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私が訪れた名所旧跡です。
コンパクトカメラやスマホで撮影したものもありますので画質があまりよくありません。
私の限られた感性での写真ですので、たいした作品でもありません。
自分自身の作品を、自分のために整理したものです。
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奈良 薬師寺 玄奘三蔵院伽藍 1 |
公式サイト パンフレット 関連資料(秘) |
■ 薬師寺の概要
薬師寺は、奈良県奈良市西ノ京町にあります法相宗大本山の寺院で、南都七大寺の1つに数えられています。本尊は薬師如来です。
1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」が、ユネスコより世界遺産として認められましたが、薬師寺は、その構成資産の1つです。
天武天皇9年(680)に、天武天皇が皇后であります鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ、後の持統天皇)の病気平癒を祈って発願されました。
しかし、天武天皇自身は、薬師寺の完成を待たずに崩御され、皇后が、持統天皇として即位しました。その時に、新都藤原京に、薬師寺が造営されたのです。697年には、本尊薬師如来の開眼が行われ、710年に、元明天皇の命により藤原京から平城京へと遷都が行われ、それにともなって薬師寺も現在地へ遷りました。
天平時代まで、天下の四大寺の一つとされ、金堂・東西両塔・大講堂など主要なお堂は裳階がつけられ、壮麗な姿は「龍宮造り」と呼ばれていました。
しかし、多くの寺院がそうでありますように、薬師寺も多くの堂塔が火災や地震で失われてしまいました。唯一創建時から現存するのが国宝・東塔です。
昭和43年(1968)、管主・高田好胤和上の発願で、写経勧進などによる白鳳伽藍復興が開始されました。高田管長は、全国を行脚し、昭和51年(1976)に目標を達成し、金堂が落慶されました。
現在では、西塔(さいとう)、中門、回廊、大講堂、食堂(じきどう)など白鳳伽藍の主要な堂塔はほぼ復興され、いにしえの大伽藍がよみがえっています。
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■ アクセス・拝観
電車
近鉄西ノ京駅より徒歩1分
近鉄京都駅・近鉄大阪難波駅から大和西大寺経由 西ノ京駅まで約40分 近鉄大和西大寺駅
JR奈良駅からバスで30分ほど
普通車(全長5m未満 高さ2.7m未満)500円(1回)
拝観 午前8時30分~午後5時 1,100円(1,600円)
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↑ 拡大
境内右三分の二を「白鳳伽藍」といい
左を玄奘三蔵院伽藍といいます。
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■ 玄奘三蔵院伽藍 げんじょうさんぞういんがらん
薬師寺の宗派は法相宗です。法相宗の発端を築いた玄奘三蔵の頂骨が奉安されている、玄奘三蔵の遺徳を顕彰するための伽藍です。
平山郁夫画伯の手による大唐西域壁画が奉納されていることでも知られています。
建立 平成3年(1991)
玄奘三蔵像 (大川逞一 作)
大唐西域壁画(平山郁夫 筆)
関連資料(秘)
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薬師寺 玄奘三蔵院伽藍へのアプローチ |
大門
白鳳伽藍から、北にある與楽門をでますと大門があります。
白鳳伽藍からバス通りを挟んだ北側に玄奘三蔵院伽藍はあります。
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本坊寺務所まえから振り返りますと大門が見えます。
左手が寺務所、右手が薄墨桜
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大門を入りますと正面に薄墨桜があり、
その奥に玄奘三蔵院伽藍が広がっています。
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中央:礼門 右:本坊寺務所
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礼門前から右手を臨むと慈恩殿がみえます
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慈恩殿
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薬師寺 玄奘三蔵院 礼門 |
礼門
玄奘三蔵院の正門
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■ 玄奘三蔵
げんじょう
602年-664年3月7日
玄奘は戒名であり、俗名は陳褘(チンキ)。諡は大遍覚で、尊称は法師、三蔵など
玄奘三蔵は、孫悟空などの物語で知られていますが、中国唐代に活躍した実在の僧侶です。唐代の訳経僧・鳩摩羅什と共に二大訳聖、あるいは真諦と不空金剛を含めて四大訳経家とも呼ばれます。
629年に陸路でインドに向かい、巡礼や仏教研究を行って645年に経典657部や仏像などを持って帰還しました。以後、翻訳作業で従来の誤りを正し、法相宗の開祖となりました。また、インドへの旅を地誌『大唐西域記』として著したことでも知られています。
玄奘三蔵は、当時の中国に未だ伝来していなかった経典を求めて、27歳のときにインドへ求法の旅にでます。インドで修学の末、経論や舍利、仏像を携えて、17年に及ぶ旅を終え帰国しました。
帰国後は、持ち帰った経典や論疏657部の中から75部1335巻を翻訳しました。なかでもよく知られているのが『般若心経』の翻訳です。
玄奘三蔵の求法の旅の目的は「唯識」の教えを究めることでした。その教えは玄奘三蔵の弟子である慈恩大師により、「法相宗」として大成し、飛鳥時代の道昭僧都などにより日本に伝来しました。
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礼門から臨む玄奘塔
玄奘三蔵の頂骨(頭部の遺骨)が納められています
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薬師寺 玄奘三蔵院 玄奘塔 |
礼門内側より臨む玄奘塔
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■ 玄奘塔
薬師寺では玄奘三蔵の遺徳を後世に伝えるべく、平成3年(1991)に玄奘三蔵院伽藍を建立するほどです。
伽藍中央の玄奘塔には、玄奘三蔵の頂骨(頭部の遺骨)が納められています。
この頂骨は、昭和17年(1942)に中国南京で発見され、その後、全日本仏教会に分骨されました。
埼玉県さいたま市の慈恩寺に奉安された頂骨を、玄奘三蔵の遺徳顕彰のため昭和56年(1981)に薬師寺にも分骨し、玄奘三蔵院伽藍を建立して安置したのです。
玄奘塔に祀られている玄奘三蔵像は、仏師大川逞一氏によって造像され、平成3年(1991)に安置されました。
右手には筆を、左手には貝葉経(インドのお経)を手にしており、天竺からの帰国後、経典の翻訳に尽力される玄奘三蔵の姿を表しています。
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玄奘塔 水煙
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玄奘塔(側面)
右手は、大塔西域壁画殿
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玄奘塔を北西方向から見る
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薬師寺 玄奘三蔵院 大塔西域壁画殿 |
大塔西域壁画殿
平山郁夫画伯の大唐西域壁画
および玄奘三蔵像 (大川逞一 作)ほかが奉納されています
(閲覧可能)
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玄奘塔の裏側(北側)に大塔西域壁画殿があります
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玄奘三蔵院経蔵を境内外から見る
唐招提寺から徒歩で移動中、まず目に入る薬師寺
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