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当サイトと連動し、平日毎日複数本のブログ発信をし、経営コンサルタント歴35年の独断と偏見から何かを感じ取っていただけると幸いです。 経営者・管理職向けの記事、それを裏返すと経営コンサルタントなど士業の先生方にも参考となります。 |
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12月20日 | |
■ トイザらス日本上陸 クリスマスのこの時期、お子さんやお孫さんのために頭を悩ましている人も多いのではないでしょうか。1991年の今日、トイザらスが日本上陸したと報じられました。 品揃えの豊富さ、倉庫のような陳列法など、日本にもその旋風が巻き起こりました。 私もアメリカでの市場調査の折にはトイザらスは欠かせない大型店の一つですが、日本での第一号店が茨城県であったことは、その戦略に驚いたことを記憶しています。もう、20年も前の話になるのですね。 アメリカのトイザらスが、2017年9月に破産宣告を出しましたが、日本は今のところ大丈夫なようです。 |
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■ デパート開業の日 |
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【経営コンサルタントの独り言】 ◆ デパート業界は必死で収益拡大をめざす 「越前屋、おぬし悪よの〜〜」 と悪役として出てくる越前屋と間違えられそうな「越後屋」は、三越デパートの前身です。 1904(明治37)年12月20日に、東京・日本橋にあった三井呉服店が「三越呉服店」と改称して、日本で最初のデパートが誕生しました。 現在の商号である「三越」は、三井家の「三井」と創業時の「越後屋」からとったものであることは、誰もが想像できます。 子供の頃、デパートと言いますと、お子様ランチとおもちゃ売り場、屋上の遊園地というイメージです。 12月20日は、「デパート開業の日」ですが、1991年のこの日に、トイザらスが日本上陸をした日です。 クリスマス商戦で、おもちゃ売り場の売り上げをゴッソリと持って行かれる契機ともなり、その後、ネット通販にも顧客を取られ、苦戦の時代に入ってしまいました。 |
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■ 藤堂高次 生誕 とうどうたかつぐ 慶長6年閏11月11日(1602年1月4日)−延宝4年11月16日(1676年12月20日) 藤堂高虎を父に持ち、幼名「大助」で、徳川家光や家綱までの時代の武将です。 父、高虎には、なかなか実子ができなかったため、丹羽長秀の子を養嗣子・高吉として迎えていました。 幸い、高虎が46歳のとき、ようやく実子である高次が生まれ、寛永7年(1630年)、高虎が病死すると、高次がその跡を継ぎました。 寛永9年(1632年)の江戸城二の丸、寛永16年(1639年)の江戸城本丸消失後の復興、慶安5年(1652年)の日光の大猷院霊廟(だいゆういん、徳川家光の霊廟)などの数多くの石垣普請を行いました。 ところが津藩はこれらの石垣普請の負担により財政が極度に悪化し、高次は年貢増収による財政再建を図って新田開発を積極的に奨励するなどの改革に努めました。 しかしなおも江戸幕府の普請費用を積極的に負担したため、財政はさらに悪化の一途をたどっていきました。 寛文9年(1669年)、隠居して家督を長男の高久に譲り、延宝4年11月16日(1676年12月20日)に死去しました。 |
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昨日 明日 | |
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