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私が訪れた名所旧跡です。

ケイタイやスマホのカメラで撮影したものもありますので画質があまりよくありません。
私の限られた感性での写真ですので、たいした作品でもありません。
自分自身の作品を、自分のために整理したものです。
北海道  函館2 
公式サイト   

■ 函館

 函館市(はこだてし)は、札幌市、旭川市に次ぐ、北海道第三の人口約26万人を有する中核市です。

 北海道南端の渡島半島に位置する、天然の良港であることを強みとし、北海道と本州を結ぶ交通結節点でもあり、道南地域の中心都市として発展してきました。

 毎年500万人近い観光客が訪れる観光都市で、市町村の魅力度ランキング調査で1位にランクインする都市でもあります。「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」では、一つ星以上の星が付いている観光地が函館市内に20以上もあります。

 観光業以外でも、水産業や食品関連産業、医療福祉を主要産業としてきましたが、近年は人口減少が著しく、2014年(平成26年)4月1日から市域のすべてが「過疎地域」に指定されています。

 室町時代の享徳3年(1454年)、津軽の豪族河野政通が、函館山の北斜面にあたる宇須岸(ウスケシ、アイヌ語で「湾の端」という意味)に館を築きました。形が箱に似ていることから「箱館」と呼ばれるようになったのが、函館の市名の由来といわれています。

 
函館 古き良き元町散策

 異国情緒あふれる洋館や教会は、函館の中でも元町は、函館らしい坂もあり、古き建物もあります。

 路面電車で、終点のひとつ、函館ドック前停留所で降りて、気儘に歩き回りました。

 

函館 函館ドック


渡島(おしま)半島の山々

鷲別岳



渡島(おしま)半島の山々



横手山



教会? 鳳凰の風見鶏

函館山 函館西部歴史的景観地区


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四月ですがコブシが咲いていました



函館で最も西にある坂道

坂の上から湾岸に押し寄せる魚群を発見できることから
「魚見坂」の名が付けられました。



函館市臨海研究所

古き良き函館を代表するような建物



北海道最初の郵便局の跡

郵便制度の父といわれる前島密は函館に学びました
その縁で、箱館戦争を率いた
榎本武揚は、初代通信大臣に着任しています。



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■ 沖之口番所跡

 江戸|時代、松前藩は、藩財政を支える施策の一つとして、福山(現松前)に船舶、積荷、旅人を検査して、規定の税金を徴収する「沖中之口番所」を創設しました。

函館山 函館西部歴史的景観地区 太刀川家住宅店舗他


函館西部歴史的景観地区

路面電車終点の函館ドック前または大町で下車して
そぞろ歩きをしますと、古い建物を散見できます


■ ROMANTiCO ROMANTiCA

大正期に建てられた木造3階建ての貴重な建物。ライトアップにより、夜でも水色のおしゃれな雰囲気を楽しむことができます。1階のカフェが夜まで営業。  詳細



ROMANTiCO ROMANTiCA



ROMANTiCO ROMANTiCA



ROMANTiCO ROMANTiCA

太刀川家の看板



太刀川家住宅店舗


■ 太刀川家住宅店舗

明治34(1901)年築の土蔵造りの建物。国指定の重要文化財であり、長くカフェとして営業していましたが、現在は閉店。

函館山 函館西部歴史的景観地区 函館丸


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■ 函館丸

 幕府は、安政元年3月、日米和親条約を締結、下田・函館の2港が開港されました。

 箱館奉行所では、幕府に対し蝦夷地の警備および、開港に伴う外国船との交渉上、奉行所所属の船舶が必要となりました。

 船大工續豊冶に造船の命令をくだし、安政4年11月に完成させ、船名を「箱館丸」と命名しました。

 これは、日本造船界に偉大なる貢献をもたらしました。日本人の創造設計による日本で最初に作られた洋式帆船といえます。



日本マストの日本で最初の様式帆船「函館丸」



函館丸

函館山  函館東ドック地区


海上保安庁のドック



海上保安庁の船



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緑の島

左手(東方向)が函館中心街



緑の島



緑の島への入口



紅モクレン

そろそろサクラが咲く信号



サクラの季節が近い水仙

函館山  新島襄海外渡航の地


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■ 新島襄海外渡航の地

 新島襄は、新知識を海外に求め、吉田松陰の海外渡航の失敗を考慮し、渡航地を箱館に選びました。

 元冶元年(1864年)、江戸からきて、二コライ主教(ハリストス正教会2代主教)に、日本語を教るなどして、脱出の機会を待っていました。同年6月14日(新暦7月17日)深夜、福士成豊(日本最初の函館測候所開設者)の助力により国禁を犯して海外渡航に成功しました。

 上海経由で渡米し、10年修学し、明治7年(1874)に帰国し、翌年京都に同志社大学の前身である同志社英学校を創立しました。



新島襄海外渡航の地碑




奥は函館港

函館山 函館西部歴史的景観地区 相馬株式会社他


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函館西部歴史的景観地区



函館元町ホテル別邸「開港庵」



カクタス館



相馬株式会社社屋


■ 相馬株式会社社屋

 基坂と電車通りの角にあるペパーミントグリーンの建物で、いかにも大正風を醸し出しています。

 1913(大正2)年築、豪商・相馬哲平ゆかりのルネサンス風建造物で、異国情緒漂う街並みと見事にマッチしています。



相馬株式会社

函館山 東浜桟橋 北海道第一歩の地碑


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東浜桟橋

■ 北海道第一歩の地碑

 明冶維新後、函館は名実ともに北海道の門戸となり、この北海道の地を踏む人達が、その第一歩を印したのがここ、東浜桟橋です。

 青函航路は、明冶6年(1873年)に開拓使の弘明丸によって一般輸送を開始し三菱、日本郵船鉄道会社などによって継続されてきましたが、明冶41年(1908年)に国有鉄道の航路となりました。



 当時、連絡船は冲に停泊し、
客は、はしけでこの桟橋との間を行ききしました。
この東浜桟橋は、明冶4年(1871年)に作られました。



 連絡船の桟橋は、明冶43年(1910年)2月に若松ふ頭に移転され、
その後は、北洋漁業の根拠地としても重要な役割を果たしてきました。



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 この記念碑は、熊にいかりを配し、
開通100年を記念して開拓に渡道した先人の足跡をしのぶと共に、
北海直発展の未来を志向して、昭和43年(1968年)9月に建立されました。

函館山 函館西部歴史的景観地区 北海道の歴史を語る

■ 文学館

 郷土資料館の向かいに函館市文学館はあり、夜はライトアップされます。

 1921(大正10)年に第一銀行函館支店として建設されたもので、外観の上部の繊細な装飾が見ものです。



上部の繊細なレリーフは見事です。



文学館全体

路面電車が走り、末広町が最寄りの停留所です(左手)
右方向が函館中心地

詳細



北方民俗資料館



函館市北方民俗資料館

函館山  北海道を代表する歌手 北島三郎記念館


北島三郎記念館 表通り側から見る



海産物の函館、その代表がイカということでしょうか



最もポピュラーで処々で見るデザインです


 
 
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