葉だそうです。 意外なことに、達磨さんについては、伝説が多く、その歴史的な真実性には疑問も多いのだそうです。 南天竺国王の第三王子として生まれたという記録もありますが、定かではなくたくさんの達磨伝説があり、真偽の程がわからないことが多いそうです。 10月5日は、達磨さんの没日とされています。 ■ 善光寺十夜会(じゅうやえ) 長野県にある善光(ぜんこうじ)は、無宗派の単立寺院です。住職は「大勧進貫主」と「大本願上人」の両名が務めるという珍しいお寺です。 日本最古と伝わる一光三尊阿弥陀如来を本尊としています。江戸時代末には、「一生に一度は善光寺詣り」と言われるようになりました。 十夜会は、10月5日から14日と11月5日から14日までの十日間ずつ、本堂において執り行われます。 十夜会は「この世で十日十夜、善い行いをすることは、仏さまのもとで善い行いを千年することにも勝る」という 『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』の教えを実践する法要です。 ■【今日は何の日】その他 ◇ 善光寺十夜法要 ◇ 達磨忌 【経営コンサルタントの独り言】 ■ ユーレイルパスの想ひ出 鉄道の時刻表は、日本ではすでに1894(明治27)年に出版されていたのですね。 私もかつては、日本全国を飛び回っていましたので、時刻表は必需品でした。 近年では、ネットで路線検索が容易になり、鉄ちゃん以外は余り利用しなくなったのではないでしょうか。 1980年代は、一年の内の三分の二くらいは海外を飛び回っていました。 会社勤めなら、会社が高額な旅費を支払ってくれますが、小さな経営コンサルタントファームを預かる私としては、できる限り出費を抑えなければなりませんでした。 幸いヨーロッパは、ユーレイルパスというやすい鉄道切符がありましたので、それをよく利用しました。 アメリカは99日199ドルでした。 ユーレイル(Eurail)とは、加盟する鉄道会社の鉄道や船便を、乗り放題の切符です。 当時30日有効切符が1万円台だったように記憶しています。 TGVなど、当時はありませんでしたが、結構快適でした。 イタリアとスイスを結ぶ氷河特急は何度も乗りました。 チェルノブイリ原発事故の時は、デンマークにいました。 人魚像を見ているときに、にわか雨に遭いましたので、放射能を少し浴びたかもしれません。 その後、スエーデンまで寝台特急で連絡船に乗って移動しましたが、いつ連絡船に乗ったのかわからないくらいスムーズでした。 あの頃の鉄道の旅は、仕事で行っていたにもかかわらず楽しい思い出です。 (ドアノブ) 【きょうの人】 ■ ニーチェ 実存主義の代表的な思想家 フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(独: Friedrich Wilhelm Nietzsche) 1844年10月15日-1900年8月25日 ドイツ連邦・プロイセン王国出身の哲学者ですが、古典文献学者としての功績も見逃せません。実存主義の代表的な思想家の一人として知られ、私が学生の頃には、友人とのディスカッションには欠かせない人であり、知識でもありました。 古典文献学者フリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュルに才能を見出され、スイスのバーゼル大学古典文献学教授となりました。プロイセン国籍を離脱し、無国籍者となりました。 同大学を辞職した後、在野の哲学者として、その分野で多くの影響を後世にのこチームマネジメント下。難しいことを、巧みな散文的表現によって文学的価値も高く、だれにでもわかりやすくしていることも、ニーチェ・ファンが多い理由なのかも知れません。 彼の研究分野は広く、【Wikipedia】によりますと「美学、倫理学、形而上学、ニヒリズム、心理学、存在論、詩、価値の理論、悲劇、無神論、主意主義、事実と価値の区別、反基礎付け主義、歴史哲学」となっています。 その主な概念として、『アポロとディオニュソス、超人、ルサンチマン、力への意志、「神は死んだ」、永劫回帰、運命愛Amor fati、畜群、チャンダラ、「最後の人間」、遠近法主義、君主-奴隷道徳、価値の再評価、肯定』と、私の知識を超える言葉が列挙されていますので、そのまま掲載しました。 ■ 藤堂高虎 とうどう たかとら 弘治2年1月6日(1556年2月16日)-寛永7年10月5日(1630年11月9日) 藤堂高虎は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名で、伊予今治藩主、後に伊勢津藩の初代藩主となる、藤堂家宗家初代です。 浅井長政→阿閉貞征→磯野員昌→織田信澄→豊臣秀長→秀保→秀吉→秀頼→徳川家康→秀忠→家光と、何度も主君を変えた戦国武将として知られています。 築城技術に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城・二条城などを築城し、黒田孝高、加藤清正とともに築城の名人として知られています。 高虎の築城の特徴は、石垣を高く積み上げることと堀の設計です。石垣の反りを重視する加藤清正と対比されることが多いです。 関ヶ原の戦いでは、秀吉の死後、徳川家康に接近していたこともあり、徳川家康側として闘いました。 その後、高虎は徳川家の重臣として仕え、江戸城改築などにも功を上げたため、慶長13年(1608年)に伊賀上野藩主・筒井定次の改易と伊勢津藩主・富田信高の伊予宇和島藩への転封、22万石の津藩主となりました。 家康は、高虎の才と忠義を高く評価し、外様大名でありながら譜代大名格(別格譜代)として重用したそうです。 ■■ ■■マツキヨと役所改革の日 【今日は何の日】 10月6日 ■ 国際協力の日 外務省と国際協力事業団(JICA)が、1987(昭和62)年に制定しました。 前後の向背から立ち直った日本が、1954(昭和29)年10月6日に、初めて援助国としての国際協力に参加しました。 途上国への技術協力のための国際組織「コロンボ・プラン」に加盟もしました。 コロンボ・プランとは、戦後最も早期に組織された開発途上国援助のための国際機関の一つです。 主に技術協力を通じてアジア太平洋地域諸国の経済・社会開発を促進し、その生活水準を向上させることを目的としています。 正式名称は「アジア及び太平洋の共同的経済社会開発のためのコロンボ・プラン」でM事務局は、スリランカのコロンボにあります。 1950年1月にコロンボで開かれたイギリス連邦外相会議を源としており、1951年7月に活動を開始しました。当初イギリス連邦諸国のみを加盟国としていたのですが、その後その他の各国も加わり加盟国は増加しました。 しかし現在は、二国間のODAの方が金額的に多く、コロンボプランとしての活動はそれほど活発ではないようです。 某超大国のように、お金にモノを言わせて、無理な援助をして、その返済に窮すると、港を長期咀嚼をするなどして、国際協力とは主旨も目的も異なる、なりふり構わないことをしている苦にもあります。 ■ 役所改革の日 10月6日は「役所改革の日」です。 1969(昭和44)年10月6日、当時の松本清市長の発案で千葉県松戸市役所に「すぐやる課」ができました。「すぐやらなければならないもので、すぐやり得るものは、すぐにやります」をモットーに、何かことがあるとすぐやる課が主導しました。 それまで役所の縦割り行政のために対応できない仕事が結構あったのが、すぐに対応できるようになり市民から大変感謝されているようです。 この時の市長であった松本清さんといえばドラッグストアチェーン店の「マツモトキヨシ」の創業者です。 株式会社マツモトキヨシは、ドラッグストア(薬店)チェーンの日本最大手企業となりました。本社は千葉県松戸市にあります。 おとり廉売からブランドを守る目的で、指定再販商品でかつては保護されていましたが、徐々に解除され、1997年3月には最後まで残った一部の化粧品と医薬品の指定が廃止されました。今日、価格競争の激しい業界のひとつで、その中での全国展開にはナミナミならぬ努力が影でなされていると思います。 ■ 【今日は何の日】その他
◇ 国際文通週間
成長企業の社長さんも経営士・士補資格を持っています。
【経営コンサルタントの独り言】 ■ リッツカールトンのクレド 今日、愚妻が友人とリッツカールトンでランチをしたそうです。ランチも高いだけではなく、テナントのお店の商品も高嶺の花だったということでした。 ところが、リッツカールトンがどのようなホテルであるのか知らずに言ってきたようで、パリでリッツカールトンを知らない人はいない超高級ホテルでということを教えたら、ビックリしていました。知らないというのは怖いことですね。 因みに、われわれ経営コンサルタントは、リッツカールトンの「クレド」を熟読すべきです。経営理念という言葉を口にするには、同ホテルのクレドを事例に引き出すと、受講者からは尊敬の念で見られるかもしれません。 パリまで行くことはなかなかできませんが、東京・六本木と大阪にあるので、一度ランチをしてはどうでしょうか。ひとり一万円でおつりがきます。但し、ジーンズ姿で行くと中に入れてもらえませんので、背広にネクタイ姿で行くことをお薦めします。 【きょうの人】 ■ 細川 幽斎(藤孝) 没 ほそかわ ゆうさい / 細川 藤孝(ほそかわ ふじたか) 天文3年4月22日(1534年6月3日)-慶長15年8月20日(1610年10月6日) 戦国時代から江戸時代初期にかけての武将で、大名、歌人、幼名は、万吉(まんきち)で、元服して藤孝を名乗ります。幽斎は雅号で、法名を玄旨といいます。 初め室町幕府13代将軍・足利義輝に仕え、その死後は織田信長の協力を得て15代将軍足利義昭の擁立に尽力しました。 後に、義昭が信長に敵対して京都を逐われますと、信長に従って名字を長岡に改め、丹後国宮津11万石の大名となりました。 本能寺の変の後、信長の死に殉じて剃髪して家督を忠興に譲りました。 しかし、その後も豊臣秀吉、徳川家康に仕えて重用され、近世大名肥後細川家の礎を築きました。 また、二条流の歌道伝承者三条西実枝から古今伝授を受け、近世歌学を大成させた当代一流の文化人でもありました。 享年77(満76歳没)で、京都市左京区南禅寺福地町の瑞竜山太平興国南禅寺の塔頭寺院である天授庵に墓があります。 ■■江戸川散歩と曖昧検索 【今日は何の日】 10月7日
■ 体育の日(年により日付が異なります) 10月の第2月曜日は、国民の祝日の体育の日です。 2000年(平成12年)、ハッピーマンデー法及び移動祝日で定められた祝日で、その定期用にあたる、年内最後の祝日です。 経営コンサルタントというのは、「体が資本」とよく言われます。一見優雅に見える経営コンサルタント業ですが、連日が闘いです。クライアント・顧問先が抱える問題との闘いだけではなく、時間や知識・情報等々、挙げればきりがありません。 私が経営コンサルタントになるときに、先輩コンサルタントから「気力・知力・体力」という話を聞きました。 http://www.glomaconj.com/consultant/3keikonhenomichi/keikon.htm#3 かつては、車で移動をしていましたが、今日ではもっぱら公共交通機関を利用しています。一駅前下車で、もっぱら歩くことにしています。これだけでは体力強化にはなかなか繋がりませんが、せめて現状維持だけでもと思っています。 ■ ミステリー記念日 10月7日は、「ミステリー記念日」です。 ミステリー小説の愛好家は多いと思います。1849年10月7日、ミステリー小説(推理小説)の先駆者であるエドガー・アラン・ポーが亡くなりました。1845年に発表された「モルグ街の殺人」を読んだ方は多いと思いますが、世界初の推理小説と言われています。 ポーの名前になぞられて江戸川乱歩が日本におけるミステリー小説作家の代表的な存在です。 江戸川乱歩の「戸」も「乱」も「歩」も、正字体では、下記が正しいとされています。 間違い探しではないですが、「歩」は、どこが違うのか解りませんでした。 Wikipediaでは、下記のように紹介されています。 江戸川乱歩(えどがわらんぽ)、1894年(明治27年)10月21日-1965年(昭和40年)7月28日)は、大正から昭和期にかけて主に推理小説を得意とした小説家・推理作家である。また、戦後は推理小説専門の評論家としても健筆を揮った。実際、岩井三郎探偵事務所(ミリオン資料サービス)に勤務していた。 本名は平井太郎(ひらいたろう)。筆名はアメリカの文豪エドガー・アラン・ポーをもじったものである。日本推理作家協会初代理事長。位階は正五位。勲等は勲三等。 ■ 長崎くんち 10月7~9日は、長崎くんちです。 長崎というと「今日も雨か・・・」という人もいるかもしれませんが、「くんち」「おくんち」と言えば長崎市の諏訪神社を連想する人が多いですね。その代表が蛇踊りですが、竜船や唐人船など長崎らしさが見えます。 実は、私が所属している(特)日本経営士協会九州支部を訪問したときに、くんちは長崎市だけではないと教えられました。 長崎県佐世保おくんち(長崎県佐世保市、亀山八幡宮) 御厨おくんち(長崎県松浦市御厨町、姫神社) 平戸くんち(長崎県平戸市、亀岡神社) 星鹿おくんち(長崎県松浦市御厨町、羽黒神社) 長崎の隣の佐賀県では、伊万里や唐津でも、また福岡県福岡市の櫛田神社は博多どんたくや山笠なでよく知られていますが、おくんちも開催されるのですね。 日本経営士協会の地方の支部や経営支援センター、会員さん達を訪問すると、新しい出会いと共に、知識もいろいろと習得できますね。 ■ 【今日は何の日】その他 ◇ 大津天孫神社例祭 ◇ 仙厓禅師忌 ◇ 南山忌 【経営コンサルタントの独り言】 ミステリーと言えば、日本のミステリー作家第一号と言っても過言ではない「江戸川乱歩」を連想する人が多いのではないでしょうか。 子供の頃、少年探偵団で小林少年が活躍する痛快さがなんとも言えませんでした。今日風で言うと、小林少年はコナン君に相当するのでしょうか。 江戸川乱歩は、ミステリー作家のエドガー・アラン・ポーをもじったものと言うことは事実でしょうが、江戸時代の文筆家に「江戸川散歩」という人がいたと言うことを小耳に挟んだことがあります。ネットで検索したのですがなかなかヒットしません。 新聞の川柳欄に江戸川散歩という号を使っている人がいますが、なかなか面白い名前だと思っています。因みに「江戸川散歩」をキーワードでネットを検索すると、東京の江戸川に関する散歩記事がたくさんできてきます。 曖昧検索の恩恵を被ることが多いですが、その機能の為に逆に検索で余計なものまで引っかかってきてしまうようになりましたね。 江戸川乱歩というのは、正字体では「戸」も「乱」も「歩」も、表記が異なるのですね。まるで「間違い探し」をするようで、文字を拡大してみますと、なるほどと思います。 とくに「歩」は、拡大しますと直ぐに解りますが、10ポとか12ポイントでは、私のような年齢層では厳しい人が多いのではないでしょうか。 (ドアノブ) 【きょうの人】 ■ 江戸川 乱歩 えどがわ らんぽ、旧字体:江戶川 亂步 1894年(明治27年)10月21日 - 1965年(昭和40年)7月28日) 大正から昭和期にかけて主に推理小説を得意とした小説家・推理作家です。 戦後は推理小説専門の評論家としても知られています。実際に探偵として、岩井三郎探偵事務所に勤務していたという経歴を持っています。 本名は平井 太郎(ひらい たろう)で、日本推理作家協会初代理事長を務め、位階は正五位、勲等は勲三等です。 ペンネーム(江戸川乱歩)は小説家の、エドガー・アラン・ポーに由来するということは、推理小説にご興味のある方であれば、想像がつくでしょう。 三重県名賀郡名張町(現・名張市)で、名賀郡役所書記の平井繁男・きくの長男として生まれました。平井家は武士の家柄で、乱歩の祖父の代まで藤堂家の藩士として勤め上げました。 1917年(大正6年)11月、鳥羽造船所電機部に就職し、庶務課に配属されました。技師長に気に入られ、社内誌「日和(にちわ)」の編集や子供へおとぎ話を読み聞かせる会を開くなど地域交流の仕事に従事しました。 1923年(大正12年)、『新青年』とう雑誌で、『二銭銅貨』でデビューしました。欧米の探偵小説に強い影響を受け、本格探偵小説を志し、黎明期の日本探偵小説界に大きな足跡を残したのです。 江戸川乱歩の小説は色々な形で出版され、光文社文庫の「江戸川乱歩全集」(全30巻)、創元推理文庫(全20巻)をはじめいろいろな形で出版されました。 助手の小林少年が登場する名探偵・明智小五郎シリーズは、コナン君にも通ずるものがあり、少年達の心をわしづかみにしました。 ■■ ■■骨と股関節 【今日は何の日】 10月8日 ■ 寒露(年により日付が異なる) 今日は、二十四節気の一つである「寒露」です。太陽の黄経が195度の時で、二十四節気の第17番で「九月節」で、晩秋から初冬の間の露の候です。 食欲の秋で「甘露」と間違えそうですが、晩秋に始まる草木の葉に、ころころと揺れ、きらきらと光る露のことだそうです。和菓子になりそうな題材ですね。 寒露は、紅葉の始まりであるとも言われていますが、季節も良くなり、これから秋祭りが各処で始まりますね。 Wikipediaでは、下記のように記されています。 