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経営者・管理職とコンサルタント

35年の実績と誠意

今日は何の日 話材からヒントと気づきを

40余年の実績で、皆様と共に歩んでゆきます。

 当サイトと連動し、平日毎日複数本のブログ発信をし、経営コンサルタント歴40余年の独断と偏見から何かを感じ取っていただけると幸いです。
 経営者・管理職向けの記事、それを裏返すと経営コンサルタントなど士業の先生方にも参考となります。 
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■【今日の写真】 花の女王「ラン」 国際ラン展より

 ランは、英語でOrchidといいます。一般に草花は、地上に育ちますが、ランの多くは、木の上に根付いたり、中には岩盤の間などに根を張ったりしている種類もあります。美しい割には、生存力が強い植物といえます。

今日は何の日      2月10日
■ 簿記の日

 1873(明治6)年2月10日は、日本で最初の簿記の本である「帳合之法」が出版されました。これを記念して、全国経理学校協会(現 全国経理教育協会)が2004(平成16)年に制定しました。

 この本は、渡米した福沢諭吉翁が持ち帰った本を翻訳したものです。

 簿記というのは、経理会計の基本です。借り方とか仕方の関係がわからないと複式簿記はできません。これがわかると決算書も読みやすくなります。

 ところが今日の決算書はIFARSなどヨーロッパ系会計制度やアメリカ系の英文簿記など、従来のものと大きく変わっています。キャッシュ・フロー計算書は、中小企業では作成を義務づけられてはいませんが、これがないと銀行から借り入れをしたり、大手企業との取引は困難です。

 従って、財務諸表を読むには、かなり高度な知識が求められます。

 税理士は、税法に則した書類を揃えるために、公認会計士は企業の監査をするために、これらの知識が求められます。

 経営士・コンサルタントは、過去のこれらの数値をもとに、企業が抱えている問題点を見つけ出したり、今後それがどのような数値に代わったり、経営にどのように影響するかを予測し、事前に撃つべき対策を提案します。

 それを推進して行くために、適切な助成金や補助金を見つけ、その書類作成を支援するのが中小企業診断士です。

 この関係をきちんと理解していない大学の就職指導の方々の中には、大学生が経営コンサルタントを目指す準備として、取りあえず須簿記でも勉強したらどうかというアドバイスをするそうです。

 経営士・コンサルタントが簿記知識を持てばその仕事をする上にプラスになることはありますが、上述のことからもわかるように必ずしも本格的な簿記の知識がなくても仕事をできます。

 就職指導をする方には、もっと経営士・コンサルタントという職業を理解して欲しいですね。

 ところで、日本における簿記の発展は、計理士によりさらに定着することになりました。日本で最初にできた経営コンサルタント資格である「経営士」資格付与団体の(特)日本経営士協会は、昭和2年に制定された計理士法による計理士の団体の流れをくんでいます。戦後計理士法は公認会計士法に形を変え、その時点で計理士協会から今日の日本公認会計士協会様と(特)日本経営士協会が分離独立したのです。

 日本の公認会計士制度は、戦後復興のために政府が派遣した視察団団長の黒沢清博士の功績が大きいと言われています。その黒沢博士が公認会計士制度とともに経営コンサルタントについても日本の復興に必要なことと、経営コンサルタント業の必要性を強く訴えたことから、それに呼応された太田哲三先生がお骨折りくださり、日本経営士協会が設立されたのです。

 日本における本格的な経営コンサルタントの幕開けは、昭和24年と言えます。

 協会の会員は、プロとしてバリバリ仕事をしている人から、経験の浅い人まで多数いらっしゃいます。実力があるのに、知名度の上がらない先生もたくさんいます。そのような先生には、書籍出版という方法がありますが、出版不況からなかなかその機会が訪れないのが今日です。

【経営コンサルタントの独り言】

■ 誰が大福帳から簿記にしたのでしょうか?

 簿記は、経理会計の基本です。

 経営コンサルタントを目指す人でさえ、簿記は苦手といいますので、多くのビジネスパーソンも同様ではないでしょうか。

 しかし、借り方とか仕方の関係がわかると、決算書を読めるようになったり、経営数字がなんとなくわかるようになります。


 簿記を日本に持ち帰ったのは、咸臨丸で渡米した福沢諭吉翁の持ち帰った本の翻訳が契機と言われています。

 慶應義塾大学を創設するなど、明治時代に多くの功績を残しています。

 慶応だけではなく専修大学、一橋大学、神戸商業高校など多くの学校の創設にも寄与しているのですね。(【Wikipedia】)

 北里研究所、東京大学医科学研究所などの研究機関の創設にも関与し、日本学士院の初代会長も務めています。(【Wikipedia】)

 明治六大教育家の一人としても数えられています。

 因みに六大教育家の他の5人は、以下の人達です。(【Wikipedia】)

