http://www.asukayama.jp/asukayama/as02/as02.html |
飛鳥山は、東京都北区の南部に位置します公園です。1873年(明治6)の太政官布達により指定された日本最初の公園として知られています。
日本橋から2里(約8キロ)という、日帰り可能な距離であった飛鳥山は、八代将軍徳川吉宗が1270本もの桜を植えて開放して以来の、水茶屋(湯茶サービス付き休息所)の設置を許可し、庶民の憩いの場となりました。上野・浅草・芝・深川、そして飛鳥山の5公園が、桜の名所として指定されました。時代により姿を変えつつも、飛鳥山公園は今も人々に親しまれています。
富士山や筑波山の眺望も楽しめる上、付近には王子稲荷などの社寺や滝などの見どころもあり、四季を通じての絶好の行楽地です。
園内には、紙の博物館、北区飛鳥山博物館、渋沢史料館の3つの博物館があります。この公園は、渋沢栄一翁が、初めは別荘として、後に曖依村荘(あいいそんそう)とよばれる邸宅としていました。
その関連の施設もあります。
· 晩香廬(ばんこうろ)【国指定重要文化財】
· 青淵文庫(せいえんぶんこ)【国指定重要文化財】
· 旧渋沢庭園
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飛鳥山公園は、日本で最初に指定されました講演だけあって、結構広いです。写真の右端(北)がJR王子駅側です。
アクセス |
日本最初の指定公園だけあって
その由来説明は立派なつくりです。 |
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反射光が映り込んでいて少々読みにくいですが
飛鳥山公園についての由来を知ることができます。 |
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上述のロータリークラブの説明と共に
東京都教育委員会の説明もあります。 |
東京都教育委員会の説明の隣に
その元となる石碑があります。
こちらは読みにくいですが
資料としては大切なものでしょう。 |
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東京都北区の説明板は
さらに判読しにくいですが、
視点が異なる資料として掲載しました。
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飛鳥山 桜の名所 |
山頂モミュメント
文京区側の入口から入りますと
可愛い石組みの碑がありました。 |
桜の季節だけに
処々に花びらの絨毯が敷き詰められていました。
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公園内の広場には舞台(利用有料)があり
民謡踊りのグループでしょうか
楽しんでいらっしゃいました。 |
舞台の周りには
観客席も容易されています。 |
日本的と感じたのか
外国からの訪問客らしき数人が
興味深そうに踊りをみていました。
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舞台の直ぐ横には
芳野桜に加えて大島桜でしょうか
彩りを加えていました。
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たくさんのグループが
車座になってお花見を楽しんでいるのか
飲み会を楽しんでいるのか解りませんが
時折大きな笑い声が上がっていました。
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公園内には家族ずれもいます。 |
歴史ある講演を演出 |
八重の桜がピンクを際立たせていました
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飛鳥山 歴史を語る |
明治維新百年記念碑
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佐久間象山の「桜の賦」(韻を踏んだ詩)の
石碑があります。 |
象山の賦の石碑 |
「象山」という文字が刻まれています |
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横穴式石室が出土しました |
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旧渋沢庭園の一角に兜稲荷社がありました。
渋沢栄一翁に因んで建てられた洋風感を持った
珍しいお社を兜町から移築したもの
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飛鳥山 公園内 |
飛鳥山公園のほぼ中央に児童ひろばがあります。
お城の形をしたおすべりは、子供の大人気 |
飛鳥山の直ぐ近くを走っている都電の車両が
児童ひろばの一角に展示され、
家族連れで中に入ったり
写真を撮ったりしています。 |
都電車両の隣にはD51(でごいち)も
展示されています。 |
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このD51型蒸気機関車は
第二次大戦中に製造されたものです。
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園内数カ所に飛鳥山と彫られた
常夜灯があります
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観音菩薩像 |
穏やかのお顔に
しばしうっとり
その足元には若者グループが
アルコールで上機嫌でした。 |
