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私が訪れた名所旧跡です。
ケイタイやスマホのカメラで撮影したものもありますので画質があまりよくありません。
私の限られた感性での写真ですので、たいした作品でもありません。
自分自身の作品を、自分のために整理したものです。
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山形県 米沢市 13 |
公式サイト 関連記事(秘) |
■ 米沢市(よねざわし)
山形県の置賜地方に位置する、この地方最大の都市で、上杉氏の城下町として知られています。置賜地方(おきたまちほう・おいたまちほう)は、山形県内陸部南部を指す地方名です。
鎌倉時代は、長井氏の領地、室町時代初期から伊達氏の領地となり、「独眼竜」伊達政宗は米沢城で生まれました。江戸時代から明治の廃藩置県までは上杉氏の城下町で、上杉氏との縁で上越市(新潟県西部)との関係が深いのです。
米沢藩の藩校として1697年に設置された興譲館は、現在の山形県立米沢興譲館高等学校として伝統を受け継いでいます。上杉家歴代の中でも、家祖上杉謙信と中興の祖上杉鷹山は特に顕彰され、全小学校肖像画が掲げられています。
また、山形大学の工学部は、1910年(明治43年)設立の米沢高等工業学校を前身とし、旧建物は文化財として保存されています。
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米沢市資料より
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米沢市 市街地諸寺社 米沢駅北西 |
米沢 長命寺 |
■ 長命寺
http://www.choumeiji.or.jp/
米沢長命寺は、中興とされる善仲(善乗)が、上杉景勝に従って、越後から会津を経て米沢に移って建立した寺で、文政元年(一八一八)に本山掛所御坊に定められました。
この長命寺の歴史は、親鸞上人の直弟子西仏坊浄寛によってはじめられています。
嘉永二年に謙信堂を移築した現本堂に上杉謙信の位聘を安置する真宗大谷派の名刹です。
創建は、弘安・正応年中と古く、文政元年には、本山掛所御坊に定められ、「親鸞聖人真向きの御影」が伝わりました。
また、聖徳太子垂髪の御影、十字名号二尊対座の御影が真宗重宝聚英に収められています。他にも、鎌倉時代の阿弥陀如来など什物が多数あります。
信濃赤塩郷の長命寺善乗(一名赤塩善仲)は、上杉氏の招請により春日山に遷りました。続いて上杉景勝の会津、米沢移封に供奉して米沢の谷地小路に仏舎を建立、知行三百石ほか小松、上長井、現在地を拝領し、鷹山が参詣の折に手植えした松の古木がありました。
長命寺と上杉家は名家四辻家を通じて血縁関係濃く、四辻公遠の娘桂厳(岩)院は上杉定勝の母であり、その末弟で上杉一門の山浦玄蕃(光則)の次女が長命寺に嫁いだことによります。
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上杉家とも関係があることもあり、立派な門が迎えてくれます。
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米沢 我妻栄記念館 |
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■ 我妻榮記念館
日本の「民法」の基礎を築いたといわれます我妻榮氏の記念館です。
我妻榮は、米沢出身の民法学者で、明治30(1897)年に、米沢市鉄砲屋町に生まれました。
東京帝国大学法学部法律学科を卒業後、民法学者となり、明治から大正にかけて、一応の形成を見た民法体系を、判例を中心として、日本の社会的現実のつながりの中で充実発展させ今日の民法学の基礎を固めました。
我妻榮記念館は、我妻榮氏が文化勲章を受章したことを記念して生家を補修整備したものです。
館内には愛用の手帳や判例カードなど興味深い品々が展示されています。
残念ながら、私が訪れた時は休館日で、中に入ることができませんでした。
開館時間
月曜日(13:00~16:00)
木曜日(13:00~16:00)
金曜日(13:00~16:00)
日曜日(13:00~16:00)
入館料 無料
アクセス
中央三丁目バス停下車、商工会議所の東100m程の所に位置します。
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興譲教会
我妻栄記念館から道を挟んだ斜め向かい
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市内寺社(米沢駅北西) 市内寺社(米沢駅北西) |
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