米沢市 伝国の杜 |
■ 伝国の杜・米沢市上杉博物館
米沢藩の歴史・文化を中心テーマとした博物館のある一帯を「伝国の杜(でんこくのもり)」といいます。
「伝国の杜(でんこくのもり)」」は、平成13年9月29日、山形県米沢市に博物館・文化施設として誕生しました。
博物館には、国宝「上杉本洛中洛外図屏風」や「上杉家文書」など、数千に及ぶ米沢藩や上杉家にゆかりの文化財が収蔵されています。この施設は県立の「置賜文化ホール」と、市立の「米沢市上杉博物館」の2つが合築されました。 「置賜文化ホール」では音楽、演劇など催しものを開催しております。
常設展示室には、上杉の歴史と文化を中心とした「江戸時代の置賜・米沢」を主軸に展示されています。
営業期間
開館:9:00~17:00 入館は16:30まで
休館:4月~11月 第4水曜日、12月~3月 月曜が休日の場合はその直後の平日
12月29日~1月3日 (年末年始)、館内整理日(不定)
所在地 〒992-0052 山形県米沢市丸の内1-2-1
交通アクセス
米沢駅からバスで12分
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■ 伝国の杜 でんこくのもり
上杉鷹山の「伝国の辞(でんこくのじ)」をもとに命名されました。
伝国の辞とは、鷹山(藩主の時は「治憲」)が次期藩主・治広に家督を譲る際に申し渡した、3条からなる藩主としての心得です。
一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候
一、国家人民の為に立たる君にして君の為に立たる国家人民にはこれ無く候
右三条御遺念有間敷候事
天明五巳年二月七日 治憲 花押 <鷹山の花押(署名)>
治広殿 机前 <鷹山から次期藩主・上杉治広へ>
意訳は、以下の通りです。
一、国(藩)は先祖から子孫へ伝えられるものであり、我(藩主)の私物ではない。
一、領民は国(藩)に属しているものであり、我(藩主)の私物ではない。
一、国(藩)・国民(領民)のために存在・行動するのが君主(藩主)であり、“君主のために存在・行動する国・国民”ではない。
この三ヶ条を心に留め忘れることなきように。
伝国の辞は、上杉家の明治の版籍奉還に至るまで、代々の家督相続時に相続者に家訓として伝承されました。
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米沢市上杉博物館
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博物館正面玄関上の看板
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上杉謙信公祠堂跡からみた伝国の杜・上杉博物館
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米沢市 上杉神社参道 |
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左手が、米沢市上杉博物館
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紅葉真っ盛り
右手が上杉城苑、上杉鷹山の銅像他が配置
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米沢市 行在所遺跡 |
行在所遺跡
明治14年10月、明治天皇が東北巡幸をなされた。
その際の米沢での宿所であった行在所の跡地
上杉城史苑の一角に立つ
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秦逸三の胸像
日本で最初の人造絹糸(レーヨン)の製造に成功した
帝国人造絹糸(帝人)の創業者
もともとは三原工場にあったものが平成27年に米沢市へ寄贈
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米沢市 上杉鷹山像 |
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■ 上杉 鷹山
うえすぎ ようざん 上杉 治憲(うえすぎ はるのり)
寛延4年7月20日(1751年9月9日)- 文政5年3月11日(1822年4月2日)
江戸時代中期の大名で、出羽国(山形県)米沢藩9代藩主でした。
初代藩主上杉謙信という名門の家柄でしたが、領地返上寸前の財政難に陥っていました。その米沢藩再生のきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られています。
諱は初め勝興、後に治憲となりますが、藩主隠居後の号である鷹山の方が著名です。
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鷹山像台座に刻まれた上杉家家紋
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鷹山像前のもみじ
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米沢市 松岬神社 |
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■ 松岬神社(まつざきじんじゃ)
明治35年、上杉神社に上杉謙信とともに祀られていた上杉鷹山が、松岬神社に分祀されました。鷹山の功績の大きさを示すといえます。
大正元年に新殿が造営され、9月28日遷座祭が斎行され、神社格式で県社にランクされています。
また、その時に、新饌幣帛料供進神社(しんせんへいはくりょうぐしんじんじゃ)に指定されています。
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ピンボケで済みません
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ブラウザにより縦横が異なるため
両方アップロードしました
県社格の神社であることが石柱からもわかります
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神社鳥居左にある池
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池の奥に立石灯籠
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松岬神社拝殿
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松岬神社扁額と錫
2020年から流行しだした新型コロナの対策から、
錫の紐は取り払われています
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手水場もコロナの対策からひしゃくがありません
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鷹山の伝国の辞
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「伝国の辞(でんこくのじ)」は、鷹山が次期藩主・治広に家督を譲る際に申し渡した、3条からなる藩主としての心得です。
一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候
一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候
一、国家人民の為に立たる君にして君の為に立たる国家人民にはこれ無く候
右三条御遺念有間敷候事天明五巳年二月七日 治憲 花押
治広殿 机前
意訳は、以下の通りです。
一、国(藩)は先祖から子孫へ伝えられるものであり、我(藩主)の私物ではない。
一、領民は国(藩)に属しているものであり、我(藩主)の私物ではない。
一、国(藩)・国民(領民)のために存在・行動するのが君主(藩主)であり、“君主のために存在・行動する国・国民”ではない。
この三ヶ条を心に留め忘れることなきように。
伝国の辞は、上杉家の明治の版籍奉還に至るまで、代々の家督相続時に相続者に家訓として伝承されました。
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松岬神社境内のもみじ
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観光客を当時の装束を身につけた人が迎えてくれています
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松岬神社前の錦の絨毯
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松岬神社角に立つ大銀杏
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松岬神社角に立つ大銀杏
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