現在広まっている定気法では太陽黄経が195度のときで10月8日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。恒気法では冬至から19/24年(約289.15日)後で10月7日ごろ。 期間としての意味もあり、この日から、次の節気の 前日までである。 二十四節気の一つ。秋分と霜降(そうこう)の間。太陽暦で十月八日ころ。太陽が黄経百九十五度の時。寒露は晩秋から初冬にかけて草木の葉に宿る露のこと。寒気にあたって物象が凍る午前の時節を意味する。寒い地方では、木々の葉が寒露にあたつて紅葉し始める。 ■ 骨と関節の日 先日古書の日で「古」を「十」と「口」に分解して、重ね合わせて「田」という字となることを紹介しました。 「十」と「八」を組み合わせるとカタカナの「ホ」になります。「骨」の「ホ」の字になることから、10月8日が「骨と関節の日」に日本整形外科学会より1994(平成6)年に制定されました。 ■ 入れ歯感謝デー 10月8日の語呂合わせで「い(1)れ(0)ば(8)」になることから「イレバデー」が、全国保険医団体連合会が1992(平成4)年に制定しました。また、「入れ歯感謝デー」として日本歯科技工士会が2005(平成17)年に制定しました。 骨も歯もカルシュームが共通しています。関節の軟骨がすり減ると関節症になってしまいます。女性に多いようですが股関節症で悩んでいる人は多いようです。 【Wikipedia】 変形性股関節症 変形性股関節症(へんけいせいこかんせつしょう、osteoarthritisofhip)は、関節軟骨の変性・磨耗によって、近傍の骨の変形・破壊や関節滑膜の炎症が起き、疼痛や運動障害からADL障害をきたす股関節疾患である。 重度になると人口股関節を入れることになりますが、その手術は大工さん並の道具を使っての作業となるほどの大変なことです。日本の技術は遅れていると言われていましたが、近年はその技術と材料の進歩もめざましく、かつては10年しか持たなかったのが、15年、20年と持続できるようになって来ました。 そのために、外見では股関節症であることがわからない人も多くなってきました。金属製の部品を使うことから、空港の金属探知機ではブザーが鳴ってしまいます。外国では、別室に入れられてチェックをされることもあります。手術をした人は、レントゲン写真の縮小コピーを手放せない様です。それを見せても偽造かも知れないので信用されないことも多いようです。 また、困ることとして歩道の傾斜です。上り坂、下り坂よりは、左右方向の傾斜です。人口股関節が入っている為に必ずしも左右の脚の長さが等しいとは限りません。左右の傾斜は、股関節に大きな負荷がかかるのです。 正常な人にはわからない苦しみを持っているわけで、正常な人はもっと障害を持つ人に立場を理解して、言動に配慮が必要です。 ■ 【今日は何の日】その他 ◇ 円明国師降誕(総持寺)
【経営コンサルタントの独り言】 ■ アンチエイジングは本当に可能なのですか? 骨も歯も、健康のバロメーターのひとつと言えます 私事ですが、一日一万歩を目指して、毎朝5000歩程度ですが、早朝ウォーキングをしています。 先日テレビで1回のウォーキングで3000歩以上は、疲労だけで、筋肉強化には繋がらないということを教えていただきました。 5000歩といいますと、多少疲労度を高める歩数かもしれませんが、目標の一万歩を考えますと、早朝に歩数を確保しておきませんと、昼間の歩きだけでは一万歩には届きません。 4000歩ほど歩いたところに子供用の遊具のある小さな公園があります。 そこに照明用のポールがあり、このポールを利用したりして自己流体操をします。 その一環に、ポールに向かって腕立て伏せをします。 普通、腕立て伏せは床で行いますが、ポールが相手ですと斜めの形状での腕立て伏せです。 歳を重ねてきますと、床上では厳しいですが、ポールが相手ですと何とかなります。 腕を曲げるときも、ゆっくりと、体重をかけて、伸ばすときは反動を使わず、やはりゆっくりと行います。 腕力強化という目的もありますが、実は肩こり解消に役立つように思って続けています。 お陰さまで、何十年と悩まされてきました肩こりが、最近はあまり気になりません。 そのおかげか、頭痛も少なくなりました。 アンチエイジングというのは、ちょっとした生活上の工夫でも可能なのではないのかと考える昨今です。 (ドアノブ) ■■ 年中行事の雑学で話し上手 ←クリック
仕事上手は、話し上手。話のネタがゴロゴロ
■ 石川 五右衛門 没 いしかわ ごえもん 生年不詳 - 文禄3年8月24日(1594年10月8日) 安土桃山時代の盗賊の首長で、文禄3年に捕えられ、京都三条河原で煎り殺されました。 見せしめとして、彼の親族も大人から生後間もない幼児に至るまで全員が極刑に処されました。その時代では、一般的であったようです。 釜風呂で有名な五右衛門風呂は、その極刑に由来するものといわれています。 従来その実在が疑問視されていましたが、イエズス会の宣教師の日記の中に、その人物の実在を思わせる記述が見つかり、また、江戸時代に創作材料として盛んに利用されたことで、高い知名度を得たようです。 京都南禅寺の山門から、京都市内を見渡し、「絶景かな、絶景かな」という台詞を残したことはよく知られています。 ■ 金刀比羅宮大祭 毎年10月9日~11日に、香川県琴平町にある金刀比羅宮で開催される厳粛な祭典です。 9日は、16時から本宮において宵宮祭(よいみやさい)が行われ、「八少女舞」が奏進されます。 10日は、21時から御神幸(おみゆき)の神事が行われます。毛槍・鳥毛をうちふるう奴さんを先頭にした、総勢約500名の平安絵巻さながらの神輿行列が、御本宮から御旅所までの間で繰り広げられます。 この行事の歴史は古く、江戸時代以前より今に続いているといわれています。 深夜には、御旅所では、行宮着御祭(あんぐうちゃくぎょさい)が行われ、管弦の演奏と大和舞が奏進されます。 11日には、10時から献馬式(けんばしき)や東遊が行われます。14時からは、舞曲「金刀比羅舞」が行われます。21時に、御旅所から御本宮へと還幸着御後、祭典が終わります。 古式豊かな三日間の行事は、日本らしさに満ちているといわれます。 ■ 世界郵便デー、万国郵便連合記念日 10月9日は「世界郵便デー」「万国郵便連合記念日(World Post Day)」です。 万国郵便連合(UPU)が1969(昭和44)年に「UPUの日」として制定しました。それを1984(昭和59)年に「世界郵便デー」と名称を変更した。
1874(明治7)年10月9日、全世界を一つの郵便地域にすることを目的に、万国郵便連合が発足し、日本は1877(明治10)年2月19日に加盟したのです。
【Wikipedia】 万国郵便連合
万国郵便連合は、加盟国間の郵便業務を調整し、国際郵便制度をつかさどる。
最も古い国際連合の専門機関の一つであり、1874年10月9日、国際郵便条約によって設立された。本部はスイス・ベルンに置かれている。
万国郵便連合の設立によって、次の3点が合意形成された。
1.地球上のほぼすべての域から固定料金に近い形で郵便物が送れること。
2.国際郵便、国内郵便(内国郵便)がともに同様の扱いがなされること。
3.国際郵便料金は、それぞれの国で徴収し、使用すること。
特に切手を貼った郵便物については、どの国の切手でも国際的に通用することを万国郵便連合憲章(UPU憲章)で決めている。また、国際返信切手券の発行事務などを行っている。
■ 【今日は何の日】その他 ◇ 秋の高山祭(~10日)
◇ 久留米高良大社例祭
【経営コンサルタントのひとり言】
■ 異常気象と運動会 この頃になると秋祭が各地で実施されたり、体育の日を中心に、運動会やスポーツ行事が各地で開催されるでしょう。 運動会は9月から10月が多いと思いますが、昨年や今年のように烈暑の日々がこれからも多くなると思います。
日本だけではなく、世界全体が温暖化しているわけで、炎天下での運動会やその練習は熱中症のもとです。 それにもかかわらず、強行した学校が大半ですが、開催日を1ヵ月ほど後ろにシフトすべきと思います。
最近は、春に開催する学校も出てきましたが、それでも暑い日に当たると大変ですね。(ドアノブ) 【きょうの人】 ■ 足利義昭 室町幕府最後の将軍 あしかが よしあき 1537年12月15日〈天文6年旧11月13日〉- 1597年10月9日〈慶長2年旧8月28日〉 室町幕府第15代将軍で、在職期間は、1568年〈永禄11年〉- 1588年〈天正16年〉でした。 父は室町幕府第12代将軍・足利義晴、母は近衛尚通の娘・慶寿院でした。明智光秀が最初に奉じた第13代将軍・足利義輝は同母兄です。 はじめは、足利将軍家の家督相続者でないことから、慣例によって仏門に入って覚慶(かくけい)と名乗って、一乗院門跡となりました。兄・義輝らが三好三人衆らに暗殺され、細川藤孝ら幕臣の援助を受けて奈良から脱出し、還俗して義秋(よしあき)と名乗りました。 永禄11年(1568年)9月、浅井氏などの支持も受け、信長・長政軍に警護されて上洛、父・義晴が幕府を構えていた桑実寺に遷座、後に京都に到着し、第15代将軍に就任します。 しかし信長に不満を持った義昭は、武田信玄や朝倉義景らと呼応して信長包囲網を築き上げたことはよく知られています。しかし、信長に京都から追われ備後国に下向しました。すなわち室町幕府の滅亡です。 形の上では、信長が本能寺の変によって横死した後も、将軍職にありましたが、豊臣政権確立後は辞し、豊臣秀吉から山城国槙島1万石の大名として認められ、余生を送ることになりました。 ■ 釣りの日 太公望の由縁 全日本つり団体協議会と日本釣振興会が、1977(昭和52)年に制定しました。 全日本つり団体協議会は、「健全、かつ安全な釣り振興のために、釣り人、および遊漁船業に従事される方々に有益な情報を提供するとともに行政とのパイプ役を担います」というコンセプトの団体です。 釣り人の集まりで、種々の行事が行われているようです。 釣り人のことを「太公望」といいますが、太公望とは? 呂尚(りょしょう)は、 謚が「太公」です。紀元前11世紀ごろの古代中国春秋時代・周国の軍師としてしられ、後に、斉の始祖として現在の山東省を中心にした国です。 呂尚の姓は姜、氏は呂、字は子牙とか牙、諱は尚です。軍事長官である師の職に就いていたことから、「師尚父」とも呼ばれます。 謚が「太公」であることから、斉太公、姜太公の名でも呼ばれます。 呂尚は、釣りをよくしていたことから「太公望(たいこうぼう)」と呼ばれ、日本では、釣り好きの人達を表す代名詞として使われます. ■ 目の愛護デー
10月10日は、10月1日に紹介したように「目の愛護デー」です。中央盲人福祉協会が1931(昭和6)年に「視力保存デー」として制定し、戦後、厚生省(現在の厚生労働省)が「目の愛護デー」と改称しました。 この日は「缶詰の日」でもあります。 1877(明治10)年10月10日に、北海道で鮭の缶詰が日本での本格的に製造開始されたことから、日本缶詰協会が1987(昭和62)年に制定しました。 山部赤人が「しび(鮪)釣ると海人[あま]船散動[さわ]き」(万葉集)と歌に詠んでますが、それが10月10日であるとされていて、この日を「マグロの日」として、日本鰹鮪漁業協同組合連合会が1986(昭和61)年に制定しました。 マグロは、近年漁獲量制限や新興国の食文化の変化などで、次第に日本人の食卓から遠ざかってきています。 日本人は縄文時代からマグロを食べていたと言われていますし、上述の万葉集や古事記などでも詠われています。 一方で、マグロは「しび」と言われていました。鰹を珍重した江戸時代には「しび」が「死日」に通じることから、「下魚」とみなされていました。当ブログ「杉浦日向子の江戸塾に学ぶ」でも紹介しているようにマグロは腐敗防止に醤油漬けしていました。それが江戸前寿司の始まりであるとも言われています。 因みに、「杉浦日向子の江戸塾に学ぶ」ですが、江戸のエコや風俗習慣などから、現代人は、エコという観点に絞っても学ぶところが多いと思っています。杉浦日向子の江戸塾から学ぶところは多く、話のネタとなります。エッセイ風というと大げさになりますが、独断と偏見で紹介しています。 私がはじめて杉浦日向子女史を知ったのは、「お江戸でござる」というNHKの番組でした。お酒が好きで、飾らない人柄、江戸時代に生きていたかのような話しぶり、そこから江戸のことを知ると、われわれ現代人に反省の機会が増えるような気がします。 一層のご愛顧をお願いします。 ■ 【今日は何の日】その他 ◇ 万灯院十夜講会
◇ 香川金比羅宮祭
◇ 法明上人誕生
■ 自己暗示のために一週間を俯瞰すると、あなたのアンテナ感度が高まる【経営コンサルタントの独り言】 最近は、テレビを視ない人が増えていると言うことを聞いています。 新聞を購読していない人はそれ以上なのかもしれません。 スマホがあれば、大半の用は済んでしまう時代ですね。 洪水状態に流される情報を漫然と見ていると、先ほど読んだ記事は何だったか、実は多くが頭の中に残っていないのです。 ある脳科学者によりますと、意識を持って観たり、読んだりしないと、99%が記憶として残らないのだそうです。 逆に、「この記事は有益で、自分には必要な情報だ」と暗示をかけますと、その何十倍もの確率で記憶に残るのだそうです。 経験上、私自身も、この自己暗示法を使っています。 ただし、選択時に重点化をしませんと、垂れ流しと同じ状態に陥ってしまいます。 そこで、事前に、キーワードに目を通しておくのです。 私は、一週間単位で、「今週のキーワードは?」というリストに目を通しておきます。 実際に、記事を見つけたり、テレビを視たりしているときに、そのキーワードが、ピピッと信号を発し、「これは重要だよ!!」と教えてくれるのです。 (ドアノブ) 【今日の人】 ■ 月輪大師・俊じょう生誕 しゅんじょう 仁安元年8月10日(1166年9月6日)- 嘉禄3年閏3月8日(1227年4月25日) 字は「我禅」、号は「不可棄」、勅号は「大興正法国師」です。一般には、「月輪大師(がちりんだいし)」と呼ばれることが多いです。 鎌倉時代前期の僧で、肥後国飽田郡の出身ということはわかっていますが、出自については不詳です。 土御門帝正治元年、中国・宋で12年間修行をしました。そこでは、四分の律並に天台、密禅の諸宗を学びました。 帰国後泉涌寺に入り、真言宗泉涌寺派の宗祖となりました。 貴賤を問わず、民と接したことから、その得をしたい、帰依する人が多かったと言われています。 ■■ ■■【今日は何の日】 10月11日
■ 安全・安心なまちづくりの日 全国地域安全運動/安全安心なまちづくりの日は、2005(平成17)年12月に閣議決定され、2006(平成18)年から実施しています。 刑法犯の認知件数は、平成15年以降減少を続け、平成30年は約82万件となり、前年に引き続き戦後最少を更新しています。 しかし、子供や女性が被害者となる犯罪は後を絶たず、高齢者を狙った特殊詐欺の被害は深刻化しています。 DVやいじめ、性犯罪など、安全な国日本においてさえも犯罪は多発して、不安を抱く人が少なくありません。 このような犯罪を防ぎ、地域社会の安全安心を守るために、全国各地で住民が自主的に様々な地域安全活動に取り組んでいます。 さらなる犯罪減少を望み、できれば完全撲滅ができ、安全・安心な国になるとよいですね。 ■ ウィンクの日 臭いと香り、語彙と語感
「10」と「11」を倒すとウィンクをしているように見えることから、10月11日を「ウィンクの日(オクトーバーウィンク)」と言います。 朝起きたときに好きな人の名前の文字数だけウィンクをすると、自分の気持ちが相手に伝わるということで、女子中学生の間でかつて流行したことがあります。 このような行為で、自分の気持ちが相手に伝わるのであれば、ビジネスパーソンとしては苦労をしませんね。昔の日本では、「以心伝心」「拈華微笑」と言いますが、言葉にしなくても相手に伝わるということがありました。 近年、言葉にしても相手に通じなかったり、若者言葉を理解できなかったりと、日本人通しでもコミュニケーションを充分に取ることが難しくなってしまいました。 「世代間格差」とか言って、それで済ませてしまっている風潮もあるような気がします。「語感」がよくない人が多く、ニュアンスの違いが通じません。たとえば「生足」という言葉を平気で使っています。 確かに「生もの」などという表現があるので、「生」という字は必ずしも悪いニュアンスがあるわけではありません。しかし、「生首」という言葉があるように肉体の一部に「生」という文字を使うのは、私は嫌です。 「良い臭い」という表現は間違いではないと思いますが、大人であれば「良い香り」という表現を使って欲しいですね。 語彙が乏しくて表現力が低下していることも一員のような気がします。 ■ 【今日は何の日】その他
◇ 東京池上本門寺御会式(~13日)
◇ 久遠寺御会式
◇ 神戸海神社祭
