吉野山 金峯山寺 黒門 |
ロープウェイ山頂駅から徒歩で6~7分で
金峯山寺の総門である「黒門」が見えてきます。
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■ 黒門
金峯山寺の総門で、いうなれば吉野山の総門でもあります。
黒門のような様式の門を「高麗門」といい、城郭によく用いられてきました。
昔は公家・大名といえども、この門からは、やりを藤原専務理事、下馬して通行したといいます。
吉野山から大峰山に至る道沿いには、修験道関係の寺院・塔頭が軒を連ねていました。
現在の黒門は、昭和60年(1985)の秋、金峯山寺本堂蔵王堂の大屋根大修理に合わせて改修されました。
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金峯山寺 黒門
吉野山への総門で、
昔は公家、大名といえども
馬や駕籠から降りたり、槍を伏せたりしないとなりませんでした。
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千社札がたくさん貼られたあとがあります。
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銅鳥居
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■ 銅鳥居
安芸の宮島の朱塗りの鳥居、大阪四天王寺の石の鳥居とならんで日本三鳥居のひとつといわれています。
高さ約8mの銅製の鳥居。吉野山から山上ヶ岳まで4つある門のうち、最初の門で、扁額には「発心門」と書かれています。東大寺大仏鋳造の際に残った銅で建立したとの言い伝えもあります。
修験者は鳥居に手を触れ「吉野なる銅の鳥居に手をかけて弥陀の浄土に入るぞうれしき」と唱えて入山します。
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銅鳥居扁額
「発心門」と書かれています
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重要文化財 銅鳥居
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■ 発心門
山岳信仰における四門修行に由来します。
四門修行においては、山上の聖地に至る間に発心・修行・等覚・妙覚の4つの門を設け、それらを通り抜けることによって悟りが開かれると説かれています。
このとき、発心とは「発菩提心」、すなわち「仏道に入り、修行への志を固めること」を意味します。
このことから、発心門とは、聖域への入り口を意味しているのです。 (【Wikipedia】を基に作成)
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吉野山 金峯山寺 仁王門 |
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国宝 金峯山寺仁王門
2013年12月撮影
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本堂(蔵王堂)北側に位置する重層入母屋造、高さ20.3メートルの壮大な日本屈指の山門です。
二階建てで、一階と二階の境目にも屋根の出を有する本瓦葺きの二重門です。本堂が南を正面とするのに対し、仁王門は北が正面です。
これは、熊野(南)から吉野(北)へ向かう巡礼者と、吉野(北)から熊野(南)へ向かう巡礼者、両者に配慮して互いに背を向けるように建っているのだといいます。
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2019年5月改修中の仁王門
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蔵王堂には、仁王門の石段を登り、蔵王堂横にでます。
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■ 仁王像
門の左右に安置された高さ5.1メートル、桧材寄木造りの金剛力士(仁王)像は重要文化財で、日本で二番目の大きさを誇ります。
延元3年(1339)、南都大仏師康成の作です。
このことから仁王門は延元3年頃の南北朝時代の再建とされています。なお、令和元年現在、約70年ぶりとなる大修理が行われています。
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仁王吽形像
2013年12月撮影
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仁王吽形像
2019年5月撮影
写真はマエピンででボケてしまいましたが、
工事中の網のモアレが面白いのでご紹介しました。
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仁王吽形像
2013年12月撮影
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仁王吽形像
工事中の2019年5月撮影
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吉野山 金峯山寺 蔵王堂 |
仁王門の脇を通る蔵王堂への道
仁王門を通って、蔵王堂に行くことができますが
石段が急なため、この道から蔵王堂の方に行くことができます。
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仁王門の反対側、蔵王堂の南側からの正面石段
右の朱色の社は「後醍醐天皇導之稲荷大神」
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正面石段右に立つ蔵王堂石碑
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石段を登ってゆきますと蔵王堂の入母屋造りの屋根が見えます。
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愛染堂前から見る蔵王堂
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■ 国宝 蔵王堂
金峯山寺は吉野山のシンボルであり、修験道の総本山なのです。
その中心的な堂宇は「蔵王堂」で、正面5間、側面6間、高さ約34m、重層入母屋造り、檜皮葺き(ひわだぶき)の、東大寺大仏殿に次ぐ木造大建築なのです。
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吉野山 金峯山寺 蔵王堂部分アップ |
蔵王堂入口
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秘仏本尊蔵王権現像(重文)3体がまつられ、
本尊は高さ7mにもおよびます。
そのほか、多くの尊像を安置されています。
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「金峯山寺」の扁額と大提灯
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扁額の上の彫刻
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蔵王堂を示す板銘が小さく遠慮がちに懸かっています。
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蔵王堂右隣、西側にある鐘楼
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