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経営者・管理職とコンサルタント

35年の実績と誠意

 

40余年の実績で、皆様と共に歩んでゆきます。

 当サイトと連動し、平日毎日複数本のブログ発信をし、経営コンサルタント歴40余年の独断と偏見から何かを感じ取っていただけると幸いです。
 経営者・管理職向けの記事、それを裏返すと経営コンサルタントなど士業の先生方にも参考となります。 
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 今日の写真  3月19日


サンシュユと梅と椿
アングルがいまひとつで、雑然とした構図になってしまいましたね。
3~4歩右からだとサンシュユが右によって、ムダな空間がなくなりそうです。

 
 【今日の写真】 早春の京都 詩仙堂

 史跡「詩仙堂 丈山寺」 庭は当時でも代表的な名園でしたが、後世修理が加わった今でもこの趣をそこなうことなく現代に引き継がれています。

 詩仙堂には様々な文献や書などが遺されており、ホームページ上では全て御紹介しきれませんが、通常展示以外に、毎年、五月二十三日の丈山忌後の五月二十五日から三日間は「遺宝展」としての特別展示などの行事も行っています。(詩仙堂ウェブサイトより)

  私が撮影した詩仙堂の写真 http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/kyoto/kyoto_shisendou.htm

今日は何の日    3月19日
カメラ発明記念日

 1839年3月19日に、フランスのルイ・マンデ・ダゲールが写真機を発明しました。

 

Wikipedia

もともとの語源であるラテン語では"Camera"は「小さな部屋」を意味し、のちに政治や財政を司る「部屋」(官房国庫)などと意味が拡大した。英語のCameraは「暗室」を意味し、ここから転じて現在の日本語でいうカメラを意味するようになった。

 このカメラは「ダゲレオタイプ」と呼ばれ、長時間露光させるため写真機の前で長い間じっとしていなければなりませんでした。すぐに思い出すのが坂本龍馬の写真でしょう。

 年配の方はピンホールカメラを連想するかも知れません。

 今日のカメラでは、オートフォーカスで、シャープな画像を写し取りますが、ピンホールカメラやダゲレオタイプのカメラですと、柔らかい画像となります。

 子供の頃、ピンホールカメラが雑誌の付録につき、聞きとして写真を撮ったものです。付録では、印画紙の枚数が少なく、小遣いを貯めて印画紙を買って大切に撮った記憶があります。

 それを見て、叔父がどこから仕入れてきたかわかりませんが、アメリカ製のセミブローニーのカメラを私にプレゼントしてくれました。爾後、社員にのめり込んだのは言うまでもありません。

 でも、今日では、肩こりがひどく、カメラを持ち歩くのが億劫となり、携帯電話のカメラで我慢しています。

 因みに、11月30日は「カメラの日」です。

 素人がピントの合った写真を撮れるようになったのは、オートフォーカス機能のおかげであることは否めません。この機能を付けたカメラを世界で最初に発売した会社が何処であるかは意外と知られていません。

 小西六写真工業(現コニカ)なのです。1977(昭和52)年11月30日に、世界に先駆けてオートフォーカス機能付きのカメラを「ジャスピンコニカ」という愛称を付けて発売しました。

 これを記念して、11月30日が「オートフォーカスカメラの日」として制定されました。


■ ミュージックの日

 音楽関係者の労働団体であります、日本音楽家ユニオンが1991(平成3)年に、「楽家と聴衆がともに生音楽の素晴らしさを改めて感じよう」という願いを込めて制定しました。

 
「ミュー(3)ジック(19)」の語呂合わせに由来し、この日を中心に各地でコンサートなどの催し物が開催されます。

 日本音楽家ユニオンは、同団体サイトによりますと、日本演奏家協会と日本音楽家労働組合の組織合同により、1983年10月に発足した、音楽家の個人加盟による組織です。

 音楽家の社会的、経済的地位の向上と音楽文化の発展のための活動を続けて特にNHK、民放、レコード協会などとの間で出演料の取り決めを行っているほか、オーケストラにおける労働条件の改善においても大きな成果をあげています。

