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私のサイトへの訪問をありがとうございます。

へたの横好きで撮った写真をここにまとめておくことにより、必要なときに見やすいようにと考え、単なる思いつきで着手しました。

他人様に見ていただくというより、自分の作品を整理するためのページです。

カシャリ!一人旅
京都 洛北の旅 2015

曼殊院 詩仙堂 下鴨神社 山科
 関連資料

 2015年3月、前泊を含め2泊3日の旅でした。旅は実質2日目と3日目ですが、前泊しましたので1.5日のショートトリップでした。
 2日目は、修学院を訪問したかったのですが、見事抽選に外れました。何年かぶりに曼殊院と詩仙堂を回りました。最後に糺ノ森(ただすのもり)・下鴨神社にも寄り道をしました。
 3日目は、大石内蔵助で有名な山科に行ってきました。
 桜には、やや早い時期でしたが、のんびりとカメラを片手に歩いてきました。

叡山電鉄修学院駅下車徒歩約20

拝観時間 9001700(受付は〜1630

拝観料一般600

http://www.manshuinmonzeki.jp/

曼殊院パンフレット

 曼殊院門跡は、修学院離宮とともに洛北を代表する屈指の名刹のひとつです。「門跡」という言葉からもわかりますが、皇室一門の方々が住職を務めてきました。このように位の高い寺院では塀に5本の白線が入っています。ここ曼殊院では、勅使門の両側の塀に残っていますので、その格式を今日に伝えています。

 曼殊院のサイトによりますと、その歴史は以下のように記述されています。

 延暦年間(728〜806)、宗祖伝教大師最澄により、鎮護国家の道場として比叡の地に創建されたのが曼殊院のはじまりである。

 その後、天暦年間(947〜957)是算国師のとき比叡山西塔北渓に移り、「東尾坊」と号した。また、この国師が菅原家の出生であったことから、北野天満宮が造営されると初代別当職に補され、以後明治維新まで北野別当職を歴任することになる。寺では是算国師を曼殊院初代としている。

 天仁年間(1108〜10)、八代忠尋大僧正が寺号を「曼殊院」と改め、北山に別院を建立された。そして明暦二年(1656)に二十九代良尚親王が入寺され、現在の地に堂宇を造営したのが今日の曼殊院である。 (曼殊院サイトより)



叡山電鉄修学院駅から東に向かって徒歩で20分ほどのところにあります。修学院離宮の直ぐ南隣です。詩仙堂から徒歩で来ると鷺森神社(さぎのもり)裏手近くにぶつかり、右に折れると正面が曼殊院の勅使門です。
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勅 使 門


年寄りにはややきつい坂を登りますと、左手に曼殊院を表す石塔が建っています。右手には、武田薬品工業の薬草園とその研究棟があります。


正面の石段を昇った高いところに、西に面して立つのが曼殊院の正門にあたる勅使門です。ここは、皇族しか通ることができません。


勅使門の左右の塀には、5本の白線が入り、このお寺の格の高さを示しています。


勅使門から見えるのが大玄関
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定規筋の入った築地塀

 曼殊院は、延暦年間(728〜806)、宗祖伝教大師最澄が、比叡山一帯に鎮護国家の道場を建て、その一環として創建されました。

 「曼殊院門跡」の「門跡」というのは、皇室一門が住職になっていることを意味します。周囲の築地塀には、五本の白い筋が入っていて、「定規筋(じょうぎすじ)」といいます。その寺院の格式の高さを表します。

 因みに、秀吉などは、自分の関連の自社に、三本の定規筋を入れていると聞いています。



塀には、門跡の印であります
5本の定規筋が見えます。
苔の盛り土が、青く、印象的です。


階段を左へ上がりますと
勅使門です。


勅使門の左手の築地塀には
定規筋の白線がクッキリ
格式ある門跡であることがわかります。


この左が曼殊院、右手が弁天島
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北通用門



勅使門方向から歩いて
右折するとこの写真のアングルになります。
北通用門の左が料金所です。


北通用門正面
奥に見えるのが庫裏


北通用門を入ると
通路右に、踏み石を使った小さな庭
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庫  裏  重要文化財



曼殊院門跡の由緒書き
写真だけではなく、実物も判読が困難


庫裏入口
土間を上がると左手が上之台所


庫裏の扁額
上之台所があるので
煙逃しの出屋根がついています
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曼殊院内部

 曼殊院の内部は、撮影禁止のために、写真はありません。同院のウェブサイトをご参照ください。下表のアンダーラインが入っている部分をクリックしますと、同院のサイトに繋がります。

 大玄関
   ・竹の間
   ・虎の間
   ・孔雀の間
 大玄関は、庫裏を通り抜けたところにある広間とそれに続く部屋です。勅使門から入るとここに出ます。

竹の間(木版画による壁紙)
 竹の間は玄関わきにあります。一見すると手で描いた竹のように見えますが、版画なのです。尾形光琳の燕子花図は手書きですが、型紙を使ったといわれていますので、同じパターンが繰り返されています。それと同様にこの竹の間も同じパターンで刷られた壁紙で装飾されています。

