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1月2日 | ||||||
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■【きょうの人】 足利義政 1436年1月2日(〜1490年1月7日)は室町幕府第8代将軍足利義政の誕生日です。銀閣寺の建立でその名が知られています。 室町時代中期から戦国時代初期にかけての室町幕府第8代将軍(在職:1449年 - 1473年)。父は6代将軍足利義教、母は日野重子。早世した7代将軍足利義勝の同母弟にあたる。 幕府の財政難と土一揆に苦しみ政治を疎んだ。幕政を正室の日野富子や細川勝元・山名宗全らの有力守護大名に委ねて、自らは東山文化を築くなど、もっぱら数奇の道を探求した文化人であった。 |
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■ 道元(禅師) どうげん 正治2年1月2日(1200年1月19日)−建長5年8月28日(1253年9月22日) 諡号は仏性伝燈国師、承陽大師。諱は希玄 鎌倉時代初期の禅僧で、日本における曹洞宗の開祖で、同宗旨では高祖と尊称されます。 13歳で出家し、比叡山で研学し、その後栄西に臨済宗を学んでいます。24歳で入宋し、曹洞禅の秘奥を究めました。 29歳で帰朝し、諸事を建立し、その一環として永平寺の建立があります。 「徒(いたずら)に見性を追い求めず、坐禅している姿そのものが仏であり、修行の中に悟りがある」という修証一等、只管打坐の禅を伝えました。 著書『正法眼蔵』は、和辻哲郎など西洋哲学の研究家からも注目を集めた |
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■ テレジア カルメル会修道女、後に聖人 リジューの聖テレーズ 1873年1月2日−1897年9月30日 19世紀フランスのカルメル会修道女で、本名はマリー・フランソワーズ・テレーズ・マルタンですが、いろいろな別称があります。 幼きイエスの聖テレジア 小さき花のテレジア 修道名:幼きイエスと尊き面影のテレーズ カトリック教会の聖人で教会博士の一人です。若くして世を去りましたが、その著作は今日でも世界中で広く読まれ、日本でも人気のある聖人の一人です。 ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサ(コルコタの聖テレジア)の「テレサ」という修道名はテレーズの名からとられています。 テレーズが4歳のときに、もともと体が弱かった母が病死、精神的に耐え切れなくなった父は店をたたみ、娘たちをつれて妻の実家ゲラン家があるノルマンディーのリジューへと移りました。 そこでローマ教皇レオ13世に謁見して直接カルメル会入会の特別許可を願いましたが、教皇はやはり司教と指導司祭の勧めに従うようにと穏やかにテレーズを諭しました。 テレーズが16歳になり、司教がようやく修道院入りを許可したため、テレーズは1889年4月にカルメル会に入会、「幼きイエスのテレーズ」という修道名を受けました。 1925年5月25日に、聖テレーズが聖人となりました。 死後、自叙伝が出版されたことでテレーズの名がフランスのみならず、ヨーロッパ中に知れ渡り、その親しみやすい思想によって人気が高まったのです。日本でも、その名は広まっています。 |
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【 注 】 「今日は何の日」「今日の人」は、Wikipedia、富山いづみ氏のサイト、他を参照し、独自に記載したものです。従いまして、当サイト及びブログ等々に関しては、無断複製転載及び模倣を固くお断り申し上げます。 |
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