 また、商業用レコードの二次使用料の増額にも取り組んでいます。

■ その他
◇ 酬徳会(~21日)

【経営コンサルタントの独り言】

【経営コンサルタントの独り言】 日本製のマスク

 気管支喘息を患っている私は、一年365日、24時間、食事や入浴などを除くとマスクを着用しています。

 真夏の暑いときにマスクを着用するのは、慣れているとはいえ、辛く感じます。

 それでもマスクを着用するのは、マスクをしている方が楽だからです。


 森林浴ができるときには、できる限りマスクを外します。

 平素、マスクを着用しているだけに、空気がおいしく感じます。


「床ずれ」という言葉があります。

 マスクを常時着用していますと、「耳ずれ」(そのような言葉があるとは思えませんが)を起こすことがあります。

 それが夏ですと、汗が滲みて痛みを引き起こしますので、一層辛くなります。


 普通の人に比べますと大量に使いますので、箱買いをするのは当然です。

 ところが、箱売りされているマスクは大半が中国製です。

 幸いなことに日本製もないことはないのです。

 日本製は、マスクの掛け紐が、「耳ずれ」を起こしにくいです。

 使用されている生地も柔らかで、しなやかですので、肌を擦る感覚が少ないのです。


 日本製と中国製の大きな違いは、何だと思われますか?

 中国製は、箱からマスクを一枚取り出すときに、耳の掛け紐が他のマスクのそれと絡まってしまい、なかなか取り出せません。

 ところが日本製は、スッと取り出せます。

 一枚一枚重ねて箱に入っているのです


「それって、当然では・・・」とおっしゃるかもしれませんが、違うのです。

 中国製はマスクが束ねられて箱に入れられています。

 そのためメーカーがマスクを箱詰めする時には、マスク生地の外側に、掛け紐がだらりと下がった状態でしょう。

 ところが日本製は、一枚一枚たたみ込んであるので、掛け紐が外側に出ていません。

 掛け紐同士が引っかかって邪魔をしないのです。

 そのためにコストが高くなってしまうのでしょうが、そこそこの定価で売られているのが、また素晴らしいことです。

 たかがマスク、されどマスク

 日本人らしい心配りを感じます。

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【きょうの人】

■ 後藤 象二郎


 (ごとう しょうじろう
 天保9年3月19日(1838年4月13日)- 明治30年(1897年)8月4日)

 幕末から明治時代の武士(土佐藩士)、政治家、実業家で、正二位勲一等伯爵を得ています。板垣退助・佐々木高行とともに「土佐三伯」の一人に数えられています。

 幼名は、保弥太、良輔で、象二郎は通称です。諱は、正本(まさもと)、元曄(もとはる)、字は日曄、暢谷、雲濤、不倒翁などがあり、雅号に暘谷、雲濤、光海、鷗公などを使っています。


 幕末、慶応元年(1865年)閏5月11日、武市瑞山を獄に断じ、次いで慶応2年(1866年)、藩命を奉じて薩摩、長崎に出張、さらに上海を視察して海外貿易を研究しました。

 慶応3年(1867年)、土佐藩は将軍・徳川慶喜に対し大政奉還論を提議しました。

 土佐藩の在京幹部である寺村道成、真辺正心、福岡孝弟らの賛同を得て、薩摩藩の西郷隆盛、大久保利通、小松帯刀らと会談し、薩土盟約を締結しました。

 イカルス号事件の処理で土佐に乗り込んできた英国公使パークスとの交渉を命じられ、時間を消耗したため、倒幕路線を歩む薩摩との思惑のずれから盟約は解消されてしまいました。

 新政府では、大阪府知事や参与、左院議長、参議、工部大輔などの要職に就きますが、明治6年(1873年)の征韓論争に敗れて板垣退助、西郷隆盛らと共に下野することとなりました。

 【 注 】
「今日は何の日」「今日の人」は、Wikipedia、富山いづみ氏のサイト、他を参照し、独自に記載したものです。従いまして、当サイト及びブログ等々に関しては、無断複製転載及び模倣を固くお断り申し上げます。
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内閣府認証特定非営利活動法人・日本経営士協会会長
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