旧米沢高等工業学校 |
■ 旧米沢高等工業学校本館
https://www.yz.yamagata-u.ac.jp/school/old-yonezawa/guide/
1910年(明治43年)3月、東京・大阪・京都・名古屋・熊本・仙台に続いて、旧制専門学校 (実業専門学校)として、全国7番目の官立高等工業学校として開設されました。
本館の建設は、明治41年7月に文部省建築課米沢出張所が設けられ、同42年1月起工、翌43年7月に竣工しました。ルネッサンス様式の木造二階建で、国指定重要文化財に指定されています。
米沢駅の現在の駅舎は、同本館を模したデザインとなっています。
初代校長は、大竹多気でした。創立時は、本科(修業年限3年)に、染織科・応用化学科の 2科が設置されました。
昭和19年4月に、米沢工業専門学校と改称され、更に同24年5月の学制改革によって、山形大学工学部の母体として改組され、現在に至っています。
問合せ先 山形大学工学部
所在地 米沢市城南4-3-16 電話番号 0238-26-3005
ホームページ http://www2.yz.yamagata-u.ac.jp/campus/juubun/
営業時間 9:00~17:00
定休日 土曜・日曜
交通・アクセス
米沢駅よりバス12分山大前下車徒歩5分
備考
外観見学は無料ですが、中の見学は予約が必要です。
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旧米沢高等工業学校本館
ルネッサンス様式の木造二階建で、国指定重要文化財
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初代校長 大竹多気像
創立時は、本科(修業年限3年)に、
染織科・応用化学科の 2科が設置されました。
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↑ 拡大
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ルネッサンス様式で垢抜けた玄関
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春日山林泉寺 |
■ 春日山林泉寺
http://yone-rinsenji.com/
開創
明応5年(1496年)に越後国高田(今の新潟県上越市)の蜂ヶ峯の麓に一宇が建立されました。
● 開山
曹洞宗開祖道元禅師から下って11代にあたる勅特賜 宗猷大光禅師 曇英慧應大和尚(しゅうゆうたいこうぜんじ どんえいえのう)が、本師である一州正伊大和尚(いっしゅうしょうい)を勧請し、開山されました。
● 開基
越後守護代であった長尾能景公(上杉謙信の祖父)が、その父である重景公の勲業を子孫万歳の福基に残そうとの御志願から建立されました。
● 寺号
長尾重景公の法名「林泉寺殿實渓正眞大居士」から、寺号を『林泉寺』と定められました。
● 山号
長尾景虎公(のちの上杉謙信公)が上杉氏を相続された時に、上杉家の氏神である奈良の春日明神を勧請し、山号を『春日山』としました。
(公式サイトより作成)
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↑ 拡大
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■ 米沢移封
2代景勝公の折に上杉氏は、会津を経て米沢移封(慶長6年)となりました。その後、元和3年(1617年)萬安大悦大和尚の時米沢の現在地に移りました。
舞鶴城(米沢城)の南現在の地域を選んで、高田林泉寺の古規にならって堂塔伽藍を建立しました。
現在の伽藍は、享保17年9月(1732年)に火災に遇ったのちに建てられたものです。
(公式サイトより作成)
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春日山林泉寺
桶清水橋のたもとにあります。
手前に堀立川が流れています
旧米沢高等工業学校から徒歩で5~6分ほどのと頃にあります。
最寄りのバス停は、二中前(徒歩5分)
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橋から緩い坂を登ります
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本堂正面には立派な山門があります。
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本堂
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春日山林泉寺 庭園 |
■ 上杉謙信と林泉寺
林泉寺は代々長尾家の菩提所であったことからその法縁により、長尾景虎公は天文7年(1538年)7才の折、林泉寺に入って当寺七世天室光育禅師に師事しました。
更に長じてからは八世の益翁宗謙禅師の会下に参禅し、粉骨砕身終に達磨不識の玄道(禅の奥儀)に悟入されました。
41才の時はじめて『不識庵謙信(ふしきあんけんしん)』と名乗りました。
(公式サイトより作成)
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禅定石
木々で見えませんでした。
禅定とは、座禅をするときに
決まるべき所にキチンと収まっていることを意味します。
人も医師も座禅をすると、そのまま仏様になるのだそうです。
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本堂裏の庭園
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