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経営者・管理職とコンサルタント

35年の実績と誠意

 

40余年の実績で、皆様と共に歩んでゆきます。

 当サイトと連動し、平日毎日複数本のブログ発信をし、経営コンサルタント歴40余年の独断と偏見から何かを感じ取っていただけると幸いです。
 経営者・管理職向けの記事、それを裏返すと経営コンサルタントなど士業の先生方にも参考となります。 
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 【今日の写真】 わが家のラン 
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今日は何の日    2月23日

■ ふろしきの日

 京都ふろしき会が、「つ(2)つ(2)み(3)」(包み)の語呂合せから、この日に制定しました。

 正方形をした布製のものが一般的ですが、用途によってはビニール製のものも便利です。

 その風呂敷の起源は定かではないようですが、正倉院にそれらしきものがあるようですから、奈良時代にまで遡るのでしょうか。

「衣包(ころもつつみ)」とか「平包(ひらつつみ)」と呼ばれていたようです。

 室町時代になると、大名が風呂に入る時に、風呂敷の上で脱衣し、それを包んだことから「風呂敷」の呼び名に代わったという説があります。

 呼び名の起源は、諸説あるようです。


 私は、海外出張の折に、風呂敷をお土産に持って行きました。美人画など浮世絵などがプリントされた風呂敷は大変に喜ばれました。

 それをタペストリーのような飾り物にしてくれたり、スカーフにしたりと、日本人には想像できないような使い方をするのが興味深かったです。

 税理士記念日

 1942(昭和17)年2月23日に、「税理士法」の前身である「税務代理士法」が制定されました。これを受けて日本税理士会連合会が「税理士記念日」を1969(昭和44)年に制定したのです。

 税理士記念日制定の目的は、「国民・納税者への申告納税制度の普及・定着を図り、税理士制度の意義をPRする」ことです。この日には各地で無料税務相談が行われるので、必要な方は相談に行かれるとよいでしょう。


  図: 日本税理士会連合会 ←クリック

 

■ その他
◇ 皇太子誕生日  
◇ 京都醍醐寺五大力尊仁王会
◇ 善通寺会陽

【経営コンサルタントの独り言】

■ 税理士資格を持っていても税理士法違反になる?!


 税理士法は、1942(昭和17)年に制定されました。

 税理士法の前身は、「税務代理士法」といいますように、税務に関する職業独占を持つ国家資格です。

 確定申告書や決算書類を税理士以外が作成すると税理士法違反となります。

 ただし、税理士の資格を持っていても、日本税理士会連合会に備える税理士名簿に、登録されていませんと、この業務を行えません。

 すなわち登録税理士さんであるかどうかは、税理士会連合会から発行される顔写真つきの登録者証「税理士証票」を持っているかどうかによります。

 新たに税理士の先生に仕事を依頼するときには、必ず確認しましょう。

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 行基

 ぎょうき/ぎょうぎ
 天智天皇7年(668年) - 天平21年2月2日(749年2月23日)

 奈良時代の日本の僧。和泉国(現在の大阪府堺市)に生まれ、15歳で出家し、法興寺、薬師寺で唯識等を学びました。また、徳光、道昭、義淵などにも受法(学ぶ)しました。

 生駒山に隠遁生活をした後、諸国を遊下して寺を創建しました。

 民衆への仏教の布教活動を禁じた時代に、禁を破り畿内を中心に民衆や豪族など階層を問わず困窮者のために、弟子を率いて架橋や開田など社会事業に偉業を残しました。朝廷からは度々弾圧や禁圧されましたが、民衆の圧倒的な支持を得、その力を結集して逆境を跳ね返しました。

 その後、日本で最初のとして聖武天皇により奈良の大仏(東大寺)造立の実質上の責任者として招聘され、諸国を勧進して資金集めをし、その功績により東大寺の「四聖」の一人に数えられています。



■ 徳川綱吉

 とくがわ つなよし
 正保3年1月8日(1646年2月23日)-宝永6年1月10日(1709年2月19日)

 徳川綱吉は、犬公方と呼ばれる江戸幕府の第5代将軍です。

 慶安4年(1651年)4月、三兄の長松(のちの徳川綱重)とともに賄領として近江、美濃、信濃、駿河、上野から15万石を拝領し家臣団を付けられました。同月には家光が死去し、8月に長兄の徳川家綱が将軍宣下を受けました。

 寛文元年(1661年)8月、上野館林藩主として城持ちとなったことで所領は25万石となりました。12月には参議に叙任され、この頃「館林宰相」と通称され、徳川姓を名乗りました。(館林徳川家の創設)。

 館林藩主となりましたが、綱吉は、基本的に江戸在住であって家臣の8割も神田の御殿に詰めていました。

 延宝8年(1680年)5月、家綱に跡継ぎとなれる男子がなく、家綱が40歳で死去したために将軍宣下を受け、五代将軍となりました。

 綱吉は、堀田正俊を片腕に処分が確定していた越後高田藩の継承問題(越後騒動)を裁定し直したり、諸藩の政治を監査するなどして積極的な政治に乗り出しました。それまで、「左様せい様」と陰口された家綱時代に下落した、将軍権威の向上に努めました。

 また、幕府の会計監査のために勘定吟味役を設置して、有能な小身旗本の登用をねらい、荻原重秀もここから登用されています。外様大名からも一部幕閣への登用がみられるなど、政治手腕は、犬公方とさげすまされるのとは逆の評価も得られています。

 この頃から有名な生類憐みの令をはじめとする、後世に“悪政”といわれる政治を次々と行うようになりました。

 犬公方と呼ばれるようになったのは、当時の江戸では辻斬りや動物虐待の庶民の生活を見て哀れんだ上、母の寵愛していた隆光僧正の言を採用して、生類発布しました。それが、悪評を呼ぶ理由のひとつが、自分の考えをキチンと周囲に伝えないがために誤解されたことによるものです。どうやら綱吉は、心の優しい人だったようです。

 一方で、側用人を重用しすぎて、忠臣蔵で語られるようなことも行っています。

 綱吉は。宝永6年(1709年)1月10日に成人麻疹により、享年64歳で死去し、上の寛永寺に静かに眠っています。

  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/tokyo/taitouku-uenokouen03.htm


 
 【 注 】
「今日は何の日」「今日の人」は、Wikipedia、富山いづみ氏のサイト、他を参照し、独自に記載したものです。従いまして、当サイト及びブログ等々に関しては、無断複製転載及び模倣を固くお断り申し上げます。
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