本文へスキップ

Googleで「経営コンサルタント」をキーワードで検索すると、「経営コンサルタントへの道」がトップ表示

経営者・管理職とコンサルタント

35年の実績と誠意

今日は何の日 話材からヒントと気づきを

35年の実績で、皆様と共に歩んでゆきます。

 当サイトと連動し、平日毎日複数本のブログ発信をし、経営コンサルタント歴35年の独断と偏見から何かを感じ取っていただけると幸いです。
 経営者・管理職向けの記事、それを裏返すと経営コンサルタントなど士業の先生方にも参考となります。 
 Yahooブログ  アメブロ  ブログ人  ドリームゲート

今日は何の日      1月2日
 
 元日に初詣に行った近所の北野天満宮は、願いが叶う「撫で岩(ねがい牛)」発祥の神社です。同神社のウェブサイトによると下記のように説明されています。

 鎌倉時代、源頼朝公が当地にあった岩に腰掛け休息したとき、夢に牛に乗った菅原道真公が現れ「二つの喜びがある」と告げられた。翌年その喜びがあり、頼朝公がこの岩を祀り牛天神を創立。以来、境内にある牛の形をした岩(境内のご案内:「ねがい牛」)を撫でると願いが叶うといいます。

■ はつゆめ

 初夢は、縁起の良いといわれる「一富士、二鷹、三茄子」が代表です。

 日本経営士協会のオリエンテーションで、最近はあまり強調されない「ナンバーワン」の話をしたことがあります。

 「日本で一番高い山は?」という質問に答えられない日本人はほとんどいないと思います。しかし「二番目に高い山は?」という質問に答えられる人は何人いるでしょうか?

 一番と二番の違いはそれほどでもないこともありますが、場合によるとその差が現実以上に大きいこともあります。量的拡大をめざすNo.1礼賛の時代ではないですが、切り口を変えて少しでもランクが上になるように努力してゆくことは必要だと考えます。


■ 初荷

 「初荷」という言葉があります。元日は休みでも2日から仕事始めをした、日本の風習からすれば、2日にお店を開いているのは当然なのかもしれません。

 因みに、昔は1月2日に、形式的に仕事をし、その年の労働の安全や技能の上達を願うならわしでした。農業従事者が多かったので、畑に鍬を入れるまねごとをしたり、お米や餅を備えて田の神様を祀ったりするところもありました。

 山村では山の神を祀ってから、木の伐り初めを形式的に行い、漁村では、船霊を祀って舟の乗り初めを行いました。商家では、初荷を受けたり、それを初売として仕事始めに当たったりました。

■ その他
 書き初め
 皇居一般参賀
◇ 永平寺般若講式

【経営コンサルタントの独り言】

■ 初夢はいつ見る夢を指すのでしょうか?


 初夢は、文字通りであれば新年の最初に見る夢です。それなら、大晦日の除夜の鐘を聞いてから眠た最初の夢がそれに当たるのかと思いきや、そうではありません。

 私は、二日の晩(二日から三日にかけて)と教えられましたが、子供ながらになんとなく不合理に感じていました。

 私と同じように感じた人は、元日から二日にかけてを指すという説を唱えているのではないでしょうか。

 文献上で「初夢」という言葉は、西行の歌集「山家集」という説が有力です。

 ここでは、「節分から立春にかけて見る夢」としていますので、今の暦で言いますと大晦日から元旦にかけての夢を指すことになります。

 江戸時代には、大晦日の晩から元旦にかけては眠らない習慣がありましたので、元旦から二日にかけての説が有力なようです。

 一方で、二日というのは初荷が出ることから、出した荷物の吉凶を占うという意味で、この説が誕生したと言われています。

 結論的には、元日説が有力であるものの、正解はないと言うことでしょうか。

 良い夢を見るには七福神の乗っている宝船の絵を枕の下に置いて寝る風習が昔からあります。

 それでも悪い夢を見てしまったら、その絵を川に流せば縁起直しになるといわれています。

 良い年になることを強く念じて、新年を踏み出しましょう。

(ドアノブ)
  ↑ Page Top
 

■【きょうの人】 足利義政 

 1436年1月2日(〜149017)は室町幕府第8代将軍足利義政の誕生日です。銀閣寺の建立でその名が知られています。

Wikipedia】足利 義政(あしかがよしまさ)

