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経営者・管理職とコンサルタント

35年の実績と誠意

 

40余年の実績で、皆様と共に歩んでゆきます。

 当サイトと連動し、平日毎日複数本のブログ発信をし、経営コンサルタント歴35年の独断と偏見から何かを感じ取っていただけると幸いです。
 経営者・管理職向けの記事、それを裏返すと経営コンサルタントなど士業の先生方にも参考となります。 
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 【今日の写真】  
 朝の散歩で、寒風にさらされながらもけなげに咲く花を見つけました。
今日は何の日    1月29日
 人口調査記念日

 江戸は、世界第一の都市であったということを聞いたことがあります。

 日本の正確な人口数は、国勢調査による方法がありますが、近年、国勢調査に協力しない人が増え、住民登録による数値との乖離が大きくなっていると聞いています。

 1872(明治5)年1月29日に、日本で最初全国戸籍調査が行われました。それを記念して1月29日を「人口調査記念日」として制定されました。

 その当時の人口は、3000万人程度だったと言いますから、現在の四分の一ほどであったと言えます。また、今日では女性の比率が高いのですが、3%弱、男性が多かったようです。

 男性の結婚難の時代は、江戸時代から引き続き、明治の前半までもずれ込んでいたのですね。

 昭和基地開設記念日

 南極をテーマにした映画やテレビ番組では、感動が多いようです。

 1957(昭和32)年1月29日に、日本の南極観測船宗谷に乗って行った観測隊が、南極のオングル島へ上陸し、昭和基地を開設しました。これを記念して、1月29日を「昭和基地開設記念日」としました。
 
 奇しくもその年からその翌年にかけては「国際地球観測年」でした。当時、南極大陸には日本を始め12か国による観測網が敷かれたのです。

 毎年11月に観測隊が出発しますが、昔は「観測船」であったのが「観測艦」と名称が変わってきています。重装備になったと言うことでしょうか。

 観測船宗谷の時代に、宗谷が氷に阻まれて前進も後退もできなくなったときに、ソ連(現在のロシア)のオビ号によって氷海を脱出したというニュースはいまでも鮮明に覚えています。


■ タウン情報の日

 タウン情報全国ネットワークが、1973(昭和48)年に、日本初の地域情報誌『ながの情報』が発行されたことを記念して制定しました。

「全国各地からの最新ローカル情報を見よう!」というキャッチコピーで、ネットで情報が提供されています。

  https://www.tj-net.co.jp/

 その事業内容は、同社サイトによりますと、下記のようになっています。

  日本全国の地方都市で発行されている
  タウン情報誌・フリーペーパーを
  中心メディアとしたソリューション提供、
  およびコミュニケーションプランの企画立案


 地方の市町村ですと、なかなか定期的な発行はむつかしいでしょうが、それをサポートする企業があると継続しやすいですね。

 一方で、そのために、地方毎の特色が薄まってしまうのではないかという懸念もあります。


■ その他
◇ 旧七草  
◇ 水沢黒石寺蘇民祭  
◇ 松山椿祭

【経営コンサルタントの独り言】

■ 江戸時代の男性は結婚難


 1月29日は「人口調査記念日」でした。

 人口構造は、ピラミッド型が理想的です。

 人口減少時代を迎え、高齢者の割合が高くなり、若い労働世代が老人を養って行かなければなりません。

 逆ピラミッド型とまで行かないまでもトップヘビーの糸巻き型に近くなってしまいます。
 労働人口も減少してきます。

 多くの職業が、AI・ロボットなどに置き換わるともいわれています。


 江戸時代には、男性の比率が高く、男性はなかなか結婚できなかったそうです。

 そのためか、女性に少しでももてようと、江戸っ子男性は粋を好んだというより、求めざるを得なかったのかもしれません。



【一口情報】梅

 梅は、桜と同じでバラ科に属します。花芽は一節につき1個を付けるので、華やかさの点では桃の豪華さには及びません。しかし、楚々とした花は、清々しい香りと共に、日本人の心を弥してくれます。

 白、ピンク、紅と色のバリエーションは意外とあります。東京都文京区にあります水戸家の庭園跡の小石川後楽園には、36種100本を超える、いろいろな種類、色の梅が競い合います。
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■ 公海 生誕 天海僧正の後継者

 こうかい
 慶長12年12月12日(1608年1月29日) - 元禄8年10月16日(1695年11月22日)

 江戸時代前期の天台宗の僧で、展開の弟子。父は花山院忠長、母は本願寺教如の娘で、天海の没後に日光山貫主を継承しました。

 1620年(元和6年)天海僧正の門に入り、1643年(寛永20年)に、天海が没するとその法をついで東叡山寛永寺に住し、天台宗の総本山である比叡山・徳川家康を祀る東照宮のある日光山を管理下に置いて天台宗一宗を管領するようになりました。

 1647年(正保4年)に、僧正に任じられ、翌1648年(正保5年)には大僧正に就任しました。

 天海の遺志をつぎ山科(現在:京都市山科区)毘沙門堂を復興しています。まさに、師展開を尊敬する功績ですね。

■ 菊池大麓 生誕

 きくち だいろく
 1855年3月17日(安政2年1月29日)- 1917年(大正6年)8月19日)は、明治時代から大正時代にかけての日本の数学者で、教育行政官を務めました。男爵の爵位を持っていました。

 東京帝国大学(東京大学の前身)や、京都帝国大学(京都大学の前身)ほか、数大学の総長等を務め、教育にも貢献しています。

 蘭学者の箕作秋坪とつね夫妻の次男として江戸に生まれ、父の実家・菊池家の養嗣子となりました。

 蕃書調所(東京大学の前身)で英語を学び、1867年(慶応3年)と1870年(明治3年)の2度に亘り英国に留学しました。2度目の留学ではケンブリッジ大学セント・ジョンズ・カレッジで数学と物理学を学び学位を取得しています。ケンブリッジ大学を卒業した初めての日本人留学生なのです。

 帰国後の1877年(明治10年)、東京大学理学部教授となり、近代数学を初めて日本にもたらしました。

 同大学総長、学習院院長、京都帝国大学総長など、錚々たる大学で共育に携わってきました。

 理化学研究所初代所長等を歴任し、1902年(明治35年)には男爵を授爵されました。福澤諭吉とは知己の仲で、1874年(明治7年)には、福澤に招聘されて明六社に参加、福澤がその後に設立した交詢社にも発足時常議員としてもその名を連ねています。

 菊池は数学者・教育者であるとともに政治的手腕も持っていたそうで、1890年(明治23年)9月に貴族院勅選議員に勅任されています。

 文部省で専門学務局長から、1897年(明治30年)11月から翌年5月まで第2次松方内閣から第3次伊藤内閣にかけての文部次官となり、後に文部大臣を拝命しています。

 【 注 】
「今日は何の日」「今日の人」は、Wikipedia、富山いづみ氏のサイト、他を参照し、独自に記載したものです。従いまして、当サイト及びブログ等々に関しては、無断複製転載及び模倣を固くお断り申し上げます。
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