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奈良県吉野郡吉野町
http://www.yoshimizu-shrine.com/ |
吉水神社は元 吉水院といい、約1300年前、白鳳年間(650〜654年)に、役行者による創立と伝えられています。大変古い吉野山における修験宗の僧坊でした。
明治の初めまで幾多の歴史を秘めて修験道の勢力と共に発展して来ました。明治維新の神仏分離が実施されました明治8年に神社と改まりました。もともと南朝の元宮で、第96代天皇である後醍醐天皇を祭神とし、楠木正成や吉水院宗信法印を合祀しています。
後醍醐天皇だけではなく、源義経や静御前、豊臣秀吉等のゆかりの地でもあります。それらに関連した120数点にのぼる重要文化財や秘宝も蔵し、公開しています。南朝の資料に関しては全国一多いといわれ、南朝に関する重要文化財の宝庫といわれています。
<吉水神社公式サイトより作成>
吉水神社パンフレット(pdf) ←クリック
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吉水神社境内の案内板 |
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■■ 日本最古の書院建築
日本住宅建築史最古の書院として、ユネスコよ世界遺産として登録された書院です。
現在の日本住宅の源流をなす最古の実例として数々の珍しい手法が見られ、初期書院造りの代表的なモノとなっています
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■■ 義経潜居の間
室町幕府の改築で床棚書院の初期の様式を伝える古風な作りです。
文治元年(1185)兄頼朝の追っ手から逃れ義経は静御前や弁慶等と共にここに隠れ住みました。義経は静とここで分かれた後には再び会うことがありませんでした。
義経の鎧は重要文化財です。
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■■ 後醍醐天皇玉座
延元元年(1336)、京の花山院から行幸した後醍醐天皇が潜幸し吉水宗信の援護の下、南朝の皇居としました。南朝4代57年の歴史が始まりました。
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■■ 文化財・宝物
戦禍をを免れた太閤愛用の金屏風や役行者像が、書院の中に静かに展示されています。
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■■ 庭園
南北朝時代の河内の豪族。正成の長子。高師直(こうのもろなお)・師泰と河内四条畷(しじょうなわて)に戦って敗れ、弟正時と刺しちがえて死。小楠公(しょうなんこう)。(1326〜1348)(広辞苑)
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■■ 北闕門(ほっけつもん)
書院の庭北側に、後醍醐天皇が京都へ向かって祈ったという門。ここで祈ると邪気が祓われると言われています。
そこから太閤が愛でたという桜観台から桜が数本。
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