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私のサイトへの訪問をありがとうございます。

へたの横好きで撮った写真をここにまとめておくことにより、必要なときに見やすいようにと考え、単なる思いつきで着手しました。

他人様に見ていただくというより、自分の作品を整理するためのページです。

カシャリ!一人旅
  和歌山県 高野山
公式サイト    関連資料(準備中)

 高野山は、平安時代のはじめに弘法大師によって、開かれた日本仏教の聖地です。

 高野山と言いますと、「空海」「金剛峯寺」という言葉を連想します。高野山は「一山境内地」と称され、高野山の至る所がお寺の境内地と見なされています。すなわち、高野山全体がお寺で、「総本山金剛峯寺」という場合、「金剛峯寺」だけではなく高野山全体を指すそうです。

 通常お寺というのは、一カ所に集まっていますが、大伽藍や金剛峯寺のあります場所と、奥の院との2カ所に大きく分かれています。そう言えば、延暦寺も、東堂、西堂、横山と3カ所に別れていますね。

 「高野山=金剛峯寺」と思い込んでいましたが、金剛峯寺は大伽藍とは数百メートル離れた場所にあります。金剛峯寺が本堂だと思っていましたが、
高野山の本堂は、大伽藍にそびえる「金堂」が総本堂で、重要行事のほとんどは、この金堂にて執り行われます。

 高野山内には、117カ所の塔頭寺院が点在していて、たくさんの宿坊があります。

 

【アクセス】
  〒648-0211  0736-56-2616
  和歌山県伊都郡高野町高野山600番地

◆ 鉄道

 難波<特急が便利> → 橋本<特急は乗り換え不要> → 極楽橋 →<南海高野山ケーブル> → 高野山駅 → <バス> 高野山目的地

 環状線または地下鉄にて、新今宮または難波に出ます。橋本または極楽橋までの急行で行くか、500円の特急券で、特急に乗ります。ケーブルやバス代込みのチケットを購入すると便利です。バスは、高野山についてから、乗り降り自由です。
 急行の場合には、橋本で乗り換えが必要な場合があります。急行は、橋本から先の単線区間は、各駅停車になりますが、特急はノンストップです。
 特急の場合には、社内で高野山についてのレクチャーアナウンスがあり、事前知識がない人には大いに参考となります。
 バスは、奥の院行きは比較的本数が多いのですが、大門(金剛峯寺、大伽藍)行きは、利用者数ほど多くはありません。千手院橋が奥の院と大門行きの分岐点ですので、ここでの乗り換えを念頭において移動するとよいでしょう。
 私は、千手院橋バス停で下りて、金剛峯寺まで徒歩で十分ほど歩きました。高野山の雰囲気を感ずるのに、ちょうど良い徒歩距離です。
 大阪から日帰りという強行軍でしたが、それでも金剛峯寺と大伽藍を回れました。欲張って大門まで行って写真を撮ってきましたが、帰りのバスが適当な時間になく、急いで大門の写真を撮って、乗ってきたバスで千手院橋まで移動し、そこで高野山駅行きバスに乗り換えて、大阪に戻りました。

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【ご挨拶】
 写真説明もせず、ただアップロード下だけで失礼しています。時間がとれるときに説明を追加いたします。
 
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も く じ

 高野山への道 

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高野山への道

難波駅が始発ですが、環状線新今宮から乗りました。
特急は、格好がいいですね。 
平日ということもあり、特急車内はガラガラでした。
座席間隔はやや狭く感じました。 
南海の極楽橋駅に着くと改札を出ずしてそのままケーブルに乗れます。
5分ほどで高野山に着きます。 
帰りは予定した特急の時間とタイミングが合わず
快速急行に乗りませいた。

 
   



私は平成27(2015)年11月末に、大阪から鉄道で日帰りしました。
時間的には大変厳しく、高野山のさわりだけを体験してきました。

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高野山 金剛峯寺への入口

「金剛峯寺」という名称は、
空海が『金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経(こんごうぶろうかくいっさいゆがゆぎきょう)』という
お経より名付けたと伝えられています。

主殿(本坊)をはじめとした様々な建物を備え
境内総坪数5万坪弱の広大さがあります。



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山門は、ここより東に50mほど行ったところにあります。


門越しに東西60m、南北約70mの主殿(本坊)が見えます



門の右手塀には
格式高い5本の規線が入っていました。

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金剛峯寺 主殿(本坊)


