下田 下田公園入口 |
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下田湾と太平洋に着き出した岬全体が、
自然要害を利用した下田城でした。
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ペリー上陸記念公園側(下田湾側)からの入口
車で訪れるときには、ここを登ってゆきます。
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旧澤村邸左からの下田公園入口
ペリーロードの終着点に立つ、
なまこ壁と伊豆石造りの建築様式を用いた、
大正7年に建築された建造物が旧澤村邸です。
そこから狭い階段を登ると蓮杖台で、
下田湾を見渡せます。
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下田公園 下岡蓮杖 |
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蓮杖台・下岡蓮杖翁之碑
下田公園中腹に「蓮杖台」と呼ばれる高台があり、下田の生まれで日本営業写真師の祖といわれる下岡蓮杖(しもおかれんじょう)の碑が建立されています。
下岡蓮杖翁之碑は、高さ4.27m、幅1.76mあります。
蓮杖台からペリーロードを望む眺望は、独特の風情や雰囲気を醸し出しています。
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下田の生まれで日本営業写真師の祖といわれる
下岡蓮杖(しもおかれんじょう)の碑が建立されています。
日本における写真の黎明期です。
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江戸の薩摩屋敷でみた銀板写真を見て
その精巧さに驚嘆し、ハリスの通訳である
ヒュースケンから写真術の手ほどきを受けました。
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写真機を手に持つ下岡蓮杖
横浜に出てから写真館を開業し、
モノクロ写真に、人工着色による演出もしました。
写真だけではなく、石版印刷を始め
いろいろな産業の発展でも貢献しました。
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散策路にある園内最大で
樹齢500年のスダジイの木
幹の直径は4mもあります。
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「スダジイ」の「シ」は「下」
「ヒ」は「実」の意味で
シイの木は「果実が熟すと自然に落ちる木」
として命名されました。
木は建築材、実は炒って食べることもできます。
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開国記念公園に続く道
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下田公園 開国記念広場 |
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公園の中央高台に、黒船祭のメイン会場としての
開国記念広場があります。
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開国記念広場の一段高い所に記念碑があります。
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ジミーカーター元アメリカ大統領の記念碑
昭和54年東京サミットでの来日中に下田を訪れた
ジミー・カーター第39代大統領の下田来訪の記念碑があります。
カーター元アメリカ大統領の下田来訪に尽力し、
「下田市名誉市民」となった
元駐日米国大使マンスフィールド氏の功績を記念した碑も近くにあります。
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下田公園 開国記念碑 |
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開国記念碑
開国記念碑は、日米交流を象徴する場所で、黒船祭の式典メイン会場です。開国記念広場の奥にある開国記念碑は昭和28年5月、下田開港100周年を記念して建立されました。
碑中央に刻まれている「開国記念碑」の文字は当時の内閣総理大臣「吉田茂」によるものです。碑の右にはペリー、左にはハリスのレリーフ像があり、また二人の言葉が刻まれています。
ペリーの言葉はマッカーサー元帥、ハリスの言葉は駐日政治顧問官ウィリアム・J・シーボルトが選んだものです。当時の日米の要人のご協力により完成されたといえます。
開国広場手前には、昭和54年東京サミットでの来日中に下田を訪れたジミー・カーター第39代大統領の下田来訪の記念碑があります。
開国記念碑の手前には、そのカーターの下田来訪に尽力し、「下田市名誉市民」となった元駐日米国大使マンスフィールド氏の記念碑も建立されています。下田公園は、下田において築かれた日米交流のシンボルともいうべき場所といえます。
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開国記念広場の一段高い所にある開国記念碑
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碑にはペリーやハリスのレリーフや言葉が刻まれています。
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「開国記念碑」と刻まれた碑の上には
平和の象徴としての鳩のブロンズ像があります
「開国記念碑」の文字は
当時の内閣総理大臣「吉田茂」によるものです
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平和の象徴としての鳩のブロンズ像
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ハリスレリーフ
ハリスの言葉を選んだのは
駐日政治顧問官ウィリアム・J・シーボルト
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ペリーのレリーフ
マッカーサー元帥が、ペリーの名言を選びました。
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下田公園 開国記念広場 |
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開国記念碑の前から広場を見下ろす
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開国記念碑前から下田市内を見下ろす
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開国記念広場を広場の東側から臨む
左手に開国記念碑、右が下田湾
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村松春水の記念碑
下田の医師で郷土史家 小説家
実在する人物・斎藤きちに取材し、
昭和2年に小説『実話唐人お吉』を発表しました。
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村松春水のレリーフ
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佐藤惣之助記念碑