 室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代将軍(在職:1449 - 1473年)。父は6代将軍足利義教、母は日野重子。早世した7代将軍足利義勝の同母弟にあたる。

 幕府の財政難と土一揆に苦しみ政治を疎んだ。幕政を正室の日野富子や細川勝元・山名宗全らの有力守護大名に委ねて、自らは東山文化を築くなど、もっぱら数奇の道を探求した文化人であった。


■ 道元(禅師)

 どうげん
 正治2年1月2日(1200年1月19日)−建長5年8月28日(1253年9月22日)
 諡号は仏性伝燈国師、承陽大師。諱は希玄

 鎌倉時代初期の禅僧で、日本における曹洞宗の開祖で、同宗旨では高祖と尊称されます。

 13歳で出家し、比叡山で研学し、その後栄西に臨済宗を学んでいます。24歳で入宋し、曹洞禅の秘奥を究めました。

 29歳で帰朝し、諸事を建立し、その一環として永平寺の建立があります。

 「徒(いたずら)に見性を追い求めず、坐禅している姿そのものが仏であり、修行の中に悟りがある」という修証一等、只管打坐の禅を伝えました。

 著書『正法眼蔵』は、和辻哲郎など西洋哲学の研究家からも注目を集めた



■ テレジア カルメル会修道女、後に聖人

 リジューの聖テレーズ
 1873年1月2日−1897年9月30日


 19世紀フランスのカルメル会修道女で、本名はマリー・フランソワーズ・テレーズ・マルタンですが、いろいろな別称があります。
  幼きイエスの聖テレジア
  小さき花のテレジア
  修道名:幼きイエスと尊き面影のテレーズ

 カトリック教会の聖人で教会博士の一人です。若くして世を去りましたが、その著作は今日でも世界中で広く読まれ、日本でも人気のある聖人の一人です。

 ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサ(コルコタの聖テレジア)の「テレサ」という修道名はテレーズの名からとられています。

 テレーズが4歳のときに、もともと体が弱かった母が病死、精神的に耐え切れなくなった父は店をたたみ、娘たちをつれて妻の実家ゲラン家があるノルマンディーのリジューへと移りました。

 そこでローマ教皇レオ13世に謁見して直接カルメル会入会の特別許可を願いましたが、教皇はやはり司教と指導司祭の勧めに従うようにと穏やかにテレーズを諭しました。

 テレーズが16歳になり、司教がようやく修道院入りを許可したため、テレーズは1889年4月にカルメル会に入会、「幼きイエスのテレーズ」という修道名を受けました。

 1925年5月25日に、聖テレーズが聖人となりました。

 死後、自叙伝が出版されたことでテレーズの名がフランスのみならず、ヨーロッパ中に知れ渡り、その親しみやすい思想によって人気が高まったのです。日本でも、その名は広まっています。

 【 注 】
「今日は何の日」「今日の人」は、Wikipedia、富山いづみ氏のサイト、他を参照し、独自に記載したものです。従いまして、当サイト及びブログ等々に関しては、無断複製転載及び模倣を固くお断り申し上げます。
  ↑ Page Top
昨日   明日
 
 ↑ Page Top



経営コンサルタント グロマコン

〒112-0004
東京都文京区後楽2−3−10
         白王ビル4F
    (特)日本経営士協会内

TEL 03-6801-6630

関連団体 
 JMCAロゴ 内閣府認証特定非営利活動法人
日本経営士協会 
 JCAロゴ 日本コンサルタントアカデミー 


今井信行 顔1
経営コンサルタントとして
今井信行 顔2
 社会貢献として
今井信行 顔3
 公的な業務として
 横 顔
経営コンサルタント歴40年 
コンサルタントのためのコンサルタント
若手経営コンサルタント育成に東奔西走
内閣府認証特定非営利活動法人・日本経営士協会会長
わかりやすい語り口で講演・セミナーや社員研修に引っ張りだこ