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経営者・管理職とコンサルタント

35年の実績と誠意

 

40余年の実績で、皆様と共に歩んでゆきます。

 当サイトと連動し、平日毎日複数本のブログ発信をし、経営コンサルタント歴35年の独断と偏見から何かを感じ取っていただけると幸いです。
 経営者・管理職向けの記事、それを裏返すと経営コンサルタントなど士業の先生方にも参考となります。 
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 【今日の写真】  
 朝の散歩で、寒風にさらされながらもけなげに咲くサザンカを見つけました。
今日は何の日    1月31日

 生命保険の日

 生命保険のセールスパーソンの集りである(一社)MDRT日本会( http://www.mdrt.jp)が制定しました。

 MDRTそのものは、1927年(昭和2年) 、全米生命保険外務員協会(NALU) の副会長であったポール・クラーク氏がに手紙で呼びかけ、テネシー州メンフィスのホテルに集まったのが始まりです。

 1882(明治15)年1月31日に、生命保険の受取人第一号誕生が報じられたという記録から、この日が選ばれました。

 その理念は、下記の通りです。

  顧客第一主義
  社会貢献
  プロフェッショナリズム
  相互研鑽
  シェアリング

 一家の大黒柱や主婦が他界すると、精神的なショックは当然のことですが、経済的な影響は無視できません。その様なときに、生保というのは大きな助けになります。

 一方で、保険料を納めると言うことは、収入が安定的に、あるレベル以上であれば容易かもしれませんが、そうでない家庭も多い昨今です。

 その様な人でも、生命保険のような仕組みはできないのでしょうか。


 愛妻家の日

 1月の1を、アルファベットのIに見立て、「あい(I)さい(31)」の語呂合わせから、1月31日を「愛妻家の日」日と日本愛妻家協会が制定しました。

 ある統計によると、日本人夫婦の60%が仲が良い夫婦であると認識しているそうです。一方で、別の統計によると「来世でも同じ日とを伴侶にしたいか」という質問に対しては「したい」と回答した日とは20%に充たないとのことです。

 矛盾しているようでもあり、納得できるようでもあります。

 夫は元気で、外で働いて、顔をつきあわすことが少ない方が良いとか、顔を見るのも嫌などと言う奥さんもいる時代です。60%もの夫婦が仲が良いという数値が真実であれば、素晴らしいことと思います。

 「よい(4)ふ(2)ふ(2)」を「よいふうふ」と読ませ、その語呂から、4月22日は「よい夫婦の日」です。出版大手の講談社が1994年に制定しました。

■ その他
◇ 防災農地の日

【経営コンサルタントの独り言】

◆「愛夫の日」というのはないのでしょうか?


 1月31日は「愛妻家の日」です。

 アメリカでは、一日一回以上「I love you.」と言わないと離婚原因として認められるということを聞いたことがあります。

 一方で、日本では如何でしょうか?

 最近の若いカップルでも、毎日という人は少ないのではないでしょうか。

 われわれの年代になると、「言ったこともない」という夫婦も多いでしょう。


 拈華微笑 以心伝心

 言わなくてもわかっているはずだ、という思いが強いので、言わないのでしょう。

 昨今では、言葉にしないと気持ちは相手に伝わらないと言われています。

 夫婦でも、言葉にすべきなのでしょうね。

 何か、気恥ずかしい思いがしますが、4月1日に思いきって言ってみようと思います。


 ところで、「愛夫の日」というのは、ないのでしょうか。

「愛妻家の日」の制定に則りますと「1月2日」にすべきですね。

 なぜかわからない人は、「愛妻家の日」のブログをご覧下さい。

  拈華微笑
  http://www.glomaconj.com/joho/keieijoho.htm#04

  ブログ
  http://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/4fd24f5b11a512c957c91a25aace8a75

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■ 徳川 家康 生誕

 とくがわ いえやす、旧字体:德川 家康
 天文11年12月26日(ユリウス暦1543年1月31日、遡及グレゴリオ暦1543年2月10日)- 元和2年4月17日(グレゴリオ暦1616年6月1日)
 主君 今川義元 → 今川氏真 → 足利義昭 →織田信長[2]→ 豊臣秀吉→豊臣秀頼

 戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・戦国大名で、天下人と呼ばれます。安祥松平家9代当主で、徳川家や徳川将軍家、御三家の始祖です。

 家系は、三河国の国人土豪・松平氏、旧称は松平元康(まつだいら もとやす)で、戦国時代に終止符を打ち、朝廷より征夷大将軍に任ぜられ江戸幕府を開き、三英傑のひとりといわれます。

 幼名は、竹千代、通称は次郎三郎で、のちに蔵人佐とも呼ばれていたようです。諱は今川義元より元信(もとのぶ)を授かり、元康とも名乗っていましたが、今川氏から独立した際に「元」を返上して家康に改めました。

 本姓は、私的には源氏を称していましたが、徳川氏改姓と従五位の叙位に際し藤原氏と称し、豊臣政権では豊臣氏を称した形跡もあるほど、ブランディングを目的として苗字にはこだわりました。天正16年(1588年)以降に源氏を再び称しています。

 このことから、家康の出自は、それほど良いとは言えず、それを糊塗するための戦略でしょう。そこから読み取れることは、一般に知られるほどには肝が据わった男ではなく、小心な面を持っていたのではないかと、勝手に、独断と偏見でもって感じています。

 家康につきましては、多くを語る必要がないほど、よく知られています。

■ 賓頭盧

 びんずる
 出没不明

 釈迦の弟子の一人で、彼の説法が他の異論反論を許さずライオンのようであったため「獅子吼(ししく)第一」と称されています。

 名は、「ピンドーラ」、姓は「バーラドヴァージャ」で、その名前の意味は、「不動」、「利根」といいます。十六羅漢の筆頭です。

 博識であり慈悲深く十善を尊重し、阿羅漢果により神通力を得たといわれています。白髪長眉の相があったといわれることからも、神通力を持つことがうかがえます。

 自分の身体で悪いところがあれば、そこを撫でると除病の功徳があるとされ、なで仏の風習が広がりました。



■ 普明国師 春屋 妙葩

 ふめいこくし  しゅんおく みょう
 応長元年12月22日(1312年1月31日)-元中5年/嘉慶2年8月12日(1388年9月12日)

 室町時代の臨済宗の禅僧で、室町幕府の帰依を得て臨済宗相国寺の第二世となりました。事実上の開山国師です。

 五山文化の発展に寄与した。ほかに天龍寺や臨川寺の住職をしています。

 春屋は道号、別号に芥室、不軽子など。諡号は知覚普明国師です。

 母方の叔父である夢窓疎石のもとで受戒すると天龍寺の住職となりました。室町幕府に対して、五山第一の南禅寺の楼門(山門)新築を提言しました。

 幕府は楼門建設の援助をしましたが、南禅寺と紛争状態であった園城寺がこれに強く抗議をしました。

 比叡山の門徒もこれに加わり楼門撤去や妙葩の配流を求め、紛争は政治問題にまで発展してしまいました。

 妙葩は頼之と対立して天龍寺住職を辞して阿波国光勝院、さらに丹後国雲門寺に隠棲することになりました。

 1379年(康暦元年/天授5年)の康暦の政変で頼之が失脚した後に入京し、南禅寺住職として復帰しました。


 【 注 】
「今日は何の日」「今日の人」は、Wikipedia、富山いづみ氏のサイト、他を参照し、独自に記載したものです。従いまして、当サイト及びブログ等々に関しては、無断複製転載及び模倣を固くお断り申し上げます。
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