虎の間
 大玄関の虎の間にあります襖絵は重要文化財です。狩野永徳の筆です。少々、虎の胴が長く描かれていますが、実物を見たことがなく想像で描かれたと思われます。

孔雀の間
 孔雀の間にあります襖絵は、岸駒が描きました。南画風ですが、純粋の日本画です。専門家は、仔の孔雀と親とのバランスがよいと表していますが、その両者が、ほほえましく描かれています。

 大書院
   ・滝の間
   ・十雪の間
   ・仏間
   ・控えの間
 大書院は、「黄昏の間」とも呼ばれ、大玄関から斜めに走る渡り廊下の先にあります。正面左に「曼殊院棚」と呼ばれる十種類の寄木でつくられた飾り棚があります。
 「十雪の間」が有名ですが、滝の間、仏間、控えの間があります。
 小書院
   ・黄昏の間
   ・富士の間
 小書院は、大書院の奥に位置し、「黄昏の間」とも呼ばれる小部屋が有名です。富士の間もその隣にあります。
 八窓軒茶室  八窓は、小書院の隣にあります。仏教の「八相成道」にちなんでいます。残念ながら、拝観順路からは、斜めにチラッと見えるだけです。
 上之台所  上之台所は、庫裏の左側にありますが、小書院を通り抜けると正面に出ます。高貴な来客や門跡寺院の住職などのための厨房です。丸炉の間、一乗の間、花の間、宿直の間、御寝の間があります。
 棚には、食器類も展示されています。
 庭園  大書院前には、公家風で趣味豊かな良尚親王の趣向を反映した、小堀遠州風の枯山水庭園が広がっています。水の流れをあらわした砂の中に鶴島と亀島があります。鶴島の松は横に這う樹齢400年の五葉松で、見事な造形美を醸し出しています。根元には、曼殊院型と呼ばれるキリシタン灯篭がおかれています。
 亀島にも、同様な松があったそうですが、今はありません。
 枯山水ですので、水はありませんが、奥の滝から流れ出る水が、亀島で二手に分かれて、鶴島を経て、大書院から唐門の方に流れている様が、素人の私にもわかるような気がします。
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弁天島

 勅使門を背にして右手に、弁天島と池があります。弁天島には、天満宮弁天堂があります。



灯籠越しに見る弁天堂



天満宮の左手にある弁財堂で、弁才天が祀られています。




天満宮は、
当然のことながら菅原道真公を祀る祠です。
曼殊院内にある建物の中でも最も古い建物で、
鎮守堂の役割も担っています。



後方に、天満宮と弁財天があり、
正面の鳥居を、石橋で結んでいます。



右手に勅使門を見る位置から、
正面に弁天堂が望めます。
石橋と灯籠が見えますが、
弁財天は木の陰に隠れています。



弁天島に小さな”食堂”があります。
少々寒い日でしたので湯葉あんかけ丼は、
身も心も暖めてくれました。
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鷺森神社

 鷺森神社(さぎのもり)は、貞観年間(859-77)創建と伝えられ、もと修学院離宮地にあったのを元禄年間(1688-1704)に現在地に遷座。スサノオノミコトを祀り、修学院、山端地区の産土神である。また境内には触れると夫婦和合や良縁が授かるという「八重垣」の石がある。

 5月5日の「さんよれ祭」は少年達が着物姿に紅たすき、菅笠姿で手には扇子を持ち‘さんよれ、さんよれ’のかけ声で鉦、太鼓で神輿とともにねり歩く。巡行コースは赤山禅院発→氏子町→鷺森神社着。建立:平安時代(貞観年間(859-77))

 


曼殊院門跡、修学院離宮、詩仙堂を訪れるときには
是非、鷺森神社も訪れてはいかがでしょうか。



一乗寺駅から詩仙堂に向かいましたが、
途中鷺森神社の参道を通ります。
正面が神社ですが、参道両サイドに
桜の木が並んでいます。



 鷺森神社(さぎのもり)は、紅葉の名所として人気がありますが、桜も悪くはありませんでした。



桜には一週間ほど早かったこともあり
まだ、花で飾られている木は
あまりありませんでした。
奥の建物が舞台です。



鷺森神社の舞台

毎年5月5日の「さんよれ祭」には
少年達が着物姿に紅たすきをかけて、
菅笠姿で手には扇子を持ち
‘さんよれ、さんよれ’のかけ声で
鉦、太鼓で神輿とともにねり歩くそうです。


本社は、想像以上に立派でした。


舞台から、本社を臨む

一乗寺駅より徒歩15分ほどでしたでしょうか。
休憩かたがた、境内を散策しました。
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