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奈良県吉野郡吉野町
http://nyoirinji.com/ |
日本一の桜の名所として知られる吉野山ですが、春の桜が終われば夏にかけて紫陽花が咲き誇り、夏の新緑に囲まれた山は森林浴スポットとしても近年訪れる方が増えています。
秋になると山々は紅く染まり、寺社・仏閣巡りとともにハイキングも楽しめます。 そして冬になると真っ白な雪景色のなか佇む名所・旧跡は静寂につつまれ、荘厳な雰囲気を感じていただけます。
四季を通してそれぞれに魅力のある吉野山の景色をほんの一部ですがご紹介いたします。 それから吉野にはとってもかわいいマスコットキャラクター「ピンクル」ちゃんがいます!吉野のイベント、行事をもっと盛り上げ、楽しんでいただくために日々、奮闘中です。もし見かけたらぜひ一緒に遊んでくださいね。
<吉野山観光協会公式サイトより http://www.yoshinoyama-sakura.jp/index.php>
如意輪寺パンフレット(pdf) ←クリック
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◇ 吉野から如意輪寺
吉野駅からは、ケーブルカーで吉野さん駅まで行く方法が一般的です。私は、如意輪寺にまず行ってから、一般的なコースとは逆の路で吉野さんケーブル駅まで歩くことにしました。幸い、吉野駅に着くと、吉野中千本公園行きのバスが待機していたので、それに飛び乗りました。
Suicaが使えると言うことでしたが、どういうわけか使えず、現金で支払いました。15分ほど乗ると二つ目のバス停が如意輪寺前(最初が裏三門入口ですが歩くと遠い)で、意外とバス代が安いので助かりました。 |
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■■ 山門
三門内に見えるのが本堂
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南門 |
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← 本堂 |
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← 鐘楼
毎年、大晦日にはたくさんの参拝者が鐘をつきます。
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■■ 難切り不動尊 畿三十六不動尊霊場 三十番
三門右手に位置する、石の不動尊としては、日本で最大
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■■ 役行者堂
役行者が祭られています。
三門右手、縁切不動尊堂から左手
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■■ 御霊殿
第96代後醍醐天皇は、北条幕府を倒し親政を行おうとし、北条氏討伐計画が始まりました。しかし捕らわれの身となり宇治より御所に帰られ、翌年天皇は隠岐(島根県)へ移されます。
後醍醐天皇を中心とする吉野の朝廷と皇室に2派が生じ、吉野を南朝・京都を北朝と呼ぶに至りました。
【 注 】 拝観有料
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■■ 楠木 正行(くすのき‐まさつら)親子像
南北朝時代の河内の豪族。正成の長子。高師直(こうのもろなお)・師泰と河内四条畷(しじょうなわて)に戦って敗れ、弟正時と刺しちがえて死。小楠公(しょうなんこう)。(1326〜1348)(広辞苑)
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■■ 宝物館
南朝、寺宝が多数収納されています。楠木正行が四条畷(なわて)の決戦へ出発に当たり、鏃を使って辞世の歌を如意輪堂の扉に刻みました。その扉も展示されています。
宝物館内宝物 ←クリック
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■■ 多宝塔
ご本尊は阿弥陀如来です。総檜造りの納骨堂。
桜で彩られた吉野山の遠景で欠かせないのが、ここ如意輪寺の多宝塔のある風景です。
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■■ 後醍醐天皇陵
大塔宮護良親王の死後、後醍醐天皇は建武の中興を果たします。しかしそれも束の間の夢と破れた後醍醐天皇は、延元元年(1336)京都花山院をのがれて吉野山に身を寄せ、その後も吉野山にいて吉野行宮(よしのあんぐう:奈良県吉野郡吉野町・南朝)を起こしますが、延元4年(1339年)8月16日、皇位を後村上天皇に譲った後、52歳でこの世を去ります。後醍醐天皇が病の床に伏されたとき次のような歌を詠まれています。
「身はたとへ南山の苔に埋むるとも魂魄は常に北闕の天を望まん」と詠み都を憧れつつ、吉野金輪王寺でついに崩御されたそうです。 後醍醐天皇の遺骸は後醍醐天皇が勅願所とされていた如意輪寺の裏山、塔の尾へ埋葬され、後醍醐天皇のごいしどおり、京都に対する願いを表すために、天皇家の墓陵としては唯一北向きとなっており、「北面の御陵」として有名です。この如意輪寺の裏山には、後醍醐天皇の孫に当たる長慶天皇、その皇子の「世泰親王」が一緒に葬られています。後醍醐陵の手前右手にあります。この御陵は、明治新政府以降、宮内庁が管理されています。 (如意輪寺サイトより)
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後醍醐天皇の孫に当たるのが長慶天皇。
その皇子である「世泰親王墓」 |
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