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私のサイトへの訪問をありがとうございます。

へたの横好きで撮った写真をここにまとめておくことにより、必要なときに見やすいようにと考え、単なる思いつきで着手しました。

他人様に見ていただくというより、自分の作品を整理するためのページです。

カシャリ!一人旅
  埼玉県 川越
川越市サイト    喜多院関連資料

 埼玉県川越市は、都心から30km圏内、埼玉県西部に位置し人口は34万人を有する、産業、経済、文化、観光などの中核都市です。

 観光の面でも、「小江戸」と呼ばれ、蔵造りの町並みや川越まつりなど魅力ある歴史的・文化的遺産が残っています。

 都心からのアクセスは、池袋から東武線、新宿から西武線が便利で、JRでは少々不便なところにあります。私は、田馬場駅乗り換えで、西武線「小江戸川越フリークーポン」で行ってきました。

 高田馬場駅では、ビックボックス側の改札口でないとチケットが買えません。本川越ませ約1時間、駅をおりてもバス乗り場への案内地図はありませんでした。近くのお店の人に尋ねても、巡回バス乗り場を知らないくらい、認知度も高ければ、西武鉄道の熱意も感じられないので、覚悟をして行くと良いでしょう。

 西武線のフリー切符は1,300円(平成27年4月現在)と、1,500円の特急割引切符とがあります。後者では巡回バスは別途購入する必要があります。東武線では、1,000円でバスの乗り降り自由のチケットです。バス路線は、西武系の方が観光地をくまなく巡ります。

川越城 喜多院 蔵造り 中院 仙波東照宮 氷川神社
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喜多院
  http://www.kawagoe.com/kitain/ 

 喜多院(きたいん)は、埼玉県川越市にある天台宗の寺院で、山号は星野山(せいやさん)といいます。天長7年(830年)に慈覚大師が無量寿寺を開いたのが始まりです。永仁4年(1296年)、尊海が慈恵大師を勧請して無量寿寺を再興しました。北院、中院、南院の3つの房が建てられました。「北院」が「喜多院」に繋がることは容易に想像がつきます。

 良源(慈恵大師、元三大師ともいいます)を祀り、ダルマ市(1月3日)でも知られていますので「川越大師」の別名もあります。境内にある五百羅漢の石像も有名です。建物はほとんどが重要文化財に指定されています。広大な境内には、池や掘を廻らせた景勝地です。

 喜多院となったのは、慶長17年(1612年)に、徳川家康の信任の厚かった天海僧正が、住職となった時からです。寛永15年(1638年)、大火によって喜多院のほとんどを焼失しました。3代将軍家光が江戸城内の紅葉山から客殿、書院などを移築しました。これが江戸城唯一の遺構として残されています。

 客殿や書院には「家光誕生の間」「春日局化粧の間」と伝えられている部屋があります



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喜多院へは、西武系の巡回バスで中院バス停で下車し
中院や仙波東照宮を参詣してから、
その足で徒歩で西側(上地図下側)から入りました。
山門は、上手の右上です。
 
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喜多院 山門と慈眼堂



喜多院の山門は、
東武系バス停のすぐ前にあります。
意外とこじんまりとしている山門です。


慈眼堂は、天海僧正(慈眼大師)を祭っています。

天海大僧正 てんかいだいそうじょう 1536〜1643(天文5年〜寛永20年)

 喜多院第27世住職で、諡号は慈眼大師で、日本で7番目の大師。会津に生まれ、比叡山・園城寺などで修行した。関ヶ原の戦い後、徳川家康の帰依を受け、幕府の宗教行政に参画し、以後、秀忠公、家光公に仕え、徳川家に大きな影響を与えたと伝えられています。

 天海の進言により家康は無量寿寺再興を認め、喜多院を関東天台宗の本山と定めました。これを受け、関東の天台宗寺院はすべて喜多院・天海のもとに属することとなりました。

 108歳まで生きた天海大僧正が残した
   気は長く
   勤めは堅く
   色うすく
   食細くして
   こころ広かれ
という言葉は養生訓として有名です。
                  <公式サイトより作成>



