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私のサイトへの訪問をありがとうございます。
へたの横好きで撮った写真をここにまとめておくことにより、必要なときに見やすいようにと考え、単なる思いつきで着手しました。
他人様に見ていただくというより、自分の作品を整理するためのページです。
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カシャリ!一人旅 |
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関連資料(準備中) |
御府内八十八ヶ所巡り 紫雲山瑞聖寺 |
江戸御府内八十八ヶ所巡りは、四国遍路(四国八十八カ所巡り)を模して、宝暦5年(1755)頃までに開創されたと言われています。
御府内(ごふない)とは、江戸城(現在の皇居)を中心とした、現在の23区に相当する範囲を言います。弘法大師ゆかりのお寺を祈願のためにお詣りする、いわば「東京版お遍路」と記述しますとわかりやすいと思います。
ただし、江戸時代から移転したお寺もあり、現在では、御府内(23区内)の範囲に留まっていません。
ここでは、インターネットからの各種情報や「江戸御府内八十八ヶ所めぐり(JTB)」を参照してページ制作を致しました。私個人用に、簡易的に作成しましたが、順次正式に制作して公開できるようにして参りたいと考えています。
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【ご挨拶】
写真説明もせず、ただアップロードしただけのものもあり、失礼しています。時間がとれるときに説明を追加いたします。 |
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も く じ |
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高輪コース 紫雲山瑞聖寺 |
公式サイト 関連資料 |
■ 紫雲山瑞聖寺
都営地下鉄三田線の白銀台で下車しました。一番出口を出ますとすぐ前に歩道橋があり、それを降りると正面に瑞聖寺(ずいしょうじ)があります。
紫雲山瑞聖寺は、東京都港区白金台3−2−19に所在し、宇治萬福寺を本山とする、江戸では初めての黄檗宗寺院です。
現在の山門は、目黒通りに面していますが、ここはもともとは裏門でした。二度火災で消失しましたが、宝暦7年(1757)に仏殿が再建された後に立てられた裏門は、元の山門後に移築され、衰退時期もありましたが新たに表門が立てられました。
明治10年(1877)の境内絵図面に大殿、庫裡、霊屋二棟、祠堂、表門、裏門が描かれていますので、二度目の火事以降の建物かどうかはわからないようで、明治18年(1885)には、鐘楼が再建されています。大雄宝殿は、東京都有形文化財指定の後、平成4年8月(1992)に、国指定重要文化財として指定されました。
【 注 】
「高輪コース」というのは、正式名称ではなく、私が便宜上付けた名称です。
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高輪コース |
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紫雲山瑞聖寺 |
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一番札所 高野山東京別院 |
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佛日山東禅寺 |
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大雄宝殿 |
大雄宝殿(だいゆうほうでん)は、当寺の仏殿です。
黄檗宗寺院の中心的建物で、
江戸に残された数少ない本格的仏堂建築です。
山門から、右手に梵鐘を見て進むと
右手に大雄宝殿 |
大雄宝殿は、江戸時代再建の
本格的仏堂建築です。 |
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ご本尊は釈迦如来坐像、開山時の造像 |
寄せ木造り、金泥を塗布 |
ご本尊脇侍:阿難像 |
ご本尊脇侍:迦葉像 |
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大雄宝殿の周囲を裳階(もこし)が取り巻いています。 |
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鐘楼 |
山門を進むと右手に鐘楼 |
明治18年(1885)に再建 |
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左手寺務所と大雄宝殿を結ぶ渡り廊下 |
大雄宝殿の入母屋造りの屋根 |
報恩堂 |
報恩堂 |
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報恩堂横に、紫陽花が咲いていました。 |
大雄宝殿前の石庭 |
石庭 正面が大雄宝殿 |
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鐘楼近くの灯籠 |
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