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私のサイトへの訪問をありがとうございます。
へたの横好きで撮った写真をここにまとめておくことにより、必要なときに見やすいようにと考え、単なる思いつきで着手しました。
他人様に見ていただくというより、自分の作品を整理するためのページです。
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カシャリ!一人旅 |
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京都 洛北の旅 2015
曼殊院 詩仙堂 下鴨神社 山科 |
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関連資料 |
2015年3月、前泊を含め2泊3日の旅でした。旅は実質2日目と3日目ですが、前泊しましたので1.5日のショートトリップでした。
2日目は、修学院を訪問したかったのですが、見事抽選に外れました。何年かぶりに曼殊院と詩仙堂を回りました。最後に糺ノ森(ただすのもり)・下鴨神社にも寄り道をしました。
3日目は、大石内蔵助で有名な山科に行ってきました。
桜には、やや早い時期でしたが、のんびりとカメラを片手に歩いてきました。
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糺ノ森 |
糺ノ森(ただすのもり)は、御所の北東、鴨川と高野川の合流地点付近に位置する森です。平安時代には潔斎の地として知られていました。
河合神社より下鴨神社に至る広大な森の面積は約12万平方mと広い地域です。樹齢千年を超える老木が生い茂り、樹木の中を泉川の清流が流れて、古代の森の名残を伝えています。(「またたび 京都ガイド」参照作成)
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↑ ←クリック(↑ 拡大クリック) |
樹木の中を泉川の清流が流れています。
古い木も多く、古代の森の名残を伝えています。
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人が踏み込まないので
コダイの森の雰囲気を壊していません。
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「糺ノ森」石碑を入ると
まっすぐに参道が延びています。
正面が下鴨神社です。
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古い樹木にしめ縄がかかっていました。
御神木なのでしょうか?
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糺ノ森 あけ橋 |
糺ノ森の参道をまっすぐに進み、御神木の前を左に入りますと、瀬見の小川にかかるあけ橋があります。
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あけ橋は、鎌倉時代には「赤井橋」と
印されています。
瀬見の小川を渡ることが、
禊ぎ(みそぎ)となるようです。
「身が改まる」ことから
「あけ橋」と呼ばれるようになりました。
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あけ橋の直ぐ右隣に
しだれ桜がありました。
まだ、桜の季節には早かったのですが、
高いところはほころんでいました。
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あけ橋から、下鴨神社の鳥居を臨む
下を流れる瀬見の小川を渡ることで
身を清めることができます。
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あけ橋の上から、下鴨神社方向を見る
左手のしめ縄の所に「さざれ石」がありました。
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下鴨神社の鳥居
奥に楼門が見えます。
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君が代に謳われる「さざれ石」は
誰もが知っていると思います。
東京では、日枝神社にあります。
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さざれ石は、「小さな石」というのが原意です。
火山の噴出で小石が固まった小石の塊です。
さざれ石は、
年を重ねる度に大きく成長すると言われています。
そのために、国家としての君が代にも謳われています。
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下賀茂神社 |
下鴨神社は、正式には「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」とよばれています。京都は鴨川を中心に町づくりがなされていることから、京都の人は親しみを込めて「下鴨さん」と呼んでいます。
東西の両本殿はともに国宝に指定されています。
【ご祭神】
賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと) 西殿
玉依媛命 (たまよりひめのみこと) 東殿
下鴨神社の公式サイトによりますと、下記の記述があります。
創祀の年代を特定することは出来ないが、『日本書紀』神武天皇二年(BC六五八)二月の条に、当神社御祭神、賀茂建角身命を奉斎していた一系流「葛野主殿県主部」との氏族の名がみえる。
この氏族は、賀茂建角身命の先の代、天神玉命を祖神とする鴨氏と同じ氏族であったことで知られている。
賀茂建角身命は、古代の京都をひらかれた神さまです。山城の国一宮として京都の守護神としてまつられています。平安京が造営されるにあたって、まず当神社に成功のご祈願が行われました。以来、国民の平安をご祈願する神社と定められました。
21年に一回、式年遷宮が行われます。
式年遷宮 ←クリック
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楼 門 |
高さが30mもある朱色の楼門は、遠くからも目立ちます。東西の回廊を持ち古代様式を伝える建造物です。21年ごとの式年遷宮毎に造替されてきましたが、寛永年間の式年遷宮以降は解体修理により保存され、今日に至っています。
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21年に1回、式年遷宮を行うだけの
神社とあって、楼門は威風堂々
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ひつじ年に訪問しましたので
干支は未でした
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結婚式もここでは行われます。
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又蔵(あぜくら)の桔木(はねぎ)
重要文化財 |
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橋 殿 重要文化財 |
御蔭祭(みかげまつり)の時、御神宝を奉安する御殿。御幸の時に公卿や殿上人の控えどころとしても使われてきました。昨今では、正月神事などの時に神事芸能が法のされます。21年毎の式年遷宮の時に解体修理が行われます。
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橋殿は、楼門を入ると右手にあります。