【経営コンサルタントの独り言】 ■ ウィンクで顔に表情が出る 10月11日は、「ウィンクの日」です。 この日に、朝起きたら、好きな人の名前の文字数だけウィンクをすると、自分の気持ちが相手に伝わるそうです。 かつて、女子中学生の間で流行しましたが、昨今では「ウィンクの日」があることすら忘れられてしまっているようです。 ウィンクは、顔に表情が出てきますし、可愛くも見えます。 ところが、老化してきますと顔の筋肉の衰えから、ウィンクができなかったり、表情が乏しくなり、自分の気持ちがなかなか顔に出てこなかったりします。 企業のコンサルティングをしていますと、コミュニケーションに起因するトラブルが非常に多いです。 ウィンクをするだけで、自分の気持ちが相手に伝わるのでしたらありがたいことです。 それどころか、近年では、標準語を話すべきNHKのアナウンサーでも、アクセントがおかしくなってしまっています。 例えば、「暴風」と「防風」ですが、区別ができているアナウンサーや気象予報士がどれ程いますでしょうか。 気象予報士にとって、「暴風」も「防風」も専門用語です。 自分の職業の専門用語すら正しく発音できないのでは、プロとして恥ずかしいことではないでしょうか。 私のような経営コンサルタントでは、「企業」や「起業」という言葉は会話の中で頻繁にでてきます。 ところが、「企業」と「起業」のアクセントの区別ができる人が非常に少ないのです。 プロはプロらしく、自分の専門用語くらいは正しく伝えられなければならないと思います。 (ドアノブ) 【きょうの人】 ■ 円爾 入滅 (聖一国師) えんに/しょういちこくし 建仁2年10月15日(1202年11月1日) - 弘安3年10月11日(1280年11月10日) 鎌倉時代中期の臨済宗の僧で、藤原家道に迎えられ臨済宗東福寺の開山となりました。駿河(静岡県)の出身。諡号(しごう)は聖一国師(しょういちこくし)。 法諱は初め弁円と称し、円爾は房号でしたが、後に房号の円爾を法諱としました(道号はなし)。なお、「円爾弁円」と4字で表記される場合もありますが、前述のとおり円爾には道号はなく、新旧の法諱を併記した「円爾弁円」という表記は適切ではないといわれています。 その宗風は、純一な禅でなく、禅密兼修で、臨済宗を諸宗の根本としますものの、禅のみを説くことはなく、真言・天台とまじって禅宗を広めました。 また、博多崇福寺に従し、承天寺の開山でもあります。宋から持ち帰った茶の実を植えさせ、茶の栽培も広めたことから静岡茶(本山茶)の始祖とも称されます。 なお、静岡市では、円爾の誕生日(新暦)である11月1日を「静岡市お茶の日」に制定し、茶業振興のPRに努めています。 ■■ 経営コンサルタントをめざす人の情報源 ←クリック
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■■ ■■コロンブス・デー 【今日は何の日】 10月12日 ■ 広隆寺牛祭 京都太秦にある広隆寺の牛祭りは、鞍馬の火祭、今宮神社のやすらい祭とともに、京の三大奇祭の一つといわれています。 お祭りは、神社が関与するものというのが相場ですが、広隆寺のようなお寺さんが祭に関係するのは珍しいことではないでしょうか。 仮面や飾りつけをした、まだら神が牛にまたがり、仮面をつけた四天王が松明を持って従い、境内と周辺を一巡するお祭りです。 薬師堂前で祭文を読み、これが終わると同時に堂内に飛び込みます。五穀豊穣・悪魔退散を祈願する祭です。 ■ コロンブス・デー
1492年10月12日、クリストファー・コロンブスがアメリカに到達したのを記念して、この日を「コロンブス・デー(ColumbusDay)」として祝日としているところがあります。 コロンブスが率いるスペイン船隊ですが、西周りの航海で東方見聞録にある黄金の国ジパングと胡椒の産地であるインドを目指しました。よく知られているように、コロンブスはそこがインドだった信じたまま亡くなったのです。 コロンブス・デーは、アメリカだけではなくアルゼンチンやチリなどの中南米の諸国の多くで祝日です。 1970年12月から5年間、アメリカで仕事をしてきました。ネバダ州のお客さんに電話をすることになっていたのですが、その日はコロンブス・デーで祝日ですから、先方が月曜日と火曜日を間違えているのだと思い込んで、火曜日になってから電話をしました。 そこで私が間違えていたことをハッと発見しました。ネバダ州は、コロンブス・デーは祝日ではありません。アメリカの祝日は州によって異なることが多く、ナショナル・ホリデーなのかステイト・ホリデーなのかをきちんと知っていないとこのような失敗をしてしまいます。 因みに、私がいたニューヨークは、10月の第2月曜日がコロンブス・デーの祝日でした。 ■ 【今日は何の日】その他 ◇ 阿寒まりも祭(第二金~日曜日)
◇ 本門寺御会式
◇ 横浜総持寺御征忌会
◇ 広隆寺牛祭
◇ 亀山天皇忌
◇ 芭蕉忌
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【経営コンサルタントの独り言】 早朝ウォーキングをしていますと、季節の変化を常に感じさせてくれます。 初夏に淡いピンクの花を咲かせるハナミズキが、今は赤い実を付けています。 【Wikipedia】によりますと、次のように表記されています。 ハナミズキ(花水木、学名: Cornus florida)は、 ミズキ科ミズキ属ヤマボウシ亜属の落葉高木。 別名、アメリカヤマボウシ アメリカのセコイア国立公園を訪れたときに、ベイ松の大木の間で、「私もここにいるのよ。私のことも見て頂戴!」と主張していたことを思い出します。 ハナミズキという名前の由来を調べますと、「ミズキの仲間の中でも花が目立つ」ということに由来するそうです。 英名が「dogwood」であることも、その時に知りました。 ちなみに、ハナミズキは、日本がアメリカ・ワシントンDCに桜を贈ったときに、アメリカ側から返礼として贈られた木です。 そのハナミズキの子孫が、都内にある某農業高校の校庭に植えられています。 【きょうの人】 ■ 覚心(法灯国師・心地覚心) 覚心の項参照 しんち かくしん 承元元年(1207年)- 永仁6年10月13日(1298年11月18日) 鎌倉時代の臨済宗の僧で、姓は恒氏、諱は覚心、無本と号しました。 臨済宗法燈派の本山であった由良興国寺(昔は西方寺という)を開山しています。京都宇多野に位置する臨済宗建仁寺派の妙光寺の開山でもあります。 1221年(承久3年)信州戸隠の当時まだ神社と寺院が一体であった神宮寺の忠学律師につてい読み書きを習い、1225年(嘉禄元年)に出家し、得度しています。 高野山で伝法院主覚仏や正智院道範らから真言密教を学び、この時、法燈国師は源実朝の霊を弔う為に高野山を訪れました葛山景倫(後の願性)に出会います。 しかしその年の9月に栄朝が遷化しましたので、無本覚心は、翌年の1248年(宝治2年)には甲斐の心行寺に赴きました。 兄弟弟子にあたる円爾の勧めにより入宋を志し、1249年(建長元年)に、覚儀、観明らを伴ないまして紀伊由良から九州に渡り、博多を出て入宋しました。 その後、1253年(建長5年)杭州の霊洞山護国仁王寺の無門慧開(1183-1260)に参じて、遂に臨済宗楊岐派の法を嗣ぐことができました。 1258年(正嘉2年)には、金剛三昧院の住職(第6世)となりましたが、しばらくして禅定院住持を退き、由良に戻り、ときに紀伊由良荘地頭、葛山景倫(願性)の要請によって、西方寺(後の興国寺)の開山となりました。 1281年(弘安4年)亀山上皇(1248年 - 1305年)は、円爾の示寂後、京都洛東勝林寺に招かれました。亀山上皇や後醍醐天皇より法燈禅師、法燈円明国師と諡されました。 中国からもたらしたといわれる金山寺味噌は、径山寺(きんざんじ)の味噌の製法を模したものといわれています。 時宗の開祖である一遍上人とも同時代を過ごしています。 ■■ ■■麻酔と人体実験 【今日は何の日】 10月13日 ■ サツマイモの日 小江戸として知られる埼玉県川越市の市民グループ・川越いも友の会が、「栗(九里)より(四里)うまい十三里」とサツマイモが言われるのにちなんで、制定しました。 10月というのは、さつまいもの旬であり、江戸から川越までの距離が約13里なのが、その制定の由来になっています。 川越市(かわごえし)は、埼玉県南西部に位置する人口約35万人の市です。江戸情緒だけではなく、大正時代の商業の街の風情も残る観光地でもあります。 東京からは、西武線や東上線を利用して、1時間ほどで行けるところにあります。常に多くの観光客を擁しています。 川越の【カシャリ! ひとり旅】 http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/saitama/kawagoe.htm ■ 麻酔の日
10月13日は日本麻酔科学会が制定した「麻酔の日」です。 麻酔と言えば華岡青洲を思い出す人が多いですが、1804年10月13日に世界で初めて全身麻酔による乳癌手術を青洲が成功させたのです。 その青洲も、医学関係者には名前が通っていましたが、実は、あることが契機になるまでは一般の人で青洲の名前を知っている人は少なかったと言われています。 そうです。有吉佐和子の小説「華岡青洲の妻」が1966年に発表されたことから一般の人にも青洲の名前や功績が知られるようになったのです。 青洲の母と妻の嫁姑問題として有吉が青洲の功績を小説にしています。しかし、これは小説上の話しで、実際には親戚縁者などが献身的な協力をし、人体実験を繰り返す中で生まれた青洲の功績なのです。 今日では、麻酔は専門医がいて、その人の手を経て麻酔がかけられます。全身麻酔や局部麻酔と用途により麻酔の仕方が異なります。 私もこれまでの人生で、ただ一度(除盲腸)大手術を受けたことがあります。午後1時に手術室に運ばれて、気がついたら夜の9時でした。妻の顔がぼんやりと見え始めた時には、自分がどこにいるのかすぐには思い出せませんでした。 生死の境目をさまようような手術ではないと聞かされていたのですが、“想定外”の手術になってしまったことを後から聞かされました。 ■ 【今日は何の日】その他
◇ 鎌倉光明寺お十夜
◇ 妙法寺御会式
◇ 和歌山龜山神社祭
◇ 島田帯祭
◇ 日蓮聖人忌
◇ 法灯国師(無本)寂
◇ 嵐雪忌
【きょうの人】 ■ 日蓮聖人 日蓮(にちれん、貞応元年(1222年)2月16日-弘安5年(1282年)10月13日)は、鎌倉仏教のひとつである日蓮宗(法華宗)の宗祖です。滅後に皇室から日蓮大菩薩(後光厳天皇、1358年)と立正大師(大正天皇、1922年)の諡号を追贈されています。 十二歳で出家し、各地を遊学しました。法華経の神髄を把握して、日蓮宗を開き、解いて回りました。 しかし、他宗派を強烈に批判し、排除するなど宗教家として過激な面があります。鎌倉時代執権北条時頼の逆鱗に触れ、文永8年に佐渡に凪がされます。 堂1年には許されて鎌倉に戻りますが、白布には入れられませんでした。 身延山に隠棲し、子弟の教育や著述に励み、自身滅罪の生活を送ったと言われます。代表的な著書に「立正安国論」があります。 ◇ 立正安国論 日蓮が文応元年(1260年)7月16日に北条時頼に提出した文書が立正安国論です。 日蓮は、相次ぐ災害の原因は人々が正法である法華経を信じずに浄土宗などの邪法を信じていることにあると主張しました。 対立宗派を非難し、このまま浄土宗などを放置すれば国内では内乱が起こり外国からは侵略を受けると唱えました。逆に正法である法華経を中心とすれば(「立正」)国家も国民も安泰となる(「安国」)と主張した書物です。 【経営コンサルタントの独り言】 ■ 宵越しの銭を持たねい江戸っ子はおしゃれだったのですね 江戸っ子は、宵越しの銭を持たない、気っぷの良さがしばしば話題に上ります。 江戸弁と言えば、べらんめい調で、「宵越しの銭は、持たねい」の「ねい」は、江戸弁の特徴のひとつでしょう。 当ブログで、以前にも書きましたが、「宵越しの銭」、すなわち、寝る前にすべての銭を使い切ってしまい、銭なしで宵を超し、朝を迎えると言う意味です。 ここで、間違えて欲しくないのは、江戸っ子は、無一文、すっからかんで、朝を迎えるということではないのです。 では、なぜ、「宵越しの銭を持たない」というのでしょうか。 それは、金(かね)と銭を江戸時代には使い分けていたのです。 銭というのは、小金(こがね)のことで、現代風に言いますと、コインのことを「銭」と言っていたのです。 気っ風の良い江戸情緒は、おしゃれにも相当気を遣っていたことが、杉浦日向子女史のお話からも窺えますね。 http://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/d2ffa68bcf3634f0242ba0783dba569a ■■ ■■ISOとマネジメント 【今日は何の日】 10月14日 10月14日は「世界標準の日(WorldStandardsDay)」であることは、ISO関連のコンサルティングをしている先生には既知のことでしょう。世界標準を策定した人たちに感謝するために国際標準化機構(ISO)と国際電気標準会議(IEC)が制定しました。 ISOというと9000とか14000と思っている人も多いですが、それが産業界で表に出る契機でしたが、「ISOねじ」はその前から知られています。また、写真を趣味にしている人はフィルム感度として「ISO100」などとして知っているでしょう。 ■ 川越氷川祭 10月14日は、埼玉県川越市の氷川神社で川越氷川祭が開催されます。川越は「小江戸」の一つで、江戸情緒を残す街並みは、火の見櫓に象徴されます。 サツマイモを使ったお菓子も有名ですが、年を取ってみるとその堅さが気になります。 川越の【カシャリ! ひとり旅】写真 ■ 鉄道記念日 10月14日は、鉄道記念日でもあります。埼玉では秩父鉄道が東京からもっとも近いSL体験のできるところです。残念ながら川越は通っていません。 子供の頃、伯母に連れられて買い物に行った際、鉄道模型をねだったのが60年も前の話。 ■ 【今日は何の日】その他
◇ 川越氷川祭(~15日)
◇ 増上寺十夜法要
◇ 舎利講(~15日)
◇ 川嵜寿福寺十夜法要
◇ 姫路喧嘩祭(~15日)
【経営コンサルタントの独り言】 ■ 「心で経営」という面白いことをいう経営コンサルタント 「心で経営」は、日本経営士協会理事長の藤原久子先生のお言葉です。 先生は、経営というのは心で行うべきものであるというご信条でいらっしゃいます。 論語は、毎日通勤時には音声で繰り返しお聴きになるそうです。 最近は、菜根譚をもとに経営者のあるべき姿をやさしく、しかし鋭く説いていらっしゃいます。 近年は、マスコミにも採り上げられていますので、ご存知の方も多いと思いますが、略歴をご紹介しておきます。 北海道札幌市出身、20年間の専業主婦を経て、会計事務所に約4年半勤務。その後平成元年7月に財務の記帳代行業務並びに経理事務員の人材派遣業の会社を設立し、代表取締役として現在に至る。従業員満足・顧客満足・地域貢献企業を目指し、企業の永続的発展を願う。 平成22年には横浜型地域貢献企業の最上位を受賞、続いてグッドライフバランスの受賞により、新聞、雑誌の掲載をはじめ、ラジオやWebTV(日本の社長100・神奈川県社長t v)に出演したりして、各種メディアで紹介されている。 ←クリック 当ブログでは、先生の寄稿を掲載していますので、ぜひご覧ください。 http://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/f0cacbf3c93f412ff55c8300ee15896c 【きょうの人】
■ 幡随意上人 ばんずいい 天文11年10月15日(1542年11月21日)- 慶長20年1月5日(1615年2月2日)) 戦国時代から江戸時代初期にかけての浄土宗の学僧で、紀伊(相模国という説もあり)の出身です。号は「白道演蓮社智誉(向阿)」 9歳の頃から出家の志があり、11歳の歳には玉縄二伝寺(藤沢市所在)で出家し、幡随意と号しました。 その後、鎌倉の光明寺で浄土教学を修め、武蔵国川越の蓮馨寺(れんけいじ)の存貞にも学びました。 慶長6年(1601年)、徳川家康の命により江戸で浄土宗法論の奉行役を務め、翌・慶長7年(1602年)に京都百万遍知恩寺の33世住持となります。 慶長8年1603年には、ふたたび家康によって招聘され、江戸神田駿河台に新知恩寺(のちの関東十八檀林の一つ幡随院)を開創しました。後に上州館林に善導寺を開き、中興開山となりました。 慶長18年(1613年)徳川家康の命により九州に下り、キリシタンの改宗に力を尽くしました。和歌山の万性寺を開創後、慶長20年に入寂、74歳でした。(【Wikipedia】を基に作成) ■■ ■■理科の実験と石鹸 【今日は何の日】 10月15日 ■ 世界手洗いの日 10月15日は、「世界手洗いの日(GlobalHandwashingDay)」です。 「手洗い」というと「な~んだ」という程あたり前になっています。しかし、地球上には、水がなかったり、石鹸が十分でなかったりという国がたくさんあります。石鹸で洗うことにより、多くの病気を予防することができることがわかっていながらそれが実施できないでいるのです。 UNICEFや世界銀行などが主導して「石鹸を使った手洗いのための官民パートナーシップ」が2008(平成20)年を起点に実施されるようになりました。 これより10年以上前の話です。今日「モンゴル」というと、横綱白鵬を始め、多数の力士が活躍しています。モンゴル相撲というレスリングと日本の相撲の昼間のような国技があります。そこで鍛えられた彼らは、日本でも活躍できるのです。 そのモンゴルが今日ほど我々日本人の身近になる前のことです。小さくなった石鹸をモンゴルに送ろうという運動がありました。当時のモンゴルでは充分に石鹸がなく、小さくなった石鹸を核にして固形石鹸を作るのです。 石鹸は、原料を型にはめて、固めて商品となります。それには資金が必要となります。ところが、苛性ソーダなどの液体に、小さくなった石鹸をつけておくと、それが核となり石鹸が大きくなります。この方法は、私が小学生の頃理科の授業で実体験したことがあります。 すなわち、モンゴルに小さくなってしまった石鹸を送ることにより、大きな設備なしで石鹸を作り、国民に安価に提供しようという運動だったのです。 因みにWikipediaによると、石鹸の製法は「油脂鹸化法と脂肪酸中和法、エステルけん化法」の3つの方法があるそうです。また「純石鹸」と呼ぶ場合は、脂肪酸ナトリウムや脂肪酸カリウムだけで、添加物を含まない石鹸を指すのだそうです。 ■ 大谷本廟龍谷会 毎年、10月15~16日に開催される法要です。 お念仏のみ教えをおひろめました、宗祖親鸞聖人の遺徳を偲ぶとともに、この有縁の方々のために、その恩に報謝されて行われます。 親鸞聖人の往生10年後の1272(文永9)年の冬、親鸞聖人の末娘である覚信尼公が諸国の門弟の協力を得て、遺骨を吉水の北辺に改葬し、六角の廟堂を建て、影像を安置きました。 この廟堂は「大谷影堂」とも呼ばれ、後に「大谷本願寺」となり、第8代蓮如上人時代の「寛正の法難」(1465年)により破却されるまで、およそ200年間、諸国の門弟や同行によって護持されてきました。 以後、第12代准如上人時代の1603(慶長8)年、現在地に移転し、この地を「大谷」と呼ぶようになり、今日まで多くの門信徒の方々により護持されています。 ■ 【今日は何の日】その他
