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経営者・管理職とコンサルタント

35年の実績と誠意

今日は何の日 話材からヒントと気づきを

40余年の実績で、皆様と共に歩んでゆきます。

 当サイトと連動し、平日毎日複数本のブログ発信をし、経営コンサルタント歴40余年の独断と偏見から何かを感じ取っていただけると幸いです。
 経営者・管理職向けの記事、それを裏返すと経営コンサルタントなど士業の先生方にも参考となります。 
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■【今日の写真】 花の女王「ラン」 国際ラン展より

 ランは、英語でOrchidといいます。ランは、根が太く膨らんでいものが多いのですが、この根には菌類が共生しています。
 ランの種はほこりのように細かいために、通常植物の種にある胚乳を持っていません。すなわち営業分を持っていないために、この共生している菌類を通じて栄養補給をしています。

 

今日は何の日      2月7日
■ 北方領土の日

 日本政府が1981(昭和56)年に制定しました。

 1854(安政元)年12月21日(新暦1855年2月7日)に、日露和親条約が締結され、北方領土が日本の領土として認められました。

 それにもかかわらず、ロシアは領土を主張しています。

 私が子供の頃、教室に貼ってあった地図には北方四島どころか、南樺太(サハリン)まで赤色で表示されていました。


 北方領土問題対策協会のウェブサイトには下記のように記述されています。

 北方領土とは、択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島のことです。これら北方四島は、1945年にソ連に不法占拠され、ソ連が崩壊してロシアとなった現在もその状態が続いています。
 北方領土問題の解決は、日ロ両国間の最大の懸案事項です。この問題が一日も早く解決され、平和条約が締結され、真の友好関係が確立されることが、私たちの願いです。

 竹島をはじめ、たくさんの領土問題が残されたままですが、日本人は少し温和しすぎるような気がします。それを大人というのかも知れませんが、私自身ももっと声を上げなければいけないと反省しています。

  図: 北方領土問題対策協会 ←クリック

 

■ 長野冬季オリンピック開催

 2月7日は、長野の日、オリンピックメモリアルデーです。

 平成10年(1998年)2月7日、20世紀最後のオリンピックと報じられて、長野冬季オリンピックの開会式が行われました。

 緯度では、当時、最も南に位置する冬季オリンピックと騒がれました。

 日本は、ジャンプで大活躍。金2個(ラージヒル個人・船木和喜、ラージヒル団体・日本代表)、銀1個(ノーマルヒル個人・船木)、銅1個(ラージヒル個人・原田雅彦)を獲得し、国民を熱狂させてくれました。

 長野オリンピックは、1972年に札幌で開催されてから、冬期オリエンテーションとしては2回目です。

 72の国や地域から、総勢4638人が参加しました。

 日本からは、166人の選手が参加し、冬季オリンピック史上最多となる合計10個(金5、銀1、銅4)のメダルを獲得しました。

 札幌の時は、金銀銅各1個でしたので、メダル獲得数では大きく伸びました。

 札幌の時は、私は、アメリカに駐在中でしたので生のテレビ放送を見ることはできませんでしたが、笠谷幸生選手が、スキージャンプ70m級で、アジアで初の冬季オリンピック金メダルをとったということをニューヨークで知りました。

 【経営コンサルタントの独り言】

◆ 南樺太は日本の領土?

 1854(安政元)年12月21日(新暦1855年2月7日)に、日露和親条約が締結され、北方領土が日本の領土として認められました。

 それを記念して2月7日は「北方領土の日」として制定されています。

 それにもかかわらず、ロシアは領土を主張しています。

 私が子供の頃、教室に貼ってあった地図には北方四島どころか、南樺太(サハリン)まで赤色で表示されていました。

 韓国の竹島、中国の尖閣諸島と、いずれも永年、日本の領土です。


 倭寇の時代に持ち去られた仏像だと、対馬から盗難に遭った仏像が、そのまま韓国が返還しないというニュースが流れたのは、まだ記憶に新しいことです。

 このような理不尽な、言いがかり的なことを認める、韓国政府の弱腰は、選挙を控えているからでしょうか。

 いずれ、キチンとした政府ができれば(できる国なのかどうかが試されています)、返還するでしょうが、一旦、返還を口にした政府が、一部の人間の声に負けてしまうようでは、国としての体をなしていませんね。


 尖閣に至っては、明治時代に日本人が居留している写真さえあります。

 永年、漁港として利用していたことに対して何も言わないできた中国です。

 天然資源がることがわかると、一方的な言いがかりを付けてくるやりかたは、ならず者国家と言われてもしかたがないのではないでしょうか。

  http://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/e0c58d246fdf1038a7482c7e50759c3b

■ その他
◇ 妙心寺開山降誕会

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■ 聖徳太子 

 しょうとくたいし
 敏達天皇3年1月1日(574年2月7日) − 推古天皇30年2月22日(622年4月8日))