東照宮側から入りますと、
直ぐ左手に慈眼堂の階段が目に入ります。


階段を上りきると慈眼堂があります。
右奥が慈恵堂です。


慈恵堂(本堂)側から臨む
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喜多院 慈恵堂(本堂)



慈恵堂 県指定有形文化財

 慈恵堂は、比叡山延暦寺第18代座主の慈恵大師良源(元三大師)をまつる堂宇です。入母屋造りで銅版葺で、大師堂として親しまれ、潮音殿とも呼ばれる本堂です。中央に慈恵大師、左右に不動明王をお祀りし、毎日不動護摩供が厳修されています。


慈恵堂を慈眼堂から臨む


慈恵堂を多宝塔側から臨む


入母屋造りで銅版葺の慈恵堂は、
大師堂としても親しまれています。
正式には「潮音殿」と呼ばれ
本堂の額が架けられています。


客殿から、しだれ桜のある
紅葉山庭園越しに慈恵堂を臨む


慈恵堂(本堂)前のさくら


天海大僧正 てんかいだいそうじょう
1536〜1643(天文5年〜寛永20年)

 喜多院第27世住職で、諡号は慈眼大師で、日本で7番目の大師。会津に生まれ、比叡山・園城寺などで修行した。関ヶ原の戦い後、徳川家康の帰依を受け、幕府の宗教行政に参画し、以後、秀忠公、家光公に仕え、徳川家に大きな影響を与えたと伝えられています。

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喜多院 多宝塔



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多宝塔 県指定有形文化財

 総高13m、方三間の多宝塔で本瓦葺、上層は方形、上層は円形、その上に宝形造りの屋根がのっています。江戸時代初期の多宝塔の特徴が表れています。

 多宝塔は、寛永16年(1639)に、山門と日枝神社の間にあった古墳の上に建立されました。

 その後、老朽化が進んだため、明治43年(1910)に慈恵堂と庫裏玄関との渡り廊下中央部分に移築されました。移築に際し大幅に改造されていたので、昭和48年(1973)に現在地に移し、解体修理を実施し復元しました。

            < 公式サイトより >


慈恵堂(本堂)より多宝塔を臨む


慈恵堂(本堂)より多宝塔を臨む
手前手すりは、本堂基壇に作られている手すり



総高13m、方三間の多宝塔で本瓦葺、上層は方形、上層は円形、その上に宝形造りの屋根がのっています。


江戸時代初期の多宝塔の特徴が表れているといわれています。


上層屋根を支える桁は、円形に併せて作られています。


装飾色の色の鮮やかさは残っていませんが
色彩ははっきりとわかります。


桜は満開を少々過ぎていましたが
多宝塔を美しく飾ってくれました。


庫裏側から多宝塔を臨む
右手が慈恵堂(本堂)、左手が庫裏


庫裏と慈恵堂(本堂)を結ぶ渡り廊下から多宝塔を臨む

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喜多院 庫裏・客殿



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大黒天前から庫裏を臨む
しだれ桜には遅すぎましたが、
この桜が咲いていたら見事でしょう。


庫裏玄関前の石灯籠


中央が石灯籠
左に庫裏通用玄関が見えます。
右は、客殿に繋がる玄関



天海僧正お手植えの槇(まき)
奥は、慈恵堂(本堂)



庫裏
左が客殿に繋がる玄関


庫裏通用玄関

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喜多院 紅葉山庭園



庫裏と慈恵堂を結ぶ渡り廊下を
庫裏玄関前から臨む


庫裏と慈恵堂を結ぶ渡り廊下を
慈恵道側から臨む


庫裏と慈恵堂を結ぶ渡り廊下から
庫裏玄関前の植え込みを臨む


紅葉山庭園


紅葉山庭園を
庫裏と慈恵堂を結ぶ渡り廊下から臨む
右手建物は客殿


庫裏から慈恵堂に向かう回廊から
客殿と庭園を臨む
客殿(徳川家光公 誕生の間) 国指定重要文化財

 客殿は、書院、庫裏とあわせ江戸城紅葉山(皇居)の別殿を移築したものです。江戸城は焼失してしまいましたが、その一部の建物が残っているという貴重な存在です。

 12畳半のうち一室が上段の間で、「徳川家光公 誕生の間」とも言われています。床と違い棚が設けられ、襖と壁面には墨絵の山水が描かれています。天井には彩色による81枚の花模様があります。