◇ 杉並眞盛寺十夜仏名会
◇ 善光寺お会式
◇ 大谷本廟龍谷会
◇ 天理石上神社例祭
◇ 新宮熊野速玉大社祭
【今日の人】 ■ 良源(元三大師) りょうげん 延喜12年9月3日(912年10月15日) - 永観3年1月3日(985年1月26日) 平安時代の天台宗の僧で、近江に生まれ、諡号は「慈恵(じえ)」、一般には通称の「元三大師(がんざんだいし)」の名で知られています。 12歳で、比叡山の登り、理仙、相応に師事しまし、康保3年に、第18代天台座主(天台宗の最高の位)であり、比叡山延暦寺の中興の祖として知られています。 比叡山の横川(よかわ)には、元三大師堂がありますが、東西両塔と鼎立させる盛況を呈しています。 比叡山の写真 http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/kyoto/kyoto_hieizan.htm また、中世以降は民間において「厄除け大師」など独特の信仰を集めています。 良源というより元三大師と呼ばれるほど、比叡山での功績が認められているいます。 良源と対比できることではありませんが、私事で恐縮ですが、「コンサルタントのためのコンサルタント」と呼ばれます。何ごとも、石の上に三年で、見る人は、それなりに評価をしてくれるものですね ■ 新渡戸稲造 にとべ いなぞう 1862年9月1日(文久2年8月8日)- 1933年(昭和8年)10月15日) 日本の教育者・思想家で、農業経済学・農学の研究も行い、国際連盟事務次長も務めるほどの国際通の文化人でもありました。五千円札の肖像でもおなじみです。 幼名・稲之助は、新渡戸家で巡行中に休息していた明治天皇から「父祖伝来の生業を継ぎ農業に勤しむべし」という主旨の言葉をかけられたことが契機となり、農学を志すようになり、札幌農学校の二期生として入学しました。 当時はクラーク博士は帰国後でしたが、クラークの意志をたたき込まれました。それが契機で、ジョンズ・ホプキンス大学に留学、農業に経済学的な発想の必要性を痛感し、後に札幌農学校で教鞭を執ることに繋がります。 農学校時代の愛弟子である森本厚吉が創立した東京女子経済専門学校(後の新渡戸文化短期大学)の初代校長にまた、東京女子大学初代学長をつとめるなど、教育界でも功績があります。 【経営コンサルタントの独り言】 一口情報 ■ 手洗いにもちょっと一手間をかけると健康を維持できます 汚れた手は、汚れが目に見えますので、それが落ちるまでは石鹸を用いて丁寧に洗うでしょう。 一方、細菌等の除去には、薬用石鹸を用いる人が多いと思います。 近年は、液体石鹸で、中には界面活性剤が効果的な、泡が出てくるタイプが増えています。 薬用石鹸ですので、細菌を殺す効果はありますが、すべてを瞬時に殺菌できるわけではありません。 そのために流水で、少々時間をかけて洗い流すと効果的だそうです。 最低30秒は流水で、石鹸分がなくなっても手を擦りながら洗うと細菌が流れて行きます。 手を洗うときには、手のひらや甲だけではなく、手首の上5cm位までは洗う必要があります。 指の付け根や爪の間などには、汚れや細菌がありますので、その部分もキチンと洗いましょう。 それでも細菌を完全に除去することは難しいので、手洗い後、アルコールで除菌をする人が多くなってきました。 健康は、ちょっとした一手間で保つことができることが解りますね。 (ドアノブ) ■■ ■■世界食糧デー 【今日は何の日】 10月16日
■ 世界食糧デー(World Food Day)
10月16日は、世界食料デーです。終戦の年である1945年のこの日に、国際連合食糧農業機関が設立され、それを記念して、この日に決まったそうです。 日本は先進国中もっとも食料受給率が低い国と言われていながら、その具体的な対策を政府が打つわけでもなく、国民も食べ物を粗末にしています。 一方で、食糧不足で栄養失調や飢餓に苦しんでいる人々もたくさんいます。 せめて、今日くらいは食べ物について感謝をしたいと思いながら起床しました。 ■ 十六団子 10月16日には、田の神様がそろそろ冬になるといって山に戻るのを送るために上新粉(米粉)で作った団子を16個お供えします。 3月16日には、田の神様が春になったといって山から下りてきます。神様を迎えるために上新粉(米粉)で作った団子を16個お供えします。もちろん、家族も同じものを食べます。 地方によっては11月16日にも、逆に山の方に戻ってゆく田の神様を送るために、やはり十六団子が用意されます。 もともとは小正月に行われる行事が、他の神様と繋がりの深い地方で十六団子となって来たようです。 私が時々福島を訪れるときに通過する三春町では、この伝統がいまでも続いているとのことです。残念ながら、その日にお伺いしたことはありません。 ■ 【今日は何の日】その他
◇ 高野山明神秋季祭典
◇ 鬼子母神万灯練供
◇ 愛媛新居浜太鼓祭
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【経営コンサルタントの独り言】 ■ 子供の頃のアルバイト 私も子供の頃「自分の学費は自分で稼ぐ」などと偉そうなことを言って毎朝配達に出ました。 私の場合には、新聞ではなく乳酸飲料でしたが、冬の寒い日、雨の日は厳しかったです。 最もつらいのは、雪の朝、新設では自転車のタイヤに雪が付き、乗ることはもちろんできず、小学二年生の私には転がすのが大変でした。 凍結すると自転車に乗ることはできても転倒してしまいます。 今のようにプラスチックの容器ではないので、転倒すると大半が割れてしまいます。 シャーベット状になったところでは、下着までぐっしょりと濡れてしまいました。 それでも風邪を引いたことはほとんどなかったことを覚えています。
(ドアノブ) ■■■■新嘗祭 【【今日は何の日】】 10月17日 ■ 神嘗祭
10月17日は、神嘗祭で、皇室の大祭の一つで、かつては祝日でした。五穀豊穣に対する感謝の念を込め、新米等を奉る儀式です。もともとは旧暦の9月に実施されていたのが収穫に真名あわないことから太陽暦のこの日に変更されました。 労働の対価であるお米=お金を大切にするということから貯蓄の日として1952年に制定されました。 かつては世界に誇る日本の貯蓄率ですが、1970年代前半には25%近くあったモノが今日では5%にも及ばないと聞いています。日本人の個人投資先の多様化の流れもあるでしょうが、長期の収入源から貯蓄の取り崩しをやむなくされていることが響いているのかもしれませんね。 1億総中産階級と言われた時代は、死語になりつつあるのでしょうか。誰もが最低限の一家団欒ができるようにありたいですね。 ■ 貯蓄の日 10月17日は「貯蓄の日」の日です。 日本銀行貯蓄増強中央委員会(現在の金融広報中央委員会)が「勤労の収穫であるお金を大切にする」として、1952(昭和27)年に発足時に制定し、神嘗祭に因んで翌年から実施しました。 1925年に、イタリアのミラノで国際貯蓄銀行協会加盟国が集まり、勤倹貯蓄会議が開催されました。地元のロンバルディ貯蓄銀行の提唱により、会議最終日の10月31日を「勤倹貯畜の日」と定めました。 日本がこの協会に加盟したのは、1952年(昭和27年)です。日本の「貯蓄の日」は、日本独自の記念日です。 Wikipediaによると新嘗祭は下記のように説明されています。 新嘗祭(にいなめさい、にいなめのまつり、しんじょうさい)は宮中祭祀のひとつ。収穫祭にあたるもので、11月23日に、天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に勧め、また、自らもこれを食して、その年の収穫に感謝する。宮中三殿の近くにある神嘉殿にて執り行われる。
「金融広報中央委員会」は、日銀内にあり、「知るぽると」というサイトを運営しています。同サイトは「くらしに役立つ身近な金融情報、お金に関する知識の情報サイト。知るぽるとの“ぽると”とは“港”、“入り口”です」と表題しています。
■ 【今日は何の日】その他
◇ 貯蓄の日
◇ 日光東照宮秋祭
【経営コンサルタントの独り言】 ■ 費用対効果でコンサルティングを活かす 経営コンサルタントという職業を、胡散臭く思う人が結構いらっしゃいます。 TVドラマの影響もありそうです。 ドラマに出て来るコンサルタントというのは、悪者の仲間であったり、入れ知恵をしたり、自分がコンサルタントという立場を利用して悪いことをしたりするというストーリーが多いですね。 一方、温泉旅館とかホテルをコンサルティングするシリーズドラマがあったり、コンサルタントが脇役で活躍したりするドラマもあります。 前者の旅館やホテルのドラマで、あるシリーズ作が始まる前に、私のところに、そのようなコンサルタントを何と呼ぶのでしょうか、という相談がありました。 コンサルタントを利用するには、高額なお金がかかるという誤解も結構蔓延しています。 確かに、やすくはないですが、投資対効果を考えれば、ホンモノのコンサルタントならキチンと結果を出してくれるでしょう。 また、契約のしかたで、費用を低く抑えることもできます。 そのようなお話をブログで書いています。 http://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/6c4eac81184f42e44a668e360d90f92a ■■【今日は何の日(日記)】10月18日
■ 新聞配達の日・新聞少年の日(10月第三日曜日) 毎年10月第三日曜日は、「新聞配達の日・新聞少年の日」だそうです。 新聞も電子版で読み時代になりましたが、やはり紙媒体もまだまだ捨てきれません。 制作した日本新聞協会のポスターにあるキャッチコピーは「人が届けて、人が読む」です。 新聞配達が最も広く行われているのは、日本と言っても過言ではないようです。私がアメリカに住んでいた頃は、住宅地でしたので新聞の宅配サービスがありました。会社の方には、WALLSTREETJOURNAL紙などメイジャーな新聞は配達をしてもらいました。ところが、費用が非情に高く、個人用のその他の新聞は近所のお店に買いに行きました。 街の中にはニュースペーパースタンドがあり、新聞や雑誌、ちょっとしたキャンデーやスナックを売っています。どの新聞も広告が一杯で日本の新聞の何倍ものページ数で、思いので配達は大変でしょう。折り込み広告は非常に希なことでした。 しかし、このような新聞宅配は、日本が例外的で、一歩郊外に入ると配達はなく、田舎に行くと郵便で配達してもらっていることが一般的であったようです。 新聞少年というと、作詞:八反ふじを、作曲:島津伸男、唄:山田太郎の新聞少年という歌を年配の人は思い出すでしょう。 ぼくのアダナを 知ってるかい 朝刊太郎と いうんだぜ 新聞くばって もう三月 雨や嵐にゃ 慣れたけど やっぱり夜明けは 眠たいなァ http://www5e.biglobe.ne.jp/~anjyu/new_page_399.htm ■ 統計の日 世界各国で独自の日に記念されている、統計の国際的な記念日です。 日本では、1973年(昭和48年)7月3日の閣議了解によって10月18日に制定されました。 明治3年9月24日(グレゴリオ暦1870年10月18日)に、日本で初めての近代的生産統計であります、府県物産表に関する太政官布告が公布されたことが由来となっています。 国民の統計の重要性に対する関心と理解を深め、統計調査への一層の協力を得ることを目的としています。 総務省統計局で毎年統計の日の周知と統計に関する関心を高めることを目的としてポスターを作成していて、使用する標語については、1990年(平成2年)から関係省庁及び地方公共団体等から募集しています。 総務省や地方公共団体の統計担当部署では、この日前後に全国統計大会等の統計の啓発普及を目的とした各種行事を行っています。 統計数値は、味方、創り方によって結果が異なることがあります。恣意的に、味方を誘導するような使い方は、慎んで欲しいですね。 ■ ドライバーの日 10月18日は物流産業新聞社が制定した「ドライバーの日」です。「ド(10)ライ(1)バー(8)」の語呂合せにより日が決まりました。 トラックやバスなどを始め“プロ”のドライバーに対して感謝する日です。それとともに、制定目的としてはプロドライバーの地位向上を目指すことも含まれています。 むしろ、後者の目的であるプロドライバーの地位向上がメインとなるべきではないでしょうか。 ロンドンへ行かれた方はご存知と思いますが、タクシー・ドライバーの資格取得をするには厳しい試験を通らなければなりません。マナーだけではなく、地理や名所旧跡の知識などを広く求められます。 今日、タクシーにもカーナビ利用が一般化してきているので、場所を知っているというベテラン・ドライバーでなくても目的地に直行できるようになりました。 三十年も前の話になりますが、初めて香港に出張したときのことです。目的地を記したメモをドライバーに見せて連れて行ってもらうことになりました。30分も走った頃、おかしくないのかと思っていると中国との国境近くまで来てしまいました。 ドライバーは、勘違いをしていたのか、自分が間違えていることに気がつき、私のメモを再確認してから、元来た道を戻り始めました。たどり着いたところは、私がタクシーに乗った場所から2キロほどのところでした。 体躯の大きなドライバーでしたので、少々怖かったのですが、「これはあなたのミスですから全額を払うことはできません」と言ったところ素直に自分の非を認め、基本料金だけを請求されました。私は金額の50%位に相当する額を支払ったところ多いに感謝されました。 プロというとプライドを持ち、自分の非を認めて、謝罪をすることがなかなかできないのですが、彼のように素直な態度でいられるとこちらも気分が良くなります。Win・Winの関係が成り立ったのです。 ■ 【今日は何の日】その他
◇ 統計の日
◇ 東京靖国神社秋祭
◇ 東京浅草観音菊供養
◇ 法華寺御会式
【経営コンサルタントの独り言】 ■ 都心のオアシスと新幹線理論 東京に住んでいる人にとっては、あまり気がつかないかもしれませんが、大阪など、東京以外にお住みの方から見ますと、東京は公園が処々にあり、緑が多いそうです。 このように、平素の環境に慣れ親しんでいますと、それが当たり前のように見えてしまう状況を「新幹線理論」といいます。 経営コンサルタントという仕事柄、いろいろな企業さんを訪れます。 例えば伝票や書類の流れを見て、「なぜ、この書類は、この部署を経由して、次の部署に廻るのですか?」と尋ねると、キチンとした答が返ってこないことが多いです。 「昔から、このようなルートで書類を回すことになっています」という答が意外と多いのです。 経営コンサルタントの視点から見ますと、それがムダなルートであったり、書類が回るとミス防止に繋がるにもかかわらず、ルートから漏れている部署があったりすることが多々あります。 新幹線理論にありますように、それが日常になってしまっていて、その問題点に気がつかないのです。 当ブログ愛読者のお一人でありますS先生は、ご自身の講演や会話の中で「新幹線理論」という言葉を使っています。 そのような読者のおかげで、あまり馴染みのないような経営理論や用語が、結構多くの人に使われるようになってきました。 首都圏にお住みの方は、千鳥ヶ淵はおなじみで、桜の季節意外には、新幹線理論にありますように、空気のような存在で、その脇の靖国通りを走ってもあまり意識をしないでしょう。 しかし、視点を変えますと、今まで気がつかなかった発見があります。 案内板には、千鳥ヶ淵の名前の由来やその近辺の歴史なども書かれています。 新幹線理論で見落とされている風景や造形物などを写真で紹介しています。 (ドアノブ) ■■ しりとく経営情報 ←クリック
