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私が訪れた名所旧跡です。

ケイタイやスマホのカメラで撮影したものもありますので画質があまりよくありません。
私の限られた感性での写真ですので、たいした作品でもありません。
自分自身の作品を、自分のために整理したものです。
山形県 米沢市 9 
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■ 米沢市(よねざわし)

 山形県の置賜地方に位置する、この地方最大の都市で、上杉氏の城下町として知られています。置賜地方(おきたまちほう・おいたまちほう)は、山形県内陸部南部を指す地方名です。

 鎌倉時代は、長井氏の領地、室町時代初期から伊達氏の領地となり、「独眼竜」伊達政宗は米沢城で生まれました。江戸時代から明治の廃藩置県までは上杉氏の城下町で、上杉氏との縁で上越市(新潟県西部)との関係が深いのです。

 米沢藩の藩校として1697年に設置された興譲館は、現在の山形県立米沢興譲館高等学校として伝統を受け継いでいます。上杉家歴代の中でも、家祖上杉謙信と中興の祖上杉鷹山は特に顕彰され、全小学校肖像画が掲げられています。

 また、山形大学の工学部は、1910年(明治43年)設立の米沢高等工業学校を前身とし、旧建物は文化財として保存されています。




米沢市資料より

 
 
米沢市城南 旧米沢高等工業学校・林泉寺

旧米沢高等工業学校

■ 旧米沢高等工業学校本館

  https://www.yz.yamagata-u.ac.jp/school/old-yonezawa/guide/


 1910年(明治43年)3月、東京・大阪・京都・名古屋・熊本・仙台に続いて、旧制専門学校 (実業専門学校)として、全国7番目の官立高等工業学校として開設されました。

 本館の建設は、明治41年7月に文部省建築課米沢出張所が設けられ、同42年1月起工、翌43年7月に竣工しました。ルネッサンス様式の木造二階建で、国指定重要文化財に指定されています。

 米沢駅の現在の駅舎は、同本館を模したデザインとなっています。

 初代校長は、大竹多気でした。創立時は、本科(修業年限3年)に、染織科・応用化学科の 2科が設置されました。

 昭和19年4月に、米沢工業専門学校と改称され、更に同24年5月の学制改革によって、山形大学工学部の母体として改組され、現在に至っています。


問合せ先 山形大学工学部

所在地 米沢市城南4-3-16 電話番号 0238-26-3005

ホームページ http://www2.yz.yamagata-u.ac.jp/campus/juubun/

営業時間 9:00~17:00

定休日 土曜・日曜

交通・アクセス

 米沢駅よりバス12分山大前下車徒歩5分

備考
外観見学は無料ですが、中の見学は予約が必要です。




旧米沢高等工業学校本館


ルネッサンス様式の木造二階建で、国指定重要文化財







初代校長 大竹多気像

創立時は、本科(修業年限3年)に、
染織科・応用化学科の 2科が設置されました。





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ルネッサンス様式で垢抜けた玄関



春日山林泉寺

■ 春日山林泉寺

        http://yone-rinsenji.com/


開創

 明応5年(1496年)に越後国高田(今の新潟県上越市)の蜂ヶ峯の麓に一宇が建立されました。

● 開山

 曹洞宗開祖道元禅師から下って11代にあたる勅特賜 宗猷大光禅師 曇英慧應大和尚(しゅうゆうたいこうぜんじ どんえいえのう)が、本師である一州正伊大和尚(いっしゅうしょうい)を勧請し、開山されました。

● 開基

 越後守護代であった長尾能景公(上杉謙信の祖父)が、その父である重景公の勲業を子孫万歳の福基に残そうとの御志願から建立されました。

● 寺号

 長尾重景公の法名「林泉寺殿實渓正眞大居士」から、寺号を『林泉寺』と定められました。

● 山号

 長尾景虎公(のちの上杉謙信公)が上杉氏を相続された時に、上杉家の氏神である奈良の春日明神を勧請し、山号を『春日山』としました。

                          (公式サイトより作成)



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■ 米沢移封

 2代景勝公の折に上杉氏は、会津を経て米沢移封(慶長6年)となりました。その後、元和3年(1617年)萬安大悦大和尚の時米沢の現在地に移りました。

 舞鶴城(米沢城)の南現在の地域を選んで、高田林泉寺の古規にならって堂塔伽藍を建立しました。

 現在の伽藍は、享保17年9月(1732年)に火災に遇ったのちに建てられたものです。

                          (公式サイトより作成)



春日山林泉寺

桶清水橋のたもとにあります。
手前に堀立川が流れています

旧米沢高等工業学校から徒歩で5~6分ほどのと頃にあります。
最寄りのバス停は、二中前(徒歩5分)



橋から緩い坂を登ります





本堂正面には立派な山門があります。



本堂
春日山林泉寺 庭園

■ 上杉謙信と林泉寺

 林泉寺は代々長尾家の菩提所であったことからその法縁により、長尾景虎公は天文7年(1538年)7才の折、林泉寺に入って当寺七世天室光育禅師に師事しました。

 更に長じてからは八世の益翁宗謙禅師の会下に参禅し、粉骨砕身終に達磨不識の玄道(禅の奥儀)に悟入されました。

 41才の時はじめて『不識庵謙信(ふしきあんけんしん)』と名乗りました。


                          (公式サイトより作成)



禅定石

木々で見えませんでした。

禅定とは、座禅をするときに
決まるべき所にキチンと収まっていることを意味します。
人も医師も座禅をすると、そのまま仏様になるのだそうです。



本堂裏の庭園








春日山林泉寺 春日大明神


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■ 上杉家墓所

 歴代藩公の尊崇が厚く、上杉家の墓所には、奥方・子女26基、支侯16基のお墓があります。

 また、米沢城下町創設の恩人、直江山城守兼続の御廟所として、その霊牌を奉安しています。


                          (公式サイトより作成)




■ 上杉鷹山と林泉寺

 寺中の春日大明神は、上杉鷹山公(治憲)が御節倹の折、立志の誓詞を捧げた由緒深いものです。また、当時寄進された雨乞の大般若経等は現存しています。

                          (公式サイトより作成)


春日大明神横の筆塚

 
 
法泉寺   東光酒造
 

 山形県米沢市 
 米沢 上杉神社周辺東 伝国の杜・松岬神社・鷹山像 
 米沢 上杉神社参道 謙信像・謙信公祠堂跡・鷹山像
 米沢 上杉神社境内・附属社 本殿・福徳稲荷神社・稽照殿 
 米沢 上杉神社周辺南 上杉記念館・文化伝承館・餐霞館 
 米沢 上杉神社周辺北 白子神社
 米沢 上杉家墓所 
 米沢 法音寺・千勝院 
 米沢 法泉寺 
 米沢 旧米沢高等工業学校・林泉寺 
 米沢 東光酒造 
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 米沢 市内寺社(米沢駅北西) 関興庵・東源寺
 米沢 市内寺社(米沢駅北西) 長命寺・我妻記念館
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