  大木喬任   おおきたかとう
   文部卿として近代的な学制を制定

  森 有礼   もりありのり
   明六社の発起代表人
   文部大臣として学制改革を実施

  近藤真琴   こんどうまこと
   攻玉塾を創立
   主に数学・工学・航海術の分野で活躍

  中村正直   なかむらまさなお
   同人社を創立
   西国立志編など多くの翻訳書を発刊

  新島 襄   にいじまじょう
   同志社を創立、
   英語・キリスト教の分野で多くの逸材を教育
   NHK大河ドラマで奥さんの八重さんが一層有名に
 

■ その他
◇ 福島信夫三山山焼参り
◇ 青森雪灯籠祭
◇ 川崎大師厄除け忌東海
◇ 加賀菅生石部祭
◇ 中山法華経寺大荒行満行会

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■ 百丈懐海

 ひゃくじょう えかい
 749年(天宝8載) − 814年2月10日(元和9年1月17日)
 諡号:大智禅師 宗派:洪州宗

 中国福州長楽県の生まれ。

 西山慧照の会下で出家し、衡山の法朝律師の許で具足戒を受けました。

 その後、馬祖より嗣法し、師の没後に、洪州百丈山(江西省宜春市奉新県)に住し、はじめて、律院から独立した禅院を設立しました。禅門の規範(清規)「百丈清規(ひゃくじょうしんぎ)」という禅宗独立の基礎を定め、自給自足の体制を確立しました。

 後世、叢林開闢(そうりんかいびゃく)百丈禅師と称して尊敬を得ました。

 1月17日は、百丈大智禅師懐海の没日です。毎年この日に法会が催しされます。

 元和9年(814年)1月17日に寂し、長慶元年(821年)に大智禅師と諡されました。


【Wikipedia】 百丈
 百丈懐海(ひゃくじょう えかい、749年(天宝8載) - 814年(元和9年))は、中国、南宗禅中の洪州宗の祖馬祖道一の法を継ぐ唐時代の禅僧。懐海は法諱。大智禅師と諡される。
 福建省福州長楽県の生まれ。俗姓は王氏であり、名族である太原の王氏の末裔であり、永嘉の乱の混乱を避けて、遠祖が福建に移り住んだものという。

■ 良忍 生誕

 りょうにん
 延久5年1月1日(1073年2月10日)? − 天承2年2月1日(1132年2月19日))

 平安時代後期の天台宗の僧で、融通念仏宗の開祖。聖応大師(1773年、安永2年)。「良仁」とも書き、房号は光静房または光乗房。尾張国知多郡の領主の秦道武(はた の みちたけ)の子。

 12歳で比叡山に登り、天台・眞言・華厳を学びました。東塔常行三昧堂の堂僧となり、雑役をつとめながら、良賀に師事、不断念仏を修めました。

 22歳から23歳のころ京都大原に隠棲して念仏三昧の一方で、来迎院・浄蓮華院を創建しました。寂光院も良忍による創建説があります。

 分裂していた天台声明の統一をはかり、大原声明を完成させました。

 1117年(永久5年)阿弥陀仏の示現を受け、「一人の念仏が万人の念仏に通じる」という自他の念仏が相即融合しあうという立場から「融通念仏」を創始しました。

 その後、融通念仏の総本山大念仏寺の前身である修楽寺を創建しました。



■ 徳川 家康 生誕

 とくがわ いえやす、旧字体:コ川 家康
 天文11年12月26日(ユリウス暦1543年1月31日、遡及グレゴリオ暦1543年2月10日)− 元和2年4月17日(グレゴリオ暦1616年6月1日)
 主君 今川義元 → 今川氏真 → 足利義昭 →織田信長[2]→ 豊臣秀吉→豊臣秀頼

 戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・戦国大名で、天下人と呼ばれます。安祥松平家9代当主で、徳川家や徳川将軍家、御三家の始祖です。

 家系は、三河国の国人土豪・松平氏、旧称は松平元康(まつだいら もとやす)で、戦国時代に終止符を打ち、朝廷より征夷大将軍に任ぜられ江戸幕府を開き、三英傑のひとりといわれます。

 幼名は、竹千代、通称は次郎三郎で、のちに蔵人佐とも呼ばれていたようです。諱は今川義元より元信(もとのぶ)を授かり、元康とも名乗っていましたが、今川氏から独立した際に「元」を返上して家康に改めました。

 本姓は、私的には源氏を称していましたが、徳川氏改姓と従五位の叙位に際し藤原氏と称し、豊臣政権では豊臣氏を称した形跡もあるほど、ブランディングを目的として苗字にはこだわりました。天正16年(1588年)以降に源氏を再び称しています。

 このことから、家康の出自は、それほど良いとは言えず、それを糊塗するための戦略でしょう。そこから読み取れることは、一般に知られるほどには肝が据わった男ではなく、小心な面を持っていたのではないかと、勝手に、独断と偏見でもって感じています。

 家康につきましては、多くを語る必要がないほど、よく知られています。

 【 注 】
「今日は何の日」「今日の人」は、Wikipedia、富山いづみ氏のサイト、他を参照し、独自に記載したものです。従いまして、当サイト及びブログ等々に関しては、無断複製転載及び模倣を固くお断り申し上げます。
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