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【きょうの人】 ■ 了誉上人 りょうよ 興国2年/暦応4年10月15日(1341年11月24日-応永27年9月27日(1420年11月3日) 号は「酉蓮社了誉(ゆうれんじゃりょうよ)」である「聖冏(しょうげい)」は、南北朝時代から室町時代中期にかけての僧で、浄土宗(鎮西義)第7祖です。 常陸国・椎尾氏の出身で同国瓜連常福寺の了実について出家しまし、太田法然寺の蓮勝に師事しました。浄土教を中心に天台・密教・禅・倶舎・唯識など広く仏教を修めてもいます。 宗徒養成のために伝法の儀式を整備し、五重相伝の法を定め、神道・儒学・和歌にも精通し『古今集序註』『麗気記拾遺抄』を著しています。 門弟に聖聡・了知などがおり、第8祖となった聖聡とともに、浄土宗鎮西義を教学面から興隆した人物として評価されています。 江戸小石川に伝通院を、無量山寿経寺という名で開創したことでも知られています。 慶長7年(1602)8月29日、徳川家康公の生母「於大の方」が75才、伏見城で逝去し、その法名を「傳通院殿蓉誉光岳智香大禅定尼」と号しました。この寿経寺を菩提寺としたことから「傳通院」と呼ばれるようになりました。 家光の次男亀松君が葬られ、以来徳川幕府の外護を賜り、千姫の墓標もここにあります。 ■■ ■■TOEICは日本発 【今日は何の日】 10月19日 ■ トーイックの日 10月19日は「トー(10)イッ(1)ク(9)」の語呂からわかるように「TOEIC(トーイック)の日」です。日本で実施する国際ビジネスコミュニケーション協会が制定しました。 TOEIC(TestofEnglishforInternationalCommunication)は、世界共通の英語コミュニケーション能力検定のことで、今日ではグローバル化を背景に知らないビジネスパーソンは少なくなってきました。 ところが、その成立というと知らない人が多いのです。 1979年に、当時の通産省と日本経済団体連合会が提唱して始まったのです。今日では、韓国を始め多くの国で実施するようになり、2010年度は120ヶ国で実施されまた約600万人が受験しています。日本でも年間100万人を超える人が受験しています。 Wikipediaでは、下記のように試験概要説明があります。 試験は、聞き取り(Listening)が100問と読解(Reading)が100問の計200問の構成となっている。設問は、身近な事柄からビジネスに関連する事柄まで、幅広くコミュニケーションを行う能力を測る目的で作られている[2]。試験問題は各国共通である。素点による絶対評価ではなく、Equatingと呼ばれる方式を用いて統計的に算出される。これにより、各回で問題の難易度に多少の差があっても、受験者の英語運用能力が同等であればスコアに大幅な変化は生じないとされている。 今日では、受験や入社試験の一環として利用されるまでになって来ています。私の身の回りにも900点を超える人がいますが、その人は英語だけではなく、知的レベルも高いことが話しているだけでも感じ取れます。語学だけの片端では、ビジネスの世界には通用しないことが多いですね。 ■ べったら市 10月19日は、日本橋べったら市が開かれます。べったらとは、塩と麹に生大根を漬けた浅漬けで、甘みもあり、ぱりぱりとした歯ごたえは何とも言えず、ご飯が進みます。東京を代表する食べ物の一つと言えます。 日本橋の宝田恵比寿神社(東京都中央区日本橋本町)は、べったら漬発祥の地といわれていて、日本橋七福神の1つです。 ■ 【今日は何の日】その他
◇ 京都建勲神社舟岡祭
【経営コンサルタントの独り言】 ■ 千鳥ヶ淵は江戸城の内堀 大阪在住のあるベテランの経営コンサルタントが、「東京は緑が多い」と言っていました。 東京に住んでいますとそれほど感じませんでしたが、確かに東京には処々に公園もあり、緑が多いですね。 そのような東京のぶらり散歩の一環として、千鳥ヶ淵をご紹介します。 千鳥ヶ淵は、慶長11年(1606)、江戸幕府が開かれたときに築かれた、江戸城の内堀です。 構築当時は、現在分断されている半蔵門土橋まで広がっていて、堀の形状が千鳥に似ていたことからその名が付けられました。 昭和38年(1963)には、旧江戸城の一部として、特別史跡「江戸城跡」と指定されました。 大阪の人が、大阪城を誇りに思うほど、現代の江戸城は親しまれてはいないかもしれません。 それはそのはず、天守閣がなく、荒城の月を連想させるほどではないですが、短主格が乗る天守台しかありません。 一方、江戸城跡も、皇居という視点では、国民の皆さんの注目を浴びるところです。 春の千鳥ヶ淵は、桜で、散歩道が満員電車ほどではないですが、混み合います。 昼から「夜店」がでて、焼きトウモロコシやイカ焼きの薫りに誘われます。 夏は、ボート場として賑わい、秋は紅葉が綺麗です。 冬は、桜の葉も落ち、周囲に立つ銅像が見えやすくなったりして、それまでとは異なった趣を醸し出しています。 そのような千鳥ヶ淵を紹介できれば良いのですが、今回は、春の千鳥ヶ淵です。 首都圏にお住みの方でも知らない面が見つかるかもしれません。 http://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/aee2a59db3d1ee2da9e9e07d94b2f739 【きょうの人】 ■ 高峰顕日 こうほう けんにち 仁治2年(1241年)- 正和5年10月20日(1316年11月5日) 鎌倉時代後期の臨済宗の僧で、後嵯峨天皇の第二皇子です。諱は顕日、字は高峰、密道と号しました。諡号は、仏国禅師・仏国応供広済国師といいます。 1256年(康元元年)に、円爾に従って出家し、十六歳の時に聖一国師につき得度しました。その後、兀庵普寧や弘安二年には、無学祖元に世良田長楽寺にて師事しました。 下野国那須の雲巌寺の開山にもなっています。 南浦紹明とともに天下の二甘露門と称されました。 鎌倉幕府執権北条貞時・高時父子の帰依を受け、鎌倉万寿寺・浄妙寺・浄智寺・建長寺の住持を歴任しています。門下には、夢窓疎石などの俊才を輩出し、関東における禅林の主流を形成しました。 七十二歳で遷化しています。 仕事上手は、話し上手。話のネタがゴロゴロ
■ 秋土用入
土用というとウナギを連想する人が多いと思いますが、それは夏土用と言われます。立冬前の18日間を「秋土用」といい、その初日が「秋土用入」です。
【Wikipedia】
■ リサイクルの日
10月20日は「リサイクルの日」です。「ひとまわり(10)、ふたまわり(20)」という語呂合せで、日本リサイクルネットワーク会議が1990(平成2)年に制定しました。 こんにちでは、この記念日が、通商産業省(現在の経済産業省)ほか8省庁が旗振り役として毎年10月を「リサイクル推進月間」としました。「3R」でおなじみの「リデュース(省資源)、リユース(再利用)、「リサイクル(再資源化)」を推進する月間となっています。 ブログの「杉浦日向子の江戸塾」では、江戸時代の人達の生活を中心に紹介しています。江戸っ子は、まさに3Rを実践していることがわかります。(詳細はブログを参照してください。 ) リサイクルと言えば、新しいパソコンを購入したときに、あなたはどのように古いパソコンを処理していますか?まさか、街中を巡回してくる中古品回収業者に引き取ってもらっていませんか? オー、ノー あなたの個人情報が、何処で、どのように悪用されるかわかりませんよ。 では、どのようのしパソコン処分をしたら良いのでしょうか。詳細は、下記URLにて見てください。 パソコンの正しい処分法 ←クリック
http://www.glomaconj.com/joho/it_pc/pc_shobun.htm
■ えびす講(えびすこう)
えびす講は、商売繁盛の神様であるえびす様を祀る行事で、10月20日に行う地域と11月20日に行う地域があるようです。
10月は、「神無月」で、神様は皆、出雲へ言ってしまいます。しかし、えびす神は留守番役で残っているのでお祀りをするのだと、子供の頃祖母から教えられました。 経営士・コンサルタントが、神頼みで仕事をするようでは困りますが、時には何かに祈りたい気持ちになることもあります。 神様が暇な時代が来ると、よいですね。 ■ 【今日は何の日】その他
◇ 皇后誕生日
◇ 釜石曳舟祭
◇ 佛國国師(下野雲厳寺開山)毎歳忌
◇ 峨山忌
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【経営コンサルタントの独り言】 ■ 経営の極意を「経営トップ15訓」としてまとめてみました 経営コンサルタント歴25年を経過した時点で、(特)日本経営士協会の理事長を拝命することになりました。 その際に、自分自身を戒める意味で「理事長十戒」を作り、それを日々座右におきながら仕事をしてきました。 いわゆる座右の銘というモノです。 私の経営に対する考え方の基本は「当たり前のことが当たり前にできる」「温かい管理ができる」等々です。 そして、この40年余、その様な企業作りのお手伝いをしています。 理事長歴も長くなり、そろそろ後任の選定やその人への傾斜引き継ぎを考える時期となり、何を残すかを考えました。 この十戒に加筆をして、企業や組織のトップ・管理職の方々に向けて焼き直したものを「トップ15訓」としてまとめてみました。 経営トップの皆さんだけではなく、日本経営士協会にも必要なことなので「社員」という言葉と共に「会員」という言葉も使っています。 http://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/8d2ea8734d2ac592fe2d2ee7a9c6f3b7 【きょうの人】 ■ 夢窓疎石(夢窓国師) むそう そせき 道号が夢窓、法諱が疎石 建治元年(1275年)- 観応2年/正平6年9月30日(1351年10月20日)享年76 鎌倉時代末から南北朝時代・室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧です。 伊勢国(三重県)出身で、幼少時に出家し、甲斐国(山梨県)に移住、1283年に甲斐市河荘内の天台宗寺院平塩寺(現在は廃寺)に入門しました。空阿に師事し、真言宗や天台宗などを学びました。 1292年に奈良の東大寺で受戒し、京都建仁寺の無隠円範に禅宗を学びました。その後、鎌倉へ赴き、円覚寺や建長寺等で禅宗を学び、1305年には浄智寺で印可を受けました。 正中2年(1325年)に、建武の新政を開始した後醍醐天皇の要望により南禅寺の住持となりました。1335年に後醍醐天皇から「夢窓国師」の国師号を授けられました。 生前に夢窓国師・正覚国師・心宗国師、死後に普済国師・玄猷国師・仏統国師・大円国師と7度にわたり国師号を歴代天皇から賜与され、七朝帝師とも称されます。 世界遺産に登録されている京都の西芳寺(苔寺)および天龍寺のほか、瑞泉寺などの庭園の設計でも知られています。その作風は、自然の眺望・景観を活かしつつ、石組などによって境地を重んじる禅の本質を表現しようとしたものといわれています。
■■ ■■起業家エジソンと日本の竹【今日は何の日】 10月21日 ■ 唐招提寺釈迦念仏会
10月21日~23日に釈迦念仏会が奈良・唐招提寺で行われます。 http://www.toshodaiji.jp/ 鎌倉期に、貞慶(解脱上人)が始めた800年来の伝統行事です。 早朝(午前4時)・昼(午後2時)・夜(午後6時)と、1日に三度の法要が礼堂で営まれます。 特に21・22日の昼の法要後には、国宝の金亀舎利塔を間近に拝観することができるそうです。 ■ 明かりの日
1879年10月21日に、アメリカ人トーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison、1847~1931)が、京都で採れた竹を使って白熱電球を完成さました。それを記念して、日本電気協会や日本電球工業会等が1981(昭和56)年に「明かりの日」を制定しました。
エジソンは「発明王」として知られ、生涯に1,300もの発明を行ったと言われています。私が子供の頃の伝記本の中でも最も読まれていた本ではないでしょうか。
蓄音機や映画の撮影機を発明したことでも知られています。実際には、撮影機は彼の発明ではなく、部下の発明であったことは遍く知られています。
【経営コンサルタントの独り言】 ■ 天才発明王への憧れ エジソンは、私の子供の頃憧れた人の一人です。担任の先生がエジソンの電球の発明の苦労話をしてくれました。そのときに、「日本の竹を使った」という件があったことがエジソンに憧れた契機と言えそうです。 私の子供の頃の電気製品と言ったら電球が最も身近なものでしたので、その発明者と言えばあこがれの的となってもふしぎはありません。 もちろん蛍光灯はまだない時代でした。今日では、法律でも白熱電球の生産を制限し、日本で最初に電球を商品化した東芝ですらその生産を止め、LED電球にシフトしてしまうほど白熱電球の存在感は薄れてしまいました。
ニューヨーク市の西側にはハドソン川が流れています。すなわちマンハッタンの西はニュージャージー州ですが、そこにメンロパークというところがあります。 エジソンはそこに研究室を設立し、優秀な人材を集めて知的集団というか、発明集団を作りました。彼の才能を活かして次々と発明を続けたのです。 世界最大の電気総合企業であるGE(ゼネラル・エレクトリック社)の社長になったこともありますが、むしろ起業家という位置づけで見た方が良いと考えます。
■ 【今日は何の日】その他
◇ 国際反戦デー
◇ 宇都宮二荒山神社例祭
【きょうの人】 ■ 江戸川 乱歩 えどがわ らんぽ、旧字体:江戶川 亂步 1894年(明治27年)10月21日 - 1965年(昭和40年)7月28日) 大正から昭和期にかけて主に推理小説を得意とした小説家・推理作家です。 戦後は推理小説専門の評論家としても知られています。実際に探偵として、岩井三郎探偵事務所に勤務していたという経歴を持っています。 本名は平井 太郎(ひらい たろう)で、日本推理作家協会初代理事長を務め、位階は正五位、勲等は勲三等です。 ペンネーム(江戸川乱歩)は小説家の、エドガー・アラン・ポーに由来するということは、推理小説にご興味のある方であれば、想像がつくでしょう。 三重県名賀郡名張町(現・名張市)で、名賀郡役所書記の平井繁男・きくの長男として生まれました。平井家は武士の家柄で、乱歩の祖父の代まで藤堂家の藩士として勤め上げました。 1917年(大正6年)11月、鳥羽造船所電機部に就職し、庶務課に配属されました。技師長に気に入られ、社内誌「日和(にちわ)」の編集や子供へおとぎ話を読み聞かせる会を開くなど地域交流の仕事に従事しました。 1923年(大正12年)、『新青年』とう雑誌で、『二銭銅貨』でデビューしました。欧米の探偵小説に強い影響を受け、本格探偵小説を志し、黎明期の日本探偵小説界に大きな足跡を残したのです。 江戸川乱歩の小説は色々な形で出版され、光文社文庫の「江戸川乱歩全集」(全30巻)、創元推理文庫(全20巻)をはじめいろいろな形で出版されました。 助手の小林少年が登場する名探偵・明智小五郎シリーズは、コナン君にも通ずるものがあり、少年達の心をわしづかみにしました。 ■ 京都平安神宮時代祭
10月22日は、時代祭(じだいまつり)が始まると、ラジオ深夜便で聞きました。京都三大祭りの一つと言われています。
平安神宮をバックに、華麗な風俗絵巻を見るがごとしといわれますが、テレビを通してではなく、直接見て頂きたいですね。
平安神宮も何度も行っていますが、大学卒業を前にして訪れたときのことが最も印象的です。ドライブ好きの私が西日本一周旅行の時に、京都で雪に遭いました。チェーンを付けないと雪で走れないかと懸念しましたが、予想より積雪が少なく無事平安神宮につきました。 中庭を無料開放しているので、中に入ったところ、朝早いことと、雪の朝と言うこともあり、誰一人として見学をする人はいません。朱の拝殿が雪に覆われているのも見事でしたが、通称橋殿と言われる泰平閣の墨絵のような様は、言下に尽くせぬものでした。
もとは京都御所あったいうだけに、さすが雅な建物ですね。
時代祭 http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/kyoto/kyoto_jidaimatsuri.htm ■ 平安遷都の日
794(延暦13)年11月8日に、桓武天皇が都を長岡京から山背国に遷都をし、「平安京」と命名しました。平安遷都1100年を記念して1895(明治28)年に神宮創建を祝って催されたのが時代祭です。時代祭は、京都の人だけではなく、日本全国広く知られているように、京都市の平安神宮の祭りで、その行列は当時を忍ばせるものです。葵祭や祇園祭とともに京都三大祭りに数えられます。
