北海道神宮
明治2年、当時、北海道は「蝦夷地」等と呼ばれていました。日本の国土として、明確にするために、「北海道」と命名されました。
同年、明治天皇の詔(みことのり)により、東京で「北海道鎮座神祭(ほっかいどうちんざしんさい)」が斎行されました。北海道の開拓・発展の守護神として、大国魂神・大那牟遅神・少彦名神の三柱の神々(開拓三神)といいます)が、鎮斎されました。
明治3年5月には仮社殿が建てられ、現在の地に社殿が建てられたのは、「札幌神社」として翌年のことでした。
現在の「北海道神宮」という社名になったのは、昭和39年のことです。
約18万平方メートルの境内地は、桜の名所としても知られ、市民に親しまれています。現在の社殿は、昭和49年放火に遭い、昭和53年に復興されたものです。
現在は、四柱(よはしら)(神様を数える時、一人、二人…ではなく、柱(はしら)と数える)の神様が祀られています。
大国魂神 (おおくにたまのかみ) 北海道の国土の神様
大那牟遅神(おおなむちのかみ) 国土経営・開拓の神様
少彦名神 (すくなひこなのかみ) 国土経営・医薬・酒造の神様
明治天皇 (めいじてんのう) 近代日本の礎を築かれた天皇
アクセス
■【地下鉄】東西線円山公園駅下車→徒歩15分
■【バ ス】JRバス神宮前停留所下車(西14・西15)→徒歩1分
「北海道」 命名の経緯
探検家の松浦武四郎が、明治2年に、北海道を日本の地であることをめいかくにするために、蝦夷地の新たな名称として、6つを候補とする意見書を政府に提案しました。明治天皇の詔として「北海道」と名付けられました。
「松浦武四郎」は、開拓仁者の三十七柱のひとつとして、間宮林蔵など℃共に祀られています。
地下鉄東西線円山公園駅から開拓神社経由北海道神宮への道
手水舎 (ちょうずしゃ)
神門の手前の一段低いところに、清めの場としての手水舎があります。大きな神社の手水舎らしく、しっかりした四本柱の、どっしりした造りです。
神門のすぐ手前に手水舎があります。
神門前から表参道の方向を見ますと、遠くに第二鳥居が見えます。
神門 (しんもん、みかど)
神門から左右に回廊が繋がっていました。朱色ではなく、落ち着いた色をして、重みを感じました。
中央の梁には大きく、美的で珍しい形をした、しめ縄があり、その横には形の良いランタンが吊されていました。
本社殿
北海道神宮の本社殿は、北からの表参道の正面にあります。
1889年(明治22年)に、伊勢神宮の式年遷宮により、伊勢神宮の外宮正殿を移築し本社殿としました。現在の北海道神宮の社殿は、昭和49年放火に遭い、昭和53年に復興されたものです。
本社殿内陣
北海道神宮内にある諸物に菊の御紋章が施されています。お賽銭箱はいうまでもなく照明器具にも見られます。
開拓神社
開拓神社は、昭和十三年に、北海道開拓の七十年を迎えました。その折に、北海道庁長官が、記念事業として物故開拓功労者を祭祀するために建立しました。同年八月十五日、開拓功労慰霊祭を執行しました。
その後、全道から奉斎神の申請を求め、三十六柱が選考され、さらに一柱が追加され、現在は、三十七柱が祀られています。
七〇周年記念行事として、4.5トンもある大神輿も奉納されました。
お焚き上げの様子
昭和四十三年、開拓百年の記念行事として、社殿を大改修、社務所の新設をおこない、昭和五十九年には鳥居、社号標を新設し、鎮座五十年をむかえた昭和六十三年には拝殿を造営し平成二年に社務所を改築しました。
例祭は、明治二年八月十五日に蝦夷地を北海道と改めた事に因み、毎年八月十五日に斎行されています。昭和五十三年からは子ども神輿の渡御をはじめ、平成四年には日本最大級の大神輿が奉納され、二年毎に市内中心街を渡御しています。
開拓神社では祈願札を頒布しており、年に一度奉納して頂いた祈願札を例祭に併せてお焚き上げを行っています。
開拓神社大神輿紹介
開拓神社は、昭和十三年北海道開道七十周年を迎えるに当たり北海道開拓に心血を注がれた先人の労苦を偲び、その功績を永く伝えようと創建されたもので、現在三十七柱が祀られております。開拓者先人の労苦が実って全道民がその恩恵を受けている感謝の気持ちを子孫代々まで伝えようと、開拓神社大神輿奉納委員会により大神輿が奉納されました。
江戸大神輿
型の名称 屋根延神社型漆塗神輿
台 輪 四尺五寸
高 さ 十三尺
重 量 四・五トン
製 作 中台神輿製作所
札幌鉱霊神社
札幌鉱霊神社は、鉱山で殉職された方を慰霊している神社です。
昭和十八年、札幌鉱山監督局の五十周年記念事業として、同局の前庭に建立されました。昭和二十四年に、ここ北海道神宮の境内に遷座されたのです。
穂多木神社
穂多木神社は、昭和十三年、北海道拓殖銀行本店の屋上に、同行の守護神として札幌神社の祭神を奉斎するために建てられた神社です。
これに併せて、北海道拓殖銀行の物故功労者の御霊を奉斎しました。昭和二十五年北海道神宮境内に遷座し、今日に至っています。
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