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開園時間 午前9時~午後5時(入園は午後4時30分まで)
休園日 年末・年始(12月29日~翌年1月1日まで)
入園料 一般 150円 65歳以上 70円
(小学生以下及び都内在住・在学の中学生は無料)
交 通 JR山手線・京浜東北線「浜松町」下車北口 徒歩1分
都営地下鉄大江戸線「大門」(E20)下車 徒歩3分
都営地下鉄浅草線「大門」(A09)下車 徒歩3分
ゆりかもめ「竹芝」下車 徒歩10分
所在地 TEL 03-3434-4029
〒105-0022 東京都港区海岸1-4-1
開園日 大正13年4月20日
面 積 庭園 42,035.40平方メートル (平成27年7月1日現在)
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JR浜松町駅の改札口を出て、右手に歩いて徒歩1分という
好立地にあります。
明暦(1655~1658年)の頃に海面を埋め立てた土地を、
延宝6年(1678年)に老中・大久保忠朝が
4代将軍家綱から拝領しました。
忠朝は屋敷を建てるにあたり、
藩地の小田原から庭師を呼び庭園を造ったと言われています。
当時、庭園は「楽壽園」と呼ばれていました。
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大名屋敷であった日本庭園ですので、
色とりどりの草花があるわけではありません。
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旧芝離宮恩賜公園 庭園全体を望む |
庭園東の方向
入口を入り、藤棚前で左手を見ると
「小池」があります。
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庭園は、幾人かの所有者を経たのち、
幕末頃は紀州徳川家の芝御屋敷となりました。
明治4年には有栖川宮家の所有となり、
同8年に宮内省が買上げ、翌9年に芝離宮となりました。
離宮は、大正12年の関東大震災の際に
建物や樹木に大変な被害を受けました。
<公式サイトより>
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庭園南方向
大泉水方向を望む
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関東大震災の翌年の大正13年1月には、
皇太子(昭和天皇)のご成婚記念として東京市に下賜され、
園地の復旧と整備を施し、同年4月に一般公開しました。
また、昭和54年6月には、文化財保護法による
国の「名勝」に指定されました。
<公式サイトより>
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大泉水西半分
道奥に行くと雪見灯籠がある
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<夕日に輝く泉水>
泉水は、この庭園の要を成す施設です。
池は海水を引き入れた「潮入りの池」でした。
引き潮の時は中島から浮島に渡れたり、
潮の干満により州浜や島々の風景が
劇的に変化したといわれています。
今は残念ながら海水の取り入れができなくなり、
淡水の池になっています。
<公式サイトより>
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州浜
小池から雪見灯籠や大山の方向への道
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旧芝離宮恩賜公園 石組み・燈籠・手水鉢 |
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勇壮な石組
旧芝離宮恩賜庭園には、
数々の名石が用いられた庭造りが行われています。
根府川山や中島の石組は一見の価値があります。
特に大久保家の藩地であった小田原 から、
多くの根府川石が運ばれ、
いくつかの石組と泉水周りの飛石に使われています。
泉水の護岸は富士の黒朴石が用いられています。
<公式サイトより>
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夕陽の紅葉と白い燈籠
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小池横から滝石組みの方向を見ると白い燈籠が池に浮かぶ
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遠くに東岸の東屋が見えます
池の中に小さく白い石灯籠
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唐津山の石群
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中島中央、最高地点には、石を積み上げたパゴダが見えます
小田原藩から作庭者の大久保忠朝が
持ち込んだものといわれます
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庭園内を右回りに行きますと、大きな石が目に入ります。
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雪見灯籠の手前に並ぶ石列
池に映るビルを崩したように見えませんか
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手水鉢
もみじ道を出たところにありました
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見落としました
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旧芝離宮恩賜公園 石柱・燈籠・手水鉢 |
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この石柱が何であったのか永い間なぞでした。
2010年代に入ってようやく
小田原藩大久保家の上屋敷にあった
茶室に使われていた柱であることが解りました。
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旧芝離宮恩賜公園 雪見灯籠 |
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大泉水の西側を右回りに行きますと
大きな雪見燈籠が見えてきます。
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砂浜
雪見灯籠の奥にあります
上部中央に西湖の堤と石橋
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旧芝離宮恩賜公園 大山 |
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雪見灯籠の右手に、庭園内最古地点の大山があります
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大山の頂上は、意外と狭いです
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大山頂上から入口方面を見る
中央に雪見灯籠がちょこんと見えます
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大山から州浜方向を見る
白く小さい点は、ら一途アップのランタン
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大山の頂上から、中島の方向を見る
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大山の頂上から下る
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左手は大山
右の上り階段は、直ぐ上の写真にも写っています
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