旧渋沢庭園
http://www.asukayama.jp/stroll/st/st-03.html
飛鳥山公園の一角に、渋沢栄一が1879(明治12)年から亡くなる1931(昭和6)年まで、初めは別荘として、後に本邸として過ごした「曖依村荘(あいいそんそう)」とよばれる邸宅跡を「旧渋沢庭園」として一般に公開しています。
旧渋沢庭園入園時間
午前9時より午後4時30分まで(3月~11月)
午前9時より午後4時まで(12月~2月)
入園は無料です。入園時間は季節により変わる場合があります。
アクセス
JR 京浜東北線王子駅南口下車 徒歩約5分
東京メトロ南北線西ヶ原駅下車 徒歩約7分
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江戸時代末期(幕末)から大正初期にかけての
日本の武士(幕臣)、官僚、実業家であった
渋沢栄一翁(1840-1931)は、
生涯に約500の企業の育成に係わり、
同時に約600の社会公共事業や民間外交にも
尽力しました。
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第一国立銀行や東京証券取引所などといった多種多様な企業の設立・経営に関わり、日本資本主義の父といわれています。
「道徳経済合一説」を唱え、日本における企業経営のあり方を説いています。日本の科学技術の最先端を研究する理化学研究所の創設者でもあります。
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飛鳥山は、渋沢栄一翁が1879(明治12)年から亡くなる1931(昭和6)年まで、初めは別荘として、後に本邸として過ごした「曖依村荘(あいいそんそう)」とよばれる邸宅があったところです。
往時は8470坪(約28,000㎡)の敷地に日本館と西洋館からなる本館をはじめ色々な建物が存在しました。その多くは1945(昭和20)年の空襲で消失しました。現在は飛鳥山公園の一部として一般に開放されています。
<公式サイトより>
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山形をした六角形の亭がありました。 |
石段上に六角形をした山形亭がありました。 |
山形亭の傍らに立つ銅の灯籠 |
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飛鳥山公園旧渋沢庭園内の晩香廬と青淵文庫は、
日本の近代経済社会の基礎を築いた
渋沢栄一の書庫・接客の場として使われた
大正建築です。 |
対象建築といいますが
現代でも通用するような立派な建物です。
外壁には、「月出石」と呼ばれます 伊豆天城山の白色安山岩でできた 石盤が貼り付けられています。 上部の窓には、渋沢家の家紋を デザインしたステンドグラスがはめ込まれています。
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青淵文庫の説明
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晩香廬(ばんこうろ)側から見た青淵文庫 |