主殿前の塔は、紐で主殿内部のご本尊に繋がっています。
内部拝観(有料)をしなくても御利益を得られます。
 

天水桶(てんすいおけ)

屋根は檜の皮を何枚も重ねた檜皮葺(ひわだぶき)です。
屋根に桶が置いてありますが、これを天水桶といいます。
平素から雨水を溜めておき、火災が発生したときに、火の粉が飛んで屋根が燃えあがらないように
桶の水をまいて湿らし、少しでも類焼を食い止める役割を果たします。 

 
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主殿大玄関


主殿 大玄関

金剛峯寺の表玄関を大玄関といいます。正門と同様に天皇・皇族や高野山重職だけが出入りできます。
大玄関の右手に宗務所があり、その右に小玄関があります。
今では証言感は一般の参賀者の入口ですが、かつては上綱(じょうこう)職の人用でした。

 
さすが大玄関だけあって、装飾は素晴らしいです。 


大玄関


一般僧侶用の門
薪がキチンと詰められてオブジェのように見えます。 
   
鐘楼 しょうろう

門をくぐって右手、大玄関の向かい側にあります。金剛峯寺の前身であります青巌寺の時代からあります鐘楼です。
万延元年(1860年)に大火で類焼しましたが、大主殿などの建物と共に元治元年(1864年)に再建されました。
桁行・三間、梁行・二間、袴腰付入母屋造りで、和歌山県指定文化財です。
 

 
 
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主殿内部



左手が大玄関


大玄関正面 大広間
大広間は重要な儀式・法要が執り行われる処で、
2月の常楽会(じょうらくえ 涅槃会)や
4月の仏生会(花祭り)等がここで行われています。
襖には群鶴(ぐんかく)の絵、松の絵が描かれ、
狩野法眼元信の筆と伝えられています。

正面奥の持仏間は、いわゆる仏間に相当します。
本尊は空海、
両側に歴代天皇御尊儀や歴代座主の位牌が安置。
 

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弘法大師が都遥かに都を離れ、しかも約1000mの高峰であるこの高野山を発見したののには物語があります。
弘法大師が2年の入唐留学を終え、唐の明州の浜より帰国の途に着いたときに、
伽藍建立の地選定を念じ、持っていた三鈷(さんこ)を投げますと
現在の壇上伽藍の建つ三鈷の松に引っかかったといいます。
 


左手が柳の間
柳の間

山本探斉の柳鷺図(りゅうろず)が描かれていることから柳の間と呼ばれています。
豊臣秀次が自害したことから「秀次自刃(じじん)の間」ともいわれています。

 
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主殿から別殿へ



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別殿

昭和9年(1934年)、弘法大師御入定1100年・御遠忌大法会の際に建てられた桃山様式の建築
襖絵は守屋多々志画伯の作で、
西側には花の間の連続で四季の花鳥が描かれ、東側には弘法大師入唐から高野山草創までの風景
11月末と言いますのに、

最近降った雪なのでしょうか、まだ残っていました。

 
蟠龍庭

空海・弘法大師御入定1150年・御遠忌大法会の際に造園されました。
2,340平方メートルの石庭は、国内で最大級といわれています。

雲海の中の雌雄一対の龍が奥殿を護っています。向かって左が雄、右に雌。
石は、空海誕生の地である四国の花崗岩、雲海を表す白川砂は京都のものが使われています。

ここにも雪がありました。

右手が別殿、左が奥伝 
雌の龍の上半身、牡は左写真の奥
建物は奥伝 
奥殿横の雌流の下半身 


雌流の全体を下半身から見る
 
新書院と真松庵

   蟠龍庭を前にした奥書院は
かつては皇族の休憩所でした。
 

奥伝入口(非公開)
 

新松庵への渡り廊下

 
襖絵

   
   

 
上段の間

書院上段の間

以前は天皇、上皇が登山された際の応接間として使用された所で、
現在は高野山の重要な儀式に使用されています。

上々段の間と装束の間があります。
 


壁は総金箔押しで、右手奥は「武者隠し」


折上式格天井の書院造りの様式になっています。

 


 

   

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経営コンサルタント・グロマコン 
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