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経営者・管理職とコンサルタント

35年の実績と誠意

 

40余年の実績で、皆様と共に歩んでゆきます。

 当サイトと連動し、平日毎日複数本のブログ発信をし、経営コンサルタント歴40余年の独断と偏見から何かを感じ取っていただけると幸いです。
 経営者・管理職向けの記事、それを裏返すと経営コンサルタントなど士業の先生方にも参考となります。 
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 【今日の写真】花の女王「ラン」 国際らん展より  
 ランは、英語でOrchidといいます。多くのランは、森林や湿地に育ちますが、草原や乾燥地でも生息できる種類があります。中には北極に近い地域や高山など寒冷地に生息する種類もあります。
今日は何の日    2月14日
■ バレンタインデー

 今日はバレンタインデー、正式にはセントバレンタインズデー(St. Valentine's Day)と言います。もともとは、聖ウァレンティヌスが殉教したことにゆらいした、西方教会での行事です。(Wikipediaより)

 キリスト教信者であろうがなかろうが、日本では女性から男性に愛を打ち明けてもよいとされ、その証にチョコレートを贈る習慣になっています。これは、チョコレートメーカーの陰謀であるという説が有力です。

 ご存知のようにヨーロッパでは、花をはじめカードやケーキなど、男女いずれであっても恋人や親しい人に送り合う日であることは知られています。日本でも花屋さんが盛んに宣伝を始めました。因みにホワイトデーというのは、日本独自のもので、これもビジネスに乗せられてできた習慣と言えます。

 しかし、ヨーロッパでもチョコレートを贈る人もいます。ハート型のチョコレートはイギリスが発祥の地だと言うことを聞いています。



■ 奈良長谷寺の修正会・修二会・だだおし法要

 「花の御寺」といわれる長谷寺です。それとは趣が異なりますが、元日から7日まで修正会が催されます。

 新しい年を迎え平和と安定を願い2月8日から14日までは修二会が開かれます。その最終日に「だだおし」法要があり、奈良を代表する追儺会、鬼追い、松明行事となっています。

 修正会・修二会では「十一面悔過」を修しており、それは「東大寺お水取り」と同じ作法です。長谷寺では16世紀に、密教寺院になり、古くからの作法と密教の教理に基づいて法要が組み立てられ、”声明”が唱えられます。

 修正会・修二会で声明を、そして「だだおし」では150キロもの大松明を持った鬼が本堂をのたうち回ります。

、その様子は見る人を驚かせ、迫力があり、火が近づくと熱さを感じるほどだそうです。(公式サイトを参考に作成)

  【カシャリ! ひとり旅】 長谷寺
  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/nara/nara_hasedera.htm


■ その他
◇ 奈良長谷寺だだ押し法会
◇ 西行寂



【経営コンサルタントの独り言】

 歳を重ねるにつれ、いろいろな物が減ってきます。

 その代表が年賀状とバレンタインのチョコでしょうか。

 かつては、いろいろな顧問先からチョコレートを戴きました。

 今は、顧問先をすべて後進に譲っていますので、戴けるチョコレートは激減してしまいました。

 娘や孫達からのチョコレートはうれしいですね。

 そうそう、妻からも・・・

 これを付け加えておかないと、後が怖いですから。

 近年は、カカオ70%とか中には90%などという超ビターなチョコレートもあるのですね。

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■ 西行(さいぎょう)

 2012年NHK大河ドラマ「平清盛」で清盛の友人として俗名佐藤義清(さとうのりきよ)として、西行が登場しました。鳥羽院の北面武士として奉仕していたので、清盛との交流もあったでしょうが、現実にはその期間も短かったようで、清盛と昵懇にしていたという記録は定かではないようです。

 和歌に通じた人として知られていました、保延6年(1140年)23歳で出家して一時は円位を名のっていました。

 出家後は心のおもむくままの生活をし、あちこちに庵を持ちました。また弘法大師の遺跡巡礼も兼ねて諸国を巡る漂泊の旅にも出ました。日本各地に、多くの和歌を残しています。

