本文へスキップ

Googleで「経営コンサルタント」をキーワードで検索すると、「経営コンサルタントへの道」がトップ表示

経営者・管理職とコンサルタント

35年の実績と誠意

今日は何の日 話材からヒントと気づきを

35年の実績で、皆様と共に歩んでゆきます。

 当サイトと連動し、平日毎日複数本のブログ発信をし、経営コンサルタント歴35年の独断と偏見から何かを感じ取っていただけると幸いです。
 経営者・管理職向けの記事、それを裏返すと経営コンサルタントなど士業の先生方にも参考となります。 
 Yahooブログ  アメブロ  ブログ人  ドリームゲート

今日は何の日      12月13日
■ もう始まる「正月事始め」

 12月も中旬になり、そろそろ今年も残り少なくなりました。

 正月事始めとは、正月を迎える準備を始めることをさし、かつては旧暦12月13日をそう呼び、準備を始めました。

 現在は新暦12月13日に行われるようになりました。昔は正月料理の準備に必要な薪を集めたり、門松材料を取りに行ったりと、お正月に必要な物を山へ採りに行きました。

 江戸時代中期まで使われていた星宿の分割法を使った宣明暦では、12月13日の二十七宿と呼ばれていました。この日は「鬼」と言って、鬼門という言葉からもわかるように、方位に関しての言葉です。

 鬼の日には、婚礼以外は全てのことに「吉」とされ、正月の年神様を迎えるのに良いことから、事始めの日に選ばれました。

【Wikipedia】


二十七宿(にじゅうななしゅく)とは、星宿の分割法の一つである。江戸時代初期(1685年)に全廃された。月の見かけの通り道である白道を、27のエリアに等分割したものである。名称ももちろんこの数字に由来している。発祥を完全に異にする二十八宿と区別するため、単に古法という場合がある。

■ ビタミンの日

 12月13日は『ビタミンの日』で、ビタミンの日制定委員会が2000(平成12)年のこの日に制定しました。

 ビタミンB1というのは米糠に多く含まれています。

 1910(明治43)年12月13日に、鈴木梅太郎博士が、そのエキスを抽出したものが脚気の予防に繋がると発表しました。

 かつては、脚気というのは大変恐ろしい病気で、死に至ることもあり,、とりわけ江戸時代には多数の人が命を落としたといわれています。

 鈴木博士が発見した米糠エキスは「オリザニン」と命名されました。

 ビタミンB1と同じ成分であることが後にわかりました。


■ 地方公務員法公布の日

 地方公務員法とは、地方公務員の職、任免、服務、労働関係など、地方公務員の身分取扱に関する基本的な事項を定めた法律のことです。

 1950年(昭和25年)12月13日公布され、1951年2月13日に施行されました。

 基本的には、国家公務員法に準拠した内容で、地方公務員一般職すべてに適用されますが、特別職の地方公務員については、法律に特別の定めがある場合を除き適用されません。

 国家公務員法とは、給与条例主義や地方公務員に対する労働基準法の一部適用などが、代表的な相違点といえます。(【Wikipedia】を基に作成)


【経営コンサルタントの独り言】

■ 数値データとコンプライアンス


 鈴木梅太郎(1874/4/7日−1943/9/20)は、静岡県に生まれた戦前の日本の農芸化学者です。

 理化学研究所の設立者の一人として名を連ねています。

 理化学研究所は、ES細胞事件で、その名が一躍知られましたが、この研究所は日本の自然科学技術の核となる総合研究所です。

 本部は、埼玉県和光市にあり、全国5か所(分室は含まず)にあります。

 コンプライアンスが叫ばれる一方、何とか成果に結びつけなければならないという焦りからデータねつ造は起こりやすいです。

 これは、自然科学者だけではなく、会社勤務の人の多くが、その誘惑に駆られることがあるでしょう。

 数値は、大変重要なデータで、目的のための基礎となるデータであることが多いだけに、正確性が求められます。

(ドアノブ)
 

■ 勢観房源智

 せいかんぼうげんち
 寿永2年(1183年)− 暦仁元年12月12日(1239年1月18日)

 鎌倉時代前期の浄土宗の僧で、号は勢観房、妙法院法印です。紫野門徒の祖でもあり、賀茂(かもの)上人とも呼ばれています。

 建久6年(1195年)、源智13歳、法然63歳のときに、法然の室に入りました。

 源智は、法然自筆の「一枚起請文」を生涯、首に懸け秘蔵していたと言われています。源智に帰依した河合(ただす)の法眼の所望に応じ、それを授与し、それによって「一枚起請文」として世間に流布することになりました。

 法然から、円頓戒の道具、本尊(南禅寺畔の西福寺)、現知恩院の地である大谷の坊舎、聖教などを譲られました。

 法然没後に生じた、天台宗の延暦寺衆徒が法然教団を弾圧した嘉禄の法難のために、大谷の坊舎は、法然の廟所を含めて荒廃してしまいました。京都における法然教団の維持に努めました。

 文暦元年(1234年)、奏聞を遂げ、四条天皇から仏殿に「大谷寺」、廟額に「知恩教院」、総門に「華頂山」の勅額を賜り、大谷の坊舎を「知恩院」として再興しました。

 建治2年(1276年)、鎮西義の弁長の弟子である良忠(浄土宗三祖)が、鎌倉から京にやってきます。その時の講義で、相違するところが全くなく符合しましたので、以後源智の門流は別流を立てずに、鎮西義に合流しました。

 このような控えめな人ですが、知恩院の再興、後述の玉桂寺阿弥陀如来像造立への結縁活動など、法然没後の法然教団の維持に多大な貢献をしています。


  ↑ Page Top
昨日   明日
 
 ↑ Page Top


経営コンサルタント グロマコン

〒112-0004
東京都文京区後楽2−3−10
         白王ビル4F
    (特)日本経営士協会内

TEL 03-6801-6630

関連団体 
 JMCAロゴ 内閣府認証特定非営利活動法人
日本経営士協会 
 JCAロゴ 日本コンサルタントアカデミー 


今井信行 顔1
経営コンサルタントとして
今井信行 顔2
 社会貢献として
今井信行 顔3
 公的な業務として
 横 顔
経営コンサルタント歴35年 
 コンサルタントのためのコンサルタント
 若手経営コンサルタント育成に東奔西走
 内閣府認証特定非営利活動法人・日本経営士協会理事長
 わかりやすい語り口で講演・セミナーや社員研修に引っ張りだこ