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私のサイトへの訪問をありがとうございます。
へたの横好きで撮った写真をここにまとめておくことにより、必要なときに見やすいようにと考え、単なる思いつきで着手しました。
他人様に見ていただくというより、自分の作品を整理するためのページです。
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■ 山形県鶴岡市
鶴岡市(つるおかし)は、山形県の日本海沿岸(庄内地方)南部にある人口約13万人の都市です。2005年10月の市町村合併により、県内人口が第二位となり、市の面積は東北地方で最も広く、全国七位となりました。
鶴ヶ岡城周辺の中心市街地は、江戸時代には鶴岡藩(通称庄内藩)の城下町として盛えました。
郊外には、庄内米やだだちゃ豆の農地が広がるのどかな面も持っています。出羽三山神社の拠点となっています。羽黒山には、東北地方で唯一、皇族(蜂子皇子)の墓があります。
小説家藤沢周平の生誕の地でもあり、鶴岡城址には、藤沢記念館があります。その周囲が、市内の観光地として整備されています。
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■ アクセス
上越新幹線で、新潟経由で鶴岡に向かい、2時間ほどで新潟に着きました。空席が目立ちましたので、座席指定をする必要はありませんでしたが、早割切符で15%引きが適用され、ちょっと得した気分です。
新潟から鶴岡までは、通常は、特急いなほで行きます。期間限定の快速列車「きらら」があり、タイミングが合う人は利用してはいかがでしょうか。ただし、全車指定席ですので、快速ですが普通乗車券に加え、指定席券が必要です。
特急だと新潟駅から2時間弱ですが、きららは2時間半強で鶴岡です。普通列車では、4時間近くを覚悟する必要があります。日本海沿岸を北上します。私が言ったときには、天気も良かったこともあり、波は穏やかでした。
鶴岡駅から、旅行案内所へ直行し、翌日の情報入手とバス時刻の確認などをしました。
致道館のある地は、鶴が丘城址公園の近くで、鶴岡駅からはバスで20分ほど、鶴岡市役所前のバス停から徒歩数分のところにあります。
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山形県鶴岡市 致道館 1 |
公式サイト パンフレット 関連資料(秘) |
■ 致道館 ちどうかん
鶴岡市内の観光地は、多くが九時半から公開ですが、致道館は午前九時に入館できます。
腕時計では、九時をちょっと回ったところでしたので、致道館に向かいました。天主堂より5~6分ほどのところ、市役所の向かいにあります。バスは、市役所前で下車です。
途中、鶴岡市文化会館のユニークな建物が目に入りますし、そこから致道館を見ることもできます。
致道館(ちどうかん)は、庄内藩の藩校で、山形県鶴岡市馬場町、鶴岡市役所前にあります。
文化2年(1805年)、庄内藩七代目藩主・酒井忠徳によって創設された学問所に始まり、文化13年(1816年)に八代目藩主の酒井忠器によって鶴ヶ岡城三の丸曲輪内に移され、明治6年(1873年)に廃校されるまで続きました。
東北地方に現存する唯一の藩校建造物で、孔子を祀る聖廟、講堂、御入間、表御門などの建物があります。その建物とその敷地一帯は国の史跡に指定されています。
「致道館」という名称は、論語の一節「君子学んでもって、その道を致す」に由来しています。
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■ 致道館の沿革
致道館は、庄内藩酒井家9 代忠徳(ただあり)が、退廃した土風を刷新して藩政の振興を図るために、文化2年(1805) に創設した藩校(学校)です。
当初は、現在の鶴岡駅前通りにありましたが、政教一致の趣旨から、文化13 年(1816)1 0 代忠器(ただかた)によって鶴ヶ岡城三の丸内に位置する現在地へ移されました。
明治6年(1873) の廃校に至るまでのおよそ70 年間、致道館は荻生徂徠(おぎゅうそらい)の学風を伝承し、且つ孝悌忠信を重んじて武土道を体得し、互いに切礎琢磨して多くの人材を輩出しました。
その後、時代とともに鶴岡県庁舎、鶴岡警察署、朝陽第一・第二尋常小学校などへの変遷を経て、昭和26 年(1951) に国の史跡に指定され、昭和40
年(1965) から4 年間にわたる第1期保存修理の後、昭和47 年(1972) から一般公開しています。(公式サイトより作成)
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鶴ヶ岡城の地図
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山形県鶴岡市 致道館へ |
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致道館(ちどうかん)は、庄内藩の藩校で、
山形県鶴岡市馬場町、鶴岡市役所前にあります。
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鶴岡市文化会館のユニークな建物
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西御門
西御門
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東御門
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東御門
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西側から表御門方向を見る
左手に見える建物は孔子廟
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表御門
受付で入場料を支払うと正面が表御門です
左の屋根は、孔子廟
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山形県鶴岡市 致道館 庭・遺構 |
全敷地約1万5 千平方メートルの広大な敷地には、
現存する建物のほかに神庫や養老堂、句読所をはじめ
舎生の寄宿する本舎などの学舎が建てられ、
武術稽古所さらには矢場や馬場までありました。
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庭 奥は鶴岡市文化会館
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遺構
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山形県鶴岡市 致道館 孔子廟 |
表御門を入りますと左手に孔子廟が見えます
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入口階段下に咲く花
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廟内右半分
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廟正面
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廟左半分
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孔子像
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孔子像(複製)
講師の子孫であります孔健氏により寄贈
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■ 孔子 こうし
紀元前551年9月28日‐紀元前479年4月11日)
春秋時代の中国の思想家、哲学者で、儒家の始祖として崇められています。
中国で儒教が国教となったときに、釈奠(せきてん/しゃくてん)と呼ぶようになりました。
孔子は紀元前5~6世紀の春秋時代における中国の思想家、哲学者で、儒家の始祖でもあります。幼くして両親を失い、孤児となってからも苦学をつづけたそうです。しかし、生きている間は無冠で、一人の学者であったようです。しかし、後の漢代(前漢)に司馬遷は『史記』の中ででは、孔子の功績を「王に値する」と記述しています。
孔子は、それまでにあった原始宗教を今日の儒教に体系化しました。孔子の考えの基本は「仁(じん)」です。「仁が貫かれるところに道徳が保たれる」と説いています。
「仁」は徳の一つで、人間関係の基本、人間愛をさす倫理規定でもあります。主に「他人に対する親愛の情、優しさ」をさし、仁と、人間の行動に関する概念である義を合わせて、「仁義」という表現もよく知られています。
4月25日は孔子祭が行われ、孔子や儒教の先哲を祀る儀式が行われます。
【Wikipedia】 孔子
孔子(こうし、ウェード式: K'ung-tzu、紀元前551年9月28日‐紀元前479年4月11日)は、春秋時代の中国の思想家、哲学者。儒家の始祖。 氏名は孔、諱は丘、字は仲尼(ちゅうじ)。孔子とは尊称である(子は先生という意味)。
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孔子が文字で描かれています
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映像で見る 【カシャリ! ひとり旅】 |
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山形県出羽三山 出羽三山トップ |
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弥陀ヶ原1 |
月山八合目と弥陀ヶ原 |
7分 |
月山八合目への道と弥陀ヶ原にある御田原神社・参篭所 |
弥陀ヶ原2 |
月山八合目弥陀ヶ原湿原 |
7分 |
弥陀ヶ原湿原はお花畑と池塘がその代表です |
羽黒山 |
出羽三山の一つ(準備中) |
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信仰の山である羽黒山の見どころ |
出羽三山 |
出羽三山とは(準備中) |
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山形県を代表する出羽三山とはどの様なところなのでしょうか |
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