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経営者・管理職とコンサルタント

35年の実績と誠意

 

40余年の実績で、皆様と共に歩んでゆきます。

 当サイトと連動し、平日毎日複数本のブログ発信をし、経営コンサルタント歴40余年の独断と偏見から何かを感じ取っていただけると幸いです。
 経営者・管理職向けの記事、それを裏返すと経営コンサルタントなど士業の先生方にも参考となります。 
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 今日の写真
 
 【今日の写真】 早春の京都 詩仙堂 

 壁には獅子が子を谷に落とす図のある扇形の壁間窓があり、その上方に、中国の詩人三十六人の画像および詩の額が四周に掲げられている。いまは大部黒ずんで、よくは見えない。

 雅致ある廊下づたいに、隣の部屋へ行くと、ここは「猟芸巣(至楽巣)」という読書室である。

 興至れば堂上の楼に上り、月に向かって朗吟する。これを「嘯月楼」という。(詩仙堂ウェブサイトより)

  私が撮影した詩仙堂の写真 http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/kyoto/kyoto_shisendou.htm

今日は何の日    3月17日

■ 彼岸の入り(年により日付が異なる)

 「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、今日は彼岸の入りです。ご存知のように春分の日と秋分の日を中日として、その前後三日間の七日間を「彼岸」と言います。彼岸の初日なので「彼岸の入り」と言います。因みに、最後の日を「彼岸の明け」ということもご存知と思います。

 諸寺では彼岸会法要が行われ、亡くなられた方々の追善供養を行います。

 春秋の彼岸には太陽が真東から昇り、真西(阿弥陀仏が座す方向)に歿することから、「西方往生の大願を成就すべし」と勧められています。これが彼岸会の縁由といわれています


【Wikipedia】 彼岸

彼岸(ひがん)とは、煩悩を脱した悟りの境地のことで、煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の岸「此岸」(しがん)と言うのに対して、向う側の岸「彼岸」という。「彼岸会(ひがんえ)」は、雑節の一つで、春分秋分を中日とし、前後各3日を合わせた7日間のこと。また、この期間に行われる仏事のこと。暦の上では最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」なお、地方によっては最後の日を「はしりくち」という地方もある。俗に、中日に先祖に感謝し、残る6日は、悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目、六波羅蜜を1日に1つずつ修めるためとされている。


■ 聖パトリックの祝日(緑の日)

 3月17日は、アイルランドの守護聖人である聖パトリックの聖名祝日です。

 アイルランドの国花である三つ葉のクローバーをシンボルしているので、この日に緑色のものを身につけると幸せになれると言われています。


Wikipedia

 聖パトリックの祝日(せいパトリックのしゅくじつ、英:St Patrick's Day, セントパトリックス・デー)は、アイルランドキリスト教を広めた聖人聖パトリック命日3月17カトリックにおける祭日であり、アイルランド共和国の祝祭日

 シャムロックを服につけたり、ミサに行ったりする。アイルランドでは何世紀も前からこの日を祝う伝統が受け継がれてきたが正式に1903より祝日となり、イギリスから独立後徐々に祝祭日として成長した。1996には政府が主体となってダブリン5日間の盛大なフェスティバルとなりパレードやその他の行事が行われるようになった。

■ 漫画週刊誌の日

 1959(昭和34)年3月17日に、日本最初と言われる少年向け週刊誌である「少年マガジン」「少年サンデー」が発刊されました。

 私の従弟が漫画好きで、それが高じて貸本漫画屋をそれからしばらくしてやっていました。自分が好きな本を中心に、貸すよりは自分が読むために本を仕入れていた節もあります。