その行列については、Wikipediaでは下記のように説明されています。
行列は8つの時代、20の列でそれぞれに時代を再現した衣装や道具を身につけた人々で行われ、最初は明治維新、ついで江戸、安土桃山、室町、吉野、鎌倉、藤原、延暦と時代を遡って続く。参加人数は約2000人、長さは2kmに及び約3時間の行程となる。先頭の名誉奉行は京都府知事、京都市長らが務める。また時代行列の後には祭り本来の主役である神幸列などが続く。 今日、遷都論は下火になったものの、東日本大震災から東京一極集中が見直されたり、「大阪都」構想が打ち出されたりと、今までとは違った動きが出てきました。 遷都と言うことでは、若かりし頃である1956年に当時のブラジル大統領がブラジリア遷都を発表しました。日本人によ都市設計がなされ、整然とした都市が中部の標高約1,100mの高原地帯に出現しました。 新首都建設により、ブラジルの奥深い内陸部の開発が進みましたが、一方で、建設費が莫大で国家財政が窮し、1970~1980年代に高インフレから経済不振を引き起こしたりもしました。 過去の事例もあり、また時代の変化からそれらに固執することのない発想で、分都やバックアップ態勢を整えていく必要がルように考えます。 ■ 【今日は何の日】その他
◇ 鞍馬寺火祭
◇ 平安神宮時代祭(~23日)
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【経営コンサルタントの独り言】
■ 霜や霜柱 私が子供の頃は、東京の郊外に住んでいたので、朝の冷え込みは都心とは比べて結構厳しく、朝は屋根が霜で真っ白、畑は霜柱が数センチも立っていました。 顔を洗うのにも、井戸が凍り付いて水が出ません。そのために前日にやかんに水を入れておき、それを湧かし程度の氷を溶かすのが子供の役割でした。そのお湯は、顔を洗うためのモノではありません。 汲み上げる井戸水は温かく、顔を洗うのは苦痛ではありませんでしたが、手はかじかんで時間で自由が利きません。窓の敷居を拭くと、冷えたレールにぞうきんが凍り付いてしまうほどでした。 今日では、都内で水道が凍り付くことはほとんどなくなりました。それどころか、水道をひねると温かいお湯が出るので、私の子供の頃の話をしても理解されないでしょう。 世の中は便利になり、水道の栓をひねるように、情報もネットを使って入手できます。ブログは、読者の皆さんがアクセスしてくれないと、せっかく書いたブログも日の目を見ません。それではかわいそうだと思い、一所懸命書くのですが、なかなか読者数は増えませんね。 「読者の数より、わたくしのブログを読んでくださる読者さんの質の問題だ」などと言い訳をしていますが、お陰さまで読者の数も増えてきました。上を見るとまだまだですが、皆様の更なるご愛顧をお願いします。 アレッ! 霜降の話がいつの間にかブログの話になってしまいましたね。(笑い) (ドアノブ) 下手な横好きですが、日光の方に写真撮影に行っていました。 何度も行ったことがある地ですが、輪王寺の庭園に入ったことがなく、それを核にして、旅行を企画しました。 残念ながら紅葉には早かったのですが、輪王寺の庭園では、漆やカエデが色づいていて、あたかも紅葉の真っ盛りに行ったような写真も撮れました。 温泉三昧と好天で満足できました。 京都では、時代祭が開催されたとニュースで報道されていました。 2013年に、京都旅行の最終日が、偶然にも時代祭の日でしたので、一部ですが見ることができました。 http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/kyoto/kyoto_jidaimatsuri.htm
■■ ■■電信電話記念日に思い出すハンドル式電話機【今日は何の日】 10月23日 ■ 霜降(年により日付が異なる)
今日は「霜降(そうこう)」で、二十四節気の一つです。
Wikipediaでは、下記のように説明されています。 霜降(そうこう)は、二十四節気の第18。九月中(通常旧暦9月内)。 現在広まっている定気法では太陽黄経が210度のときで10月23日ごろ。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。恒気法では冬至から10/12年(約304.37日)後で10月22日ごろ。 期間としての意味もあり、この日から、次の節気の立冬前日までである。 西洋占星術では、霜降を天蠍宮(さそり座)の始まりとする。 「霜降」とは、文字通り「霜が降りる」ことです。この頃になると、賑やかだった虫の歌声も聞かれなくなってきますし、紅葉前線が南下し、次第に落葉が見られる季節で、そろそろ霜が降りる頃ということで命名されました。 太平洋側でいて晩初冬に吹く、風速8m/s以上の北寄り(北から西北西)の風のことを木枯らしといいます。 冬型の気圧配置になったことを示す現象といえます。 その年に最初に吹いた木枯らしを「木枯らし1号」と呼びます。 ただし、東京では10月半ばから11月末までの期間、大阪では、霜降(10月23日ごろ)~冬至(12月22日ごろ)と定義が多少異なります。 それ以外の期間では「木枯らし1号」と呼びませんので、「今年は木枯らし1号がありませんでした」と発表されるのでしょう。 ちなみに、その他の地域では「木枯らし1号」という言葉は使わないそうです。 ■ 電信電話記念日 10月23日は「電信電話記念日」です。電気通信省(後の電信電話公社、現在のNTT)が1950(昭和25)年に制定しました。1869(明治2)年に、東京~横浜間で公衆電信線架設工事が始まったことを記念しています。 電信電話というのは、逓信省の管轄下にあり、それが現在の総務省、日本郵政(JP)、及び日本電信電話(NTT)に分離独立したことは、皆様がご存知の通りです。 テレビドラマで昔の電話機を見るとダイヤルが付いていなくて奇異に感じる人も多いでしょう。私が子供の頃は、東京の外れという田舎で育ったこともあり、その種の電話機を使っていました。 手回しハンドルの付いた非常用のライト(ラジオなどが付いている機種が多い)と同じようにハンドルを回して電話局の交換手を呼び出します。交換手が出ると相手の電話番号を告げて、一旦受話器を置きます。電話回線が繋がると交換手から呼び出しがあり、電話で話をするという仕組みです。長距離の場合には、交換手感でそれを繰り返すので、繋がるまで数分から数十分もかかるのです。 さすがに私の時代には、電話初期の木製壁掛け式の電話機ではなく、卓上型の黒電話機でした。 当時最先端技術でつくられたクロスバー方式の電話局ができ、ダイヤル式の電話機が使えるようになって電話機の便利さを再認識した若かりし頃を思い出します。 写真出典 ←クリック
■ 【今日は何の日】その他
◇ えびす松泉寺開山忌
◇ 上野天神祭(~25日)
◇ 旧重陽
【経営コンサルタントの独り言】 ■ 日本における電話の歴史調べに苦労しました ネット検索で、日本の電話の歴史を調べようとしましたら、自分が欲しい情報がなかなか見つかりませんでした。 調べ方が悪いからと言われればそれまでですが、1876年3月7日にグラハム・ベルが電話に関する特許を取得したというたぐいの情報は、処々でみつかります。 NAVERまとめの電話の歴史というページは、大変参考になりました。 日本では、1869(明治2)年に、東京~横浜間で公衆電信線架設工事が始まったそうです。 鉄道も、新橋(東京)~横浜間に敷設されたのが日本における始まりですので、相通じるものがあるのでしょうか。 因みに、日本で自動交換機が採用されたのが、1923年の関東大震災の復旧が契機となっているそうです。 災害や戦争は嫌なことですが、それらが契機となって技術が発達したり、世の中が変化したりするのが歴史なのでしょうか。 (ドアノブ) 【きょうの人】 ■ 醍醐天皇 だいごてんのう 885年2月6日〈元慶9年1月18日〉- 930年10月23日〈延長8年9月29日〉 日本の第60代天皇(在位:897年8月4日〈寛平9年7月3日〉- 930年10月16日〈延長8年9月22日〉で、諱は、維城(これざね)、のちに敦仁(あつぎみ・あつひと)とも呼ばれました。 臣籍の身分として生まれた唯一の天皇で、はじめ源維城といいました。のち父の即位とともに皇族に列し、親王宣下ののちに敦仁親王に改めました。 宇多天皇の第一皇子で、母は内大臣藤原高藤の女藤原胤子です。養母は、藤原温子(関白太政大臣基経の女)です。 立太子即位の時に、父宇多天皇から剣を下賜され、現在にも続く壺切御剣の始まりといわれています。 父帝の訓示「寛平御遺誡」を受けて藤原時平・菅原道真を左右大臣とし、政務を任せました。 時平の讒言を容れて菅原道真を大宰員外帥に左遷した昌泰の変は、聖代の瑕と評されることになりました。近年では、この事件は天皇と時平による宇多上皇の政治力排除のための行動だったと考えられています。 天皇は和歌の振興に力を入れ、延喜5年(905年)には『古今和歌集』の撰進を紀貫之らに命じています。 33年間にわたって記した宸記『延喜御記』全20巻は早くから散逸して現存していませんが、諸書に引用された逸文を次の村上天皇のそれと併せた『延喜天暦御記抄』として伝わっています。 天皇は、はじめ中宮藤原穏子との間に儲けた長子保明親王を東宮とし、その御息所に時平の娘・仁善子を入れていましたが、延喜9年(909年)に時平が死に、2年後には親王も21歳で早世してしまいます。 しかし延長8年6月(930年7月)に、清涼殿落雷事件が起きますと、これ以後体調を崩し、9月22日にはいよいよ病が篤く、皇太子寛明親王(保明親王の同母弟)に譲位しました。 ■ 西有 穆山 曹洞宗の僧侶、総持寺独住三世貫首 にしあり ぼくざん 俗名:笹本万吉 文政4年10月23日(1821年11月17日)-明治43年(1910年)12月4日 陸奥国(青森県)八戸出身の日本の曹洞宗の僧侶で、横浜市總持寺独住3世貫首でもあります。法名は瑾英(きんえい)、直心浄国禅師で、俗名は、笹本万吉です。 天保3年(1832年)に地元の長竜寺で出家し、金栄と名乗っていました。天保10年(1839年)に、仙台に移転し、天保12年(1841年)に江戸に出て、吉祥寺旃檀林学寮に入りました。浅草本然寺の泰禅の後を継ぎ、牛込鳳林寺住職となり、小田原海蔵寺月潭全竜の下で修行しました。 瑾英に改名し、1861年、諸嶽奕堂会下の龍海院で修行中に大悟を得て、奕堂より印可を受けました。 宗参寺・鳳仙寺を経て、大教院に呼ばれて中講義・大講義、總持寺出張所監院、本山貫首代理になりました。法光寺・中央寺・可睡斎・伝心寺を経ています。 明治33年(1900年)に、信者の寄付により、横浜に西有寺を創建、翌明治34年(1901年)に總持寺貫首に選ばれます。翌明治35年(1902年)に、曹洞宗管長となりました。明治38年(1905年)に横浜で引退し、明治43年(1910年)12月4日に遷化しました。 著書に『直心浄国禅師語録』4冊、『正法眼蔵啓迪(けいてき)』3冊などがあります。 ■■ ■■【今日は何の日】世界開発情報の日 10月24日
■ 国連憲章発行 国際連合憲章(こくさいれんごうけんしょう、Charter of the United Nations)は、国際連合の設立根拠となる条約で、略称はUN Charterと呼ばれます。 1944年、アメリカ合衆国、イギリス、ソビエト連邦、中華民国の政府代表が、ワシントンD.C.郊外の、ダンバートン・オークスで会議を開き(ダンバートン・オークス会議)、憲章の原案となる「一般的国際機構設立に関する提案」を作成しました。 1945年6月26日にサンフランシスコ会議において、51ヶ国により署名されました。この日を記念して「国連憲章調印記念日」が制定されました。 1945年10月24日には、ソ連の批准により、安保理常任理事国5ヶ国とその他の署名国の過半数の批准書が揃い、第110条により効力が発生しました。 1973年9月までに3回の改正を経ていますが、以降は改正されていません。 ■ 世界開発情報の日
10月24日は、1972(昭和47)年の国連総会で制定された「世界開発情報の日」という国際デーの一つです。1970(昭和45)年に「第二次国連開発の10年のための国際開発戦略」が採択されました。世界中の開発案件に関する情報を一カ所に集めて、地球全体の開発のバランスを考えることを目的としています。
JMAM暦言葉辞典によると下記のように説明されています。
1972年の国連総会で、開発問題とその解決に必要な国際協力に関心を高めるために、10月24日を「世界開発情報の日 World Development
Information Day」に制定した。
この日は「国連デー」と同じ日でもあり、1970年に「第2次国連開発の10年」に向けた国際開発戦略が採択された日でもある。 情報を広め、若い世代を中心に人々の開発問題に対する関心を高め、開発のための国際協力を促すことを目指している。 ■ 国連の日
10月24日は国連の日です。世界平和を願い、第二次大戦を契機に生まれた国際的な期間であることは誰もが知っています。 第二次大戦の敗戦国と言うことだけで、日本はドイツやイタリアとともに経済大国でありながら常任理事国ではありません。分担金は、アメリカに次ぐ、全体の10%もの大金を負担しているにもかかわらずこのアンバランスは日本人としては納得いきません。 もっとも、常任理事国になることが良いことなのかどうか、真剣に検討をしたこともなく、このようなことを主張するのもおかしな話と反省をしています。 中国がイランの核開発支援をしたり、北朝鮮の核が実用段階に入っていたりと、嫌なニュースは絶えません。各国が軍隊を持つ必要のない国連ができ、国連が平和を維持できるような世界は、夢の世界に過ぎないのでしょうか? ■ 【今日は何の日】その他
【経営コンサルタントの独り言】 ■ 国連の権威とは? 10月24日は国連の日です。 国連の前身である国際連盟から日本が脱退し、第二次大戦に突入してしまいました。 不幸な出来事のスタートでした。 しかし、その背景には、日本バッシングがあり、日本としてはやむにやまれぬ選択であったという一面もあります。 だからといって、戦争をして良いという理由にはなりません。 国際的な紛争が戦後地球上で絶えたことがないとう悲しい状況が続いています。 子供の頃、「国際警察」という言葉を見つけたときに、かっこよさを感じました。 しかし、安保理が有名無実化している今日こそ「国際警察」は必要だと、いまでも考えています。 真の力を持ち、「国際司法裁判所」とともに、機能を発揮すれば、パレスチナ問題も、どこかの国のように海洋進出を我が物顔でしたり、他国に軍事脅迫をしたりするようなことも解決できます。 “真”の拘束力というのが前提ですが・・・ ■■ 社長・役員・管理職のしりとく情報 ←クリック
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【きょうの人】 ■ ブラーエ,ティコ Tycho Brahe 1546年12月14日-1601年10月24日 デンマークで最も有力な貴族家系の後継者として生まれたたデンマークの貴族ですが、天文学者・占星術師・錬金術師として知られ、作家でもありました。 当時としては極めて正確かつ包括的な天体観測を実施したことで知られています。 天文学と正確な観測器具の製作に関心を持ちました。 天文学者として、コペルニクス体系に見出した幾何学的有用性を、プトレマイオス体系の哲学的有用性と共に、彼自身の宇宙モデルであるティコ体系に組み合わせることに取り組だ人です。 ティコ体系は月が地球の周囲を公転し、惑星が太陽の周囲を公転していることを正しく描いていました。しかし、宇宙の中心に地球を置き、太陽が地球の周囲を公転するというものであったために、説明がつかない現象が多々発生しました。 ティコのアシスタントをしていた、ケプラーは、後にティコの天文観測データを使用してケプラーの法則を発見しました。 ■■ ■■1ドル360円の時代【今日は何の日】 10月25日
■ 君が代の初演奏
8月12日は「君が代記念日」であることをご紹介しました。 その時に、作詞者・作曲者を紹介しました。 1880年10月25日に、プロイセン(現ドイツ)の軍楽隊オーボエ奏者のフランツ・エッケルトが、原曲に手を入れ、編曲が完成し、試演が行われたのです。 1879年に日本で音楽教師として任ぜられたエッケルトは、その後日本の洋楽教育機関のほとんどすべてにかかわったと言われています。 ■ 民間航空記念日 1951(昭和26)年10月25日に、戦後最初の国内民間航空会社として日本航空が設立され、それを記念して「民間航空記念日」が制定されました。一番機は「ど星号」で、当時は、東京・大阪・福岡の3空港間の運航でした。
私の記憶では、DC-3だったと思うのですが、JAL最初の飛行機は、マーチン2-0-2であると記述されています。この飛行機は信頼性が高いということから、DC-4の時代になってもなおかつ運航が続けられました。 ■ 【今日は何の日】その他
◇ 伊賀上野天神祭 (年により開催日が異なる)
