■ 実相寺(じっそうじ)
1375(永和元)年に創建された日蓮宗の寺で、正式名称は「日蓮宗大津山実相寺」といい、ご本尊は、「十界勧請」です。
もともとは、同じ村にあった真言宗のお寺でしたが、改宗しました。
1561(永禄4)年に川中島の合戦があり、武田信玄は実相寺に、武運長久祈願のために部下を遣わしました。事後、永大祈願所として、現在の地に移転させました。
境内には日本三大桜の「山高神代桜」があります。野生のエドヒガンザクラで推定樹齢は1800年とも2000年ともいわれています。
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アクセス
〒408-0306 山梨県北杜市武川町山高2763
JR中央本線日野春駅からタクシーで約15分
JR中央本線韮崎駅からバスで「牧の原」下車徒歩約30分
中央自動車道須玉ICから約15分
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実相寺 水仙畑 |
山高神代桜を見るために、沢山の人が訪れていました
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満開に近い桜が、向かえてくれ
山高神代桜への期待がドンドンと大きくなりました
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山門への途中で、桜草と水仙が出迎えてくれました
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白と黄色の水仙畑
右手に進むと実相寺山門
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奥は、水屋と庫裏
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右奥が山高神代桜
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右端が山高神代桜
支柱が見えますが、この時は、それが神代桜とはつゆ知らず
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以前は、水仙とチューリップで知られていました。
チューリップ畑には、黄色い水仙で埋め尽くされていました。
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白い水仙
水仙で有名な、伊豆半島の爪木崎を思い出しました。
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身延山しだれの前から水仙畑を見る
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実相寺 山門 |
駐車場から水仙畑に沿ってゆくと山門があり、
参道正面が本堂、
右手に「宇宙桜」のある庫裏、
山高神代桜は、左手奥
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実相寺山門
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山門脇にある実相寺法界塔
法界塔は、この世とあの世の境目を示します。
お寺へ通じる街道の道しるべでもあり、
集落などへ悪いものが入り込まないようにと
祈りの込められた結界の役割もあります。
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山門を入ると対になった石柱が向かえてくれました
奥が本堂です
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実相寺 身延山枝垂れ桜の子桜 |
身延山枝垂れ桜の子桜
卯月の風にしなうしだれの爽やかさ(眞雪)
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身延山枝垂れ桜の子桜
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身延山枝垂れ桜の子桜
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身延山枝垂れ桜の子桜
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宇宙桜の前から見る身延山枝垂れ桜の子桜
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実相寺 庫裏と水屋 |
庫裏前の大桜
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庫裏
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庫裏前から水屋方向を見る
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庫裏前の水仙
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庫裏前の桜
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実相寺 本堂 |
桜越に本堂を望む
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本堂横にある多重石塔
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本堂と香廬
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本堂横の日蓮像
奥は南アルプス
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この日は4月8日
甘茶が振る舞われていました。
小学生らしき女生徒が「あま~い」と言っていました
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実相寺 鐘楼と祖師堂 |
本堂前から
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■ 実相寺鐘楼と梵鐘
この梵鐘は総高145cm、鐘身105cm、口径79cmです。刻銘によりますと承応4乙未年(1655)7月16日、当山第十一世住持比丘日念の代に檀主・山高荘右衛門尉信之が、大祈願を発し、多くの人々の力によって造られて寄進されたとあります。技法的にも江戸初期の特色をよく伝えている梵鐘として知られています。
大工は横沢住、藤原朝臣磯崎惣右衛門重久です。第二次世界大戦中すべての金物が供出させられた中で、由緒ある文化遺産として供出を免れました。
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鐘楼の周りも桜がありました
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藤原朝臣磯崎惣右衛門重久による鐘楼は
がっしりと立っています。
梵鐘は、第二次大戦中の金属供出を免れました。
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実相寺 祖師堂 |
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■ 霊験あらたかな厄除け祖師
日蓮は、61年の生涯を通じて大難4度、湘南数知れずという迫害を被りました。その難との戦いから、法華経による御利益により退けられました。
「我れ日本の柱とならん」「我れ日本の眼目とならん」「我日本の大船とならん」と三代誓願を立てました。そのことから、正しき信仰は、難を免れるという御利益をえられると言われています。
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祖師堂
実相寺開山の日蓮聖人が祀られています。
宗派によっては御影 (みえい) 堂、開山堂、法華堂などと呼ばれます。
京都仁和寺の「御影堂」は「ごえいどう」と読みます。
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祖師堂内陣
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山高神代桜越しに見る祖師堂
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実相寺 祖師堂周辺 |
祖師堂より一段高い所から本堂方向を見る
山高神代桜は右後ろ方向
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右手屋根は鐘楼
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本堂横に立つ観音像
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右手が本堂
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穏やかな顔をされている観音様
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奥は本堂側面(南面)
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墓地前の地蔵像
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