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佐藤惣之助
佐藤惣之助(さとう そうのすけ、1890年12月3日 - 1942年5月15日)は、神奈川県川崎市出身の詩人、作詞家です。
【Wikipedia】
佐藤慶次郎・うめ夫妻の二男として出生。佐藤家は川崎宿(現川崎市)砂子の本陣を預かる家柄であった。佐藤紅緑に師事し俳句を学び、1916年(大正5年)に最初の詩集である『正義の兜』を出版。翌年には、第2詩集である『狂へる歌』を出版。1933年(昭和8年)1月、妻の花枝が死去。同年、詩人萩原朔太郎の妹、萩原愛子(萩原アイ)と再婚。作曲家、古賀政男と組み多くの楽曲を世に送り出す。1938年(昭和13年)には、久米正雄、林房雄、川口松太郎らと中国へ従軍記者として赴く。義兄朔太郎が死亡した4日後の1942年5月15日、目黒区の小山省の家を訪ねた際に脳溢血で倒れ、急逝。享年51。戒名は芳光院慈潤日惣居士
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下田公園 下田城址へ |
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静かな公園に突然けたたましい音
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開国記念広場から下田城址に向かう途中
彫像の立道に出ました。
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高橋悦男の句碑
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高橋悦男
昭和9年7月9日、静岡県下田市生まれ。同47年、「蘭」に入会、野澤節子に師事。同49年、「蘭」同人。同56年、蘭同人賞受賞。同58年、「海」創刊主宰。現在、俳人協会評議員、日本文藝家協会会員、早稲田大学名誉教授、「海」主宰。(俳句集「春の山」より)
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下田城址と馬場が崎展望台の分岐点にも
彫像がありました
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稲生沢川河口と下田市内
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展望台からの海
下田湾の海から急峻に丘陵を形成している下田公園は、雄大な太平洋を望む素晴らしい景勝地でもあります。
園内には馬場ヶ崎、お茶ヶ崎、志太ヶ浦の3箇所の展望台があり、それぞれに魅力あふれる風景を見ることができます。
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下田城址への路にあづまやがありました
敷石がこの辺だけ芸術的でした
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下田城址
九州平定を終え、天正18年(1590)3月、天下統一に向け、総勢1万人を超える豊臣秀吉軍が攻めてきました。後北条氏が、南伊豆防衛の拠点として築城した伊豆半島でも最大規模の山城・下田城が、現在の下田公園です。
これを迎え撃つ城将・清水上野介康英をはじめとする軍勢は600余名だったといわれています。
下田城での篭城戦は50日にも及びますが、秀吉方軍の海上封鎖及び陸上での包囲作戦により、4月下旬には開城されることとなります。
下田城は山城で、標高約70mの鵜島山頂に主郭(現在の天守台跡)を置き、そこから伸びる尾根の要所には曲輪(くるわ:役割や機能に応じて城内で区画された小区域のこと)や櫓台(やぐらだい:城の物見をするための櫓の基礎となる土壇)を配置しました。
敵の軍勢からの防備のためにめぐらされた空堀は、現在も当時の様相を色濃く残しています。
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下田城は、正式には「鵜嶋城」といいます。
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下田城(鵜嶋城)にどの様な建物があったのか
推定できます。
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天守台への階段
下田城は山城で、標高約70mの鵜島山頂に
主郭(現在の天守台跡)を置き、
そこから伸びる尾根の要所には曲輪や櫓台を配置しました。
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主郭は、想像よりも狭いように思えました。
山城ですので、当然なのかもしれません。
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下田公園 公園の植物と眺望 |
下田公園の植物
下田公園の植物は、アジサイや椿だけではありません。10万坪にも及ぶ広大な敷地には、たくさんの緑にあふれ、貴重な植物もたくさん自生しています。
ペリー黒船艦隊が日本に来航した際には、植物学者が同乗しており、下田をはじめ日本各地より様々な植物を採集し、新種として世界に発表しています。
ペリー艦隊が下田で採集したものは、草木106種、樹木69種、シダ植物16種といわれ、そのうち、新種となったのは、タチツボスミレやカジイチゴなど23種です。
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下田公園の椿
下田公園は、初夏のあじさいとともに、冬から初春にかけて、椿が来る人を楽しませます。野生種のヤブツバキだけではなく、160種にも及ぶ園芸種が植栽されています。
品種に応じて開花の時期がずれており、一面に咲くことがありません。そのため、アジサイのような迫力はありません。
12月から3月にかけての長い期間、様々な色や形の椿を楽しむことができるのが下田公園の椿の魅力です。
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蓮杖台から下田城への途中
まだ、椿はまばらでした。
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ヤブツバキ以外も多種の椿を見られます
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大きな椿の木
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公園内の所々で水仙を見ることができました
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すでに咲く等も咲いていました。
黒潮のおかげで、伊豆半島は暖かいのですね。
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下田公園から下田湾の犬走島を望む
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展望台からの海
下田湾の海から急峻に丘陵を形成している下田公園は、雄大な太平洋を望む素晴らしい景勝地でもあります。
園内には馬場ヶ崎、お茶ヶ崎、志太ヶ浦の3箇所の展望台があり、それぞれに魅力あふれる風景を見ることができます。
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