月山八合目 |
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月山へのバスは、4月から9月までの期間しか運行がありません。それを逃すと、レンタカーなどをしなければなりませんので、4時半に起き、バスターミナルから6時のバスに乗ることにしました。
ホテルからは、鶴岡駅のバス停が近いのですが、バスターミナルから乗ることにより座席を確保できました。マイクロバスよりやや大きめのバス車体でしたが、始発の段階で、ほぼ満席でした。二時間近いバスでの移動には座席確保が優先です。
月山には、羽黒山を経由してゆくことになります。
7時ちょっと前に、羽黒山頂バス停に到着し、10分ほどの休憩です。御手洗いがありますが、善意の有料ですので、我慢できる人は終点の月山八合目で用を足すのもひとつの方法です。
そのバスで、さらに一時間の行程ですが、途中、道路が厓崩壊で寸断されているとのことで、一瞬ヒヤッとしました。迂回ルートで行かれることがわかりホッとしました。
途中、つづら折れの坂をウンウンとうなりながら、立っている人もいる満席の状態で月山に向かいました。エンストでも起こしはしないかと心配になるほどでした。
迂回ルートをとったものの、10数分遅れで月山八合目に到着しました。
私のスケジュールでは、ここ弥陀ヶ原湿原では一時間半の滞在で、次のバスに乗れる計算でしたので、十分の遅れは行程に響きかねません。
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■ 大鳥居
南北朝の末期から羽黒山に勢力を得た大泉庄の地頭である武藤氏は、武藤政氏の代に、羽黒山の別当を名乗り、子孫にその職を継いで行くことになりました。
政氏は、長慶天皇のとき、文中元年に羽黒山に国宝である五重塔を再建しました。
その居城である大宝寺(鶴岡)に鳥居を建立させ、羽黒山一の鳥居としましたが、当時のものは、今はなく、鳥居町という町名が残っているだけです。
私が訪れた現在の一の鳥居は、羽黒街道が羽黒丘陵にかかるこの地にあります。昭和4年に山形市吉岡鉄太郎が奉納した、高さが22.5mもある大鳥居です。
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月山八合目 弥陀ヶ原湿原 |
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弥陀ヶ原は、羽黒山頂より、登山バスで約1時間、海抜1400m附近につらなる湿原です。
この湿原は、高冷地にあることから枯草が腐ることはなく、何万年となく積み重なってできた、泥炭層の湿原です。6月~7月には、一面がお花畑となります。小さな湖沼が散在し、あたかも神々の御田を見るようであるといわれています。弥陀ヶ原中央には御田原神社があります。
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弥陀ヶ原湿原は、月山の山麓1400m付近にあります。
月山は、磐梯朝日国立公園の特別区域に指定され、
日本百名山や花の百名山にも選定されています。
ここは、月山八合目で、遠くに見えるのが月山の頂上です。
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弥陀ヶ原湿原は、木道を行きます。
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木道だけではなく、途中、石の飛び石が並ぶところもあります。
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月山には、百数十種類の高山植物があります。
春から秋にかけ、ほとんど花が絶えることがないのです。その理由は、植物の種類が多いだけではなく、地形が変化に富んでいるからです。
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私が訪れたのは9月末というシーズンの最後の頃で、
残念ながら花は殆ど見られませんでした。
しかし、リンドウは、私の心を安らげてくれました。
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月山のお花畑を代表する植物は、
7~8月に花を付けるようです。
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弥陀ヶ原には、
氷河時代から生き残っている
「オゼコウホネ」という植物があります。
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月山八合目 御田原神社 |
弥陀ヶ原湿原のハーフコースは三〇分ほどの道のりで、
月山本宮の鳥居があります。
鳥居の前には、御田原参篭所があり、参拝者をもてなしてくれます。
ビジターセンターの役割も担っています。
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月山を背景にした、月山本宮の鳥居
月山に来る途中の大鳥居が「一の鳥居」に相当しますので、
さしずめ、この鳥居は「二ノ鳥居」ということでしょう。
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■ 御田原神社
月山八合目の中之宮である御田原神社(みたはらじんじゃ)があります。バス停から直行すれば十分たらずのところにあります。弥陀ヶ原湿原のハーフコースを回ってきますと三十分ほどで着きます。
ここには、須佐之男命の妻である奇稲田姫神(くしいなだひめのかみ)が祀られています。稲田の守護神として五穀豊穣・縁結びの神として信仰されています。
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御田原神社の横には、霊祭供養所があります。
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供養所の周囲には、さまざまの仏像が供養されたり、
石碑が建てられたりしています。
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遠くに、山形県の名峰「鳥海山」が
日本海まで裾野を広げています。
鳥海山の右手に連なる出羽山脈には、
雲海が広がっていました。
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月山八合目 池塘 |
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池塘(ちとう)とは、湿原の泥炭層にできる池沼のことをいいます。
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