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経営者・管理職とコンサルタント

35年の実績と誠意

 

40余年の実績で、皆様と共に歩んでゆきます。

 当サイトと連動し、平日毎日複数本のブログ発信をし、経営コンサルタント歴35年の独断と偏見から何かを感じ取っていただけると幸いです。
 経営者・管理職向けの記事、それを裏返すと経営コンサルタントなど士業の先生方にも参考となります。 
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 【今日の写真】  
 福岡・楽水園

楽水園サイトより

  楽水園は博多駅近くのオフィス街の一画にある博多商人が粋に茶を楽しむ日本庭園です。

 博多商人にあやかって、私も一服いただきました
。  説明 ←クリック
今日は何の日    1月23日
 真白き富士の嶺の日

真白き富士の嶺・・・

という歌詞で始まる「七里ヶ浜の哀歌」という日本の歌があります。

 1910(明治43)年1月23日に、神奈川県逗子開成中学校の生徒12人の乗るボートが、七里ヶ浜で遭難して全員が死亡した悲劇がありました。

 この悲報に接した鎌倉女学校の三角錫子教諭が作詞した鎮魂歌です。この物語は映画化もされました。

 哀調を帯びたこの曲は、多くの日本人の心を打ちますね。

■ ふみの日、電子メールの日

 毎月23日は「2(ふ)3(み)」の語呂合わせから「ふみの日」です。郵政省(現在の日本郵政グループ)が1979(昭和54)年3月に制定しました。

 制定の主旨は「手紙の楽しさ、手紙を受け取るうれしさを通じて文字文化を継承する一助となるように」というものです。eメールの普及で郵便物が少なくなっているようですが、郵便利用の促進を目的としています。

 23日の中でも「1(いい)23(ふみ)」という語呂合わせから、電子メッセージング協議会(現在のEジャパン協議会)が1994(平成6)年に制定しました。

 「ネチケット」という言葉を知らない人はいないと思いますが、ネット利用をスムーズに進めるためのエチケットであることは言うまでもありません。

 同協議会は、ネチケットの普及や迷惑メールを減らすための実態調査やその対策推進をしています。電子メール活用ガイドの作成などで電子メール普及推進活動を行っています。


電子行政用語集

 総務省管轄の外郭公益法人である財団法人マルチメディア振興センターに事務局をおく任意団体。高度情報通信社会に向けて、アプリケーションの研究・開発、ネットワーク向上に関する調査や啓発などを行っている。
 e-コミュニティ推進委員会、EC普及推進委員会、中小企業支援委員会などの委員会を設置し、政府の「
e-Japan戦略」実現に向けて約120の企業や団体とともに活動を展開している。同Webサイトには、初心者向けのネットワーク環境の整備と 運用管理体制の構築マニュアルや、中小・中堅企業のためのポータルサイト(同協議会運営)へのリンクがあり、これから企業の情報化を進めていこうという場合に役に立つ。

 

財団法人 マルチメディア振興センター

■ 奈良大安寺 光仁会(癌封じささ酒祭り)

 桓武天皇が文武百官を伴い、先帝光仁天皇の一周忌の齋会を大安寺で営まれたという『続日本紀』の故事により、毎年一月二十三日に光仁会が行われます。

 この法会は風雅な青竹づくしの祭儀で光仁天皇ゆかりの、「笹酒」の接待が行われます。「がん封じの笹酒」として、広く知られています。(大安寺公式サイトより)



【経営コンサルタントの独り言】

◆ 
メールという横文字が意味するもの

 毎月23日は「2(ふ)3(み)」の語呂合わせから「ふみの日」というのはよく知られています。

 郵政省(現在の日本郵政グループ)が1979(昭和54)年に制定しました。

 文字文化を継承するという目的ですが、切手をたくさん使ってもらうためというのがホンネなのではないでしょうか。<笑い>


 1月23日は「1(いい)23(ふみ)」という語呂合わせから、Eジャパン協議会という団体が電子メールの日として、ネチケット(ネット・エチケット)を普及させるために制定しました。