【経営コンサルタントの独り言】 ■ 初めての渡米 私が初めてアメリカへ飛んだのは1970年12月6日でしたが、その頃はDC-8でした。空を舞う美人の愛称で親しまれた、スリムな体型は飛行機ファンには今日でも人気が高いと聞いています。 当時は、サンフランシスコまでしかフライトが認可されていなかったこともあり、そこで下ろされ、アメリカン航空機でケネディ空港まで飛んで行きました。初めての海外と言うことから、心細い思いをしました。 1ドルが360円で、日本製品は「安かろう、悪かろう」という評価の時代でした。いわゆる「企業戦士」の最前線に飛ばされました。自分で言うのもおこがましいですが、当時、海外赴任を命じられる人間はエリート中のエリートと言われていました。今日では考えられないような感覚の時代だったのです。 経営コンサルタントとして独立してからは、ヨーロッパを始め、海外をあちらこちらと飛び回り、1年の三分の二近くを海外で過ごす年もありました。訪問した国の数は30カ国程度ですので、数としては多い方ではないかも知れません。先進国が中心でしたが、南アフリカにも行ったことがあると言うと、驚かれるのです。 私を主人公のモデルにした経営コンサルタント小説「竹根好助シリーズ」でも、海外での場面を描いた小説が幾つか出てきます。尚、当ブログでも掲載したシリーズもアメリカでの幸と竹根の出会いなどが登場します。 (ドアノブ) 【きょうの人】 ■ 西山(せいざん) 西山上人は、浄土宗の開祖法然上人の高弟で、「証空」として知られています。 自らが唱える「西山義」の教えを広め、西山によって唱えられた西山義は、やがて浄土宗西山派として知恩院の浄土宗鎮西派に次ぐ浄土宗内での大きな派となりました。 現在の西山浄土宗の母体である光明寺派は、その浄土宗西山派の流れをくむ一派です。 西山の弟子である西谷(せいこく)流の浄音が、西山の教えの上に更に自らの考えをも交えて西谷流を唱えだし、光明寺や禅林寺(永観堂)を中心に西山義、西谷流の教えを広めたのが直接の始まりです。 ■ 西山忌(せいざんき)
紅葉で名高い京都光明寺で、西山上人の法事があります。 御詠歌が奉納され、賑やかな法要として、全国から大勢の参拝者が集まります。 西山浄土宗の総本山光明寺は、長岡京市西山のふもと、粟生広谷という地にあります。 宗祖は円光大師と呼ばれる法然上人で、法然43歳の時に、日本で最初に念仏の産声を上げ地でもあります。 西山詳細 ■ 原子力の日 10月26日は「原子力の日」で、日本政府が1964(昭和39)年に制定しました。 1963(昭和38)年に、茨城県東海村に日本で最初の原子力発電が行われました。当時は、原子力発電の怖さについては隠蔽され、記念切手まで発行されました。広島の原子爆弾の話を聞いたりしていたので、子供心に、原子力発電に危険性はないのか心配で、親に尋ねたことがありました。 この日は「反原子力デー」でもあり、2011年3月11日の東日本大震災・福島第一原発の事故以来、この動きが活発になって来ています。日本の第一号機である上述の東海原子炉の廃炉問題がとりだたされていますが、人口密集地の南関東にも近く、50年にもなる今、使い続ける危険性は福島第一原発の比ではないでしょう。 ■ 【今日は何の日】その他 ◇ 両国西光寺お十夜
◇ 天理教本部秋季大祭
◇ 宮崎神宮例祭
◇ 光明寺西山上人忌
【きょうの人】 ■ 岩倉具視生誕 いわくら ともみ 文政8年9月15日(1825年10月26日) - 明治16年(1883年)7月20日) NHK大河ドラマ「西郷どん」で一躍名前を挙げた一人が、岩倉具視です。下級公家でありながら、世渡りの上手さで、明治政府の海外派遣団の団長となったり、五百円紙幣に登場したりする程までに出世をしました。 安政5年(1858年)1月、老中・堀田正睦の日米修好通商条約が、多くの公卿・公家から批判をされました。「八十八卿列参事件」といわれるこの事件では、岩倉が始めて政治の舞台に躍り出て、孝明天皇を始め、多くからその存在が認められることになりました。 また、「安政の大獄」では幕府寄りの姿勢から京都所司代・酒井忠義に認められました。 徳川家茂への和宮の降嫁の件では、「和宮御降嫁に関する上申書」を孝明天皇にさしだすなどで、その功績が認められています。
【経営コンサルタントの独り言】 ■ 原発の怖さを再認識したい 日本人は教育を通じて洗脳されてきているので、原子力の危険性の認識は欧米に比べて低いと思います。日本の国土の狭さと人口密集性から鑑みると、日本に原子力発電所を持つことは危険であるというアメリカのその道の専門家の意見を無視することはできないと思います。 一方で、われわれも電気への過度な依存を止め、節電・省電力を一層意識していかなければならないと思います。わが家では、昨年比で、平均すると毎月30%以上の節電が東電からの領収書印字からわかります。 昨年より、ブログ発信数が倍になっているので、パソコンの使用量は増えていますが、省電力性能が上がっていることから、それが足かせになったりしていないようです。 しかし、まだまだ知恵を絞れば節電・省電力を計れると思います。 尚、東日本大震災後の春、当ブログで提供した「計画停電対策」は人気でした。今でもその時のページビューにかなうブログを書けていないのは残念で、平日8本のブログ発信だけではなく、ブログの質にも努力をして、皆様のご愛顧に応えて行きたいと思います。 ■ 世界で一番安全といわれる日本で・・・ 天高く馬肥ゆる秋 処々で、運動会を始め、各種の行事が行われています。 孫息子が、地域住民コミュニティの活動の一環で、お芋掘り行事に参加しました。 その状況を娘がムービーで撮影していたときに、娘は撮影に気をとられ、孫息子は芋掘りに夢中でした。 その様な折、最初に孫息子が掘ったお芋が盗まれてしまいました。 孫息子は多いに落胆したそうですが、当然のことです。 ところが、盗まれる瞬間が偶然にも録画されていたのです。 もちろん、孫息子のお芋を誰が盗ったのか、ばっちり写っていたそうです。 それを見ますと、男の子がお芋を盗り、彼のお母さんが持って帰る瞬間だそうです。 そのようなことが再発しないようにと、娘はコミュニティの役員さんに事情を説明したそうです。 そうしましたら、その一家の行状は、その辺ではよく知られていて、すぐに六年生の某君であると判明しました。 世界一安全な国といわれます日本での出来事です。 その安全な国であるはずの日本は、中国の”侵略”ともいえる進出に手を焼いています。 その中国と手を結ぼうというフィリピンのデュテルテ大統領が、中国に続き、日本からも資金や経済協力を引き出すことに成功してきています。 一旦は頓挫した高速鉄道や原発などで中国の支援を受けようとしているという情報もあります。 原発は両刃の剣で、原発政策を推し進めている政府ですが、その舵取りは本当に大丈夫なのでしょうか。 ■■ ■■読書週間と電子書籍【今日は何の日】 10月27日 ■ 読書週間
今日から読書週間が始まります。本離れ、出版不況などと言われる中、アマゾンが本格的に電子書籍の分野でのビジネスを開始します。アップルに充分対抗できるだけの電子書籍が集まるのでしょうか?日本の電子書籍の出版は、これまで漫画本・コミック誌をベースにしている物が多く、テレビドラマ化したりしてマルチメディア的に発表してきました。テレビドラマが面白くないのは、オリジナルの漫画の多くが表層的、受け狙いが中心で、質の低さが目立ってしまっているからであると思います。 出版社に、電子書籍の出版の話を持ち込んでも、上記のような意識が強く、ビジネス書などへの関心の低い編集者が多いのです。 すでにアメリカで成功しているアマゾンの電子書籍は英語などが中心で、これまで縦書きやルビなどの日本語独特の表記ができませんでした。それが可能となり、日本の電子書籍に携わってきたこれまでの人達は反省をせざるを得ないでしょうし、それなしには日本の書籍もアマゾンなど海外勢に牛耳られてしまうのではないでしょうか。 経営コンサルタントの本棚 http://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/90c4bd41c5f0c767b0a389f846a67f04 ■ 文字・活字文化の日 10月27日は、「文字・活字文化の日」でもあります。2005(平成17)年に制定された「文字・活字文化振興法」により、この記念日が制定されました。 Wikipediaをベースに整理しましたので、参考にしてください。 文字・活字文化振興法は、文字・活字文化の振興を総合的に推進するための国や自治体の基本的責務を定めた法律である。活字文化というと活版印刷のことかと考えられがちだが、要は出版のことを指している。 活字文化議員連盟は「文字・活字文化振興法の施行に基づく施策の展開」として、地域における文字・活字文化の振興、学校教育に関する施策の他、出版活動への支援も推進するよう求めており、その具体的な内容として、文字・活字にかかわる著作物再販制度の維持著作者及び出版者の権利保護の充実を挙げている。 読書週間の初日にあたる10月27日を文字・活字文化の日として定めている。 「最近は本を読まなくなった」「活字離れが若者の知的レベルを低下させている」などと言われています。 ところが、携帯電話やパソコンの普及は活字ではないものの、文字文化としては同じ範疇に入ります。またiPadに始まる電子書籍・出版は、再び文字文化のさらなる発展に繋がるのではないかと期待されています。 電子出版は、いろいろなメリットがあり、経営コンサルタントには身近な販促ツールにもなると思います。 http://www.glomaconj.com/ebook/ebookmitsumori.htm ■ 【今日は何の日】その他
◇ 十三夜(年により日付が異なる)
◇ 蔵前浄念寺十夜会
◇ 弘法大師諡号(しごう)奉賛会
【経営コンサルタントの独り言】 ■ 電子出版はまだまだ緒に就いたばかり 電子出版(Electronic publishing)とは、「文字・画像情報をデジタルデータに編集加工し、CD-ROMなどの電子媒体やネットワークにより配布する出版活動【Wikipedia】」のことです。 電子出版といいますと、コミック系をイメージする人が多いほど、日本ではまだまだ偏りがあるようです。 技術の進歩で電子出版の概念も変化して来ています。 1980年代半ば頃から電子出版という言葉が頻発するようになりました。 当時はDTP(電子編集制作システム)の普及が始まり、CD-ROMなどの「パッケージ系電子出版」が中心でした。 しかし、今日ではネット配信が中心となり、わからない言葉を直ぐ調べることができたり、感想を書き込んで、それをネット上で共有したりできます。 音や画像・映像もリンクされ、1970年代の流行語「マルチメディア」がぴったりするようになってきました。 紙媒体の書籍は、設備や資金が必要ですが、電子出版ですとそのリスクが少ないです。 私達、経営コンサルタントが出版の機会が増えてきていると言えます。 一方で、印刷業界では、オンディマンド・プリンティングの出現もからみ大童で、体質改善が吃緊の課題となっています。 紙媒体は、必要な人が、必要なときにという方向なのでしょうか。 ■■ 日本経営士協会 ←クリック コンサルタント・士業の知的頭脳集団
【きょうの人】 ■ 覚猷 鳥獣戯画の作者と言われる かくゆう 天喜元年(1053年)- 保延6年9月15日(1140年10月27日) 平安時代後期の天台僧で、鳥羽僧正(とばそうじょう)とも呼ばれます。日本仏教界の重職を務めた高僧であるのみならず、絵画にも精通し、現在高山寺が所蔵します、鳥獣人物戯画などの作者に擬せられています。そのユニークでユーモアあふれる作風から、漫画の始祖とされます。 覚猷は、1053年に源隆国の第九子として出生し、若年時に出家しました。園城寺にて天台仏教・密教を修めながら、画技にも長じるようになりました。 長らく園城寺法輪院に住し、密教図像の集成と絵師の育成に大きな功績を残したほか、自らの画術研鑽にも努めました。 四天王寺別当、法成寺別当、園城寺長吏など大寺社の要職を歴任する間、1132年には僧正へ、1134年には大僧正へ任じられました。 1138年、47世天台座主となりましたが3日で退任し、鳥羽上皇が住む鳥羽離宮の証金剛院へ移り、同離宮の護持僧となりました。それ以後、鳥羽僧正と呼ばれるようになりました。 【カシャリ! ひとり旅】 高山寺 http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/kyoto/kyoto_kousanji.htm ■■ ■■速記記念日に思う秘書作業【今日は何の日】 10月28日 ■ 速記記念日
1882(明治15)年に、日本で最初の速記講習会を開催、1888(明治22)年に、講習会の7周年記念会を開いた時に、日本速記協会が制定しました。 速記の歴史は予想以上に長いものです。その起源は古代ローマ以前に遡るといいます。紀元前400年代の古代ギリシャで速記碑文が発見されています。有名な速記記録としては紀元前63年のキケロによるカティリナ弾劾演説の記録で、当時の速記は知的奴隷が充てられていました。(Wikipedia参照作成) ■ ホームビデオ記念日
1969(昭和44)年10月28日、ソニー・松下電器・日本ビクターが世界初の家庭用ビデオのU規格を発表しました。これを記念して「ホームビデオ記念日」が制定されました。 それまでは高価な業務用ビデオ機器か、メーカー各社の独自規格のビデオ機器が高所得者の家庭に置かれているいるだけでした。それだけに規格統一により各家庭に普及することが期待されました。 しかし、期待に反して、当初は普及しませんでした。その原因は、機器の値段だけではなくカセットテープの価格や、それ自身の大きさなどから家庭には普及しませんでした。 やがてビクターのVHSやソニーのベータ方式に小型化した規格が出て、普及し始めたのですが、かの有名なビデオ戦争、すなわちカセットテープの二大陣営争いが始まったのです。 今日、VHSテープを使っている人は少ないのでしょうが、まだまだテープを持っている人は多いでしょう。早い段階でDVD・BDなどにデジタル化しておかないとテープが劣化してしまいます。 私もM電機のVHS・DVDの装置が内蔵された機器を投じ購入したのですが、初期モデルのため異常動作ばかりが起こり、作業がはかどりませんでした。メーカーに直接その報告をしたのですが、こちらを「クレーマー」扱いして取り合ってくれませんでした。大手財閥系の殿様商売をするM電機の製品は以後一切買わないようにしています。 【きょうの人】 ■徳川慶喜生誕 天保8年9月29日(1837年10月28日)に江戸幕府最後となる第15代征夷大将軍の徳川慶喜が誕生しました。子供の頃、大人達が「ケーキ」といっていたのを聞いて「おもしろい名前の人がいるものだ」と思ったことがあります。 毎朝、運動不足解消のために散歩をしています。すぐ近くに国際仏教学大学院大学があります。そこは、徳川慶喜終焉の地として知られています。慶喜に関するものは何も残ってなく、碑だけが残っています。
慶喜は、江戸幕府最後の将軍、で第15代征夷大将軍であったことは周知の通りです。
毎朝、ここを通って散歩をします。文京区は、坂の多い街で、慶喜を偲ぶ銀杏かどうか分かりませんが、坂の途中に大きく枝を張っています。
【Wikipedia】 徳川 慶喜(とくがわよしのぶ) 江戸幕府第15代征夷大将軍(在職:1867年 ‐ 1868年)。江戸幕府最後の将軍で征夷大将軍に任じられた最後の人物。 御三卿一橋徳川家の第9代当主として将軍後見職・禁裏御守衛総督など要職を務めた後に徳川宗家を相続、第15代将軍に就任。大政奉還や新政府軍への江戸城明け渡し(無血開城)を行なった。明治維新後に従一位勲一等公爵、貴族院議員。 生誕:天保8年9月29日(1837年10月28日) 死没:大正2年(1913年)11月22日 墓所:谷中霊園 氏族:徳川氏(水戸家→一橋家→将軍家→慶喜家) 父母:父・徳川斉昭 母・吉子女王(有栖川宮織仁親王娘) ■ 酒井忠次 徳川家康のNo.2として苦言を呈す さかい ただつぐ 大永7年(1527年)-慶長元年10月28日(1596年12月17日) 酒井忠次は、戦国時代から安土桃山時代にかけての三河の武将で、徳川の筆頭とされ、家康第一の功臣といわれています。 酒井忠次の生誕地である井田城址で、徳川氏の前身である松平氏の譜代家臣・酒井忠親の次男として今日の愛知県岡崎市井田町です。元服後、徳川家康の父・松平広忠に仕えていました。 竹千代(徳川家康)が今川義元への人質として駿府に赴く時、家臣の中では酒井正親に次ぐ最高齢者(23歳)として同行しました。この後、松平元信(徳川家康)の配下として仕えました。弘治2年(1556年)、柴田勝家に2,000騎で激しい攻防の末、勝家を敗走させるなど軍略にも長けていました。 永禄3年(1560年)5月、桶狭間の戦いの後、徳川家の家老となり、永禄6年(1563年)の三河一向一揆では、多くの酒井家武将と行動を別にして、家康に従いました。 石川一正が、西三河を、忠次が東三河を統制することとなり、家康の主な戦いには全て参戦し、功を残しています。歯に衣着せぬ物言いをする人ですが、家康の厚い信任を受け、家康第一の重臣となりました。 松平家が、織田信長から武田との謀反の詰問を受けたとき、家康の息子信康を十分に弁護できませんでした。これが家康の心のそこにあったのか、他の重臣が多くの禄を加増されましたが、忠次は、その恩恵を受けませんでした。 天正16年(1588年)、長男の家次に家督を譲って隠居しました。加齢、眼病などがその理由のようですが、家康のやり方に嫌気がさしたのではないかと、私は考えます。 慶長元年(1596年)10月28日、京都で死去、享年70、墓所は知恩院の塔頭・先求院で、墓は知恩院山腹の墓地内にあります。 【経営コンサルタントの独り言】