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入母屋造りの檜皮茸の屋根
桁行4間、梁間3間
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神事芸能の時に使われた造形物
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御手洗川 |
下鴨神社境内を流れる川は、明神川ですがが、古くは「御手洗川(みたらしがわ)」とう名前でした。賀茂川(鴨川)からの分水で、上賀茂神社の社殿の背を回り、御物忌川、楢の小川と名を変えます。下鴨神社境内を出ると、再び「明神川」という名前に戻り、賀茂川に合流します。
実は、下鴨神社内に同名の「御手洗川」がありますが、鴨川の水ではなく水源は湧水です。
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御手洗池から流れ出る御手洗川は、
橋の下を通って橋殿の下に流れ、
泉川と瀬見の小川に分流します。
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右が橋殿 |
橋殿の下に御手洗川が流れています。
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後方が橋殿、左が舞殿
右奥が御手洗池と井上社
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橋の下手に草が広がり
流れを細くしていて、
流量を自然に調整してます。
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太鼓橋
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井上社と御手洗池 |
「井上社」は、別名「御手洗社」と言います。
賀茂祭(葵祭)の時に行われる「御禊の儀」は、御手洗社前の御手洗池で行われます。
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御手洗池の上に立てられた井上社(御手洗社) |
太鼓橋前から臨む井上社(御手洗社)
井上社(御手洗社)の直ぐ右隣
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平成27年の式年遷宮の一環として再興 |
庭園は「紫式部の庭」と呼ばれています
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本殿と舞殿 |
本殿は、西本殿と東本殿の2棟あります。
中央は本殿入り口
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本殿(本宮)の御垣内に敷き詰められる石を
「お白石」と言います。
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式年遷宮の基金集めの一環として
本殿前に置かれています。
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楼殿から入ると正面に舞殿(まいどの)があります。
その奥が本殿(本宮)ですが、
楼殿から入ると見えない位置にあります。
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賀茂祭(葵祭)の時に御祭文がが奏上される場所
左奥が本殿(本宮)
右が橋殿、左が神服殿
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御神服を奉製する御殿
臨時の御座所となる
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御座所となるだけに格式を感じる建造物
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本殿前から神服殿を臨む
左の屋根は舞殿のもの
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神服殿横、比良木社前の御神木
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言 社 |
言社(ことしゃ)は、
「大国さん」と呼ばれる、大国主命のことで、
本殿前に、七つのお社があります。
干支の守護神としても知られ、
子年から亥年までが七つのお社としてあり、
古くから信仰を集めています。
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言社
右が「子」、左が「丑と亥」
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言社 「巳」と「未」
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言社 「午」
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言社 「兎」と「酉」
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言社 「寅」と「戌」
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言社 「辰」と「申」
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河合神社 |
日本書紀などにも登場する由緒ある神社
糺ノ森の南に位置し、下鴨神社への道筋に位置
境内には、鴨長明の庵(方丈庵)があります。
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この神社には入口の鳥居が二つあります。
鳥居奥左に門があり、その奥が本殿
奥に見える鳥居は、
下鴨神社側からの鳥居
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二つの鳥居に挟まれたところに門があります。
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門の正面から舞台越しに本殿を臨む |
本殿
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六社
奥が本殿
左に舞殿、鴨長明の庵があります。
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本殿
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河合神社 鴨長明方丈庵 |
河合神社境内、本殿斜め前に
鴨長明の庵である「方丈庵」があります。
方丈記の作者、鴨長明
鴨 長明(かも の ちょうめい、久寿2年(1155年) - 建保4年閏6月10日(1216年7月26日))は、平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人・随筆家。
(【Wikipedia】)
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方丈庵は、3坪にも満たない小さな庵
組み立て式で、移動が可能
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内部は質素な作り
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