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飛鳥山 3つの博物館 |
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飛鳥山公園の南側は、
博物館ゾーンと渋沢庭園です。
その一角に、日中国交正常化記念の
平和の女神像があります。 |
女神像は、長崎の平和記念公園にあります像の作者
北村西望氏の柵です。
渋沢資料館の前に位置しています。 |
飛鳥山公園には、3つの博物館があります。
飛鳥山博物館
紙の博物館
渋沢資料館 |
渋沢栄一翁の活動を広く紹介する博物館として、
1982年に開館しました。
かつて渋沢翁が住んでいた旧邸「曖依村荘」跡地に
建っています。
その生涯と事績に関する資料が展示されています。 |
満開の桜を前にした渋沢資料館
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渋沢資料館の前には
渋沢栄一翁の胸像が立っています。 |
渋沢資料館の北側に
北区飛鳥山博物館があります。 |
平成10年3月27日、北区立飛鳥山公園の中に開館しました。
公式サイトに拠りますと
北区や近隣地域の考古、歴史、民俗等や自然に関して
紹介することを目的としています。区民の生涯学習の振興に寄与するとともに、広く教育、学術の向上と地域文化の発展に資することも兼ねています。 |
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紙の博物館は、1950年(昭和25年)に、和紙・洋紙を問わず、古今東西の紙に関する資料を幅広く収集・保存・展示する世界有数の紙の総合博物館として、東京・王子に誕生しました。
王子は、明治初期に近代的な製紙工場のさきがけとなった王子製紙王子工場が設立された地です。このことから「洋紙発祥の地」と呼ばれます。
<公式サイトより>
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当博物館は、「公益財団法人紙の博物館」として、
製紙会社、製紙用具製造会社、紙販売会社など、
多くの関係各社の協力によって運営されています。
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飛鳥山 旧渋沢庭園 |
江戸時代末期(幕末)から大正初期にかけての
日本の武士(幕臣)、官僚、実業家であった
渋沢栄一翁(1840-1931)は、
生涯に約500の企業の育成に係わり、
同時に約600の社会公共事業や民間外交にも
尽力しました。
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第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、日本資本主義の父といわれています。
「道徳経済合一説」を唱え、日本における企業経営のあり方を説いています。日本の科学技術の最先端を研究する理化学研究所の創設者でもあります。
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飛鳥山は、渋沢栄一翁が1879(明治12)年から亡くなる1931(昭和6)年まで、初めは別荘として、後に本邸として過ごした「曖依村荘(あいいそんそう)」とよばれる邸宅があったところです。
往時は8470坪(約28,000㎡)の敷地に日本館と西洋館からなる本館をはじめ色々な建物が存在しました。その多くは1945(昭和20)年の空襲で消失しました。現在は飛鳥山公園の一部として一般に開放されています。
<公式サイトより>
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山形をした六角形の亭がありました。 |
石段上に六角形をした山形亭がありました。 |
山形亭の傍らに立つ銅の灯籠 |
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飛鳥山公園旧渋沢庭園内の晩香廬と青淵文庫は、
日本の近代経済社会の基礎を築いた
渋沢栄一の書庫・接客の場として使われた
大正建築です。 |
対象建築といいますが
現代でも通用するような立派な建物です。
外壁には、「月出石」と呼ばれます 伊豆天城山の白色安山岩でできた 石盤が貼り付けられています。 上部の窓には、渋沢家の家紋を デザインしたステンドグラスがはめ込まれています。
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青淵文庫の説明
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晩香廬(ばんこうろ)側から見た青淵文庫 |
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飛鳥山 晩香廬 |
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旧渋沢庭園内で欠かすことのできないのが
晩香廬(ばんこうろ)【国指定重要文化財】
です。
接客に利用したこの建物は
対象の良さを残しています。
(青淵文庫にて入館券購入)
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山形亭前から望む晩香廬 |
晩香廬を南側から望む |
対象の風情を残す晩香廬 |
桜の季節の晩香廬
ツツジの季節も良さそうです。 |
渋沢像の前から望む晩香廬 |
晩香廬横の銅製の鉢
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