熊鷹社 |
どこまで続くのか、疲労が増すにつれ不安となりました
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人が次第に少なくなってきました
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そして、誰もいなくなった
アガサ・クリスティ
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熊鷹社の池
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まだ、続いています
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三つ辻
左手にカーブをしているのかと思いましたが
ここで左右に分岐するのです
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四つ辻 |
朱の玉垣の向こうに緑の山影を映す池は新池、谺ケ池(こだまがいけ)との別称があります。
行方知れずになった人の居場所を探す時、池に向かって手を打ち、こだまが返ってきた方向に手がかりがつかめるという言い伝えがあります。
池に突き出た石積みに拝所が設けられ、熊鷹大神の御塚が鎮まっています。
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ボケがまだ咲いていました
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チューリップが、
この先まだまだ続くよ、頑張って
と言っているようでした。
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四つ辻には休憩所や茶屋があります
多くの人が一休みしていました
四つ辻を右に、三の峯を目指して
歩き出しました。
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四つ辻左手奥
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四つ辻
左側の鳥居の右手奥が荒神峯
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展望所
皆さん、ここで一息つくようです
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京都市内を遠望できました
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まだ、桜が残っていて
参拝者の疲れを癒やしてくれていました
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下社神蹟 |
四つ辻から三の峯へ
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白菊大神と崇められています。
明治20年代の半ばごろの改修工事で、変形神獣鏡が出土し、現在は京都国立博物館に出陳されている
火焚祭11月9日
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三の峯
白菊大神と崇められていま
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間の峯に行く途中に咲く山吹
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間ノ峰(荷田社神蹟)
伊勢大神と崇められている
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神域入り口に建つ石鳥居は、奴祢鳥居(ぬねとりい)と称し、額束の両側に合掌状の破風扠首束(さすつか)をはめた特異な形をしている
火焚祭11月25日
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中之社(二の峯) |
二ノ峰(中社神蹟)
ここは青木大神と崇められている
火焚祭11月11日
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上社(一の峯) |
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一ノ峯(上社神蹟)
稲荷山の最高峰(標高233メートル)
親塚を建てた以前からつづくといわれる
末広大神と崇める信仰がある
神蹟改修を示す親塚裏面に
明治10年6月、燈明講奉納・末広社
という刻字がある
火焚祭11月10日
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拝殿奥 ご神体
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中之社横
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御劔社 釼石(長者社神蹟) |
上社から長者神蹟への道
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上り坂もあれば下りもある
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御劔社 釼石(長者社神蹟)
山上古図に釼石(雷石)と記されている
稲荷山の三つの峰には含まれませんが同格扱いで、
古くからの神祭りの場であった
神蹟の左に焼刃の水と呼ぶ井戸がある
謡曲に三条小鍛冶宗近が勅命を蒙り、
当社山中で稲荷大神の助けを得て、
名刀小狐丸を鍛えたと語られている
火焚祭11月6日
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塚がありました
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焼刃の水
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薬力大神 |
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薬力の滝
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薬力亭
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薬力大神
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御膳谷報拝所 |
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御膳谷奉拝所
稲荷山三ヶ峰の北背後にあたり、かつてはここに神饗殿(みあえどの)と御竈殿(みかまどの)があって三ヶ峰に、神供をした所と伝えられている
三つの峰の渓谷がここに集まって一の峰、二の峰、三の峰を拝する要の場所
毎年1月5日に「大山祭 山上の儀」が斎行される聖地
祭典期日の由来は諸説があって不明
この日の午前中大山祭に先立って、稲荷山七神蹟の玉垣に注連縄を張る「注連張神事」が二月初午までがほぼ一ヶ月の長きにわたり行なわれる
「山上の儀」において御饌石と呼ばれる方1メートルほどの神石の上に、中汲酒を盛った、古式の齋土器七十枚が供進される
この祭儀の後、祭員は「ひかげのかずら」を首にかけて稲荷山の神蹟の巡拝に向かう
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