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私のサイトへの訪問をありがとうございます。

へたの横好きで撮った写真をここにまとめておくことにより、必要なときに見やすいようにと考え、単なる思いつきで着手しました。

他人様に見ていただくというより、自分の作品を整理するためのページです。

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 東京都墨田区 都立横網町公園
 参考資料 サイト 
 
震災・大戦の慰霊と伝承
 

 大正11年(1922年)、東京市は、陸軍被服廠(軍服などを作る工場)の移転に伴い跡地を買収し、公園の造成を進めていました。そ大正12年(1923年)9月1日に関東大震災っが発生し、ここ被服廠跡に周辺の人たちが家から布団や家財道具を持ち出し、続々と避難してきました。

 ちょうど昼時であったことと、台風の余波で強風が吹いていたこともあり、各所で火災が発生しました。この被服廠跡にも強風にあおられた炎が四方から迫り、家財道具などに燃え移り、激しい炎となり、一気に人々を飲み込みました。この地だけで、3万8千人もの尊い命が失われてしまいました。

 関東大震災の死者は、当時の東京府市合わせて7万人を超えました。諸霊を弔慰するために、大正12年10月19日に、東京府市合同の大追悼式が挙行されました。翌年には、東京府市合同で震災殃死者一周年祭並びに法要が行われ、以来絶えることなく今日まで続けられてきました。

 当初「大正震災記念公園」と仮称された公園でしたが、昭和5年(1930年)に「横網町公園」として開園しました。しかし、昭和16年(1941年)に太平洋戦争が勃発しました。空襲による都内犠牲者の数は、10万人をはるかに超え、震災遭難者約5万8千人と合わせて16万3千人の遺骨が東京都慰霊堂として祀られました。

 平成13年(2001年)には、花壇と一体となった「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」が建設され、園内が華やかになりました。

  開園日  昭和5年(1930年)9月1日
  開園面積 19,579.53m2
 

■ アクセス

 JR総武線・両国駅西口より徒歩8分
 都営地下鉄大江戸線両国駅(江戸東京博物館前)下車A1出口より徒歩2分
 〒130-0015東京都墨田区横網二丁目3番25号 03-3622-1208

 


↑↑ 拡大

慰霊堂、復興記念館や日本庭園といろいろあります

 

正門

正面は慰霊堂

正門の他に、西門、北門、南門とがあります


東京都慰霊堂

 慰霊堂は.大正12(1923)年の関東大震災の後に、東京市内で災害の最も悲惨であったここ被服廠跡に、遭難死者のご遺骨を納める霊堂として建てられ「震災記念堂」と名付けられました.
 そして、遭難者の霊を祀り.その加護によって今後このような災害の起こらないことを祈願するため、毎年9月1日の震災記念日に慰鬘大法要を執り行い、併せて「焦土のなかから東京を復興させた官民の熱心な協力」の思い出をあらたにしようとしたものです.
 ところが、その悲願も空しく、21年を経た昭和19(19441年の冬から、首都東京は戦争により空からの爆撃を受けて.関東大震災の数倍もの惨禍を被りました。
 そこで.この戦災遭難者の霊と御遺骨を併せてこの堂に奉安し.昭和26(1951)年9月に名称を「東京都慰霊堂」と改め、最も被害が大きかった東京大空襲の日の3月10日にも毎年東京都慰霊協会主催による慰霊大法要が行なわれるようになりました
.
 利用時間 9:00〜11:30【年末年始休み】
 施設概要 竣工日 昭和5(1930)年4月30日
        構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造
        延床面積 1,470u 最高高さ40,9m
        設計者 伊東忠太
 納骨数  震災 58,000体  戦災 105,000体



復興記念館

東京都復興記念館

 震災復興記念館は、大正12(1923)年9月1日に発生した関東大震災の被害や修状、その後の復興事業を伝えるため、昭和6(1931)年8月18日に開館しました。

 館内には、震災復興を祝って、昭和4(1929)年9月に開かれた帝都復興展覧会の展示品、絵画や写真、図表、被災資料及び市民からの寄贈品などが展示されています。

 震災から立ち直った東京は、太平洋戦争末期の空襲で再び焼け野原となりました。そこで戦後、戦災関係資料の展示が追加され、「東京都復興記念館」と名称を変更しました。

 今では震災・戦災の記憶とともに、昭和初期の都市計画や街づくりを伝える貴重な展示施設となっています。(正面玄関前案内板より)

 休館日 年末年始及び月曜日(祝日の場合は翌日)
 竣工日 昭和6(1931)年4月17日
 構 造 鉄筋コンクリート造二階建
 建築面積 174.27坪(575.09u)
 延床面積 356.09坪(1,175.09u)

 


小さいながらも日本庭園もあります

詳しくは、下記インデックスよりご覧下さい
↓↓
横網町公園 インデックス

 都立横網町公園 震災・大戦の慰霊と伝承の公園 1 慰霊堂 260205
 都立横網町公園 震災・大戦の慰霊と伝承の公園 2 慰霊堂周辺 260205
 都立横網町公園 震災・大戦の慰霊と伝承の公園 3 復興記念館 260205
 都立横網町公園 震災・大戦の慰霊と伝承の公園 4 日本庭園 260205
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 (特)日本経営士協会

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