 eメールとか、単にメールいう言葉は使われますが、最近は「電子メール」とわざわざ言わなくなっていますね。

 かつて、携帯電話の契約の時に、「メールをお使いになりますか?」と聞かれたときに、「パソコンで毎日使っています」ととんちんかんな返答をしてしまいました。

 担当者は「iModoメール」というのが「メール」であることが日々の顧客対応の中であたり前に思っていたのでしょう。

 私は、メールはOutlookを使って発信するeメールというとらえ方だったのです。


 同じ言葉でありながら、異なるとらえ方をするものなのですね。

「手紙」と言えば、紙媒体の文書、「メール」と言えば電子文書というイメージを持つ人が多いと思います。

 いずれも、日本語と横文字の違いはあれ、同じ意味の単語を、日本人は上手に使い分けているのです。

 それだけに、人によってとらえ方が異なる、ニュアンスを考えますと、横文字を使うときには意識したいと思っています。


■ その他
◇ 朔  
◇ 大安寺光仁会
◇ 千蔵院星祭
◇ 島根・出雲大社福神祭

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■ 直江兼続 「愛」の兜で米沢藩家老として尽力


 なおえ かねつぐ
 永禄3年(1560年)-元和5年12月19日(1620年1月23日)


 戦国時代から江戸時代前期にかけての武将で、米沢藩(主君 上杉景勝)の家老を務めました。

 NHK大河ドラマでも、その兜の立物「愛字に端雲の立物」は有名です。また、兼続は、お船の方を最後まで愛し側室を迎えず正室だけを妻に迎えたことでも知られています。


 兼続については、資料も乏しく、諸説入り混じっています。

 永禄7年(1564年)に上田長尾家当主の政景が死去した時、上杉輝虎(謙信)の養子となった政景の子・顕景(後の上杉景勝)に従って春日山城に入りました。仙桃院(謙信の実姉で景勝の母)の要望を受け、景勝の小姓を経て、側近として仕えました。

 武田家滅亡の折には、信濃衆との取次を行うなどから頭角を現し、豊臣時代には、内政・外交の取次のほとんどを担うようになり、家老として景勝との二頭政治に近いものが行われました。

 豊臣政権下で、当時戦乱で疲弊した越後を立て直そうと兼続は農民に新しい田畑の開墾を奨励し、新田開発が進み、それが現在の「米所新潟」の礎となりました。兼続の施策は越後に謙信の時代に劣らぬ繁栄をもたらし、後に上杉鷹山が米沢藩建て直しの参考に繋がったといわれています。

 秀吉の命令で景勝が越後から会津120万石に加増移封された際、兼続には出羽米沢に6万石の所領が与えられました。

 関ヶ原直前、兼続が景勝に無断で年貢を持ち出し、堀秀治が上杉家謀反を家康に訴えました。家康の命を受けて上杉家との交渉に当たっていた西笑承兌に景勝が送った書簡が、有名な「直江状」です。これが、関ヶ原の戦いのきっかけとなる会津征伐を家康に決意させたとされていますが、偽文書とも、大幅改竄された文書ともいわれています。

 景勝が五大老の一人として秀吉方で闘った上杉家ですが、関ヶ原後、慶長6年(1601年)、兼続は景勝とともに上洛して家康に謝罪しました。この時に罪が赦され、景勝は、兼続の所領であった出羽米沢30万石へ減移封となり、上杉家の存続ができました。

 その後は徳川家に忠誠を誓い、兼続は重光と改名、家老として、新たな土地の開墾を進めるために治水事業に力を入れるなど、藩政改革を進めました。


■ 道慈律師

 どうじ
 生年不詳 - 天平16年10月2日(744年11月14日)

 奈良時代の三論宗の僧で、俗姓は額田氏、大和国添下郡の出身です。
 702年(大宝2年)に唐へ渡り、西明寺に住し、三論に通じることになりました。その結果、仁王般若経を講ずる高僧100人のうちの一人に選ばれています。

 718年(養老2年)に帰朝し、日本三論宗の第三伝とされました。

 729年(天平元年)に律師に任じられ、大安寺を平城京へ移設することに尽力しました。736年(天平9年)には、大安寺大般若経転読会を始め、739年(天平12年)には大極殿最勝王経講説の講師をつとめました。

 大宝の遣唐使として43年ぶりに入唐を果たした道慈は、帰国後に『愚志』という書物を著して、唐と異なり教典に従っていないことが多い日本の仏教界を批判しています。

 僧尼の質を向上させるために、戒師を唐から招請、鑑真の来日によって実現することになりました。

 『日本書紀』の編纂にも関与したという説もあります。
(【Wikipedia】を基に作成)


 【 注 】
「今日は何の日」「今日の人」は、Wikipedia、富山いづみ氏のサイト、他を参照し、独自に記載したものです。従いまして、当サイト及びブログ等々に関しては、無断複製転載及び模倣を固くお断り申し上げます。
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