■ 秘書のために速記を学ぶ 欧米では、二種の速記が今日でも使われています。私は、その速記の一つである、グレッグ式英文速記の基礎の基礎を学びました。 1970年から5年間ニューヨークの日本商社で仕事をしていました。アメリカ人秘書に口実筆記をしてもらい、タイピングをしてもらう仕事で、先方も日本人の英語になれないことからこの作業が余りうまくいきませんでした。 そこで、どのようなときに秘書が引っかかるのかを知るために英文速記を私自身が学び始めたのです。すると英文速記のなかでも頻度の低い単語などの場合には、秘書がそれを記述するのに時間がかかることを発見しました。 そこで口述するときに、時間がかかりそうな表現の時には、時間を取って上げるようにしたところ、ミスも減り、時間も短縮できました。相手に併せて作業をしてやることの必要性を実感しました。 彼女は、「日本人の思いやり」ということを感じ取ったらしく、秘書とのコンビもうまくいくようになりました。 今日では、音声認識技術が進んで、速記に対するニーズは激減しているのではないでしょうか。 技術の進歩は、仕事を奪うことにも繋がるのですね。 ■■ 当ブログ発行ポリシー ←クリック
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■ 宇和津彦(うわつひこ)神社秋祭の日
八人の少年が踊る八つ鹿踊りは有名です。一人が雌鹿役を演じて雄鹿を探す仕草をするユーモアのある伝統行事と聞いています。宇和島の総鎮守である牛鬼は、写真で見ると赤い布とシュロ毛で全身を覆い、秋田のなまはげを連想させます。 【宇和島市観光ガイド】
宇和島地方に古くから伝えられている八ツ鹿(やつしか)踊りは、既に350年余の伝統を持つ民俗芸能です。 仙台藩領にあり、太鼓を前に抱えて打ちながら踊るしし踊りは、宮城県各地に普及しており、その中で雄鹿たちが雌鹿をたずね探して遂に発見して喜ぶ「めじしかくし」という踊りが、宇和島に定着し現在に至ったようです。
図 宇和島市観光ガイド ←クリック ■ 【今日は何の日】その他 ◇ 福岡香椎宮例祭
◇ 智証大師忌
【経営コンサルタントのひとり言 一口情報】一芸に秀でる者は多芸に通ず 平成18年度の東京大学大学院入学式総長式辞で小宮山宏早朝の訓示に、「一芸に秀でる者は多芸に通ず」という言葉が使われたことは有名です。 この言葉は、それ以前にもどこかで聞いたことがあります。一つのことを究めた人は、他のことにも長けているという意味です。このことから、一つのことを極めると、ほかの多くのことも比較的容易に身につけることができるということを小宮山総長は言いたかったのでしょう。 私の顧問先の社長さんには、東大出の人が結構いました。その大半は、能力的だけではなく、人間的にもすばらしいモノをお持ちで、こちらが学ぶことが多かったと言えます。 ところが、彼らを慕ってやってきた人達の多くは、博識ではありますが、実務的な思考力や判断力、時には人間性に首を傾げたくなるのです。小宮山総長は、その様な人に対して、この言葉を訴えかけたかったのだろうと推量しています。 一方、経営コンサルタントの世界では、かつてはオールラウンドな能力や知識を持ち、経営全般にわたってコンサルティングができることが望まれました。ところが今日、経営の高度化が進むとコンサルタントも高い専門性を要求されます。 多芸に通じるコンサルタントは難しいので、コンサルティングはチームで対応することが多くなりました。内閣府認証特定非営利活動法人・日本経営士協会では「共業・共用・共育」と言っています。 しかし、個性派の多いコンサルタントがチームでうまくやって行くためには、それをコーディネートするチーフコンサルタントの力量が成否の分かれ目となります。 経営者・管理職にとっても、経営コンサルタントに取っても難しい時代になりました。 (ドアノブ) ■■ パソコンのトラブル回避テクニック ←クリック
転ばぬ先の杖、誰もが経験するトラブル対策
【きょうの人】 ■ 円珍 えんちん 弘仁5年3月15日(814年4月8日- 寛平3年10月29日(891年12月4日) 平安時代の天台宗の僧で、天台寺門宗(寺門派)の宗祖でもあります。 (写真:Wikipedia) 法号は「南無大師智慧金剛(なむだいしちえこんごう)」で、諡号は智証大師(智證大師、ちしょうだいし)と称し、入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人ですので、最澄・空海らと肩を並ぶお人なのです。 讃岐国(香川県)金倉郷に誕生しました。その地の豪族・佐伯一門のひとりで、俗姓は「」和気」といいます。空海(弘法大師)の甥(もしくは姪の息子)にあたるといわれています。 15歳で比叡山に登り、義真に師事、12年間の籠山行を終えました。 役行者を慕い、大峯山・葛城山・熊野三山を巡礼しました。吉野での修験道の発展に寄与することになり、承和13年(846年)には、延暦寺の学頭となりました。 仁寿3年(853年)に、新羅商人の船で唐に向かう途中で暴風に遭って台湾に漂着したいりしました。 天安2年(858年)帰国後、比叡山の山王院に住したの地、第5代座主となり、園城寺(三井寺)を賜りました。三井寺には、円珍が感得したとされる「黄不動」「新羅明神像」等の美術品の他、円珍の手による文書が他数残されており、日本美術史上におきましても注目されることです。 ■■ ■■宇宙戦争の日【今日は何の日】 10月30日 ■ 宇宙戦争の日
1938年10月30日、アメリカのCBCラジオで、オーソン・ウェルズが演出した「宇宙戦争」というSFラジオドラマが放送されました。ラジオドラマの中で「火星人が攻めてきた」という臨時ニュースのシーンで、本物のニュースと勘違いをしたアメリカ国民がパニック状態に陥りました。その数120万人といわれます。迷惑な話ですが、それほど真に迫っていたし、演出が上手だったのでしょう。これを記念して10月30日を「ニュースパニックデー」「宇宙戦争の日」と制定しました。 オーソン・ウェルズ(GeorgeOrsonWelles、1915~1985)はハリウッドを代表する俳優さんで、映画監督、演出家、脚本家としても有名で、ヒゲもじゃの晩年の顔写真はどこかでご覧になったことがおありでしょう。 チタという楽器の映画音楽「第三の男」は有名ですが、この中でハリー・ライムに分する探偵作家として、オーソン・ウェルズが出演しています。 自分とは別な人物であるハリーとして、ウィーンに呼び出されたのですが、ハリーのお葬式から映画が始まります。ところが、ハリーという男は死んでいなかったのです。どうしてその様なことになったのか、なぞが始まるストーリーには引き込まれました。 俳優としてのうまさは、上述のラジオドラマ時代から光るものがあったのでしょう。 ■ 初恋の日 1896年10月30日に作家の島崎藤村が「文学界」46号に「こひぐさ」の一編として、初恋の詩を発表した。これを記念して、島崎藤村ゆかりの宿である長野県小諸市の中棚荘が制定しました。 文学界は、1893年(明治26年)に、星野天知が主宰し、北村透谷・島崎藤村らが中心となって創刊された雑誌です。 藤村の上述の「こひぐさ」だけではなく、代表的な「若菜集」も文学界から発表されています。 私の好きな「山のあなた」を書いた上田敏も文学界で活躍したひとりです。 ■ 【今日は何の日】その他
◇ 夢窓国師(天竜寺開山)忌 【経営コンサルタントのひとり言】 サイバー戦争に対処するために詳しく知ろう
「世界は、すでに“サイバー戦争”の中にある」といわれています。 アメリカは、陸海空軍に加えて宇宙軍を創設すると発表がありました。 宇宙戦艦大和など、エイリアンからの防衛ではなく、サイバー戦争の一環としての軍隊です。 ネット社会と一般的には言われます「サイバー空間」ですが、若者の中には、「スマホなしには生きていけない」と公言する人さえいます。 人材育成の旗は揚げられていますが、それが「やっています」というゼスチャーだけに終わってしまってはなりません。 まずは、サイバー戦争というのはどのようなもので、どれ程恐ろしいのか、どの様な対策があるのか、遅いかもしれませんが、まずは知ることから始まるのではないでしょうか。 下記の目次に基づき、まとめてみました。少々長くて申し訳ありませんが、お付き合いくださるようお願いします。 ◇ サイバー戦争への危機感 ◇ すでに起こったサイバー攻撃の実態 ◇ 日本標的のサイバー攻撃 ◇ サイバー攻撃の恐ろしさ ◇ 日本政府のサイバー攻撃対策 ◇ 日本のサイバー攻撃対策への【私見】 https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/e3798095ad40d310471891f28de65f56 【きょうの人】 ■ 芹沢 鴨 新撰組初代筆頭局長 せりざわ かも、芹澤 鴨 天保3年(1832年)? - 文久3年9月16日(1863年10月28日)もしくは9月18日(10月30日) 幕末の水戸藩浪士で壬生浪士、すなわち新選組の初代筆頭局長です。 前名は、下村嗣次(継次、嗣司、嗣治とも)といわれています。諱は、光幹で、本姓は桓武平氏繁盛流大掾氏とされていますが、実際は出自、出生年に諸説があり、確定されていません。 江戸で結成された浪士組に新見錦・平山五郎・野口健司・平間重助等を伴い参加し、六番組小頭に任命されました。 芹沢らは、八木邸を屯所として(後に前川家と南部家にも寄宿)、この前後より「壬生浪士」と称され始めました。 その際、内部抗争が起き、暗殺され、仲間も離脱しますと、壬生浪士は、芹沢派と近藤派が牛耳ることになりました。 内部抗争が激化し、大坂町奉行所与力・内山彦次郎がこれを問題にして近藤を怒らせ、のちに新選組により暗殺されました。 ■ 尾崎 紅葉 明治の文豪 泉鏡花ら後進を育成 おざき こうよう 1868年1月10日(慶応3年12月16日)- 1903年(明治36年)10月30日 江戸時代に生まれた、明治時代の小説家で、本名は徳太郎といいます。「縁山」「半可通人」「十千万堂」「花紅治史」などの号も持っています。 1885年(明治18年)、山田美妙らと硯友社を設立し「我楽多文庫」を発刊しはじめました。『二人比丘尼 色懺悔』で認められ、『伽羅枕』『多情多恨』などを書き、幸田露伴と並称されて「紅露時代」を築き、明治期の文壇の重鎮といえます。 1897年(明治30年)から『金色夜叉』の執筆を始めましたが、未完のまま没してしまいた。泉鏡花、田山花袋、小栗風葉、柳川春葉、徳田秋声など、優れた門下生を育ててました。 小説だけではなく、俳人としても角田竹冷らとともに秋声会を興し、正岡子規と並んで新派と称されました。 ■■ 歴史に学ぶ経営 ←クリック
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■■ ■■ハロウィン 【今日は何の日】10月31日 ■ 勤倹貯蓄の日(きんけんちょちくのひ) 1925年に、イタリアのミラノで国際貯蓄銀行協会加盟国が集まり、勤倹貯蓄会議が開催されました。地元のロンバルディ貯蓄銀行の提唱により、会議最終日の10月31日を「勤倹貯畜の日」と定めました。 日本がこの協会に加盟したのは、1952年(昭和27年)です。日本の「貯蓄の日」は、10月17日ですが、こちらは日本独自の記念日です。 ■ ハロウィン 諸聖人の日は、以前は"AllHallows"と表記され、その前夜(eve)なので、Hallowseve、それが変化してHalloweenとなりました。 諸聖人の日は、Wikipediaでは下記のように説明されています。 全ての聖人と殉教者を記念する日。日本では「万聖節」(ばんせいせつ)ともいわれる。諸聖人の日は、名前のとおり全ての聖人の日であって、決して忘れられた聖人のための日ではない。カトリック教会の典礼暦では11月1日が諸聖人の日、続く11月2日が死者の日となっている。聖公会でも11月1日は諸聖徒日と位置づけられる祝日である(ただし11月1日後の主日にこれを行ってもよい)。 ケルト人の大晦日は10月31日で、この夜は日本のお本のように、死者の霊が戻ってくると信じられていました。魔女が出没するとも言われていました。 これに因んで、ハロウィンにはカボチャをくりぬいた「ジャック・オー・ランタン(Jack-o'-lantern) 」を作ります。仮装した子供達が近所の家を「トリック・オア・トリート(Trickortreat)」と行って廻ります。 trickは「トリック」、treatは「驕る」という意味で日本人も使いますが、このことから「何かおいしい物をくれ、さもないと悪戯するぞ」ということになります。 娘が子供の頃、ニューヨークで生活していました。魔女の服装を近所のデパートで買ってきて近所の子供と廻ってお菓子をもらって帰ってきました。 風習というのは、日本だけではなく、世界中にその土地土地のものが残されているのですね。 【経営コンサルタントのひとり言】 ■ 日本でもハロウィーンが定着 街にはハロウィーン・グッズが店頭に並んだり、ディスプレイに飾られたりしています。 日本ではあまり知られていなかったこの行事も、若い人達の間からクリスマス同様に宗教とは関係なく広がってきました。 商業ベースに載せられている面もありますが、季節の変化をこの種の行事で感じ取ることができます。 東京渋谷では、近年、ハロウィーンにたくさんの人が集まるようになり、DJポリスによる交通規制もすっかりおなじみになりました。 羽目を外して、他の人の迷惑にならないように心したいですね。 (ドアノブ) 【きょうの人】 ■ 安倍 晴明 平安時代の陰陽師 あべ の せいめい/ はるあき/ はるあきら 延喜21年1月11日〈921年2月21日〉- 寛弘2年9月26日〈1005年10月31日〉 平安時代の陰陽師で、鎌倉時代から明治時代初めまで陰陽寮を統括した安倍氏流土御門家の祖です。官位は、従四位下・播磨守です。 幼少の頃については確かな記録はありませんが、陰陽師賀茂忠行・保憲父子に、陰陽道を学び、天文道を伝授されたといわれています。 960年(天徳4年)40歳で天文得業生(陰陽寮に所属し天文博士から天文道を学ぶ学生の職)でありました晴明は、村上天皇に占いを命ぜられていて、出世は遅れていましたが、占いの才能は既に貴族社会で認められていました。 979年(天元2年)、59歳の晴明は当時の皇太子師貞親王(後の花山天皇)の命で、那智山の天狗を封ずる儀式を行っています。 このころから花山天皇の信頼を受けるようになったようで、記録にしばしば晴明が占いや陰陽道の儀式を行った様子が見られるようになりました。 花山天皇の退位後は、一条天皇や藤原道長の信頼を集めたようです。 ■ 葛飾 北斎 生誕 江戸時代後期の浮世絵師 かつしか ほくさい、葛飾 北齋 宝暦10年9月23日〈1760年10月31日〉? - 嘉永2年4月18日〈1849年5月10日〉 江戸時代後期の浮世絵師で、化政文化を代表する一人といえます。 代表作に『富嶽三十六景』や『北斎漫画』があり、世界的にも著名な画家であることは周知の通りです。 森羅万象を描き、生涯に3万点を超える作品を発表したと言われますので、超人的な面もあると言えます。 若い時から意欲的であり、版画のほか、肉筆浮世絵も傑出した作品を残しています。 北斎は、絵師としての地位は「富嶽三十六景」の発表により、不動のものとなったといえます。 北斎は、浮世絵で高い芸術性を表しましたが、大衆的な『北斎漫画』の中にも彼の卓越した描写力が見えます。さらに、読本(よみほん)・挿絵芸術に新機軸を見出したことや、『北斎漫画』を始めとする絵本を多数発表したことは、意外と知られていません。 毛筆による形態描出に敏腕を奮ったことなどは、絵画技術の普及や庶民教育にも益するところが大であると、専門家は表しています。 葛飾派の祖であることはいうまでもありませんが、ゴッホなどの印象派画壇の芸術家を始め、多くの芸術面でも大きな影響を与えています。 ありとあらゆるものを描き尽くそうとした北斎は、晩年、銅版画やガラス絵も研究し、自分で試みたといいます。 また、油絵に対しても関心が強かったようですが、遂に果たせなかったのです。 1999年には、アメリカ合衆国の雑誌である『ライフ』の企画「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」で、日本人として唯一86位にランクインしています。 その功績の大きさは、計り知れないということでしょうか。 |
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【 注 】 「今日は何の日」「今日の人」は、Wikipedia、富山いづみ氏のサイト、他を参照し、独自に記載したものです。従いまして、当サイト及びブログ等々に関しては、無断複製転載及び模倣を固くお断り申し上げます。 |
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