40余年の実績で、皆様と共に歩んでゆきます。
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3月21日 | |
【今日の写真】早春の京都 詩仙堂 | |
史跡「詩仙堂 丈山寺 三十六詩仙」 丈山がこの堂に掲げるべき三十六詩人とその詩を選定したのは、寛永十八年、五十九歳の時であった。 これは、わが国の三十六歌仙にならったもので、その選定には林羅山の意見も求め、左右十八人、それぞれの組み合わせに意味を持たせた。(詩仙堂ウェブサイトより) |
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3月21日 | |
■ 国際人種差別撤廃デー 3月21日は、「国際人種差別撤廃デー(International Day for the Elimination of Racial Discrimination)」という、1966年の国連総会で制定した国際デーの一つです。 【Wikipedia】 1960年のこの日、南アフリカのシャープビルで、人種隔離政策(アパルトヘイト)に反対するデモ行進に対して警官隊が発砲し、69人が死亡した。この事件が、国連が人種差別に取り組む契機となったことから、人種差別撤廃のための記念日とされた。 この日は、世界中で人種差別の撤廃を求める運動が展開される。 1970年代にニューヨークにある日本商社に勤務をしていました。アメリカ国内を中心にあちらこちらに出張しました。 当時は、1ドル360円の時代で、黄色人種である日本人に対する偏見はまだまだありました。 レストランに行くと、黒人の場合には断られたりすることがあると聞いていましたが、日本人に対しては断ることはしなかったようです。しかし、入口近くの「特別席」に座らされたり、長時間待たされたりという差別は何度か受けました。 人種差別意識がほとんどない日本でも、グローバル化が進むにつれて外国人が増え、日本人が外国人を差別する話を聞かないわけではありません。 私の体験など、我慢できないようなひどいものではありませんが、体験者としては、人種ということで差別されたくない、すなわち裏を返して差別をしてはいけないと考えています。 ■ 御影供 弘法大師の入定が、3月21日でその御影を掲げて供養する法会です。 「御影供(みえく)」は、仏教儀式名で、「みえいく」とも読みます。弘法大師の命日に,その図像 (御影) を掲げて供養する法会 (ほうえ) のことです。 真言宗の寺院では、この日に開山道や廟所に画像や彫像の祖師像を安置して修します。(参考:三宝暦) 弘法大師については、「【きょうの人】」を参照 |
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【経営コンサルタントの独り言】 ■ コーヒーは胃を荒らすという都市伝説は正しいのか? 日本のコーヒー消費量は年間15万トンにも上り、緑茶の10万トンをはるかにしのぐほどの身近な飲み物となっています 都市伝説的に言われることとして、コーヒーは「胃に悪い」と言われます。しかし、アラビアの文献では、コーヒーは、「胃に効く薬」として紹介されています。 イギリスのコーヒー科学情報センター(CoSIC)は、コーヒーと健康に関する科学情報の膨大なデータベースを保有しています。 同センターでは、コーヒーの飲用と胃潰瘍の発生には関係がないと発表しました。胸焼けについてもコーヒーと関係づけることはできなかったそうです。 近年の研究から、胃液の分泌を盛んにして消化を助けることもわかってきました。エネルギー消費や脂肪の分解を促すなどのダイエット効果もあるという女性には嬉しい情報もあります。 近年の研究では、コーヒーは“善玉コレステロール”(HDLコレステロール)を増やして動脈硬化を防ぐということが発表されています。また、直腸がんのリスクを減らす効果も調査結果として報告されています。 日本疫学会では、コーヒーを1日1杯以上飲む人は、肝がんになるリスクが、全く飲まない人の6割程度に低下するという調査結果を発表しています。 コーヒーに含まれるカフェインには覚醒作用があるといわれています。頭をすっきりと冴えさせてくれます。利尿作用についてもよく知られています。 糖尿病の予防効果も、欧米を中心に数多い研究が行われています。 ただし、ダイエットや病気予防に対するコーヒーの効果は、飲む量や飲み方、飲むタイミングによっても変わってくるので注意が必要です。 例えば、コーヒーを飲んでほっと一息といった「リラックス効果」は、実はコーヒー豆の種類によって、違いがあることが分かっています。 また、体脂肪の分解を効率的に進めるためには、運動をする20~30分前にコーヒーを飲むのが最も効果的とされています。 これからは健康飲料としての楽しみ方も考えてみてはいかがでしょうか。 〔参考文献〕全日本コーヒー協会 : コーヒーのことからだのこと。 |
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■ その他 |