■ その他
◇ 相国寺円通閣懺法会
◇ 近江八幡左義長祭
◇ 天皇講


【経営コンサルタントの独り言】

■ 漫画という言葉が以前ほど使われなくなりましたね


 近年、「漫画」という言葉が、以前ほど使われなくなってきました。

 コミック誌の売上も減少してきています。

 海外にもコミック誌はありますが、日本のコミック誌ほど分厚いのはないのではないでしょうか。

 子供の頃は、漫画本を持つことがあまりなかった時代です。

 近所の遊び仲間の家で読ませてもらったりしました。

 貸本屋が街にできたのは、それより後の話です。

 私は、貸本屋に入った経験もないのですが、従弟の一人は、漫画が好きで、それが高じて貸本屋を始めました。

 もちろん、今は転業しています。


【経営コンサルタントの独り言】

■ 経営者はコンサルタントの実力をどの様に判断する?


 テレビドラマ「百の資格を持つ女」を扮する渡辺えり子さんが、場面にそった資格を活かして大活躍します。

 近年「検定試験」が花盛りです。

「京都検定」など、「ご当地」検定も多いですね。

 ○○検定1級などと、ランク付けされていることが多いです。


 経営士という経営コンサルタント資格もランクがあります。

 経営コンサルタントという高度な業務をこなせるには、知識だけではできません。

 経験を積み、経験に裏付けされた実力を持ち、実績ある経営コンサルタントと、資格を取りたての先生とでは、コンサルティング結果は大きく異なるのが通常です。

 そのために、経営士にはランクがあります。

 まずは経営士補を取得し、経営士Cクラス、Bクラス、Aクラスと昇格をして行きます。

 昇格には、経験・実力・実績が審査の判断基準となります。

 従って、経営コンサルタントとしての実力判定の目安になります。

 一方で、資格が高くなるほど、コンサルティング・フィーも上昇しますので、経営者が選定する時に、実力か、費用か、判断をする必要があります。

 それでは、経営士補から経営士Cクラスに昇格するには・・・

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■ 菊池大麓 生誕

 きくち だいろく
 1855年3月17日(安政2年1月29日)- 1917年(大正6年)8月19日)は、明治時代から大正時代にかけての日本の数学者で、教育行政官を務めました。男爵の爵位を持っていました。

 東京帝国大学(東京大学の前身)や、京都帝国大学(京都大学の前身)ほか、数大学の総長等を務め、教育にも貢献しています。

 蘭学者の箕作秋坪とつね夫妻の次男として江戸に生まれ、父の実家・菊池家の養嗣子となりました。

 蕃書調所(東京大学の前身)で英語を学び、1867年(慶応3年)と1870年(明治3年)の2度に亘り英国に留学しました。2度目の留学ではケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジで数学と物理学を学び学位を取得しています。ケンブリッジ大学を卒業した初めての日本人留学生なのです。

 帰国後の1877年(明治10年)、東京大学理学部教授となり、近代数学を初めて日本にもたらしました。

 同大学総長、学習院院長、京都帝国大学総長など、錚々たる大学で共育に携わってきました。

 理化学研究所初代所長等を歴任し、1902年(明治35年)には男爵を授爵されました。福澤諭吉とは知己の仲で、1874年(明治7年)には、福澤に招聘されて明六社に参加、福澤がその後に設立した交詢社にも発足時常議員としてもその名を連ねています。

 菊池は数学者・教育者であるとともに政治的手腕も持っていたそうで、1890年(明治23年)9月に貴族院勅選議員に勅任されています。

 文部省で専門学務局長から、1897年(明治30年)11月から翌年5月まで第2次松方内閣から第3次伊藤内閣にかけての文部次官となり、後に文部大臣を拝命しています。

 【 注 】
「今日は何の日」「今日の人」は、Wikipedia、富山いづみ氏のサイト、他を参照し、独自に記載したものです。従いまして、当サイト及びブログ等々に関しては、無断複製転載及び模倣を固くお断り申し上げます。
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内閣府認証特定非営利活動法人・日本経営士協会会長
わかりやすい語り口で講演・セミナーや社員研修に引っ張りだこ