 しきたりや伝統にとらわれず個性の歌人という説があるが、正しい見方ではないようです。院政期の歌風醸成の一人で、藤原俊成とともに「千載集」の中の一人として見るべき人のようです。

 東大寺再建の勧進のために奥州藤原氏を訪れる途上で、鎌倉に立ち寄り源頼朝に面会したことが『吾妻鏡』に記されています。

 享年73歳、文治6年2月16日没という説もありますが、ここでは2月14日としておきます。


【Wikipedia】 西行(さいぎょう)
 元永元年(1118年) - 文治6年2月16日(1190年3月23日)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人。 父は左衛門尉・佐藤康清、母は監物・源清経女。同母兄弟に仲清があり、子に隆聖、女子(単に西行の娘と呼ばれる)がある。俗名は佐藤 義清(さとう のりきよ)。憲清、則清、範清とも記される。出家して法号は円位、のちに西行、大本房、大宝房、大法房とも称す。
 勅撰集では『詞花集』に初出(1首)。『千載集』に18首、『新古今集』に94首(入撰数第1位)をはじめとして二十一代集に計265首が入撰。家集に『山家集』(六家集の一)『山家心中集』(自撰)『聞書集』、その逸話や伝説を集めた説話集に『撰集抄』『西行物語』があり、『撰集抄』については作者と目される。


■ 岡倉 天心

 おかくら てんしん
 1863年2月14日(文久2年12月26日)− 1913年(大正2年)9月2日)

 日本の思想家、文人。本名は岡倉覚三(かくぞう)。幼名は岡倉角蔵。


 近代日本における美術史学研究の開拓者で、英文による著作での美術史家、美術評論家としての活動をしました。

 美術家の養成、ボストン美術館中国・日本美術部長といった多岐に亘る啓蒙活動を行い、明治以降における日本美術概念の成立に寄与しました。

「天心」は、岡倉が詩作などの際に用いた号ですが、生前には「岡倉天心」と呼ばれることはほとんどなく、岡倉覚三で通していたそうです。

 福井藩の下級藩士の父・岡倉勘右衛門は、藩命で武士の身分を捨て、福井藩が横浜に開いた商館「石川屋」の貿易商となり、その商店の角倉で生まれたことから、覚三は当初「角蔵」と名付けられました。

 東京都台東区に、岡倉天心記念公園(旧邸・日本美術院跡)があります。茨

 城県北茨城市には、五浦に日本美術院第一部を移転させて活動した岡倉天心らの業績を記念して、茨城県天心記念五浦美術館が1997年(平成9年)に設立されました。

 ニューヨークで英語による「茶の本」を出版して100年にあたる2006年の10月9日に、岡倉が心のふるさととしてこよなく愛した福井県の大本山永平寺において“岡倉天心「茶の本」出版100周年記念座談会”が行われたことは、記憶されている人も多いでしょう。


■ 平 将門  将門の乱で東国独立を目指す

 たいら の まさかど、-將門
 生誕不詳 − 天慶3年2月14日(940年3月25日)

 平安時代中期の関東の豪族で、平氏の姓を授けられた高望王の三男平良将の子です。第50代桓武天皇の5世の子孫という血筋です。

 下総国、常陸国に広がった平氏一族の抗争から、やがては関東諸国を巻き込む争いへと広がりますと、国府を襲撃して印鑰を奪います。京都の朝廷 朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し、東国の独立を標榜したことによって、遂には朝敵となってしまいました。平将門の乱です。

 しかし即位後わずか2か月たらずで藤原秀郷、平貞盛らにより討伐されました。(承平天慶の乱)。

 死後は、御首神社や神田明神などに祀られます。

 「最初の武士」という人もいます。



 【 注 】
「今日は何の日」「今日の人」は、Wikipedia、富山いづみ氏のサイト、他を参照し、独自に記載したものです。従いまして、当サイト及びブログ等々に関しては、無断複製転載及び模倣を固くお断り申し上げます。
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