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私が訪れた名所旧跡です。
ケイタイやスマホのカメラで撮影したものもありますので画質があまりよくありません。
私の限られた感性での写真ですので、たいした作品でもありません。
自分自身の作品を、自分のために整理したものです。
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静岡県 下田・爪木崎9 稲田寺・海善寺 |
関連サイト パンフレット 関連記事 (秘) |
【 注 】 「(秘)」は個人用資料 |
■ 稲田寺 とうでんじ
敷根山稲田寺 浄土宗
文正元年(1466)法蓮社本誉創立
山門を入って右側の阿弥陀堂には、下田市指定文化財「阿弥陀如来坐像」が安置されています。
左側には、安政の東海地震後の大津波で犠牲となった方々を供養する津なみ塚が建立されています。
また、お吉の恋人だった船大工“鶴松”の墓があり、下田名所としてかかせない由緒ある寺院です。
伊豆急下田駅より徒歩5分弱のところにあります。
http://shimoda.izuneyland.com/todenji.html
下田市一丁目14-5 TEL/FAX 0558-22-3085
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伊豆下田 稲田寺 |
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↑ 拡大
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■ 敷根山稲田寺 とうでんじ 浄土宗
文正元年(1466)法蓮社本誉創立
稲田寺は、下田市では数少ない浄土宗のお寺で、15世紀の中頃に開かれたと伝えられています。また、仏像の漂着伝説の多い南伊豆地域でもめずらしい、開山上人の漂着伝説を持つという。
山門を入って右側の阿弥陀堂に、平安時代後期の阿弥陀如来坐像(下岡市指定文化財)が安置されている。大浦にあった稲田寺末庵の西向院から移された客仏である。檜材の寄木造りで、像高は208センチメートルの南伊豆には例をみない大像である。
近世の補修もみられるが、丸顔の穏やかな面相や、ゆるやかな肉どりは、定朝様式の典型的な作風を示している。後世の作と恩われる観音・勢至菩蔭を両脇に従え、三尊形式をつくっている。
幕末開港時には、ロシア使節プチャーチンとの文渉に当たった応接掛川路聖謨(せいぼ)の宿舎となり、その後下田奉行伊沢美作守が宿舎とし、安政の東海地震・津浪*1854)後、ここ稲田寺は仮奉行所ともなった。
なお、山門を入って左側には、安政の東海地震(1854)後の大津浪で犠牲となった人連を供養する津なみ塚が建立されている。また、お吉の夫となった川井又五郎(幼名鶴松)の墓もみられる。
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下田駅から数分の所、右手に参道入口が見えます。
「とうでんじ」と読みます
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両脇に民家や駐車された車の間を縫ってゆきますと
山門があります。
折しも改修工事中でした。
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山門を入ると正面に本堂が見えます。
稲田寺は、下田市では数少ない浄土宗のお寺で、
15世紀の中頃に開かれたと伝えられています。
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本堂
仏像の漂着伝説の多い南伊豆地域でもめずらしい、
開山上人の漂着伝説があります。
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本堂前には大きなソテツがありました
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阿弥陀堂
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山門を入って右側に阿弥陀堂らしからぬ建物があります。
平安時代後期の阿弥陀如来坐像(下岡市指定文化財)が安置されています。
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阿弥陀三尊像
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大浦にあった稲田寺末庵の西向院から移された客仏です。檜材の寄木造りで、像高は208センチメートルの南伊豆には例をみないといわれる大像です。
近世の補修もみられますが、丸顔の穏やかな面相や、ゆるやかな肉どりは、鎌倉定朝様式の典型的な作風を示しています。
両脇には観音・勢至菩薩を従え、三尊形式をつくっています。
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墓地の一角にお吉の恋人「鶴松」の墓もあります。
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鶴松は、幕末開国の舞台に一輪の花と咲いた”唐人お吉”の陰に隠れて哀れな一生を送ったと言われています。領事ハリスの侍妾として仕えたお吉と後年、旧情を温め仲むつまじく同棲したのも束の間、4年後に離婚、その翌年には急死してしまいました。
生前の鶴松は性格温順で、酒も煙草もやらない、器用な船大工職でした。お吉と共に幕末開国の為の果無い犠牲者の一人であったといえます。今この墓地に静かに眠っています。
【 注 】 写真は鶴松の墓ではありません。
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本堂前の藤棚
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静岡県 伊豆下田 海善寺 |
■ 海善寺
観応元年(1350)の開創。正式名称は、「富厳山 天気院 海善寺」で、浄土宗のお寺戦です。ご本尊は、「阿弥陀如来像」です。豆州八十八箇所霊場・四十一番札所となっています。
下田領主の戸田忠次の居住した館の跡です。文久3年(1863年)暮れに、徳川14代将軍家茂が上洛する途中で強風に遭遇し、当寺にて年を越したと伝えられています。
伊豆急下田駅から左に折れ、広い通りを右折し、徒歩5分弱のところにあります。
静岡県下田市一丁目14−18
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伊豆急下田駅から左に行き、
広い通りを右折し、5分弱のところ右側にあります。
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観応元年(1350)の開創。
正式名称は、「富厳山 天気院 海善寺」で、浄土宗のお寺戦です。
ご本尊は、「阿弥陀如来像」です。豆州八十八箇所霊場・四十一番札所となっています。
下田領主の戸田忠次の居住した館の跡です。
文久3年(1863年)暮れに、徳川14代将軍家茂が上洛する途中で強風に遭遇し、当寺にて年を越したと伝えられています。
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門を入ると大きな山門が見えます。
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山門の手前には橋が架かっていて、寺格の高さをうかがえます。
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正面の本堂は近代的な建物でした。
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施無畏堂
山門をくぐって左側に施無畏という扁額のかかった
小さな白い建物があります。
施無畏とは、
仏様が私達衆生の畏れの心を取り去って
救ってくださるという意味です。
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供養塔
山門をくぐって右側に
「南無阿弥陀仏」と刻まれた塔があります
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聖観世音菩薩像
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観音様のお顔は穏やかですね
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大きな銀杏とクスノキでしょうか
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本堂前のソテツ
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なんともえぬ可愛いお地蔵様
木魚を枕にしています
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