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経営者・管理職とコンサルタント

35年の実績と誠意

今日は何の日 話材からヒントと気づきを

40余年の実績で、皆様と共に歩んでゆきます。

 当サイトと連動し、平日毎日複数本のブログ発信をし、経営コンサルタント歴40余年の独断と偏見から何かを感じ取っていただけると幸いです。
 経営者・管理職向けの記事、それを裏返すと経営コンサルタントなど士業の先生方にも参考となります。 
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今日は何の日      2月1日
如月
 
【今日の写真】 花の女王「ラン」 国際ラン展より

 ランは、英語でOrchidといいます。世界には15,000種もあるといわれますが、日本にはそのうちの数%しか生息していないそうです。
■ 一夜正月

 「一夜正月」という言葉をご存知の人も多いと思います。2月1日を二度目の元日にみたてて、厄年を早く送ってしまおうという風習です。厄年と言うことを信じていない人でも、自分がその年になると気になるものです。そこで一夜正月のような風習が生まれてきたのでしょう。

 因みに、男性の厄年は、数えで15歳、42歳、60歳ですし、女性は19歳と33歳です。気になる人は神社でお祓いを受けるとよいでしょう。逆に今年は厄年なので何事にも慎重に行こうという前向きな人もいらっしゃるでしょう。

 私のようにのんきな人間は、「病は気から」などと楽観的に見て、「前厄」とか「後厄」などと言われても気にしないでいました。母が健在なのですが、きちんと厄払いを私のためにしてくれていたのですね。お陰さまで、その三年間を無事に過ごすことができ、今日に至っています。親というのは、いくつになっても親なのですね。

■ ニオイの日

 「に(2)お(o)い(1)」の語呂合せから、2月01日は「ニオイの日」の日です。

 P&Gの「ファブリーズ暮らし快適委員会」が2000(平成12)年に制定しました。

 臭いというのは、気にする人は、ちょっとした異臭でも厭がります。加齢臭という言葉がありますが、当然私も加齢臭が騒がれる年代にとっくに入っています。

 加齢臭の元は、発刊によることが多いようです。歳を取ると汗をかかなくなると言われますが、局部的に汗を各部分があり、それが加齢臭に繋がるようです。

 私は、パソコンに向かって仕事をすることが多いので、おしりの周りに汗をかくことが多く、入浴時には丁寧に洗うようにしています。

 他界した母は、若い頃臭いを気にする人でした。隔世遺伝なのか、娘が敏感な臭覚と味覚を持っていて、パリに本部のある国際ソムリエ協会の登録ソムリエの資格を持っています

 ワインと料理、チーズなどには、結構煩いことを言われます。ただし、私はそれほどではありません。

 しかし、言葉は気になります。綺麗な花を見て「良い臭い」という表現は好きではありません。「臭い」という言葉は「悪臭」などという表現にも繋がり、私の語感としては「良い香り」と言いたいところです。

【経営コンサルタントの独り言】

◆ 臭う、匂う、香る、薫る?? ニオイの日に思う


 2月1日は「ニオイの日」の日でした。

「臭いの日」としないで、「ニオイの日」としたことに素晴らしさを感じます。

 もし、その意味がお解りの方は、すばらしい日本語の語感をお持ちだと思います。


「悪臭」「変な臭い」「臭い」「臭い飯を食う」「面倒臭い」という表現から、「臭」という字は、あまりよいイメージを感じません。

 広辞苑第六版を見ますと、トップに「いやなにおい」が表記されています。

 そのほかの意味も芳しくありません。


 おなじ「におい」でも「匂い」となると、広辞苑でも好感度のある意味が表記されています。

  そのものから ただよってきて、鼻に感じられるもの。
  それらしい感じ。おもむき。「下町の━がする」
  〔雅〕美しい色つや。「━めでたき桜花(サクラバナ)」


 うなぎ屋さんの前を通るとき漂ってくる薫りはなんとも言えませんね。

 これも「良い臭い」と書かず「良い匂い」と書くべきでしょう。


 日本語に詳しい私ではありませんが、最近の日本人は、語感が低下していると思います。
「生足」
 私は生首を連想してしまいますので・・・

「生き様」
「ざまーみろ」という言葉がありますが「様を見ろ」から来ていますが、この場合の「様」は決して良いニュアンスではありません。

「生き方」と表現するだけで、私のように違和感を感じる人が少なくなると思います。


 私が、このような話をしますと、大半の方が、「なぜ、あんたはそんなことにこだわるの?」と疑問を持たれます。

 これも感覚のずれなのでしょうね。


■ その他
 テレビ放送記念日  
◇ 生活習慣病予防週間(〜7日)  
◇ 春の植木市(〜3/10)  
◇ 福井・永平寺涅槃会摂心(〜7日)  
◇ 行基菩薩忌

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■ 一休宗純 生誕

 いっきゅうそうじゅん
 明徳5年1月1日(1394年2月1日) - 文明13年11月21日(1481年12月12日)

