|
HOME 仏教 仏像 名所旧跡 スナップ グロマコン 経営コンサルタント |
私が訪れた名所旧跡です。
ケイタイやスマホのカメラで撮影したものもありますので画質があまりよくありません。
私の限られた感性での写真ですので、たいした作品でもありません。
自分自身の作品を、自分のために整理したものです。
|
山形県 米沢市 6 |
公式サイト 関連記事(秘) |
■ 米沢市(よねざわし)
山形県の置賜地方に位置する、この地方最大の都市で、上杉氏の城下町として知られています。置賜地方(おきたまちほう・おいたまちほう)は、山形県内陸部南部を指す地方名です。
鎌倉時代は、長井氏の領地、室町時代初期から伊達氏の領地となり、「独眼竜」伊達政宗は米沢城で生まれました。江戸時代から明治の廃藩置県までは上杉氏の城下町で、上杉氏との縁で上越市(新潟県西部)との関係が深いのです。
米沢藩の藩校として1697年に設置された興譲館は、現在の山形県立米沢興譲館高等学校として伝統を受け継いでいます。上杉家歴代の中でも、家祖上杉謙信と中興の祖上杉鷹山は特に顕彰され、全小学校肖像画が掲げられています。
また、山形大学の工学部は、1910年(明治43年)設立の米沢高等工業学校を前身とし、旧建物は文化財として保存されています。
|
米沢市資料より
|
|
|
米沢市(北西部) 白子神社 |
米沢白子神社 |
白子神社(しろこじんじゃ)は、山形県米沢市城北にあります。
|
私は、上杉家廟所を訪れた後、時計回りのバスに乗り、法泉寺を訪れた後に、そこから数分の所にある白子神社を訪れるつもりでした。
ちょうど、昼時でしたが周囲には食事をできるようなお店は見当たりません。
白子神社の向かい側のコンビニで、訊きますと角を曲がったところにおそば屋さんがあると教えられました。
早速、そこに徒歩で向かいましたが、行けども行けども見つかりません。
地方の人は、車で移動しますので、「すぐそこ」は結構な距離があるのですね。
|
|
■ 白子神社
白子神社(しろこじんじゃ)は、山形県米沢市城北(江戸時代の出羽国米沢藩の米沢城下、明神堂町北端)にある神社です。
祭神は、火産霊命、埴山姫命に2柱で、神社名は、この地に蚕が生じ、桑林が雪のように白くなったことによるとの伝承があります。
平安時代の鬼瓦2面(市指定有形文化財)、上杉鷹山の誓詞(鷹山公倹約誓詞)2通(市指定有形文化財)、白子大明神扁額1面(市指定有形文化財)を所有しています。旧社格は県社、江戸時代の城下絵図より旧名は「白子大明神」と分かり、今日では「白子大明神」の別名を持ちます。
伝承では和銅5年(712年)創建とされ、承平2年(932年)に出羽国国司の小野良春により社殿再建されました。
暦仁元年(1238年)に領主の長井時広により修理されて、置賜郡総鎮守とされ、以後の伊達氏時代にも崇敬され、文禄年間に蒲生氏郷により米沢城鎮守とされました。
その後、米沢城主となった上杉景勝、重臣の直江兼続や上杉氏からも引き続き米沢城鎮守として崇敬されました。
米沢藩主家・上杉氏より石高50石を拝領され、明暦2年(1655年)には境内での寄宿、伐木、殺生を禁止されました。
所在地 米沢市城北2-3-25 0238-21-3482
ホームページ http://www.city.yonezawa.yamagata.jp/1147.htm
駐車場 有
交通・アクセス 米沢駅より車10分
|
|
覆い屋はありませんが、手水場はあります
(コロナの対策のため休止)
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
上杉神社周辺南 上杉家墓所 |
|
|
↑ Page Top |
|
|
|
ホームページ 経営マガジン 経営トップ・管理職 経営コンサルタント コンサルタントへの道 会社概要 お問い合わせ
|
Copyright© N. Imai All rights reserved |
|
|
|
|
|