 湯殿と厠(便所)も公開されています。

            < 公式サイトより >


庫裏と慈恵堂を結ぶ渡り廊下から
客殿を臨む


江戸城紅葉山(皇居)の別殿を移築する前の
庭園に似せて、一段したにも庭園があります。


四季折々の色で彩どられそうな庭園です。


右側が客殿で、その右奥が小堀遠州流の庭園となっています。


家光お手植えのしだれ桜は
現在は二代目


三代将軍家光お手植えのしだれ桜


家光お手植えのしだれ桜も
ちょっと時期が遅れて葉桜のみでした。

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遠州流庭園

書院前には、小堀遠州流の「極真組み」の庭園があり、
客殿の裏になります。

 
書院(春日局化粧の間) 国指定重要文化財

 客殿につながる書院は、客殿、庫裏と同じく江戸城紅葉山(皇居)の別殿を移築したものです。8畳間の2室には、床の間がついています。これらの部屋は、この建物が江戸城にあった頃、徳川家光公の乳母として知られる春日局が使用していた部屋で、「春日局化粧の間」と呼ばれています。

            < 公式サイトより >


遠州らしい手水鉢です。
水があるだけで、”和”を強く感じます。


 書院は、4部屋あり、そのうちの2部屋を徳川家光公の乳母として知られる春日局が使用していた「春日局化粧の間」です。


遠州流の枯山水庭園


書院の廊下からは、遠州流の立て札が見えました。


右手が書院
右手の石灯籠の横に手水鉢があります。


左に見えるのが客殿


書院園側横にある石灯籠と手水鉢

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五百羅漢
 
五百羅漢

 川越の観光名所で、日本三大羅漢の一つに数えられます。この五百余りの羅漢さまは、川越北田島の志誠(しじょう)の発願により、天明2年(1782)から文政8年(1825)の約50年間にわたり建立さました。

 慈恵堂の前にある売店裏に五百羅漢がありますが、見落としがちです。五百羅漢を見るのは有料で、本堂や客殿の拝観券とセットになっています。

             < 公式サイトより >



 十大弟子、十六羅漢を含め、533体のほか、中央高座の大仏に釈迦如来、脇侍の文殊・普腎の両菩薩、左右高座の阿弥陀如来、地蔵菩薩を合わせ、全部で538体が鎮座しています。


いろいろな仏具、日用品を持っていたり、
動物を従えていたりと、
観察しだしたらいつまで見ていても飽きないくらい、
変化に富んでいます。



中央にひときわ大な仏像が鎮座しています。


 笑うのあり、泣いたのあり、怒ったのあり、ヒソヒソ話をするものあり、本当にさまざまな表情をした羅漢様がおられます。


別々の羅漢さんですが、
お互いに向き合ってひそひそと
何かを語り合っていました。


瞑想しているうちに
緑色の苔も生えてきました。


中には横になっている羅漢さんがいます。
そのら換算の腰や脚を揉む羅漢さんもいます。

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喜多院 大黒天



慈恵堂と庫裏の間に
川越七福神の一つ「大黒天」があります。
小江戸川越七福神 大黒天

 小江戸川越七福神の大黒天が祀られております。

 大黒天は古代インドの闇黒の神で、仏教での戦闘神です。平安以後、食を司る台所の神と崇められました。

 日本の神大国主命を大国と混同させ、命の御神徳を合わせ、糧食財宝が授かる神として信仰を得ました。くろ(黒)くなってまめ(魔滅)に働いて大黒天を拝むと大福利益が得られます。
            < 公式サイトより >


喜多院 鐘楼

鐘楼門 国指定重要文化財

 鐘楼門は、2階建てで階上に梵鐘を吊るす入母屋造りで本瓦葺の建物です。1階には袴腰と呼ばれる囲いが付いています。2階の前面には竜、背面には鷹の彫刻があります。

            < 公式サイトより >

 

 
 
 
川越城 喜多院 蔵造り 中院 仙波東照宮 氷川神社
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経営コンサルタント・グロマコン 
 日本コンサルタントアカデミー
 (特)日本経営士協会

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