「聖徳太子」は、後世の諡号で、厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)といい、飛鳥時代の皇族・政治家です。用明天皇の第二皇子として生まれ、母は欽明天皇の皇女・穴穂部間人皇女です。

 推古天皇のもと、蘇我馬子と協調して政治を行い、国際的緊張のなかで遣隋使を派遣するなど進んでいる中国の文化・制度を積極的に取り入れました。

 冠位十二階や「和をもって貴しとなす」ではじまる十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央集権国家体制の確立に功績があったといえます。また、仏教を取り入れ、神道とともに厚く信仰し興隆につとめました。

 大阪の四天王寺を建立し、療病院施薬院、悲田院を設け、社会事業の鏑矢をなしたことは注視すべきことです。

 聖徳太子は、天皇にならなかった著名な皇族の一人です。

 毎月22日は、処々で大師会とか太子講と称して法会が営まれます。4月15日は「聖徳太子祭」として、わが国の「文化の祖」と言われる聖徳太子を奉賛する祭日です。


 聖徳太子は、一度に十人の人の言葉を聞き分けたという伝説があります。その真偽は別として、ビジネスパーソンには「複々線思考・行動」が必要と考えます。

 私達の多くは、毎日、複数の業務や作業などを並列的に進めて行かなければなりません。列車が単線上を、並んだ順に走るのではなく、複線や複々線上に異なった列車という業務等に取り組まなければなりません。

 優先順位が高い業務は、専用線上を走らせたり、他の業務を停車させたり、それを追い越していくこともあります。

 聖徳太子のように一時に多数の業務をすることができなくても、PDCAをキチンと回すことにより複々線思考・行動をすることは可能ですし、それが求められています。


■ 関山慧玄 妙心寺開山降誕会

 かんざんえげん
 建治3年(1277年)−正平15年/延文5年12月12日(1361年1月19日)

 鎌倉時代末期から南北朝時代、信濃国に生まれた僧侶で、朝廷から本有円成、仏心、覚照、大定聖応、光徳勝妙、自性天真、放無量光の国師号が与えられました。また、明治天皇からは「無相大師」と追諡されています。

 1307年に、南浦紹明の鎌倉建長寺に入り、慧眼(えげん)の法名を授かり、鎌倉に滞在した後に帰郷しました。

 京都大徳寺に遷って宗峰に師事し、1329年に関山の号が与えられ、慧玄と改名しました。1342年に関山は妙心寺開山となりました。

 その禅風は厳格で、その生活は質素をきわめ、「枯淡な禅風」をもって修禅に専念したといわれています。

 関山には他の高僧のような語録や著書はなく、生前に描かれた肖像(後世に作成された物はある)も遺筆もほとんど残されていません。2006年に、臨済宗妙心寺派の寺の蔵より肖像画が発見されましたが、確認されていません。

 妙心寺(みょうしんじ)は、京都市右京区花園にある臨済宗妙心寺派大本山の寺院で、山号を正法山といいます。本尊は、釈迦如来です。開基(創立者)は花園天皇で、寺紋は花園紋(妙心寺八つ藤)です。

 日本の臨済宗寺院約6,000か寺のうち、約3,500か寺が妙心寺派で占めています。三門、仏殿、法堂(はっとう)などの中心伽藍の周囲には多くの塔頭があり、一大寺院群を形成し、京都市民からは西の御所と呼ばれ親しまれているほどです。



■ 高田屋 嘉兵衛 江戸時代後期の廻船問屋でロシアに抑留

 たかたや かへえ
 明和6年1月1日(1769年2月7日)− 文政10年4月5日(1827年4月30日)

 江戸時代後期の廻船業者、海商で、ロシアに抑留されるも、ゴローニン事件を日ロ交渉の仲立ちをして解決に導く功績があります。

 淡路島で生まれ、幼名は菊弥です。兵庫津に出て船乗りとなり、後に廻船商人として蝦夷地・箱館(函館)に進出します。国後島・択捉島間の航路を開拓、漁場運営と廻船業で巨額の財を築き、箱館の発展に貢献しました。

 ゴローニン事件とは、当時、日本の対ロシア感情は極めて悪化していたことに起因しています。

 文化8年(1811年)、ロシアの軍艦ディアナ号が千島列島の測量を行っていました。その首領がヴァーシリー・ゴローニンです。国後島の泊に入港した際、厳戒態勢下にありました国後陣屋の役人が捕えらえ、松前で幽閉した事件です。

 函館山の麓、高田屋屋敷跡を通る高田屋通(護国神社坂)のグリーンベルトに嘉平の銅像が建っています。

 【 注 】
「今日は何の日」「今日の人」は、Wikipedia、富山いづみ氏のサイト、他を参照し、独自に記載したものです。従いまして、当サイト及びブログ等々に関しては、無断複製転載及び模倣を固くお断り申し上げます。
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