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■ 弘法大師 修善寺独鈷の湯 空海ゆかりの地 |
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■ 聖宝(理源大師)生誕 しょうぼう 天長9年2月15日(832年3月21日)- 延喜9年7月6日(909年7月25日) 平安時代前期の真言宗の僧、醍醐寺の開祖で、真言宗小野流の祖でもあります。また、後に当山派修験道の祖ともされています。 俗名は、恒蔭王(つねかげおう)で、天智天皇の6世孫にあたり、父は、葛声王(かどなおう)といい、諡号は、理源大師です。 三論、法相、華厳などを学び、後に、密教を真雅、真然より授かっています。醍醐寺を開き、また東南院を建てて、三論宗の本拠地としています。 役行者(役小角)の遺風を慕って、その最高に務めたので、後世、修験道の中興と言われるようになりました。 『古今和歌集』に歌一首があります。 聖宝に唱える言葉は「南無聖宝尊師(なむ しょうぼうそんじ」であり、三祖宝号の時は「南無遍照金剛、南無聖宝尊師、南無神変大菩薩」で、お山の中では順番は逆になるのだそうです。 善導寺にて『末代念仏授手印』などを授かり、『領解末代念仏授手印鈔』を著して弁長の印可を受け、学問的な後継者となりました。 信濃国に向かい善光寺に参拝したりしています。建長元年(1249年)には利根川に沿って関東に下り下総国の教化をはじめ、翌年には『浄土大意鈔』を著します。 そして、浄土宗学の基本となる『決答授手印疑問鈔』や『観経疏伝通記』などを著し、各地で講義を行いつつ弟子の育成に努めていました。しかし、正元元年(1259年)外護者の椎名八郎と衝突し、数人の弟子を連れ匝瑳南条荘を去って鎌倉に入りました。 鎌倉では、大仏勧進聖浄光の坊に仮寓し一時をすごしましたが、大仏朝直の帰依を得て佐助ヶ谷に悟真寺を創建しました。朝直の子時遠から悟真寺坊地や寺領の寄進を受け経済的にも安定し、専修念仏の指導的な立場に立つとともに、他宗の僧侶からも高い評価を受けました。 建治2年(1276年)には、弟子の要請によって上洛し、間もなくして紫野門徒源智の弟子であり、百万遍知恩寺3世の信慧と東山の赤築地(あかつじ)において談義を行っています。 弘安9年(1286年)、当時混乱していた浄土宗の統一に尽力し、鎌倉に戻った良忠は、長男の良暁に浄土の奥義を伝授し、弘安10年7月6日(1287年8月16日)、89歳で入寂しました。 |
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■ 一遍上人降誕会 いっぺん 延応元年2月15日 - 正応2年8月23日 1239年3月21日 - 1289年9月9日 鎌倉時代中期、伊予国で誕生した僧侶で、時宗の開祖です。 「一遍」は房号であり、法諱は「智真」。一は一如、遍は遍満より、名前が付けられています。 「一遍」とは、「一にして、しかも遍く(あまねく)」の義であり、南無阿弥陀仏を一遍(一度、一回)唱えるだけで悟りが証されるという教義でもあります。 「智」は、「悟りの智慧」、真は「御仏が示す真(まこと)」を表します。 「一遍上人」、「遊行上人(ゆぎょうしょうにん)」、「捨聖(すてひじり)」と尊称されます。近代における私諡号は「円照大師」、1940年に国家より「証誠大師」号を贈られ、俗名は河野時氏とも、通秀とも、通尚ともいいますが、定かではありません。 古来日本では、人の名をむやみに呼ぶべきではなく、人に知らせるものでもありません。ましてや実名では呼ぶべきではないという慣習が存在していましたので、このように複数の名前が存在する原因と考えられます。 延応元年(1239年)伊予国(ほぼ現在の愛媛県)の豪族、別府氏に生まれました。道後温泉の近くです。 各地を行脚し、信濃国で踊り念仏を始め、民衆を極楽浄土へと導きました。踊り念仏は尊敬していた空也上人に倣ったものといわれています。 正応2年(1289年)2月15日、享年51歳で摂津兵庫津の観音堂(後の真光寺)で没しました 【Wikipedia】 一遍(いっぺん) 鎌倉時代中期の僧侶。時宗の開祖。「一遍」は房号で、法諱は「智真」。「一遍上人」、「遊行上人(ゆぎょうしょうにん)」、「捨聖(すてひじり)」と尊称される。近代における私諡号は「円照大師」、1940年に国家より「証誠大師」号を贈られた。俗名は河野時氏とも通秀、通尚ともいうが、定かでない。 |
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【 注 】 「今日は何の日」「今日の人」は、Wikipedia、富山いづみ氏のサイト、他を参照し、独自に記載したものです。従いまして、当サイト及びブログ等々に関しては、無断複製転載及び模倣を固くお断り申し上げます。 |
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昨日 明日 | |
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