 室町時代の臨済宗大徳寺派の僧で、誰もが知っている説話のモデルとしても知られています。

 出生地は京都で、出自は後小松天皇の落胤とする説が有力視されています。

 母親の出自は不明ですが、皇胤説に沿えば後小松天皇の官女で、その父親は楠木正成の孫と称する楠木正澄と伝えられています。三ツ島(現・大阪府門真市)に隠れ住んでいたという伝承があり、三ツ島に母親のものと言われる墓が現存します。

「洞山三頓の棒」という公案に対し、「有漏路(うろぢ)より無漏路(むろぢ)へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」と答えたことから、華叟より一休の道号を授かりました。

 正長元年(1428年)、称光天皇が男子を残さず崩御し伏見宮家より後花園天皇が迎えられて即位しましたが、この即位には一休の推挙があったといわれています。

 戦災にあった妙勝寺を中興し草庵・酬恩庵を結び、後に「一休寺」とも呼ばれるようになりました。

 名言「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」

 巷では、「正月や冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」といいますが、やはり[門松]がただしいようです。


■ 良忍

 りょうにん
 延久5年1月1日(1073年2月10日)? − 天承2年2月1日(1132年2月19日))

 平安時代後期の天台宗の僧で、融通念仏宗の開祖。聖応大師(1773年、安永2年)。「良仁」とも書き、房号は光静房または光乗房。尾張国知多郡の領主の秦道武(はた の みちたけ)の子。

 12歳で比叡山に登り、天台・眞言・華厳を学びました。東塔常行三昧堂の堂僧となり、雑役をつとめながら、良賀に師事、不断念仏を修めました。

 22歳から23歳のころ京都大原に隠棲して念仏三昧の一方で、来迎院・浄蓮華院を創建しました。寂光院も良忍による創建説があります。

 分裂していた天台声明の統一をはかり、大原声明を完成させました。

 1117年(永久5年)阿弥陀仏の示現を受け、「一人の念仏が万人の念仏に通じる」という自他の念仏が相即融合しあうという立場から「融通念仏」を創始しました。

 その後、融通念仏の総本山大念仏寺の前身である修楽寺を創建しました。


■ 真雅

 しんが
 延暦20年(801年) − 元慶3年1月3日(879年2月1日)
 貞観寺僧正・法光大師

 平安時代前期の真言宗の僧。父は佐伯田公。空海の族弟。讃岐国多度郡屏風浦の出身。

 清和天皇の誕生以来の護持僧で、帰向を受け、法印大和尚、また東寺法務是にとなりました。藤原良房とともに、清和天皇の御願寺である山城貞観寺の開基でもあります。

 空海の十大弟子の一人でもあります。

 山城貞観寺で、元慶3年1月3日に79歳でなくなりました。


 弘法大師空海の弟であっても、修行を重ね、十大弟子の一人にまで達しました。

 実るほどに頭を垂れる稲穂かな

 人の上に立つほど、腰を低くすることにより、一層、自分の存在感が増すという、私の祖母の教えでもあります。



■ 沢村 栄治 プロ野球史上に残る伝説の投手

 さわむら えいじ、旧字体:澤村 榮治
 1917年2月1日 − 1944年12月2日

 三重県出身の日本プロ野球史上に残る伝説の投手です。

 京都商業学校(現在の京都学園高等学校)の投手として1933年春、1934年春・夏の高校野球全国大会(当時は中等野球)に出場し、1試合23奪三振を記録するなど、才能の片鱗を見せました。


 戦前のプロ野球界で、史上2人目のシーズン防御率0点台や、史上初の投手5冠(1990年代に宇佐美徹也が提唱)に輝き、史上初のノーヒットノーラン達成を3回など、さまざまな記録を打ち立てました。


  プロ野球リーグが始まる前の1935年、第一次・第二次アメリカ遠征に参加し、アメリカ人を相手に勝敗互角の勝率を上げました。

 慶應義塾大学へ進学しますが、正力太郎の強引な説得で巨人入りしました。

 プロ野球リーグが開始された1936年秋に中山武とのバッテリーでプロ野球史上初(昭和初、20世紀初、大正生まれ初)のノーヒットノーランを達成します。同年12月、大阪タイガースとの最初の優勝決定戦では3連投し、巨人に初優勝をもたらしたのです。

 日中戦争(支那事変)に従軍。前線で手榴弾を多投させられたことから生命線である右肩を痛めたり、左手を銃弾貫通で負傷、さらにマラリアに感染したりと悲劇が続きました。

 得意の、オーバースローからの速球が投げられなくなり、サイドスローに転向し、抜群の制球力と変化球主体の技巧派投球を披露し、3度目のノーヒットノーランを達成しました。

 再度の応召で、フィリピン防衛戦に向かう軍隊輸送船が撃沈され、2才の若さで、屋久島沖西方 にて戦死しました。

 読売巨人軍では、背番号14を永久欠番にしています。


 【 注 】
「今日は何の日」「今日の人」は、Wikipedia、富山いづみ氏のサイト、他を参照し、独自に記載したものです。従いまして、当サイト及びブログ等々に関しては、無断複製転載及び模倣を固くお断り申し上げます。
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