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私が訪れた名所旧跡です。

ケイタイやスマホのカメラで撮影したものもありますので画質があまりよくありません。
私の限られた感性での写真ですので、たいした作品でもありません。
自分自身の作品を、自分のために整理したものです。
東京  文京区 椿山荘の桜
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 椿山荘(ちんざんそう)は、東京都文京区関口二丁目の小高い丘に建つ宴会施設・ホテルです。そこには日本庭園もあります。

 神田川に面し、古くは南北朝時代から椿が自生する景勝地で「つばきやま」と呼ばれていました。江戸時代は久留里藩黒田氏の下屋敷でもありました。

 明治の元勲・山縣有朋は、西南戦争の功による報償で、ここを自分の屋敷として「椿山荘」と命名しました。椿山荘は彼の趣味色の濃い庭園です。

 庭園は一般公開されていて、椿や桜など植物が豊富で、庭園の頂上には三重塔が立っています。元々広島県賀茂郡入野(現東広島市)の竹林寺にありましたが、大正時代にこの地に移築・修復され、現在は、国の登録有形文化財に登録されています。

■ アクセス

  東京メトロ有楽町線有楽町線護国寺駅・江戸川橋駅もしくはJR山手線目白駅
  都営バス 白61系統ホテル椿山荘東京前下車
  コミュニティバス 文京シビックセンター前より、椿山荘まで約20分

 入口は、ホテル側と神田川側の二箇所あります。

 
椿山荘 桜と池



椿山荘は、神田川(下)の畔にあります。
神田川は、かつては「江戸川」と呼ばれ
江戸の水運や水道を担っていました。
左の建物は、椿山荘のホテル



つばき 唐錦

庭園には、サクラや椿、サツキなど
四季折々の花があります



あしび(あせび)

白色が一般的ですが、ピンクが他所にもありました

せせらぎ


水車をせせらぎの流れが回しています



水車の畔には椿が咲いていました



水車の下流には、落ちた椿が水面を飾っていました



川面から目を上げますと
ヤブツバキの木が立っています



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十三重の石塔

ホテルの結婚式場で式を挙げた新婚さんが
橋の上で写真を撮っていました。
(一般の人は入れません)


■ 十三重の石柱

 戦国時代の武将で茶人でもあった、織田有楽((信長の弟)由縁のもとの伝えられる層塔(総高4m76cm)。

 花崗岩製で、第一層に四方仏(阿弥陀・弥勒・釈迦・薬師)が彫刻されています。

 また、数種の層塔が混合していますが、その一部は鎌倉期の様式を示しているも特徴です。



せせらぎをまたぐ朱色の橋
手前には柑橘が大きな実を付けていました

椿山荘のさくら


十三重の石柱の右手の八重紅しだれ桜



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ホテル本館の下にある幽翆池

庭園の西側に位置し、
野間邸の湧水を水源とした滝の下にある瓢箪型の池
汀には、苔むす石が並べられています。



水面にサクラを移し、
石灯籠など、日本情緒を醸し出しています。
これが椿山荘ホテルの魅力のひとつで、
外国人の宿泊者が多い理由でもあります



奥に三重塔の屋根が見えます



ホテル本館前の桜



アップにすると八重の花びらがびっしり



下からホテル本館を見上げる

この建物の一階は、喫茶コーナー
以前はケーキバイキングのサービスがありましたが
最近はなくなってしまったようです



椿山荘ホテルの新館を背景に幽翆池のさくら



椿山荘新館とチャペル
手前は幽翆池



三重塔下の坂から見る幽翆池



本館横の、幽翆池へ注ぎ込む滝
裏側から滝を見ることができます

椿山荘の三重塔


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■ 三重塔 圓通閣

 庭園の頂上には、三重塔が立っています。

 圓通閣(えんつうかく)は、平安時代前期に、小野篁(おののたかむら 802-852)によって、広島県の賀茂郡入野(現東広島市)の竹林寺に創建され、大正時代にこの地に移築・修復されました。その後、平清盛、藤田平太郎など、二回の改修が行われています。

 三回目は、平成の大規模改修で2011年に完了しました。その折に、聖観世音菩薩が奉安されました。臨済宗相国寺派有馬頼底館長の猊下による落慶・入仏開眼法要が行われ、「圓通閣」と名乗るようになりました。



「圓通」とは、圓通大士、つまり観世音菩薩の異称で、
圓通閣は、観音堂を意味しています。



圓通大士(観世音菩薩)

三重塔周辺


三重塔前から新館方向を見る



三重塔前から本館を望む



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■ 般若寺式石灯籠

 般若寺式石灯籠は、江戸時代の茶人・造庭家の間で、「名物の燈籠」と呼ばれていました。

 奈良市般若寺の燈籠が原型といわれています。

 ところが、基礎の反花の美しさ、灯袋の彫刻の図様、中台の各狭間内の文様に原格性があります。

 また、伸び伸びとして優れたものです。そのために、こちらの燈籠が原型で、般若寺のものは、その模索であるとされています。



灯袋の彫刻の図様がすばらしい



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■ 丸形大水鉢

 京都府東山区粟田口から蹴上を経て、山科に通じる日ノ岡峠にもともとはありました。木食上人(もくじきしょうにん)養阿正禅(ようあしょうぜん)が、そこを通る旅人のために作ったと伝わっています。

 この水鉢は、牛車の轍が刻まれた敷石とともに保存されていますが、日ノ岡峠を越える人々が水鉢に溢れる清水で肌を冷やし、喉を潤した往時が偲ばれます。

 ちなみに、木食上人とは、米、麦、粟、稗、豆の五穀を断ち、木の実などを食とする戒律を守り、仏の道を修める僧のことです。



三重塔の脇に、水があふれ出る水鉢があります。



もともとは、旅人の喉の潤いを癒やしたり、
峠を超える人の肌を冷やしたりするために
養阿正禅が作ったものと伝わっています。

三重塔を回る


三重塔の側面

石灯籠と手前に大水鉢が見えます。
奥の建物は椿山荘本館です



三重塔の九輪がかろうじて見えました



三重塔の裏側



三重塔を正面から見る




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