山形県出羽三山 羽黒山への入口 |
羽黒山神社への道
月山八合目からバスで一時間以上揺られて羽黒山頂バス停に着きましたが、なんとなく身体が揺れるような気分で、下車しました。月山に行く途中にも、このバス停に寄りましたが、その時には、数台の車が駐車場にあるだけでした。ところが、満配に近いほど、車がびっしりとおかれているのに驚きました。
大杉の並木を進みますと右手に歴史博物館が見えてきます。その先左手に広場の一角に天智社があります。また、芭蕉碑もあり、その奥には蜂子皇子の墓があります。墓といいましても、数本の杉の木を囲った物で、墓とは思えない物でした。
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駐車場からすぐに杉並木が始まります。
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大杉の並木を進みますと右手に歴史博物館が見えてきます。
その先左手に広場の一角に天智社があります。
また、芭蕉碑もあり、その奥には蜂子皇子の墓があります。墓といいましても、数本の杉の木を囲った物で、墓とは思えない物でした。
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■ 出羽三山歴史博物館 ~博物館と羽黒山の文化財~
このユニークな形状の建物は、羽黒山の文化財が展示されている出羽三山歴史博物館です。大正4年出羽三山神社の宝物館として設立されました。
昭和27年、博物館法の指定を受け「出羽三山歴史博物館」と改称し、昭和45年に現在の建物が竣工されました。
収蔵する多くは神仏習合の修験道時代の品です。
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■ 天宥社
芭蕉碑の隣にあるのが天宥社(てんゆうしゃ)です。羽黒山五十世執行別当である天宥法印が祀られています。
入口に燈篭がありますが、天宥法印の墓地のある東京都新島村より昭和63(1988)年6月7日に奉献されました。
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奥の細道の途中で立ち寄るなど
芭蕉は、出羽三山とは縁があります。
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三神合祭殿前の鳥居
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広場の反対側には末社が並び、その奥に神輿社と東照社があります。
出羽三山には、百一末社があります。羽黒を始め月山、湯殿山の山嶺、または幽谷に多数の末社が散在しています。ここには大雷神社、健角身神社、稲荷神社、大山祗神社、白山神社、思兼神社、八坂神社があります。
末社列の前には相撲の土俵があります。特別な説明書きはありませんが、方法相撲などが行われるのでしょうか。
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三神合祭殿(本殿に相当)近くの末社
大雷神社、健角身神社、稲荷神社、大山祗神社、白山神社、思兼神社、八坂神社
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蜂子皇子の墓
蜂子皇子は出羽三山神社の開祖
東北地方で唯一の皇族の墓
墓といいましても、数本の杉の木を囲った物で、墓とは思えない物でした。
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神輿社
三神合祭殿前の鳥居広場の右手、
芭蕉碑の反対側には末社が並び、
その奥に神輿社と東照社が並んで配されています。
神輿社には二基の神輿が蔵されていました。
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東照社
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■ 東照社
寛永18年(1641)、ここの別当が、徳川幕府の宗教顧問である東叡山の天海僧正の弟子となりました。羽黒山を天台宗に改宗し、東照権現を羽黒山に勧請し、祀ったのが東照宮(現在の東照社)です。
東照権現を山中に祀ることによって山威を高めたのです。
明治時代に東照宮は東照社と改められました。現在の社殿は、3間5間のややこぶりですが、昭和55年(1980)に解体復元されました。
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