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私が訪れた名所旧跡です。
ケイタイやスマホのカメラで撮影したものもありますので画質があまりよくありません。
私の限られた感性での写真ですので、たいした作品でもありません。
自分自身の作品を、自分のために整理したものです。
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東京 墨田区 旧安田庭園 |
墨田区公式サイト |
江戸時代元禄4年(1691)、本庄因幡守宗資(いなばのかみむねすけ)が下屋敷を拝領し、隅田川の水を引き入れ、中央に「心」の字をかたどった池を配した庭園にしました。潮の干満による景色の変化を楽しめる「潮入り池泉廻遊式庭園」です。
明治になりますと旧備前岡山藩主池田章政邸となり、明治24年(1891)に安田財閥の創始者安田善次郎の所有となりました。大正時代に、東京市に寄贈され、昭和に入ると和風庭園として一般公開されるようになりました。
現在は、東京都から墨田区に移管され、貴重な文化財を保護しています。JR総武線両国駅から徒歩7分と近い上、両国国技館の隣という地の利から、多くの人に親しまれています。
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隅田川の水を引き入れ、
中央に「心」の字をかたどった池があります。
潮の干満による景色が変わる
「潮入り池泉廻遊式庭園」です。 |
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JR総武線両国駅から徒歩で行ける
交通の便の良い庭園で
是非、訪問してみてください。
行く道には両国国技館や江戸東京博物館があります。 |
門は簡素で、味家のない看板が掛かっています。
門の右手に、庭園紹介の看板があります。
(上記参照) |
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旧安田庭園 門を入ると |
門を入りますとツツジに飾られて小道
正面には東京スカイツリーが見えます。
同じ墨田区にありますので、見えて当然 |
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隅田川から水を引いています。
東京湾に近いこともあり
潮の干満で水位が変わります。 |
後ろを振り返ると入口の門が見えます。
そこにある石道路は堂々としていました。 |
池には鴨が泳いでいました。
望遠レンズに取り替えている間に
たのかも達はどこかへ移動してしまいました。 |
潮の干満で下がりますと
左岸の大灯籠まで
飛び石伝いに池をわたれます。 |
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旧安田庭園 左岸の大灯籠 |
灯籠越しに大灯籠方向を望む |
大灯籠は、どっしりとしています。 |
大灯籠の灯り取りより、
木戸方向を覗く |
潮入茶屋(右)の碑
四角い部分は貫通していて
向こう側を覗けます。 |
潮入茶屋から大灯籠方向を望む |
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旧安田庭園 対岸から見る |
入口近くの石灯籠前から対岸を臨む |
対岸にかかる赤い太鼓橋が見えます。 |
対岸の灯籠脇に
外国人が昼寝をしていました。 |
対岸(木戸右手)の灯籠 |
対岸の赤い太鼓橋 |
太鼓橋の奥まで池がありました。
結構丸みが大きく、滑りそうでした。 |
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旧安田庭園 右岸 |
太鼓橋の手前に懸かる石橋 |
石橋横の灯籠は背が高かった! |
多宝塔 |
多宝塔横にある
灯籠の台座にしては立派な
正体不明のもの |
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駒止石
三代将軍家光が
隅田川の大洪水の時に
現地視察を命じたとき
旗本阿部豊後守忠秋が
濁流に馬を入れ被害状況を視察しました。
その際に、馬を留めて休息した石 |
阿部豊後守忠秋が休息をした石 |
駒止の井 |
至誠勤倹の碑
安田善次郎(やすだ ぜんじろう)は、
天保9年10月9日〈1838年11月25日〉に
富山県で生まれた実業家で安田財閥の祖です。
帝国ホテルの設立発起人、日銀の監事など
国家運営にも深く関与し、
東京大学安田講堂にその名を残しています。
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